第10話
「この間は、うまくやったな」
「ン? 何だって?」
油の弾けるフライパンの音で、加賀はジグムント・ボックスの声が聞き取れなかった。鍋の中身はピーマンと牛の細切り肉。手早く塩コショーを振る。
「少し、塩が多いぞ」と、装置が指摘した。
加賀は小さく笑うと、
「この方が野菜に早く火が通るだろ?」
「健康的じゃないって話だ」
加賀は首を振りながらレトルトパックを切り、インスタント調味料を合わせた。二、三度フライ返しで掻き回し熱が回ると、青椒肉絲の出来上がりだ。
日曜の午後のテーブルに、侘しい男の手料理が並ぶ。
夜更かしで寝坊した本日一回目の食事は、レトルト中華の炒め物である。米を炊くのが面倒なので、主食はトーストで我慢した。
加賀は無地の大皿に盛った料理を見降ろすと、箸でつつき始めた。頬張りながら、テーブルの上でこっちを見ている、ジグムント・ボックスに話し掛けた。
「それで? 何かな、先生?」
装置はカチカチと音を立てると、設置脚の一本を持ち上げた。
「この間の一回目のゲームは上手くやった」
「そうかい?」
加賀は眉を持ち上げると、微かに微笑んだ。
「(美人女子高生)は、なかなかだったよ」
「気に入ってもらえたかな?」
「あんな娘、どこでスカウトしたんだ?」
「それはまあ、色々さ。………しかし、ハンカチを落とすアドリブは、大したものだった。君には、その方面の才能があるのかもしれないな」
加賀は小さくうなずくと言った。
「要件を名乗る暇もなかったけどね」
「あの場合は仕方ない。その都度の臨機応変な対応が大事なんだ」
そこで加賀は不思議そうな顔をした。
「ちょっと待てよ。………何でそんな細かいことまで知ってるんだ? まるで見て来たような口振りじゃないか」
装置は少し間を置いて、含み笑いを漏らした。
「私を、装置の中に閉じ込められた一個体と考えるのは間違いだ」
「ン?」
「私は、ネットワーク中の計算資源に構築された模擬人格構造物で、君が目にしている主観的出力装置ではない。これは単なる端末だ」
加賀は箸を回しながら言った。
「なるほど。………すると先生は、神のように遍在しているってことかい?」
「そこまでの自由度はないが」
「では、どのくらい?」
「少なくとも監視カメラ全般と、君の(レンズ)には常時アクセス出来る」
加賀はため息を吐いた。
「それはそれは。完全監視体制だな。ここは警察国家か?」
「君の治療には有効な手段だ」
「俺のプライバシーはどうなる?」
装置は穏やかに言葉を返した。
「君はオーディオ装置に注目されてると言って、いちいち文句は言わんだろ?」
「そりゃ、………まあね」
「私はその程度のものだ。君を囲んでいるインテリアの一部と変わりない。もちろんカウンセラーとしての倫理は心得ているよ。守秘義務は絶対だ。(分析者は神父と同じ心構えで臨め)」
「それ、誰の言葉?」
「ジグムント・フロイト」
「何だ、オリジナルの方か」
加賀は曖昧にうなずくと、呟いた。
「先生がそう言うんなら。………心強いよ」
「信用してくれたまえ」
加賀はペットボトルの烏龍茶を煽ると、再び食事に専念した。トーストの切れ端をねじ込み、ナプキンで口を拭うとたずねた。
「お次は? 次のゲームはいつだい?」
装置は笑いながら答えた。
「今度は、簡単には行かないぞ」
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