第12話
田町駅の三田口を出た二階のコンコースから、第一京浜を隔てた階下に、大手レンタルビデオ店の大型看板が見えた。頭上を仰ぐと東京タワーが覗いている。
時刻は午後七時。
JRと都営線の接続で、この時間帯は特に昇降客でごった返していた。階下に降りるエスカレータには、既に黒山の行列が出来ている。
加賀はオープンカフェを見通せる階段に立って、北側のコンコースを見張っていた。今のところ、下のベーカリーから紙袋を持って、カフェを通った人物は二人である。一人は若いОL。もう一人は生真面目そうな男子学生だった。
どちらにも声を掛けたが、あてが外れた。
(ドクター・ジグムントの依頼で来た)
(私は代理人である)
(荷物を預かりたい)
三つの決まり文句を並べたところ、二人とも怪訝な顔をしただけ。ОLの方は、まるで変態にでも捉まったような蔑んだ一瞥をくれ、足早に立ち去って行った。ま、実際のところ、自分の行動を考えてみれば、案外的外れでもないわけだが。
内気な人間には少々きついゲームである。しかしながら、にわかに開き直り始めた自分に気付いてもいた。
俺の本心じゃないし。
それに、これは治療なんだから。
加賀は無意識に時計に目をやった。接触の予定は、六時半だった。とうに三十分も過ぎている。どうやら今回の目標は、ジグムント・ボックスの言った通り、一筋縄では行かないらしい。
ターゲットは(ベーカリーから紙袋を持ってオープンカフェを抜ける人物)である。これといった特徴は示されず、性別の指定もない。これはもう、ほぼノーヒントだ。
加賀が落胆のため息を吐いたところで、気になる人物が現れた。ゲーム再開。
店内の階段を上がって来るのは、ステンカラーコートの初老男性だった。手には確かにベーカリーの紙袋を持っている。薄くなったごま塩頭の五十がらみの男が、オープンカフェに繋がる扉を開き、JR三田口に向かって歩き出した。
おっと、逃すぞ。
加賀は足早に、コートの男に近付いた。
「あの、……」
コートの男は、そのまま加賀の前を通り過ぎようとする。周囲の音が騒々しく声が掻き消されたかもしれない。加賀は反射的に男の肩に手を伸ばした。
「すいません」
振り返った男は少し身を引いた格好で加賀の顔を見詰めた。半開きの口が、眉が、不信に歪んでいる。
「……はい?」
加賀は引き攣った笑みを浮かべると、男のこめかみに浮かんだ肝斑に目を留めた。
「待ち合わせですか?」と、加賀。
「いや、別に」
「私、ドクター・ジグムントの依頼で来たんですけど」
コートの男は沈黙したまま、加賀の視線を捉えた。
「誰だね、君は? ………変な勧誘ならお断りだよ」
加賀は立ち去ろうとする男を廻り込んで遮ると、少々やけ気味になって続けた。
「私、代理の人間なんですけど、………何か荷物を、……預かってませんか?」
コートの男は、煩わしそうに右手を振った。
「勘弁してくれ。疲れてるんだ。………なあ、あんた、もう少しまともな仕事をしたらどうだ? いい歳なんだろ?」
加賀は小さく両手を広げると、ぺこりと頭を下げた。
「これは失礼。人違いのようだ。お邪魔しました」
コートの男はじろりと加賀を睨むと、小声で悪態を吐きながら、駅へと吸い込まれて行った。
くそっ、また外れか。
加賀はうんざりした様子で腰に手を当てた。
ええい、治療がなんだ。とっとと部屋に戻って酒でも煽りたいぜ。
そう考えただけで無性に渇きを覚えた。加えて微かな手の震え。緊張のせいだろうか。正直、自分自身驚いた。これはまるでアル中患者のようではないか。ここのところ量が過ぎているのも確かである。加賀は無意識に両手を握り締めた。
街を吹き抜ける風が、次第に冷え込んで来た。加賀はコートの襟を立てると、コンコースの縁から階下を行き来する人の流れをぼんやり眺めた。
泣きごとを言うのはよそう。余計に惨めに思えてくる。加賀はそんな自分に嫌気がさしていた。
俺は治療だって続けるし、ジグムント・ボックスとのゲームも続ける。そう、詰まる所、今の自分にやれることは、それほどないってことだ。
向かいに隣接したセンタービルの窓から、家電のディスカウント店、パチンコ・パーラー、喫茶店の明かりが漏れていた。
この建物の中には、多数の飲食店が軒を連ねていた。地下にあるそば屋と、とんかつ屋には何度か足を運んだ覚えがあった。まずまずの味と値段と言えるだろう。そもそも、この近辺はB級グルメ密集地帯としても有名なエリアなのである。
田町という駅名は、三田口(西口)周辺一帯に広がっていた、かつての町名からとられたものらしい。江戸時代に田畑が町屋へ移り変わったため、田町と呼ばれるようになった。実際、明治初期までは頭に芝を付けて(芝田町)と呼ばれていたようだ。
駅を挟んだ反対側、芝浦方面には、九十年代バブル崩壊期終盤に隆盛を極めた英国資本のコンサバティブ・ディスコ (JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦)が存在していた。いわゆるウォーターフロント・ブームの開発エリアの一つである。
今ではその面影も消え、大規模な高層マンション群の分譲が始まり、街の様相は大きく様変わりした。現在は大学、そして官公施設、宗教法人、それに各国の大使館の集まる閑静な街並み、という印象である。
加賀はポケットをまさぐり、煙草を取り出した。灰皿を探し、辺りをきょろきょろと伺っていると、センタービル前のコンコースから連なる、第一京浜をまたいだ歩道橋の上に視線が止まった。
男がいた。
ロングヘアのボサボサ頭の男が、こっちを見て笑っているのだ。
顎の周りが黒ずんで見えるのは無精髭だろうか。悪趣味な角ばった黒ぶち眼鏡を掛けている。誰だろう?
加賀は目を凝らすと、痩せた男は右手を上げ、指をひらひらと揺らした。
加賀は静かにうなずいた。間違いない。ターゲットだ。
(随分と話が違うな)
加賀は煙草を仕舞い、コンコースを大きく回り込むと横断歩道の上へ急いだ。
痩せた男はくすんだ緑色のモッズコートを羽織っていた。白の裏ボア付きで、襟元にラブピースの黄色い缶バッジが留めてある。肩には斜め掛けしたグレーのスカウト・ワンショルダー・バッグ。
加賀は小さく咳払いすると、恐る恐る声を掛けた。
「ドクター・ジグムントは、………ご存じ?」
髭面の細い顎がにやりと笑った。三十代半ばのように見える。黒ぶち眼鏡はあり得ないくらいのきつい度数で、男の眼球が膨れ上がって見えるほどだった。これはどう見ても実用的なものじゃない。きっと人相を隠すための変装。恐らくは眼鏡の奥の(レンズ)で、視界の歪みを補正しているに違いない。
「あんた、加賀さん?」
痩せた男の声は驚くほどにしわがれて、老人のようだった。
「そう、ですよ」
加賀が自分の名を呼ばれたことに驚いていると、男は親指を持ち上げ、うなずいた。
「待たせちゃったかね。さて、それでは………行きますか」
そう言うと男は手招きしてセンタービルの方へ歩き出した。加賀は何やらわけのわからぬまま後に続いた。歩道橋を渡りきると駅には向かわず、そのままビル脇の階段を下った。
ガード下にはずらりと自転車が連なって、違法駐車している。その横に小さなバス停の標識が見えた。港区コミュニティバスの停留所らしく、田町駅西口となっていた。
バスに乗るのか?
加賀の頭に疑問符が浮かんだその時、黒塗りのスポーツタイプの4ドアセダンが滑り込んで来た。男は後部座席のドアを開くと加賀を促した。
「ドライブといこう」
二人が乗り込むと、黒のセダンは第一京浜を国道十五号に向かって北東に進んだ。
車内は手触りのいい合成皮革のシートで、尻を落ちつけるとひんやりしていた。前の座席との間には、透明なアクリル製の間仕切りが付いている。まるで映画で良く見る、ニューヨークのタクシーのような作りだった。
加賀は何気なくシートベルトに手を伸ばした。それを見た痩せ男は薄ら笑いを浮かべ、
「あんた、お利口さんなんだな」
そう評した。
「まあ、割と生真面目なたちで」
加賀はベルトの留め金を差し込みながら言った。
痩せ男は眼鏡の奥で拡大された両眼をさらに見開いた。
「緊張してるのかい?」
「そう、……かな」
加賀はコートのポケットをまさぐり、煙草を取り出した。それから男にパッケージを振って見せる。
「いいかい?」
痩せ男は渋い顔をした。
「悪い。車内禁煙だ」
「そっか。ウン。わかったよ」
加賀は素直にうなずくと煙草を仕舞った。男がたずねた。
「我慢出来るのか?」
「ああ。問題ないよ。さっき丁度吸おうとしてたから。………それで」
「フム」
男は、無精髭を掻きながら呟いた。
「あんたに頼みたいことはもう一つある。これだ」
男はショルダー・バッグから黒い布を取り出した。
「これね」
加賀は眉間に皺を寄せ、表情を曇らせた。
「何だい?」
「目隠し」
「目隠し?」
「そう」
「必要なの?」
「ウン、まあ。荷物の受け渡し場所を、あんたに知られたくない」
加賀は上目使いに男の表情を盗み見ると、首を捻った。
「そう言われるとちょっと、気になるね」
男は両手を脇に挟むと呟いた。
「じゃ、ずーっとドライブになるぜ。俺としては、とっととあんたに渡して早いとこ帰りたい」
加賀は妥協するように小さくうなずいた。
「それも、そうだな」
加賀は黒い布を渋々受け取った。手に取ってみたが確かに袋状に縫われていた。良くサスペンス映画で見る通りのものである。
ただのゲームにしては、少々悪乗りし過ぎじゃないか。
渋る加賀に、男は付け加えた。
「心配ないさ。あんたをどうこうしようってわけじゃない。こいつはただのゲームだ。ドクター・ジグムントからもそう聞いてるだろ?」
「まあね」
「新しい布だし、通気性もいい。ほら、触ってみろよ。さらっとしてるぜ」
加賀は手触りを確かめた。
「どうだい?」と、男。
「さらっとしてるな」
「だろ。別に臭くもない」
加賀はうなずくと袋を手に取った。言う通りにするしかあるまい。
これも治療の一環。加賀はそう自分に言い聞かせた。加賀は袋を頭に被ろうと持ち上げ、そこでふと思い出したように言った。
「あ、でも俺、(レンズ)付けてるから、位置特定出来るけど?」
男は片方の眉を持ち上げ、指を振った。
「そこは考慮済みさ。この車にはそもそもジャミングが掛ってる。(レンズ)と同周波数帯の電波だ。試してみたかい?」
加賀は(レンズ)の起動状態をチェックした。視界にアンテナの表示が見えず、【圏外】と現れた。
「なるほど」
「ご理解頂けた?」
「わかった」
そう言うと加賀は黒い袋を頭に被った。
意外にも袋の中は長鎖モノマーの臭いがした。新品冷蔵庫に特有の、あのプラスチックのような臭気である。
二人は無言のまま、黒塗りの車中で揺れていた。運転手も運転手で、ラジオも音楽も掛けなかった。何て気の利かない奴だろうか。車内の沈黙は息苦しいほどである。その幾分かは、被せられた袋のせいもあるだろうが。
堪りかねた加賀は、思わず言葉を発した。
「なあ、……」
「ウン?」
と、男のしわがれ声。加賀は恐る恐る言葉を続けた。
「質問はナシって話だけど、………世間話も禁止かな?」
「フーム、……いや、別に。何か聞きたいことでも?」
加賀は被った袋の暗闇の中で思案した。
さて、言ったはいいが何を聞く?
そこで加賀の頭に浮かんできたのは、あの分厚い度数の黒ぶち眼鏡だった。
「そう、そうそう。君のその、……眼鏡」
「眼鏡?」
「そのビン底眼鏡だけど」
男は乾いた声で笑った。
「ああ、これ。ちゃんと補正してあるよ。(レンズ)でね。だから、ちゃんと見えてるんだ」
「そりゃ、そうだろうけど。それって変装なのかい?」
「まあね」
そこで男の含み笑いが聞こえた。
「加賀さん、って言ったっけ?」
「ああ」
「あんた、広告関係の仕事だって?」
「そうだよ」
「そっち方面の人ってのは、映画は詳しい?」
「ああ………、そうね。人それぞれだけど、俺は割とね」
加賀がそう答えると、男の嬉しそうな息遣いが聞こえた。
「『ウィニングショット』ってわかる?」
加賀はすぐに理解した。
「ああ、あれ。………そうか、ハンソン兄弟」
男の声の調子が上がった。
「お、さっすがー。詳しいね、加賀さん」
「ウン、まあ。あのド近眼眼鏡は笑えた」
『ウィニングショット』のハンソン兄弟。一九七七年制作のジョン・ルイス・ヒルトンの監督作。ピーター・ノーマン主演のプロ・アイスホッケー・チームの人生悲喜劇だ。で、チームに入って来る、若手のおバカ暴力三兄弟がハンソン兄弟である。そのトレードマークがド近眼の黒ぶち眼鏡なのだ。確かこの役には、実際にプロの選手が当たっていて、作中のホッケーシーンでは、いい動きをしていた記憶がある。
なるほど。言われてみればこの男、どことなく似てなくもないような、そんな気もする。
少々マッチョさには欠けているけれど。
「君、似てるよ」と、加賀。
男は嬉しそうにうなずいた。
「そりゃどうも。しかし七十年代の映画なのに詳しいじゃないの、加賀さん」
「七七年制作かな。ピーター・ノーマン主演、だよね?」
「正解」
加賀はそこで黒い袋越しに頭を掻いた。
「本当言うと、別の映画かと思ってたんだ」
男は興味を引かれたのか、身を乗り出す仕草が伝わった。
「ウン? 他にもこんなキャラいたっけ?」
男の問いに加賀は小さくうなずいた。
「いるいる」
「誰?」
加賀は右手の人差指をもたげた。
「一九七六年制作、『異世界からの来訪者』。ニック・ローガン監督作品。ロバート・ジョーンズ主演」
「ああ」
男が唸った。
「わかった?」
「あの、……弁護士」
「当たり」
「ええっと、ああ、……くっそー、名前、出て来ねえ」
加賀は袋の中でほくそえんだ。
「特許権に通じている弁護士、オリバー・ファーガスン。演じたのはヘンリー・ペックだ」
男は関心した様子で口笛を鳴らした。
「あのド近眼眼鏡は確かに強烈だったな。お見事」
「いやいや。因みにヘンリー・ペックは『ジーナ』や『暗殺のドルフィン』とか。『暗殺のドルフィン』は脚本もやってるね。『天国は待ってくれる』では、ウォルター・ペンドルトンと共同監督もしてる」
「何か、あんた、評論家みたいじやないの、ええ?」
加賀は小さく右手を振った。
「評論はしないことにしてるんだ、俺はね。知識だけ」
「なるほど。映画生き字引ってとこか。そりゃ、敵を作んなくていいよな」
「そう言うことです」
「にわかコアファンほど、面倒な奴らはいない」
「言えてる」
「……って、俺たちのことか?」
そこで二人は乾いた声で笑った。加賀は映画ファン同士が初めて顔を合わせた時の、極々一般的な儀礼的会話を切り出した。
「聞いてもいいかな? 君の一番のお気に入りは何?」
「フーム、そうねえ」
男は思案した。
「そうだ、ウィリアム・フリーマントルの『ジョージタウンの悪魔払い』」
加賀はぶるっと身体を震わせて見せた。
「おお、……あれは怖い」
「そうとも。史上最強だ」
加賀がたずねた。
「君はホラー・ファンなの?」
「そうさ。あのぞくぞくがたまんねえ」
「スプラッタ系とか?」
すると男は軽く否定した。
「いいや。ああいう類は子供が観るもんだ。キャーキャー悲鳴上げるパープリン女と観るのに丁度いい。ただのパーティムービーさ」
「じゃ、君の趣味は本物志向ってわけだ」
「ウーム、………かもね。どちらかというと、金字塔を見逃さないようにしてるだけかも。たいして好みはないのさ。………で、あんたは?」
「ウン?」
「あんたの一押しは?」
加賀はふと考えて一連の名作が浮かんだが、急に気持ちがしぼ萎えた。良く知りもしないこの男に話したところでいったいどうなる? 加賀は曖昧に言葉を濁した。
「そうだな、急に言われてもな。ぱっと浮かばないよ」
「何、言ってんだい? 生き字引だろ、あんた。………じゃ、しいて挙げれば?」
「しいて?」
「そうだよ。しいて挙げるなら。………何?」
男は右手を差し出したようだった。加賀はぼそりと呟いた。
「『彼女の時給は5ドル55セント』」
「何だい、そりぁ?」
それから数分間走っただろうか。車が減速し、路肩に寄せられるのがわかった。車窓が開けられた様子で、外から繁華街の賑わいが流れ込んで来た。時を待たずしてバイクの駆動音が近付く。
「お待たせ」
痩せ男が、窓から何者かに話し掛けたようだった。しかし相手は答えず、何かを取り出す身動きを感じた。加賀の耳にスーパーの薄い買い物袋の立てる、さわさわという擦過音が届いた。
バイクのドライバーは何事か呟いたが、フルフェイスのヘルメット越しらしく、その言葉は聞き取れなかった。
痩せ男が笑い、そして言った。
「ちょっと話が長引いただけさ」
車は再び走り始め、二、三度信号停止をした後、止まった。不意に手が伸びて来て、加賀の頭に被せられた袋が剥ぎ取られた。
「はい、お疲れ」
痩せ男のド近眼眼鏡が笑っていた。
「ふうー」
と、加賀。
男は二本の指に挟んだ、SD‐RAMを差し出した。
「あんたの荷物だ」
加賀は丁重に受け取ると、ジャケットの内ポケットに滑り込ませた。
「どうも」
「さて、ドライブはおしまいだ。降りて頂戴な」
男はそう促した。
「ああ、そう。………そうだね」
加賀は窓の外を覗き、言った。
「ここは、何処かな?」
「車から出れば、(レンズ)のGPSが利くよ」
「そっか」
加賀は扉を開け、外に出た。高速の高架と高いビルに挟まれた道路だった。男は窓から顔を出すと、加賀を見上げ、
「ちょっとは怖い思い、したとか?」
そう言って、にやにや笑いを浮かべた。加賀はしばし思案すると首を捻った。
「映画好きに悪い奴はいない。………違う?」
「悪い奴ね。どうだかな?」
「君は悪い人間かい?」
男は鼻を鳴らした。
「世の中、いいも悪いもないもんさ。あるのは自分の信じる正義のみ、ってね」
「おっと、それ、アル・パントリアーノの『CIA』」
「鋭い。さすが生き字引だ」
痩せ男は髭面を歪め、笑顔を作った。
「ン、じゃまた」
パワー・ウィンドウが閉まると、黒いセダンはUターンして走り去った。
加賀は一瞬だったが、ドライバーの横顔を垣間見た。目深に被ったキャップの鍔の陰から、マスカラを引いた目元が見えた。そして、赤い口紅。
女だった。
奇妙なことだが、加賀はどこかで見覚えがある、と直感していた。
暗がりに一人取り残された加賀は、ぼんやりと高速のメタルハライドランプを見上げた。
そこで(レンズ)のアンテナ表示が現れ、GPSが回復した。
「日の出桟橋か」
田町から日の出桟橋と言えば、ほんの四、五分というところだ。ということは相当に無駄なドライブで周辺をぐるぐる回っていたらしい。
で、結局受け取ったのはこの間と同じく、SD-RAMのチップが一つ。
「謎めいた、治療だこと」
加賀はそう独り言を呟き、コートのポケットから煙草を取り出した。
東京臨海新交通臨海線・日の出駅は、目の前だった。
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