第3話

「加賀ちゃん、どうなの? 最近は?」

 三十そこそこの、細面の商品バイヤーは、気安い口調で呼び掛けた。加賀洋輔は窓のない広大な商談室の一角で、顧客と打ち合わせの最中だ。

 加賀は住生活商品部を訪れていた。月曜日恒例の商品部校正である。各部門に分かれ、営業と制作が担当バイヤーと原稿の擦り合わせをする。

 ローレライ東日本事業部は、海浜幕張駅近くにあった。年中強い風が吹き抜ける、バブル期の名残も懐かしい街並みである。

 砂色に近いベージュ(アルマーニ風に言うところのグレージュ)のタワービル。入口付近の広いコンコースには、遺跡のようなパラボラ通信設備が残っていた。ビルの中間にテナント事務所、低層部は旗艦店舗として実働している数少ないローレライ海浜幕張店が営業している。

 商談室は複数のパーテーションで仕切られた迷宮で、無限回廊と化していた。天井に並んだ蛍光灯の列が、機械的な連続性で延々と続いている。

 事業部の事務所内が全館禁煙のためか、商品バイヤーたちは、ちょくちょく、ここの喫煙ブースに現れた。いわゆる休憩、暇つぶし、サボりに関連する非生産活動の一環である。

 この若造、西島家電商品SV(スーパーバイザー)も、そうした輩の一人だった。

 クリーム色のやけに糊の利いたシャツに、赤・ブルーのレジメンタル・タイを締めている。パーマの掛かった茶髪頭と、にやけ顔が鼻に付いた。

 加賀は伏し目がちに微笑むと呟いた。

「どうって、別にねえ。………まあ、ボチボチですよ」

 校正業務はひと区切りついて、二人は雑談モードに入っていた。

「十一月三十号は、無事納まったんでしょ?」

「ええ。おかげ様で何とか。大丈夫っすよ。それとも何か、変な話でも聴きました?」

 西島は少しトランスジェンダー風のしなを作り、否定した。

「ううん。そんなのは聴いてないけど。………加賀ちゃん、最近元気ないかな、と思ったりして?」

「そんな。気のせいでしょ?」

「そう?」

 加賀は眉を吊り上げると少し身を引き、皮肉めいた口調で返した。

「西島さん、どーしたんすか? ねぎらいですか? ちょっと気持ち悪いっすね」

 西島は心外だったのか、真顔で応えた。

「何よ、心配してあげてんのよ」

「そうですよね、そうでした。有り難うございます。………十二月は今の、これで大きいのは仕舞いで、一月がさっぱりですよ。何かないですかね、西島さん?」

 そう話を振ると西島は慌てて両手を広げ、予防線を引いた。

「僕には発注権限ないからさー」

「塩沢マネージャーにプッシュしといてくださいよ」

「塩沢さんねえ。……」

 そこで西島は思い出したように切り出した。

「そうそう、塩沢さんって言えば、加賀ちゃん、何かやっちゃった?」

 加賀は怪訝な表情で警戒した。

「何かって、何ですかね? この間の日用雑貨の件とか? ………まだ引っ張ってるんですか?」

「日雑って、あれ? 紙オムツの?」

「ええ」

「あれは北村SVが悪いんじゃない。価格間違えたの、あのヒトでしょ?」

 加賀はうんざりした表情でうなずいた。

「まあね。北村さんには謝ってもらったし、ウチも値引き被ったりしてませんけど。塩沢マネージャーには随分な御託を言われちゃいましたよ」

「何て?」

「そんな価格、あるわけないだろう、何年やってんだ、ウチの仕事、とか何とか。………最後はお宅らプロだろ、の殺し文句」

 加賀は不快そうな苦笑いを浮かべた。西島の眉が困ったように八の字に曲がる。

「そんなの業者が気付けって話? 無茶苦茶な理屈よねえ。企業としてのコンプライエンスは、どうなってるのよ?」

 加賀は肩をすくめた。

「ま、そんな大層なものじゃないですけど」

 西島は爪を噛むと、少し間を置き、言った。

「そうそう。この間、僕、家電の業種単独の企画持っててさ。僕はいつも日進堂さんには良くしてもらってるから、塩沢さんに話し通そうと思って行ったわけ。こっちでやるからねー、って。そしたら」

「そしたら?」

 西島は周りを気にするように顔を近付けると声をひそめた。

「日進堂は、やめとけって。私が光洋社に頼むから心配するな、って。こうよ。一方的に断られちゃった」

 思わず加賀も身を乗り出した。

「マジですか?」

「マジマジ。……何か、悪いね」

 加賀は顔をしかめると深いため息を吐いた。

「そりぁまた、………ウチも嫌われたモンだな。そろそろコレ、っすかね?」

 そう言って、加賀は首切りの仕草をしてみせた。

「日進堂さんがまたそんなことなったら、ウチも立つ瀬がないわよ」

 西島はそういうと、弱々しく笑った。

 そいつは全く、本当に。………加賀は、その言葉を呑み込んだ。

 日進堂が再生会社なのは、この株式会社ローレライの不払いが原因だった。六年前の北アフリカ一連の紛争の影響で、大手銀行からの融資の手だてを失ったローレライは、以前からの業績悪化も伴い、会社更生法の手続を取るに至った。この不払いから、多くの取引業者が連鎖倒産へ追い込まれたのである。

 日進堂もその一つというわけで、現在、弊社は民事再生中、六年目を迎えているという次第。

 一方ローレライはGMS連合と日本政府の絶大な援助を受け、順調に借金返済を済ませた上に、今やヴァーチャル・モール連続体の業績が好調で、飛ぶ鳥を落とす勢いである。周辺の中小企業は、未だ弁済のメドも立たないというのが現状。世の中とは、そもそも不均衡に出来ているらしい。

 西島の言葉は、だだの社交辞令である。

 倒産させた手前、この五年、お情けで仕事をくれたが、ウチより安く手広く出来る会社はごまんとある。そのうち、タイミングを見計らってバッサリ行くつもりだろう。

 タイムリミットは近い、ということか。

 西島は虚ろな表情の加賀を、ちらりと伺うと言った。

「やっぱり、お疲れちゃんでしょ? 仕事やり過ぎとちゃう?」

「いやいやいや、………だから、一月の売り上げ予算いってないんですって」

「つまり、そーいうことよ。本数、変わってないからね。そんでウチが値切って、加賀ちゃんところ、ヒト減ってるわけだから、一人頭の仕事量は増えてくわけでしょ。それに加賀ちゃん、どうせ一人で抱え込んでるんだろうし?」

 加賀は鼻の頭に皺を寄せた。

「ま、それは………弊社の内部事情ですから」

 西島はシャーペンを回しながら続けた。

「加賀ちゃんみたいな営業の片棒担いでる制作って、みんな潰れて行くのよね。前にも色々見てきたわよ。営業って結局、自分のフィールドを越えて何かやってるわけじゃなくて、エリアが広いか狭いかだけなのね。要するに、同じ仕事をやってるわけ。数字の仕事。僕らなんかもそうね。そこで経営者は制作も営業力を持つべきだ、みたいな、もっともらしいスローガンを立ち上げるでしょ? 要するに都合のいい自分の召使いが欲しいだけなのよ。経営者は大体、営業上がりだからね。制作は営業の手伝いをすべきだけど、その逆の話は聴いた事ないじゃない? この話を持ち出すと、制作の仕事は特殊技能だから、みたいな神聖化した言葉でお茶を濁すでしょ。じゃあ、加賀ちゃんにそんな技能給、支払われてる? 恐らくないはず。……いや、加賀ちゃんなんて適当に管理職にされて、残業代すら支払われてないわけだ。それで、どんだけの手当もらってるわけ? みなし労働、とかいうやつじゃない? そんな連中に踊らされて、人のいいのが利用されてる。営業の個人業績の手伝いさせられてるだけで、何のメリットもないのが実状よ。逆に自分本来の仕事が出来ずに、結局は制作の連中からも疎まれて、営業はそもそも制作を認めない、と来るわけ。最後はひとりぼっちよ。どう? 結構、当たってるでしょ?」

 加賀はぐさっとくる図星な内容に、つい聞き入ってしまった。そして、じっと西島を見詰め静かに首を振った。

「まさしく、ね。……鋭いっすね、西島さん」

 西島は皮肉たっぷりに肩をすくめてみせた。

「まあ、僕らはいいのよ、仕事のことがわかってて、お金の事が良くわからない制作のヒトの方が丸め込み易いから」

「………おっと」

「本当にわかってる営業なら、制作まかせになんかしないっしょ? お宅のボス、あんまり顔、出さないじゃない?」

「藤本ですか?」

 西島は大きくうなずき、指差し確認した。

「そう。だから儲からないのよ。その点、光洋社の平田さんは違うわ。フットワークが軽いもの」

「耳が痛い」

「加賀ちゃんは頑張ってくれてるけど、仕事は対会社だからね」

「……」

 加賀にはこの若造の姿が、さっきより幾分大きく見えた気がした。

 西島は両の指を組み合わせると静かに顎を載せた。そして呟く。

「ま、だから、加賀ちゃんもやり過ぎないことよ。身体壊したって、誰も褒めちゃくれないんだから」

「はあ……」

 実際、加賀の抱えている問題は仕事に限らずあるわけだが、そんなことを顧客に愚痴っても仕方ない。加賀は無意識に薬指の指輪をいじっていた。

「お疲れちゃんのときは、何がいいのかな? スポーツなんかもいいわよ、いい汗かくと気晴らしになるって言うし」

 と、西島。加賀は言葉を濁した。

「スポーツですか? 俺はタイプじゃないっすよ」

「あら、そう? じゃ、買い物とか?」

「ハハハッ、女の子じゃないですし。それに先立つものがね」

 そういって加賀は指先を擦り合わせて見せる。

「フーム、あんたも文句が多いねえ。……」

 そういいながら、西島は自分の鞄を探り出した。しばらくまさぐった挙げ句、何か見つけたのか、剃り上げて青々とした顎に、にんまりと笑みを浮かべる。

「あー、あった、あった」

 西島はグレーの紙挟みから、つやつやしたウルトラマリンの小短冊を取り出した。

「これ。お台場の展示場で二日から始まるんだけど、(ウィンター・リラクゼーションフェスタ)って奴。こんなのどう?」

 西島は加賀に差し出した。加賀はチケットを受け取り、しけしげと眺めた。

「フェスタって、なんですか? イタリア人じゃあるまいし。せめてフェアでしょ?」

 と、くだらぬ突っ込みを入れながら裏側を覗いた。

 ただのコート紙かと思いきや、フォトレジスト加工で複雑な電子回路のようなパターンがリソグラフされている。表の光沢ある深いブルーは、よくよく見ると半透明で、傾きに応じて、金色の波頭のような矩形模様が、浮き出たり消えたりした。コンマ5ミリほどの紙片に、海洋の深みが封じられている。

 チケットの端に印刷された、四角いQRコードが視野に入ると、加賀の(レンズ)にURLが展開した。即座に公式ホームページへリンクが繋がる。どうやらこの展示会、(財)日本家電製品協会と(社)日本医師会が提携した、かなり大掛かりなものらしい。

 加賀は感心したように鼻息を漏らした。

「こりゃすごいな。随分お金が掛かってますねー」

 西島は静かにうなずいた。

「でしょ? 来春から発売が始まるリラクゼーションアイテムの展示会。ウチもGMSだからこういうの、招待状がくるのよ。………どちらかっていうと、家電類が多いと思うな」

「西島さんは、行かなくていいんですか?」

 加賀がそうたずねると、西島は大げさに首を振って否定した。

「一枚じゃないんだって。いっぱい来てんのよ。とりあえず持ってって、持ってって」

「いいんすか?」

「いいから」

 加賀は口の端を微かに上に曲げると、ぺこりと頭を下げた。

「じゃ、お言葉に甘えて」

 加賀がジャケットの内ポケットにチケットを収めると、西島は満足そうな笑顔を見せた。

「今は素晴らしいハイテクがあるから。何か疲れが取れるもの、あるかもしんないよ。色々試して来るといい。………ね?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る