第21話
「駄目よ、ミルクが先。それから砂糖を一匙ね」
ウエッジウッドのワイルドストロベリーのポットを傾ける加賀に、レインが口うるさく指図している。その様子をじっと見守る森と、ブロンドの筋肉マン、ダグラス。
作戦を模索する加賀たちは、三時のティータイムを迎えていた。壁に掛ったアンドレ・ブラジリエの、走っている馬のリトグラフに三角形の陽光が射している。(ホテルの部屋といえば必ずといっていい。どこでもブラジリエだ)六人掛けの豪華な応接セットには、高級茶器が鎮座している。
加賀は、ややうんざりした口調で呟いた。
「あんた等、生粋のイギリス人なのか?」
「私は母がね。ダグは隔世遺伝くらいかしら?」
筋肉マンは無言で左眉を持ち上げた。
レインは上品にティーソーサーを持ち上げると、満足げにダージリンの香気を吸い込んだ。
「ウーン、いい香り」
森はぞんざいにスプーンでかき混ぜながら、チョコレートチャンクのスコーンに手を伸ばした。パサパサした食感に喉を詰まらせながら、
「加賀さん、我々がのんびり構えてるのが心配だろうけど、………今のところ連中に動きはない。外事情報部からもね」
加賀は、ちびちびと紅茶をすすり、憤懣も露わに吐き捨てた。
「そんな、……本当かよ?」
森はカップを置き、二個目のスコーンに手を伸ばした。
「連中も、こちらの居所くらいは突き止めてるだろうがね。ただし静観している。キツネとタヌキの化かし合いだな。ま、これは推測だけど、彼らもまだ(エリュシオンⅡ)の回収が完了していないはずだ。我々の出方を伺っているのがその証拠さ。本国のユーリ・エフレーモフの研究施設では空振りだったんんだろう。情報部が押し入る前にユーリは研究を始末した。………自分の頭も含めてね」
そう言って森は、左手でピストルの形を作って自分の頭に向ける。
「なんとまあ……」加賀が渋い顔をした。
「もし万一、ケルビム・メンタル・リサーチのサーバからデータの回収が出来たとしても、こちらのジグムントの集めたパーツと数は等しいはずで………」
「いや、起動ОSの分はこちらがリードしているぞ」
と、(レンズ)を通じてジグムント・ボックスが会話に加わった。昆虫然とした筺体レンダリングがティーポットの脇に像を結んでいる。
「そうだった。すまない、ジグムント。………だから、連中は我々がカトーと接触するのを待って、残りのデータを奪還するつもりだろう」
レインはカップを置くと言った。
「問題は故買屋のカトーが、私たちの誘いに乗って来るかどうかよ。この時点で彼には何のメリットもないわけでしょ?」
「カトーはケルビム・メンタル・リサーチからどのくらい手付を貰ってる?」と、森。
「四十万ユーロかな。日本円で、大体五千八百万くらいかしら」
「それで半金か?」
「そう」
「ウーム。まあ、そこそこな金額だなあ。……しかし諸経費を考えると、微妙かもな」
「そうね。船便はルートが複雑だし、関わる人数も多くなるから」
森は指を組み合わせると、意味ありげに微笑んだ。
「商売人に訴えるのはやっぱり、………適正な商取引だろう」
レインは小さくうなずいた。
「お金は?」
「心配ない。我々のバックを何だと思ってる?」
「そうよね。じゃ方法は?」
「それだよ。………」
そこで森は、加賀の方をじっと見詰めた。
「ここにいるメンバーで、カトーと直接話したのは君だけだ」
レインは胸に手を当てると、心外とばかりに、芝居がかった口調で言った。
「あら、私も居たわよ、………運転席だけど」
「間仕切り越しに、どれだけ聞こえた?」
「それは、………大して聞こえませんでしたけど。………わかったわ」
森は粘着質な仕草で両手を擦り合わせる。
「加賀さん、何かないかな? カトーの関心を引くような、いい手は?」
詰め寄られた加賀は、あらたまったようにソファの上で姿勢を正した。
「どうしたの、正座でもする気?」と、レイン。
「馬鹿言え」
加賀は言葉に窮していたが、頭の中では大急ぎで田町の一件を反芻していた。
魚眼レンズのような奇怪な黒ぶち眼鏡、しゃがれ声。無精髭、モッズ風の出で立ち。見掛けは(ハンソン兄弟)のパロディだった。奴とは他愛のない会話を車中で交わした。マニアックな、趣味の会話だ。
「………あ、」
加賀はいきなり、夜道で誰かに出くわしたような、そんな声を上げた。一同が加賀に注目する。
「あいつは映画マニアだ」
「映画マニア?」
加賀はうなずいた。
「ああ。田町で会った時の奴の扮装、………まあ、東京駅でもそうだったんだが、変わった格好をしてたんだ。ある映画のキャラクターのね」
「ダース・ヴェイダー?」と、レイン。
加賀はレインを睨むと、即座に否定した。
「そりゃ、目立ち過ぎだろ? もっと地味な、いい映画だよ。七十年代のね」
森が僅かに身を乗り出した。
「なるほど。映画通か。それで?」
「あー、………それで車の中でも映画の話をしたんだよ。お互い好きな映画とかね。格好は『ウィニングショット』だったけど、好みは『ジョージタウンの悪魔払い』だそうだ。コスプレ好きを考えてみても多分、………あれは熱心なホラー・ファンだな、きっと」
支離滅裂な加賀の話が途切れ、森は眉を持ち上げた。
「よくわからんが、………それだけ?」
「ウン、それだけ」
「フーム」
森はそっと腕組みした。どうしたものか。
しばらく思案した後、静かに森が口を開いた。
「掲示板を使ってみるか?」
「掲示板って?」と、加賀。
「スレッドフロート掲示板だよ」
「書き込みちゃんねるのこと?」と、レイン。
森は曖昧にうなずいた。
「誰か、他にいい手があったら教えてくれ。………ジグムント、映画関係のBBSに書き込みたい。とりあえず国内全般で」
ジグムント・ボックスは即答した。
「準備完了」
加賀は両手を広げ、森に訴えた。
「やつが見ると思うのか?」
森は目を細めた。
「思い付くことは何でもやってみるさ。カトーも(レンズ)は付けてるんじゃないか?」
「ああ、確か………言ってたな」
森は鼻を鳴らした。
「緊急事態でも、暇な時間はたっぷりある。暇つぶしは大事だしな。暇だと、人はどうでもいいことをするもんだ、習慣に沿ってね。習慣ってのは、おおむね無意識に行動に現れる。………ウム、この線もありかもしれないぞ。それで、………なんて入れる?」
「えっ?」
加賀は急に振られて口ごもった。
森が後をついで言葉を添えた。
「君が、考えるんだよ。奴をおびき出す、ナイスなコメントだ」
「そんな急に言われてもなあ。どうしたもんだか………」
加賀は眉をひそめ、しばらく思案した。下唇を噛み、額を擦る。
そこで何か閃いたようだった。
「そうだ、じゃあ、ジョン・ルイス・ヒルトンとホラー映画に関する国内のBBS」
ジグムント・ボックスが素早く処理して、全員の(レンズ)に表示した。目の前に複数のスレッドのエアタグが項目される。加賀が続けた。
「『 (ハンソン兄弟)は、その後どうしてる?』 これでアップして。ハンドルネームは、5ドル55セント、だ」
「5ドル55セント? どういう意味だ?」
森が、オウム返しに聞いてくる。加賀は小さく肩をすくめた。
「奴が本人なら、わかるさ」
「何だかやけに親しげじゃない。わかってるかしら? あいつは国際指名手配中の諜報犯なのよ」
レインがそうたしなめるが、加賀は黙ったままだ。
1 名前:5$55¢[] 投稿日:20xx/12/22(x)15:27:17ID:xxxxxxxxx
(ハンソン兄弟)は、その後どうしてる?/(^o^)\
と、(レンズ)にスレッドが表示される。加賀はうんざりした声音でジグムントに言った。
「何だよ、最後の顔文字は?」
「それらしいだろう?」と、ジグムント。
「………わかったよ。後は奴がこれを見付けて返答するかどうかだけど………」
そこでいきなりジグムント・ボックスからの警告音がなり、加賀の話を遮る。
「一件返信だ」
森が、にやついた表情で加賀の方を見た。
「早かったな。………やっこさん、暇そうだぞ」
内容は以下の通りだ。
2 名前:ジョージEX[] 投稿日:20xx/12/22(x)15:28:02ID:xxxxxxxxx
パート2と3に出演してるよ。┌(┌^o^)┐
加賀は、思わず内容の方に引き込まれてしまった。
「え? そうなの? 『ウィニングショット』って続編あるんだ」
感心する加賀にレインがつっこみを入れる。
「そういうことじゃないでしょ」
加賀は我に返り、小さく咳払いした。
「そうだった。まずは本人かどうかの確認だな。………でもこのハンドルネーム」
加賀が指摘したのは、名前欄の(ジョージEX) だった。
「奴のイチオシ映画だよ。『ジョージタウンの悪魔払い』。本人っぽいよな」
加賀はしばし思案した後、ジグムント・ボックスに次のように伝えた。
3 名前:5$55¢[] 投稿日:20xx/12/22(x)15:30:13ID:xxxxxxxxx
(ハンソン兄弟)もいいけど、『ワイヤード』は?
The Tale - "作り話"ナラガンセット、第4レース、ブルーノート/(^o^)\
森は文面を見て、不思議そうにつぶやいた。
「何なんだ? 暗号か?」
加賀は微かに目を細めた。
「奴を試してる。関係のある別の映画の、かなり細かいディティールさ」
森が呆れた様子で首を振った。
「………マニアだねえ」
4 名前:ジョージEX [] 投稿日:20xx/12/22(x)15:35:25ID:xxxxxxxxx
The Shut Out - "締め出し"ベルモント、第6レース、1着クル―・2着ミスチフ┌(┌^o^)┐
「さすが。すごいな」加賀は嬉しそうに笑った。
5 名前:5$55¢ [] 投稿日:20xx/12/22(x)15:36:00ID:xxxxxxxxx
The Sting - "とどめの一撃"リバーサイド、第3レース、ラッキーダン/(^o^)\
ジグムントが返答を送ると、即座に返事が戻った。
5 名前:ジョージEX [] 投稿日:20xx/12/22(x)15:36:05ID:xxxxxxxxx
ラッキーダンは2着。単勝じゃなくて復勝で賭けろ。(*´▽`*)┌ヤレヤレダゼ
加賀は森の方を見てうなずいた。
「奴だ。間違いない。こいつはカトーだよ」
レインが胡散臭そうに口を挟んだ。
「これって何、競馬の話?」
加賀はにやりと笑い、人指し指を振った。
「いいや。博打打ちの話さ」
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