第23話
加賀たちは故買屋のカトーと、スレッドフロート掲示板を使って、恐ろしく回りくどいやり取りで連絡を繰り返していた。その結果、どうにかこうにか、新たなセッティングに漕ぎつけたのである。森は国連の予算監査を通じて、資金調達を打診したようだ。事態の悪化から優に三日、あらためて受け渡しの手筈が整ったのだった。
カトーが指定した場所は、東京都目黒区大橋にある首都高速三号渋谷線と中央環状線を結ぶ大橋ジャンクションである。
大橋JCTは二〇〇七年五月十六日に着工、二〇一〇年三月二十八日、中央環状線大橋JCTから西新宿JCT間開通に伴い、供用が開始。二〇一四年、中央環状品川線(大井JCTから大橋JCT間)の開通により、全面供用が開始された。
旧山手通りの地下を走っている中央環状線からの連絡ルートがループを描き、三号渋谷線まで上昇、そこで都心方面、東名方面に分岐し、三号渋谷線の本線に繋がっている。路面の高低差、七十一メートルという、巨大なインフラ構造物である。
カーブの連続する独特なループ形状によるためか、開通前から様々な可能性を想定した防災訓練が行われてきた。が、開通後、主に上り外回り方向で、渋谷線から中央環状線へ流入する際の下り坂ループ上で、トレーラー等、貨物自動車がカーブを曲がりきれずに横転するという事故が発生した。首都高会社は厳重な注意喚起を促してきたが、事故抑止には繋がらず、先頃、走路見直しの為の全面改装という方向で、一時的な閉鎖に至っていた。
時刻は午後十時半を回っていた。
加賀たちの乗り込んだ黒いバンは、首都高速三号渋谷線下りからジャンクション開口部に近付いた。付近は二十メートルほど手前から封鎖されていて、赤いロードコーンとLED封鎖帯が無言の警告表示を流している。頭上に視線を移すと、目黒天空公園と超高層タワーマンション二棟の明かりが見えていた。
ダクラスがバンを路肩に寄せると、レインが口火を切った。
「はい、男性陣、さっさとどけて」
問答無用のレインの口調に、男どもが渋々車外に降り立った。加賀も無論、その頭数に含まれている。加賀と森、それに二人のボディガードが加わり、手際良く封鎖帯を脇に寄せた。ダクラスはゆっくりとバンを転がして、高速側から目立たないところまで移動させた。
「………さて」
車中に戻った森が、少し息を弾ませながら喋り出した。
「カトーが指定した時刻は十時四十五分だ。まだ十五分ほどあるな」
「先方打ち合わせの到着としては、まずまず上々だね」
加賀は少々おどけて見せたつもりだったが、レインは無愛想である。
「仕事の営業じゃないのよ。………置いてきても良かったんだけど、ホテルで死なれても後味悪いから」
加賀は表情をこわばらせると、両手を広げた。
「四十半ばで、まだ死にたくはない。………どうぞ、お供させて下さい」
「なら、わきまえて」
レインの小言が治まると、森があらためて仕切った。
「よし。もう一度段取りの確認だ。カトーを確認出来たら私が接触する。バックアップはレイン」
レインは九ミリのSMGにマガジンを装填した。ボディガードの二人もそれにならう。三人ともこの暗がりにも関わらず、深い色のサングラスを掛けていた。恐らく暗視か、射撃管制のツールなのだろう。
「わかったわ。お金は?」
「ユーロで準備した」
「決済用仮想通貨とか?」
「まさか。連中は犯罪者なんだぞ。せめて追跡しづらい、通し番号なしの現金にしてやらなきゃ」
森はそういって銀色のトランクの蓋を叩いてみせる。
「随分と犯罪者に優しいのねえ」
「紙幣に同位体ラべリングトレーサーが付いてる。………これは苦肉の策の、司法取引みたいなもんだ」
「泳がせているけど監視下っていう、そういうこと?」
「そういうことだ」
加賀はバンの後部座席で左右をボディガードに固められたまま、時刻を確認した。
そろそろである。
ロードコーンと封鎖帯のある辺りに、一台のバイクが止まった。ツーリング仕様のフルカウルバイクだ。シルバーグレイの車体が、高速のポール照明方式のメタルハライドランプの下で鈍く光っている。シレックスのバーキンヘルメットを被った、プロテクター付きのライダースーツ。かなり細みの体躯に見える。
男は一旦バイクを降りると、封鎖帯を避けて押して入った。こちらのバンにはまだ気付いていないようだ。辺りをきょろきょろ伺っている。男はヘルメットを脱ぐと、汗ばんだボサボサ頭を掻き上げた。
「どうだ、奴か?」
森はそうたずねると、加賀の手に単眼鏡を押しつけた。慌てて受け取り、覗き込むと、驚くほどの拡大率でライダーの顔が目の前に浮かんだ。
無精髭にボサボサ頭、何より悪趣味な黒ぶち眼鏡が特徴的である。その姿に加賀は何処か、懐かしい気さえしていた。
「あいつだよ、間違いない」
森は静かに目配せすると、トランクを手にバンの助手席を降りた。レインが後に続く。二人とも黒っぽいコートを着込み、下には銃を忍ばせている。靴底が路面に散ったコンクリート片を踏み締める度に、チリチリと耳障りな音を立てた。
ライダースーツの男が二人に気付き、微かに微笑んで会釈した。互いに歩み寄り、五メートル間隔まで近付いたところで声を掛ける。
「あんたが、森さん?」
しゃがれた、野太い老人のような声だ。
「そうだよ。ようやく会えたな。カトーさん」と、森。
カトーは後ろ頭を掻くと、にやにやほくそ笑んだ。
「そっか。俺の通り名って、カトーだっけなあ。………忘れてたよ」
「あんたで間違いないんだろ?」
「ああ、そう。………しかし、掲示板の連絡とは考えたね。面白かったぜ。あいつは、まだいるの?」
「誰?」
「加賀、洋輔さん」
「元気にしてるよ」
カトーは、思い出し笑いしながら首を振り、
「あの質問は傑作だ。『ワイヤード』の勝ち馬。(とどめの一撃、リバーサイド、第3レース、ラッキーダン)ちょっとあんたらじゃ思い付かないな」
「発案は彼だよ」
「よろしく言っといて」
そこでカトーは、背後に控えたレインに視線を向けた。
「おっと、美人ドライバーも一緒かね。また会えるとは」
「お久しぶり」
レインは懐に手を添えたまま、静かに答えた。彼女の表情は、サングラスに隠れていて判読出来ない。
「あんたが潜入捜査官だったとはね。この間は気付かなかったよ。ケルビム・メンタル・リサーチじゃあ、イベントコンパニオンまでやったらしいじゃないか。 ちょっと見たかったなあ」
レインは特に感情を交えずに、返答した。
「潜るのが、得意技なのよ」
カトーは静かにうなずき、呟く。
「桐原については残念だったねえ。こっちも、あんなに早く連中が接近してくるとは思わなくてさ」
「あいつには、当然の報いね」と、レイン。
「どの道、長くはなかったろうが、………ま、いずれにせよ、新しい商談で、話は変わったわけだしな」
森はトランクをゆすって見せた。
「金は用意してある。残りのデータは?」
カトーは胸ポケットを叩いて見せた。
「ここに。………当然、マーク付きなんだろうね? しかし、放っといてくれるんだろう、ほとぼりが冷めるまでは? あんたらも俺と取引するなんて、選択の余地なしってことなんだろうけど」
森は皮肉な笑みを浮かべた。
「………良くおわかりで」
「ハハハッ、笑わせてくれるな、全く」
森はカトーの馬鹿笑いを制した。
「その辺にしとけ。………金は? 確認するか?」
カトーは静かにうなずいて、一歩前に出た。
その動作に合わせるように、(パシャッ)という短い破裂音が耳元を通過した。
カトーの分厚い眼鏡のつるが吹き飛んだ。ボサボサ頭の髪の毛が千切れて、メタルハライドランプの白光に舞い散る。
咄嗟に振り返った森の頭を、五.四五x三三ミリ弾が掠め、二発目をかわそうと振り上げた右手が初速九一五 m/s(メートル毎秒)の被覆鋼弾に打ち抜かれる。森のくぐもった呻き声。第三弾、四弾が、カトー、森、両者の胸鎖関節脇の腕頭動脈を狙撃した。着弾した弾頭が横転を引き起こし、その運動エネルギーが内部組織を著しくダメージする。肩口に繋がる頸部を半損した二人は赤黒い血飛沫を撒き上げながら、声もなくその場に崩れた。
カバーに入ろうとするレインを、三点バーストの連射が襲う。レインは反射的に下方に避け、コートの下に隠したSМGを引き抜くと、音のした方向に乱射した。
一瞬、途切れる銃声。レインは森の掴んだ銀色のトランクを回収すると、カトーの亡骸に接近した。五メートル先の、胸ポケットの中身を回収しなければならない。
だが間髪入れずに、レインの鼻先をAKの銃弾が掠めた。狙撃ポイントは、目黒天空公園に繋がるジャンクション開口部の天蓋らしい。
これは待ち伏せだ。
レインはその場の判断で回収を諦め、四方にSMGを発砲しつつ、黒塗りのバンに向かって走った。察したダグラスがバンを移動させ、助手席側の扉を開く。弾幕の合間を縫って、レインが座席に飛び込んだ。
「ダグ、離脱して!」
レインの指示が飛ぶ。
ダクラスはそのまま直進して首都高速方向に脱出を図るが、阻むように前方から4ドアセダンが迫ってきた。挟み打ちにするつもりらしい。ダグラスは機転を利かせ、ギアをリバースに入れると車を逆走させた。バンは全速力でジャンクションへと後退していく。
緩い傾斜のついた螺旋構造の通路は、黄色いナトリウム作業灯に照らされていた。
「おいおいおい、大丈夫なのか!」
加賀の問いに答える者はいない。ダグラスが後ろを振り返り、歯を食いしばりながらハンドルをさばいた。迫って来るセダンがぐっと車間距離を詰めてくる。助手席側の窓から男が身を乗り出し、アサルトライフルを構えた。
「撃って来るわよ!」と、レインが叫んだ。
被覆鋼弾の連射がバンのフロントウィンドウに降りかかった。粉々に吹っ飛ぶ、と思いきや、意外にも弾丸は突き抜けなかった。蜘蛛の巣のような白いひび割れが走ったが、硝子には粘りがあり、特殊な防弾仕様が施されているらしい。
今度はレインが身を乗り出した。九ミリのSMGのマズルフラッシュが暗がりに閃く。セダンのボンネットフードに跳弾し、ドアミラーが吹き飛んだ。加賀の左右を固めていたボディガードもリアドアーから応戦に加わる。カーブ警戒のゼブラ板が高速で流れ去って行く。路面のブルーとレッドの誘導マーキングがめまぐるしく入れ替わった。
4ドアセダンの後部座席からもAKの応戦が加わり、向かい合った黒い車体がスロープを滑り落ちて行く様は、火花を散らすローラーコースターさながらである。 狭いトンネル内に複数の銃声が木霊した。
加賀は振り落とされないよう、座席にしがみつくのに必死だった。
「ダグ、前輪を狙うから、速度を落として!」
レインの判断をダグラスは即座に理解した。レインがセダンのフロントバンパーから下方向をSMGで薙ぎ払うと、前輪がバーストを起こした。焦ったドライバーが右方向にハンドルを切ったところに、ダグラスが減速して車両をぶつける。接触と同時にダグラスが押し込むようにハンドルを切る。一瞬のサイドブレーキがきっかけとなり、二つの車体にスピンが生じた。
ダグラスは素早いハンドル操作で運動エネルギーを相殺した。車体が進行方向に向いた瞬間、ギアを前進に入れ、アクセルを踏み込む。バーストを起こしたセダンは、スピンを止められぬまま分岐部衝撃緩和装置に乗り上げた。回転運動の円軌道が僅かに上方向にねじれると、質量一.五tのセダンが軽々と宙に舞い上がる。車体は腹を上にしたまま、スロープを滑り、側壁に激突した。一瞬の後、燃料装置のトラブルから、車体に火の手が回る。
甲高い爆発音。そして短い衝撃波。
急速に距離を離していく加賀たちの黒いバンに、追いすがるように微かな悲鳴が届いた気がした。
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