第13話

「君が、読書とは珍しい」

 ジグムント・ボックスは細く尖った八本足の台座で硝子テーブルを這うと、ソファで本を開く加賀の様子を伺った。

「たまには、いいもんだよ」

 加賀はちらりと目を上げた。

「君の読書習慣について関心があるわけじゃないが。どうしてそんなハードコピーの束で読んでいるのか、ってことだな。(レンズ)を常時装着している君がね」

「(レンズ)は目が疲れるから。それに網膜に情報が焼き込まれるようでさ。こうして紙で読むと、言葉の意味が脳まで染み込むんだ」

「前時代的な感傷だな。君のそんな側面も珍しい」

「商売柄で、何でもネット頼みって思うのは偏見だよ、先生」

「それはどうも。で? 何を読んでる? ………差し支えなければ」

 加賀は開いたページから顔を上げ、表紙を装置の目玉に近付けた。

「『深海に問う』。古い海洋ものだな。クジラが出て来るSFで、冒険もの」

「フム。チャールズ・C・アーサーだな。英国の有名人気作家だった」

「子供の頃、中学生くらいかな。結構読んだんだ。それでね。神保町で降りたら、たまたま見付けて」

 装置は思案するようにブーンと唸ると、加賀に問うた。

「私のような機械的な存在にとって、テキストは単なる記述情報に過ぎないが、人間は時を経て読み返すと、違った印象を受けるらしいね」

「それは記述の種類によるんじゃないか? 報告書やビジネス書類と、小説は別のもんだ」

「なるほど。………それで?」

 加賀は鼻の頭を掻いた。

「そうだな。子供の頃は冒険の部分以外、ほとんど興味なかったけど、読み返してみると、宇宙飛行士が事故で地球にサルベージされて、火星生まれの妻子と離れ離れになるとか、海洋牧場で新しい仕事に就いて人生に希望を見出すとか、………今の自分には何だか、考えさせられるところが多いよ」

 と、苦笑い。装置は同意を示した。

「チャールズ・C・アーサーの作品には頻繁に、そうした平均的な人間の肯定的価値観が描かれているようだ」

「平均的で肯定的か。それはある意味、ありきたりってことかい?」

 皮肉を返したつもりの加賀だったが、装置は真面目に答えた。

「いや、そうではない。それは彼が社会に対して表明した立場に起因するものだ。彼は名誉ヒューマニストの称号を持ち、汎神論を支持している」

 加賀は眉間に皺を寄せ、興味を示した。

「汎神論って言うと?」

「全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものであるとする世界観や哲学のことだ。万有神論とも言うね。汎神教は、世界のすべてを、神の現れとする宗教だ。ま、多かれ少なかれ、どの宗教にも、そうした傾向はある」

「宗教って俺はあんまり関心ないけど、一般論としては、人を動かす道義的な価値観ではあるよな。逆に聞くけど、先生は信じてるのかい?」

「残念だが、私には信じる、という機能はない。過去から蓄積された記述情報を比較し、類推し、評価しているだけだ」

 装置はそこで間を置いた。

「………さて、先達の残した記述の中を探ってみると、比較的まとまっているものもあるよ。辞書検索から、いくつか取り上げてみようか。ひとつは(宗教は絶対依存の感情であって、神、すなわち、無限に対するあこがれである)というもの、あるいは(人間には美や善を求める欲求があるように、宗教的なものを求める欲求があり、これが宗教を成立させる、とする。有限な、死すべき運命の人間が、無限を希求するのだ)とも」

 加賀は本を閉じると両手の指を組み合わせた。

「ま、みんな死ぬのは怖いし、死んだ後の約束も、何か欲しいってことだよな。要するに、誰もが安心と幸福を求めている、そういうことだろ?」

「ほう? 君も、そうかね?」

「今は特に、ね」

 装置は加賀に問うた。

「幸福について、君の見解を聞こうか」

 加賀は腕組みした。

「そうだな、俺に言わせれば、………誰もが追求することを許されている、法で定められた権利、かな。確か幸福追求権だったか。しかし、幸福というのは概念だし、相対的なものだろ? あくまで主観的なものだけど、だからこそ自分の中では、はっきりしているというか」

「ブータンの国民総幸福量なんてのもあるぞ。民主化を進めた国王が掲げた、国民の幸福を政治の目的とし、政策判断として現実に活かすために、幸福の量を具体的な数値・指標として定めたものだ」

「知ってるよ。国民総生産 (Gross National Product, GNP) や国内総生産 (GDP) と比較しての、国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)というやつだろ? でも閉鎖的な国交状態で余所の国との比較が出来ないままに幸福かと問えば、人は幸福だと答えるだろうさ。それじゃまるでビッグブラザーの(無知は力)っていう、あの標語と一緒になっちまう」

「君の言わんとする、経済的裕福さの比較は、まさしく幸福の追求だな。しかし、幸福を欲望の追求とすると、袋小路に陥り易いぞ。マズローいわく、(人の欲はある段階を達成すれば、更なる高い段階を基準とするために、絶対的幸福というものは存在しない)」

「幸福が欲望の達成ではないって? だが本質はそこだろ?」

「功利主義も幸福の一側面ではあるが、それでは終わりがないんだ。君も言っていた通り、相対的とするのが捉え易い。誰が、いつ、どのように幸福を享受するかで、その意味は変わって来る」

 加賀は眉を持ち上げると、人差し指を回した。

「説明が付いたような、付かないような、………微妙な意見だな」

「キリスト教では、もっと簡単に説明しているよ。(本来の幸福は個々の人間の努力によってどうにかできるようなものではなく、神の恩寵によってのみ、真の至福は可能になる)」

 加賀は笑った。

「随分と高飛車だな。人間が考えてもしょうがないと来たか。また(無知は力)に逆戻りだよ」

 装置は一つ調子を落とすと、ゆっくりと続けた。

「私の立場としては、臨床心理機材らしく、心理学・精神医学的な研究成果を伝えたいな。デビッド・G・マイヤースとエドワード・ディーナーらの行った、世界各地の一一〇万人のデータを検討した一九九六年の研究によると、被験者の二割が(とても幸福である)、約七割が(かなり幸福)、あるいは(それ以上)と解答した。ある程度以上恵まれた先進諸国においては、個人の経済的裕福さと幸福感との間の関連性は薄くなるんだ。統計データから明らかになったことは、幸福感の基線を決めるのは、環境の客観的な条件ではなく、個々人の内的特徴、(信仰心)や(ものの考え方)などであること。また、人は価値ある活動に身を投じ、自身の進むべきゴールをめざしている時に、より多くの幸福を感じるようだ。既婚者は未婚の人間よりも幸福と答える傾向、離婚経験者は既婚または未婚の者より、幸福と答える数が少ないという傾向も出ている」

 加賀は黙ったまま、小さくうなずいていた。装置は続けた。

「もうひとつ、臨床実験の例を上げようか。………感謝介入法と親切介入法というグループ実験がある。

感謝介入法では、被験者を三つのグループに分け、それぞれのグループ各人に次のようなことを記録する課題を与える。

・第一のグループには(最近一週間のうちに感謝したこと)を記録させる。

・第二のグループには(面倒に思えたこと)を記録させる。

・第三のグループには(起こった出来事)だけ記録させる。

この実験を開始して九週間後に、アンケート調査をしてみると、満足度が最も高かったのは第一のグループ、つまり、(最近一週間のうちに感謝したこと)を記録しつづけたグループだった。このグループの人々は、他のグループに比べて健康状態も良好である、という結果が出た。

次に、親切介入法だが、この実験では被験者を二つのグループに分け、それぞれのグループに以下のようにさせた。

・片方のグループには、誰かに親切を行なって、かつ、それを記録するように指示する。

・もう片方のグループには、特に親切は行わせない。

この実験の一カ月前と一カ月後の幸福感を調査したところ、(誰かに親切を行い、それを記録したグループ)の方が、幸福感が高いと出た。

(感謝する)(人に親切にする)といったことは、古来から、多くの宗教や道徳などで説かれてきたことだが、こうしたことには実は深い道理があり、感謝された側、親切にされた人を幸せにするだけでなく、感謝している当人も、親切を行っている当人にも直接的に幸福をもたらしていることが、実証的な科学の世界でも証明されるようになってきている」

加賀は納得した様にうなずいた。

「幸福の相乗効果、か。今日のベストアンサーだな。先生らしく、論証的だね」

 装置は付け加えるように言い足した。

「仏教の世界にもこれに似た考え方がある。人は幸福だと自然と笑顔が出るだろう。仏教には和顔施(わがんせ)という考えがあって、その時の当人の状態がどうあれ、他人に笑顔を見せること自体が一種の布施行となるという見解だ。笑顔を相手に与えることは当人にも功徳があり、結局は幸福をもたらす、と考えているんだ。さっきの心理実験と同じことを示唆しているだろう。これは(無財の七施)という実践行の一つで、他には眼施・言辞施・身施・心施・房舎施・床座施がある」

「(無財の七施)か」

「和顔施(わがんせ)は読んで字のごとく、人に笑顔を向けること、眼施(がんせ)は優しい眼差し、言辞施(ごんじせ)は親切で温かな言葉、身施(しんせ)は自らの身体を使っての奉仕、もうひとつの心施(しんせ)は、こちらは心の持ち様だな。相手への思いやりだ。房舎施(ほうしゃせ)は人を家に招きもてなすこと、最後に床座施(しょうざせ)、これは他人に席を譲ることだ」

「日々の生活の中で試される、人の善行ってところだな。………今の俺には、ぴったりの修行かもしれんよ」

そう言って、加賀は自嘲的な笑みを浮かべた。装置は続けた。

「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)によると、

『仏説きたまうに七種施(しちしゅせ)あり。財物を損せずして大果報を獲ん』

と示されている。

布施行と言えば、そもそも金銭や物資を捧げる財施を指しているが、徳薄くして財少なく、教えの浅い者には困難なものだ。だが、そんな者にでも、誰でも行える布施行として(無財の七施)は説かれているんだ。………この教えもまた、現代的な幸福追求指南の一つかもしれないね」


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