第11話
加賀はファミリー・プランBからアクセスした、ローレライモールの四階サウス・コートにいた。
ARで描かれたシミュレーションの噴水を取り囲むように、ベンチが配されている。噴水の中央にはガネーシャの石造。ここにもまた奇妙なインド趣味だ。
吹き抜けになった天窓から光のフレアが降り注いでおり、天使のコーラスが聞こえてきそうな眺めだったが、生憎流れているのは単なる軽音楽である。無意識にスウィングのビートに膝を揺すっていると、何処からか小鳥のさえずりが聞こえてきた。フロアには飛来する数羽の影が落ちる。加賀はぼんやりと上を見上げた。
今日は相棒がいないので、メンテナンスの後、少しモールの中をぶらついた。個人的な買い物を二、三片付け、このベンチに辿りついた。たまにこうして、自分の(職場)をあらためるのも、いいものである。
二人の子連れファミリーの消費者アバターが通り過ぎた。
楽しげな笑い声が木霊する。
四人は揃って、このヴァーチャル・モールを訪れたのだろうか。あるいは、ばらばらの場所から、指定したアクセス・ポイントで待ち合わせし、表示を重ねているだけかもしれない。
ま、どちらでも構わないだろう。彼らの笑い声は十分幸せそうに聞こえる。
売場では接客アバターが十五分置きに巡り、笑顔を振り撒いている。
「いらっしゃいませ」
沖縄系アイドル風の女性アバターだった。その動作はプログラムの基本サブ・ルーチンで、消費者アバターからの問い合わせがない限り、延々と繰り返されるものだ。セール時に呼び込みをプログラムされたアバターが登場することもあるが、基本、このモールは百貨店経営を目指しているらしく、態度はあくまで品良く、さり気なくだった。
この場所は機械的だが、平和で幸福感に溢れている。
変化がないのは、いいことだ。
いや、そうじゃないな。
変化は起きているのだ。このシミュレーションの世界にも時計があり、前へ前へと進行している。遂次的連鎖反応。ただ全てが予定調和だということだ。
実際の世界ではこうは行かない。人生は不確かで先の読めないゲームだ。
明日が、今日の二十四時間後であること。
そしてその七倍が、一週間後であること。
ただそれだけであれば、どれほど人生から不安が解消されるだろうか。
つまるところ、妻と自分の関係がここまで悪化することもなかったはずだ。加賀は無意識に薬指の指輪をいじった。
若い時の自分は(もちろん、今だって若いつもりだが)、どちらかというと変化を歓迎するタイプだった。繰り返しの人生なんてつまらないし、毎日何か新しいトピックがあってこそ、生きている証だと感じていた。時間と空間は打ち寄せては引いて行く荒波。自分はさながらその上を滑走するサーファー気取りだったのだ。
ま、それはいい時代の話である。
社会、経済が豊かで、誰もがあぶく銭をつかめた時代。そんな時代も確かにあった。明日の食いぶちを心配することなく、新卒の学生たちは売り手市場で、企業が人的資産に重きを置いた時代である。一昔前なら、バブルと呼ばれたものだ。
だがそうした時間は一時のものだ。やがて緩やかな停滞が訪れ、限られた餌に多数の捕食者が群がる、競争と格差の病根が蔓延するのである。
十年前の加賀は、何事も自分が成せる気でいた。
だが今は違う。不安、焦燥、そして無力感。
加賀はあてのない変化を恐れた。明日の自分は想像出来る。一週間後も何となく。
だが来年は? 十年先は?
目の前には、見通せない暗闇が置かれている。
それが人生?
加賀は接客アバターの機械的なプログラムの動作をぼんやり眺めた。
先ほどとは別の家族の一群が通り過ぎる。
小学校低学年のやんちゃな盛りの子供たちが、きゃあきゃあ歓声を上げながら走って行く。兄と妹はARで描かれた柱に見え隠れしながら、かくれんぼを始めた。
結婚した頃、想像した十年後の自分は、あんな風じゃなかったか?
おぼろげにはイエス。潜在意識ではノー。
そんな先のことまで考えてなかった。その日の、目の前の幸福にただ浸っていた。それが本音である。清美とのすれ違いは、いつから始まったのだろう? 同じものを見ていたはずなのに? 違う答えに行き付いてしまった。
男が同世代の女性より幼稚だ、という一部の世評があるが、加賀はこれまで否定的な見解でいた。しかし今現在は、あやふやである。
自分は伴侶となる自覚はあったものの、父親となる覚悟がないらしい。
夫になるのは簡単である。まず恋人を作り、もう他に選択肢がないと考えたら、互いに終身契約を結べば良いのである。就職みたいなものだ。言うまでもなく、伴侶との関係は信頼の上に成り立っている。しかしそこに、ギブ・アンド・テイクのメソッドが仲介していることも事実だ。これもまた経済と似ている。与え、そして受け取る。言わば、等価交換である。
夫婦関係だけを捉えれば、至ってシンプルな系と言えるだろう。
しかし、ここに子供という存在が付加されることで、系は複雑な多様性を持ち始める。
子孫、つまり二人の間から、遺伝学的な連続性が生じ、未来への道筋が確立すること。次世代への変性遺伝子の生き残りこそが、子育ての真相なのだ。
子育ては未知の銘柄への投資と、良く似ている。(そう自分は考えている)将来性があるか、配当はどのくらいか。しかしながらその情報はあまりに少ない。参考となるのは、互いの資質、隔世遺伝するかもしれない両親の性格くらいのものである。暗闇を手探りするような歩み。インサイダーな取引など可能性すらあり得ない。つまり、賭け事に等しいのだ。
子供をそのように例えるのは不謹慎かもしれないが、愛情の対象とは言え、現象的に偽りはない。正直なところ、自分は子供が可愛いかどうか、皆目わからなかった。
子供って、本当に可愛い?
愛玩動物のように思えるのは、わずかな赤ん坊の期間だけだろう。その後は知性を持ち、独立し反抗的な、自分と似通った欠点を持つ脅威となる。
ただそれだけである。
その爆弾のように危険な存在は平然と権利を主張し、それに自分は社会的責任を持つのである。どう考えてみても分の悪い選択だ。世間で言う愛情という言葉の重さが、公平だと思えない。その子を立派に育て上げ、社会に送り出したら? その先は?
何の補償もない。あまりにあやふやな賭けである。それに何の不安もなく投資など出来ようか?
無理だ。
少なくとも自分には。
これが清美と自分の間の大きな隔たりだった。何が正解で、どうすべきか。そんなことはとうにわかっていたが。
社会的な正論、一般見識に従う、という見解がその答えである。それが清美の幸福にも繋がるのだろう。だが一方にそれに答えられない自分がいる。理解はしても、うなずけないものは幾らもある。これもまた、そうした葛藤の一つと言えよう。
加賀は、自身の内なる矛盾に苛まれていた。
加賀はぼんやりと、左の薬指の指輪をいじっていた。
「おじちゃん」
そう呼ばれて加賀は顔を上げた。
目の前に三つ編みのお下げをした、小さな女の子が立っていた。先ほど目の前を通り過ぎた、かくれんぼ兄妹の片割れである。愛らしい花柄をあしらったワンピースの少女は、興味津々な表情で加賀の顔を覗きこんでいる。加賀は思わず表情を強張らせると警戒した。
少女は加賀の薬指を凝視した。どうやら指輪に関心があるらしい。
少女は言った。
「綺麗な指輪ね」
「そうかい?」
少女は、はにかみながら身体をよじり、
「それって、結婚指輪なの?」
と、たずねた。
加賀は無言で指輪を見詰め、そして言った。
「いや、違うよ。………ただの指輪さ」
少女はいぶかった。
「そうなの?」
「そうさ。ただの指輪、だよ」
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