第20話

 加賀たちがホテルに潜伏して二日目。

 朝も早い時間から、緊急でAR会議が招集された。

 AR空間の円卓に並んだのは、前回と変わらず、加賀、森、レイン、加えて解析チームから【sound only】の二人組である。技術支援部から緊急の通達が入ったらしい。ネットワーク中で行方知れずだったジグムント・ボックスは、意外にも、彼らのイントラに直接、割り込みを掛けてきたのである。装置の意向はともかく、手をこまねいていた彼らにとっては、飛んで火にいる何とやら、だ。


「今、アクセス中のURLにいる表示アバターは、九七パーセントの確率で加賀洋輔さんかね?」

 ARで描かれた白い会議室に、こもった声音が響いた。この数週間何度も聞いた、馴染み深い中年男性の声である。それは紛れもなく、ジグムント・ボックス自身だった。

 加賀は腕組みしたまま、不快感も露わに言葉を返した。

「丁度、みんなで噂してたところさ」

「久しぶりだな」

「ご無沙汰。一日ぶりか?」

「丁度二日になる」

 加賀は感情を抑えつけた声で促した。

「どこにいる? 姿を見せろよ、先生。話しにくいだろ」

「わかった」

 ジグムント・ボックスがそう答えると、円卓の中央付近に明滅が起きた。空中に白いベクトル曲線が現れると、立体的に絡み合い、あの昆虫然とした不気味な機械装置がレンダリングされた。陰影が表示され、リアルな質感が固定する。装置は尖った八本の脚を動かし周囲を確認すると、赤い目玉の付いた探査部を加賀の方へ曲げた。

「これで、いいかな?」

 加賀は装置のレンダリング表示を確認すると、無言でうなずいた。一同が黙して静観する。

 加賀は椅子の背にもたれ、目を細めるとたずねた。

「どのツラ下げて現れた、って言いたいところだけど。ま、百歩譲って、………説明してくれないか?」

「何の説明かね?」

 加賀は痺れを切らしたように語気を強める。

「だから俺をはめたのは、どんな理由だったのかってことだよ!」

 ジグムント・ボックスは平然と答えた。

「君を騙したつもりはない」

「俺に嘘を吐いたじゃないか!」

「いいや。あのアサーション訓練は君に適した治療だったし、実際その効果も表れている。今の君を見て私はそう思うがね」

「だが治療以外の目的があった」

「それは副次的なものさ。あくまで主だっては君の治療だ」

 そこで森が横から口を挟んだ。

「ジグムント・ボックス、第三者からの質問だけど、………いいかな?」

 装置はわずかに間を置き、探査部を森へと捻じ曲げる。

「失礼だが?」

「私は森。国連の専門機関、関連の末端部署に所属している。君たちの行っている不正取引に介入中だ」

「なるほど。私の来談者に対しては味方、と見ていいのかね?」

「そういうことになるかな、利害はともかく。彼の命を脅かすつもりはない」

「結構だ」

 森は改めてジグムント・ボックスにたずねた。

「君にとって桐原正則とは何かね?」

「クリーブ株式会社・第三営業部の営業マン。私にとっては顧客だ」

そこで加賀がつっけんどんに切り込んだ。

「じゃあ、俺は? 俺は何なんだ?」

「君は来談者だ。私の患者だよ。………面白いことに顧客と来談者は、英語ではどちらもクライアントにまとめられている。共に同義であるわけだ」

 森は人差し指を持ち上げると、注意を促すように言った。

「ジグムント、君の行動は二重の命令に基いているんじゃないか? こう言う場合、混乱はないのかな?」

 ジグムント・ボックスは答えた。

「これは二重命令ではない。二つの独立した事柄だ。私は逐次的に情報を処理しているだけではない。エキスパートシステムを用いたヒューリスティックな仮定が可能だ。知識ベースにより問題領域を特定し、経験則を引き出し評価する」

「つまり? 簡単に言ってくれよ」と、加賀。

「知識の相互評価により、現時点で行うべき優先事項を選択出来る」

「平たく言えば、当て推量か?」

「そうとも言える。確率的に推奨される解決策だ」

 ジグムント・ボックスは円卓の上で小さく伸びをすると、かちかちと脚を踏み鳴らした。内部から低いブーンというドライブ音が聞こえた気がした。

「君たちの関心は私と桐原との間で交わされた契約にあるようだね。………よろしい。では話そう。桐原からケルビム・メンタル・リサーチにアプローチがあったのは四カ月前だ。北欧の新しい独立国から技術の買い付けをする算段だった」

「レザビア共和国ね」と、レインが割って入った。

 ジグムント・ボックスは言葉を切り、探査部をレインに向ける。

「確認だけ。君は?」

「森の同僚よ」

 ジグムント・ボックスは間を置き、探査部でしげしげとレインを捉えると言った。

「フム、どうやら昨今の国連の採用基準は、審美的にも高いらしいな」

 レインは皮肉に微笑んだ。

「あら、あなた、お世辞の機能まであるみたいね。新手のサブ・ルーチンかしら?」

「戦略的な対話メソッドだよ」

「フーン」

「そちらのお二人も、同様かね?」

 【sound only】の二人分の曖昧な輪郭が小さく震えた。ジグムント・ボックスは仕切り直すと、あらためて話を続けた。

「了解した。話を戻そう。………レザビア共和国、そうだ。買い付けは個人の研究者からの直接なもので、画期的な知覚拡張プログラムという触れ込みだった。研究コード名は(エリュシオンⅡ)。開発者はユーリ・エフレーモフ」

「不世出の天才科学者か?」と、加賀が嫌味な声を上げる。

「不世出は確かにね。天才かどうかは、これからの評価次第だ」

 ジグムント・ボックスは、そこで一呼吸置いた。

「プログラムは一旦、仲介業者が引き取り、ロッテルダムから海路を使って小分けに送り出されている。パケット分割され暗号化されたデータだ。圧縮すると丁度64GBのSD‐RAMに収まる」

 加賀は不満げに鼻を鳴らした。

「なるほど。それが俺の獲得報酬ってやつだな」

「船便とは随分ね」と、レイン。

 森が静かに首を振った。

「なかなか周到だよ。ネットワーク中のデータ移動は監視されやすいからな。船便で人手を使って、………例えば観光客のデジカメのスロットの中とか、恐らくそんなところだろ?」

「物理移動に関する詳細な情報はない。東京の中継ぎから加賀さんを通じて私に届いたデータは、ケルビム・メンタル・リサーチのサーバに送られる。そういう手筈だった」

「それで? データはすべて揃ったのか?」と、森。

 ジグムント・ボックスは否定で返した。

「いや、先日の東京駅での、最後の受け渡し分が欠けている」

「リムーバブルに使ったSD‐RAMは? 残っていないのか?」

「その都度物理破壊している。そういう契約だった」

 ジグムント・ボックスは声の調子を上げると続けた。

「いずれにせよ、ケルビム・メンタル・リサーチに届けられたデータだけではプログラムは完成しない」

「どういうことだ?」

「最初に、ユーリ・エフレーモフから仲介業者に渡されたデータには、恐らく起動ОSがないはずだ」

 森は不審げにたずねた。

「どうして、そう思う?」

「私が個人的に開発者に接触し、入手したからだ」

「なんだって?」

「加えて、経験則における評価を通じて、この作業そのものがコンプライエンスに抵触する恐れがあるとし、事実関係の記録を推奨された。これは開発者からの提案でもある」

「つまり、バックアップがある、ということかね?」

「そうだ。データは暗号解読した後、ネットワークの計算資源に分散させてある。ま、いずれにせよ、未完の状態だがね」

 森は顎をさすりながら、ジグムント・ボックスの真意をただした。

「経緯はわかった。しかしジグムント、今さら我々のところに接触してくるとは、どういう心積もりかね? 意味はないだろうに?」

ジグムントは静かに答えた。

「私の個人的な興味からだ」

「興味?」

「このプログラム、(エリュシオンⅡ)の作動が見たい」

「見たい? それは君の希望か」

「(エリュシオンⅡ)は、人間存在を支える、ある(機能)を、機械言語的に翻訳したものである可能性が高い」

 加賀が茶化すように言った。

「興味とは恐れ入ったな。あんたにあるのは高度なエリザ効果だけだろう? それとも意識でもあるっていうのかい、先生?」

「無論、私に意識はない。仮定を積み重ねた上に生ずる総発特性、その優先順位だけだ。しかし(エリュシオンⅡ)の起動ОSは、それ自体が独立した基本ソフトウェアであり、旧来のОS設計思想とは大きくかけ離れたものであることは間違いない。中でも最も特徴的なのは、それが、特殊な認知アーキテクチャを含んでいることだ」

「何のことだ?」と加賀。

「(意識のある)プログラムかもしれない、ということだよ」

 ジグムントは、静かに答えた。

 【sound only】の片割れが若い男の声でたずねた。

「(エリュシオンⅡ)って、一体何なんです?」

 ジグムントは平板な声で続けた。

「原子の飛行時間と位置情報。そしてその制御。この課題に開発者は辛抱強く取り組んでいたらしい。恐らく、原子レベルからデジタルシミュレートされたライフスフィアではないかと思われる」

「セル・オートマトン?」

「近いかもしれない。しかしその空間内の物理法則は現実とは違うようだ。少々手が加えられている」

「どんな風に?」と、森。

「決定論的にだ」

 しばしの沈黙が辺りを満たした。

 【sound only】のもう片割れが、女性の声で、恐る恐る自分の意見を言葉にした。

「宇宙あるいは現実は、本質的に情報である。

宇宙あるいは現実は、本質的に計算可能である。

宇宙あるいは現実は、デジタルに記述可能である。 

宇宙あるいは現実は、本質においてデジタルである。

宇宙あるいは現実は、それ自体が壮大なコンピュータである。

宇宙あるいは現実は、シミュレイテッドリアリティ実行の結果である」

 ジグムント・ボックスが同意を示した。

「それはデジタル物理学の基礎となる仮説だね。この開発者が仮想的な小宇宙を作ろうとしていることは間違いないだろう。だが注意深く不確定性原理が取り除かれているのはなぜか?」

 加賀は顔をしかめた。

「現実の世界に、不満があるとか?」

「この開発者がデジタル物理学のシミュレーション仮説を支持しているとして、(エリュシオンⅡ)の起動ОSが認知アーキテクチャを含んでいるのは、このシミュレイテッドリアリティ実行の世界に主観的な衝動を置こうとしているのかもしれない」

 レインがたずねた。

「主観的な衝動って? 何なの、それ?」

 ジグムント・ボックスは穏やかに答えた。

「私にないものだよ。………小宇宙を主観的な意識で運営させる超越存在。これは極めて神学的な世界観だと思うね」

「矮小化された、神とエデンの園か」と、森。

「これって、どう役に立つ技術なんだ? みんなで奪い合うようなものなのか?」

 懐疑的な加賀の意見に、森が答えた。

「実際、かなり眉唾だとは思うがね、この技術を基礎とすれば、我々は第二の生活空間を手に入れられるかもしれないんだ。特に起動ОSに使われている技術は、我々の意識に相関する脳活動を解明したのかもしれない。となればいつの日か、我々は自分の精神をデータ化して仮想空間での生活を可能にするかもしれない、ってことさ」

 加賀はふとヴァーチャル・モール連続体のことを思った。

あの場所に接続するだけでなく、あの場所で生存する可能性、ということなのか? 

まさか? 

「ありえないだろ? 何だったら、その開発者に直接、確認した方がいいんじゃないか?」

 加賀の言葉に、一同の目がジグムントのレンダリング表示に向かった。

 ジグムントは静かにため息交じりの言葉を漏らした。

「起動ОSの到着後、ユーリ・エフレーモフとの連絡は途絶えている」


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