四十一話 遺されし者の悼みなんて

 鈴の音が響き渡る。

 世界が金色に染まり、光のベールが空間を包み込んでいく。


「っ!?」


 その思っても見なかったタイミングにフウは一瞬戸惑うが、ルシアとの間に現れた光の波により緩やかに後退させられる。


(まさか、本当に終わる前に来るとは……)


 個人的には全くもって有り難くないタイミングだが、状況的には退いた方が良いのも事実。

 フウは表情には出さないまま、内心で驚くと共に感心していた。


「お兄ちゃん! これは――」

「フウ、あの子って……!」


 そしてスイの元へ着地すると、その切羽詰せっぱつまった声に顔を上げた。


「っ……」


 既に光景を予想していたフウはしかし、先に広がる景色の余りの美しさに言葉を失った。

 ――そこにいたのは、一人の少女。

 純白の衣装に身を包んだフィアの姿だった。

 神秘的な輝きを放つ黄金こがねたずさえる彼女は、堂々とした態度で言葉を紡ぐ。


「そこまでです。どうか、両者共に戦意を解いて下さい!」

「使徒……!? 貴様邪魔をする気か、グランベルの威信いしんが懸かっているのだぞ!?」


 フィアの言葉にルシアが即座に声を荒げ、憤怒ふんどあらわにする。しかし彼女は金色の双眸そうぼうで制するようにルシアを射抜いた。


「大陸内の国際事項においての発言権は使徒わたしにもある筈です。ルベルタ王国国王陛下が亡き今、ルシア様まで深手を負ってしまえば速やかな事態の収束が図れなくなります。貴方様はご自身の部下の傷ついた姿や城内の惨状が見えておられないのですか? ここはどうか、ご英断を」


 しゃん――と金髪の左右に付けられた鈴が鳴り、呼応するように辺りを覆う術力が一層強められる。


「それでも行くとおっしゃるのでしたら、今ここで私を殺してから行って下さい。意識のみを奪うつもりでしたら、ルシア様が手をかけたかのように見えるよう自らの首を切ります。これほど大勢の目がある前で私がそのように倒れれば、事実はどうあれルシア様が切ったということになるでしょう。それが意味する事は、分かりますよね」


仮にも使徒は聖国の要人。いくら実質的には人質に近い立場であろうと、帝国の人間が明らかな殺意をもって聖国からの預り物に傷を付ける意味をフィアは問うていた。


「何を言うかと思えば……こういう時に限って使徒づらか。物事の道理もろくに知らぬ者は、都合が良くて羨ましい限りだ」

 ゆっくりと起き上がったルシア――腹部の穴は既にほぼ塞がっている――はその口調とは裏腹に地面へ座り直すと両手を上げ、肩をすくめて見せた。同時に場に満ちていた殺気のひとつが金色の光に溶け込むように消えていく。


「お兄ちゃん、どうする……?」


 光の壁越しにその様子を見ていたフウは、困惑した面持ちでスイに尋ねる。本来ならば有無も言わさずスイの手を引いて離脱したい所だったが、ここはえて判断を仰いでいた。


「……」


 スイは黙ったまま拳を握り締め、ルシアを睨みつけていた。そして悔しさを顔に滲ませながら口を開くと、


「ごめん、フウ。……撤退だ」

「……分かった」


 複雑な表情で首を縦に振ったフウを横目に、スイは自責の念に襲われた。

 本来ならば一人でケリをつけなくてはならなかったのに、自分が弱いせいでこんなことになってしまった。フウに心配をかけ計画を崩した挙げ句、負わなくても済んだはずの怪我までさせてしまったのだと。

 スイの中で後悔の念が肥大していく。しかしそれは今すべきことではない。現在最優先しなくてはならないものは何か、守りたいものがあるのならそれを見誤ってはいけない。

 スイは無駄な思考を追いやり、頭を切り替えた。


「よし、じゃあ行くよっ!」

「おうよっ!」


 言葉を交わした二人は同時に跳躍した。

 一帯を包囲していた兵団までをも覆うように展開された巨大な光の膜を突き抜けると、視界が急に開ける。スイは走りながら周囲を確認し、東側の訓練区の塀へと跳び乗りそのまま訓練区内に侵入。フウもそれに続き、二つの人影は建物の屋根の間を縫うように進んでいく。

 やがて王宮の片側を囲むように作られている東部訓練区の丁度中間、中央棟を越えた辺りから二人に気づく者が現れ始めた。


「おいお前ら! 何者だっ! 今直ぐ降りてこい!!」

「例の侵入者だ! 追え!! 捕らえるんだっ!」

「……ん?」


 追跡してくる兵やたまに飛んでくる矢などを無視して走り続けていた二人だが、ふと胸騒ぎがしてスイが後ろを向いてみると、しびれを切らしたのかフウが後方にほのおを放とうとしているところだった。

 俺の我慢もここまでだぁぁ! と今にも叫びだしそうな形相ぎょうそうに眉を引きつらせたスイは走る速度と進路を僅かにずらし、半身で振り返る。

 そして後ろに気を取られたまま走っていたフウをすぽっ、と両手でキャッチした。


「にゃばあぁぁああっ!?」

「フウ~? 予定のポイントに着くまでは手を出さないって約束したよね? まだ一応作戦中なんだから、ちゃんと予定通りにしてくれないと困るんだよなぁ」


 と言いながらスイはフウの胴に腕を回し、片手で軽く抱え直すと再び加速して走り始めた。


「なぬっ!? 人を荷物扱いだとぉ!? 放せいっ! 良いではないかああ、ただでさえ邪魔されてイラついてんのに、何でどこぞの馬の骨とも分からん奴らに罵倒ばとうされなきゃならねぇんでぃっ! 俺の我慢も限界なんだよぉぉおおおストレス発散させろおおおお」


 スイの小脇に挟まれた手荷物フウは、いつも通りよく分からない台詞をわめき散らして暴れていた。


「馬の骨って……」


 相変わらずの変人ぶりを発揮する妹に半ば呆れ顔をするまぁまぁマシな兄の

 すると何故か急に大人しくなったフウ――脱出を諦めたのか手足をぶらんと落としている――が口を尖らせた。


「と、言うかですね。そもそもの原因はお兄ちゃんなのですよ? お兄ちゃんが勝手に作戦無視してさ、暴走してくれちゃったお陰でさ、私はあんな身に覚えのない罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられる羽目になってる訳なのでっさ。分かりまっか? ねぇ、兄貴。分かってますよねぇぇぇぇ~?」

「…………ご、ごめん」


 うん。分からない。全く以て分からないし、ツッコミ所満載まんさいだし、支離滅裂しりめつれつだが、フウの機嫌がすこぶる悪いと言うことだけはよく分かった。

 口以外は大人しく運ばれてくれているだけマシな方だろうと無理やり己を納得させ、しばらくフウの愚痴を聞かされていたスイだったが、徐々に数を増やし隊列を整え始めた追っ手を確認し改めてフウに声を掛けた。


「……そろそろかな。フウ、お待たせ。ここからは予定通りに行くよ」

「ん、あいよっ!」


 一通り毒を吐いて機嫌が良くなったらしいフウが笑顔で応じる。

 目的は離脱のための足、つまりは竜馬の調達。二人が向かっていたのは、王宮東部に位置する厩舎きゅうしゃだった。そして厩舎から少し離れたこの場所こそ、先程スイが言った予定のポイント。

 スイは屋根瓦を強く踏み締めると片足に重心を傾け回転。その遠心力を使い、フウを後方へと投げ上げた。

 宙に放たれた銀髪の少女は、ゲスじみた笑顔で両腕から蒼い炎を巻き上がらせる。


「ひぃ~やっほぅっ! んじゃ、さっきの声援に応えてお待ちかねのファンサービスゥっ!」


 その嗜虐しぎゃくめいた笑みに兵達が怖じ気づくより先に、赫耀かくやくと燃え盛るそれを眼下へ叩きつけた。


「……はぁ」


 ――御愁傷様ごしゅうしょうさまです。

 背後で起こる爆発と悲鳴の大合唱に、スイは心中で追悼ついとうの意を送った。

 攻撃するのは食料庫や工廠こうしょう中心にとあれだけ言ったのに、何故あの妹は楽しそうに人を燃やしているのだろうか。というより、ルシアとの戦闘でかなり負傷していた筈なのにどこにそんな元気があるのだろうか……などと心中でぼやきながらフウの姿を遠目に見やった時。


「もしかして、」


 ルシアと金髪の少女の会話を思い出した。

 彼は彼女のことを『使徒』と呼んでいた、と言うことは――


「……聖術せいじゅつ


 『使徒』のみが会得えとくしているという希少属性術、『聖術』。

 その特徴は光と共に与えられる無条件平等の「平穏」と「癒し」であり、術の展開範囲内には敵味方を問わない治癒能力が発動される。

 つまり二人の傷が癒えているのも、術力が回復しているのも、あの少女の『使徒』としての力によるものだったということだ。


 思わぬ助け船であったのは間違いなかったが、その根にある可能性を考えたスイは表情を僅かにくもらせた。爆煙ばくえんに隠れるように建物の屋根を駆け抜け、竜馬の厩舎きゅうしゃ内部へ侵入する。

 薄暗い舎内は、隣接する馬の厩舎の騒がしさに対して驚く程静まり返っており、身動き一つ取ろうしない竜馬達は食い入るようにじっとスイを見つめていた。

 竜馬達の意識と視線が全て己に向けられるという物々しい雰囲気の中、スイは特に焦るでもなく落ち着いた足取りで通路を進んでいた。


 竜馬は自らの意志であるじを選ぶ生き物。馬よりも主人との相性に敏感で、生涯をかけて一人の主にしか背を貸さない彼等は、主以外の人物には少なからず威嚇行動を取る性質がある。

 ……のだが、奇妙なことに既に主がいる筈の竜馬達は侵入者に対して威嚇をする素振りさえも見せていなかった。

 そんな中、スイは一頭の竜馬の元に歩み寄る。

 他の個体とは違う小型亜種特有の灰銀の翼と毛並み、くすんだ藍錆あいさび色の鱗はフウとスイにとっては幼い頃から見慣れたもので、家を去る際にメドウが乗って行った竜馬で間違いなかった。


「久しぶりだね、迎えが遅くなってすまなかった」


 そう言ったスイの手がくちばしに触れるとメドウの竜馬は心地良さそうに目を閉じ、また悲しげにのどを鳴らしながら擦り寄った。


「きみも父さんが好きだったよね」


 鼻面を包み込むように優しく撫でると、ほんの少しだけその体毛に顔をうずめる。――メドウもよくこんな風に彼を撫でてやっていたな、なんて思いながら。


「……ふぅ、」


 一呼吸を置き、肩に掛けていた手綱を床に落としたスイはその場から半歩後ろに下がると、敬意を込めた視線で灰銀の彼を見つめた。


「――もう分かってはいるだろうけど、きみの主は死んだ。どうか僕たちにきみの力を貸してはくれないだろうか」


 頼みというよりそれはもはや命令のような声音。

 スイの瞳を見つめながら言葉を聴いた竜馬かれは新たな主を受け入れるかのように深く頭を垂れた。

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