第7話
二度目の面接。
加賀とジグムント・ボックスは、再びリビング・ルームで対峙していた。
加賀はむっつりとソファに沈み込んでいる。装置は広い硝子テーブルの上で尖った足先をカチカチ鳴らしている。複数の自在可動式探査部の先端が、思惑あり気に瞬き、加賀を覗き込んだ。装置は言った。
「さて、今日はいよいよ、君の問題に踏み込もうじゃないか」
低く深みのある中年男性の声がした。確かに相談してみたくなる安心感ではある。加賀は曖昧に言葉を濁しつつ、呟いた。
「………そうだな」
そう答えたまま加賀が黙っているので、装置が水を向けた。
「この間の面談から四日が経つが、君は再び私を起動したね。前回で不満があるなら、私を起動することはなかったろう。選択の自由は常に君にある。だが君は、またこうして私を起動しているというわけだ」
加賀は視線を逸らすと、両手のひらを擦り合わせた。
「一人の夜は寂しいからな。話し相手が欲しいだけかも」
「寂しいという、その状況には何か理由があるのかね? 生活に欠落感が?」
加賀は装置を睨み返すと、不快感を表した。
「おいおい、大体、見当は付くだろ? この部屋を見れば、さ」
装置は短く咳払いした。
「下種の勘繰りとは思わないでくれ。私が入手し得る君のエアタグ・インフォメーションによるとだ。君は妻帯者であるはずだが」
加賀は片方の眉を持ち上げた。
「大当たり。つまり………そう言うことだ」
「フーム、やはりな。前回の起動時に紹介されず、説明もなかった。薄々はそうかと思っていたがね」
加賀は皮肉な調子で返した。
「さすがは専用機だ。察しがいい」
「何があったか、話してくれるかな?」
加賀はソファから立ち上がると窓辺に近付き、カーテンの隙間から夜の帳を眺めた。荒川の上に架かる首都高速中央環状線の光。遠くで明滅する東京スカイツリーも見える。思いがけず、何か閃いたように加賀が口を開いた。
「あのタワー、何メートルあるか知ってるかい?」
「ウン? スカイツリーかね?」
「そう」
装置は機械的に即答した。
「634メートル。東京とその周辺の旧国名(武蔵)になぞらえてのことらしい」
加賀は静かにうなずいた。
「計画当初の発表では610メートルだったんだ。それが世界一に固執しての変更となった。アンテナ部分が96メートルと120メートルじゃ、随分開きがあるように思うけど。その辺りは許容範囲なんだろうな」
「自立電波塔としては世界一だったが、超高層の建物としては、竣工当時でもドバイのブルジュ・ハリファ828メートルの方が高い」
「そうだったかな?」
「そうだよ」
会話が途切れると、気まずい沈黙が取って替わった。加賀が無言のまま、深呼吸するのがわかる。装置は控えめにたずねた。
「気の進まない話題かね?」
加賀はため息を吐いた。
「まあ、そうだ」
「日を改めても構わんよ」
「待て待て待て、......」
加賀は遮るように右手を上げると、目を伏せた。
「そうも言ってられんしな。………潮時か」
「君がそう思うなら」
装置は加賀の言葉を待った。
加賀は、そわそわした様子で部屋をうろついた。最適な言葉を探すように右手をゆっくり回しながら、物語を紡いだ。
「妻が出て行ったのは九月末の話だ。二ヶ月前だな」
装置はブーンと唸り、カチリと止まると、何かを記録したようだった。
「なるほど。………それで? 君たちは結婚してどのくらいになる?」
「十五、......いや、十六年かな」
「お互いを理解するには、十分な期間だね」
「まあ、そうだ」
「夫婦仲はどうだった?」
「どうって......」
「君の個人的な意見でいい」
加賀は薄ら笑いを浮かべ、頭を小さく振った。
「まあ、良かったんじゃないかな。俺が言うのも何だがね。これと言って喧嘩も無かったし」
「では、出て行ったのは急な話?」
「それが、うん。まあ………そうとも言えない」
加賀は言葉を切り、後ろ頭を掻いた。
「徐々に、とでもいうべきかな。誰だってそうだろうけど、出だしは順調だったんだ。相思相愛で恋愛結婚。仕事もまずまずだった。普通の夫婦さ。だが、六年前の北アフリカ問題」
「一連の国際紛争だね?」
「あの紛争で資金繰りに痛手を受けたローレライが倒産して………」
「大手量販のローレライかね?」
「そう。勤めていた会社の最大の顧客がローレライだったんだ。それで連鎖倒産に追い込まれた」
「それは、お気の毒に」
「ウチは民事再生を申請して、それに伴って大幅なリストラも敢行した」
「君は? どうだった?」
加賀はしかめ面をした。
「残念ながら漏れなくさ。俺も解雇された。しかし世の中、捨てる神あれば拾う神ありでね。古い先輩の口利きで別会社に引っ張られた」
「渡りに舟だな。そいつはラッキーだった」
加賀は否定するように右手を払った。
「いやいや、それがそうでもなかったんだよ。自分には今一つ向かなくてね」
「向かない? それは仕事内容かね? それとも人間関係、かね?」
「………仕事かな。接客や販売とか、そうした内容も含まれていてね」
「君の専門はDTP編集だったかな?」
「そんなところだよ」
「じゃ、君は選り好みしたんだな。折角の仕事を?」
加賀は声音を少し上げると反論した。
「どの道、辞めることになったさ。仕事は単なる労役だ。俺はそう思ってる。だったら我慢出来て、長く続けられるものでないとな。そうじゃないか?」
「ま、それも一理ある」
「だから辞めたんだ。早い方が辞めやすいし」
「在籍はどのくらいだ?」
「約五か月かな」
「そいつは早い」
「……俺もそう思うよ」
加賀は少し恥じいるように視線を逸らせた。
「奥さんは、どう言ってた?」
「清美か? 清美は何も言わない」
「そのことでなじられたり、言い合いになったりとか。世間では良くあることだがね」
「彼女は何も言わない。利口なんだ。そういう女さ」
「君を信頼してるから?」
加賀は装置を睨むと、しばし沈黙した。
「どうかな。………そもそも清美は、溜め込むたちだ。彼女はこの一件で仕事も失った。俺に対する不満は絶対あったはずさ。様子でわかる。でも、彼女は何も言わなかった」
装置は値踏みするように、カチカチと足を鳴らした。
「それで? 仕事の方は? その後どうなった?」
加賀は小さく肩をすくめると、薄い笑みを浮かべた。
「それがまた妙な話でさ。やることもなくぶらぶらしていたら、前の会社、つまり今の勤め先だよ。………が、新しい業態を手掛けるということでね。人集めを始めていたんだ。それで、俺のスキルは打って付けだったというわけ。すんなり再雇用だ」
装置はしばし考え込むと言った。
「結局のところ、君には仕事運があるんじゃないか?」
加賀は笑った。
「誰もやりたがらない仕事だからな。俺自身さえ。人気のない仕事には、いつも空きがあるもんだ」
「変わったスキルだな」
「何、簡単なことさ。みんなに押し付けられてれば、いずれそうなる」
「なるほど。それで君は出戻った。現在は? 仕事は順調かね?」
「ま、今のところは」
装置は、内部でブーンと小さな唸りを上げた。
「問題はそれだけかね? それで全てだと思う?」
加賀は大きくため息を吐いた。
「いや、違うな」
加賀はソファに戻り、両手を組んだ。
「一番の問題は、子供だよ」
「子供?」
「俺たちには子供がいない。気楽な夫婦生活なんだ。別にDINKSを気取っていたわけじゃないけど、最初は二人とも気にも留めてなかったんだ。………いや、これは俺の勝手な言い分かな。俺はそう思ってた。だが四十の声を聞く頃、彼女の様子が変わった」
「女性の体内時計か?」
装置の言葉に、加賀ははっとしたようにうなずいた。
「俺もそれを考えたよ。清美の中に、それほど子育てへの情熱があろうとはね。正直、意外だった。毎日の会話が不妊治療だの、夫の協力だのという話題に百八十度変わったんだ。専門家としての意見を聞きたいもんだな。どうなんだ、体内時計ってのは?」
装置は冷静に返した。
「心理的な影響に関する、科学的検証はないね」
加賀は頭を掻くと、弁解がましく両手を広げた。
「俺が協力的でなかったことは認めるよ。夫婦カウンセリングにも、検査にも一度も参加しなかったし。協力的でないどころか、俺はそんな清美に腹を立てていたんだ。そのうち互いに関心を失い、会話も無くなった」
装置は静かに聞き入っていた。
「そして清美は出て行った。二か月前にね。………これが顛末さ」
加賀は上目使いに装置を見上げ、そしてうなだれた。
装置は身を起こすと、テーブルの上をこそこそ歩き回った。
「なるほど。因みに………これはカウンセリングの情報として聞いておきたいんだが、二人は品行方正だったかな?」
加賀は小さくうなずいた。
「裏切りはないよ。多分だけど。少なくとも俺はない」
「そいつはご立派。いい心掛けだ」
装置は身震いすると、テーブルの端まで歩き、振り返った。
「大体の事情はわかった。君にとってこの数年は、かなり厳しいものだったようだ。お察しするよ。私が思うに君たち夫婦は、ミドルエイジ・クライシスを迎えたんだと思う」
「ミドルエイジ?」
「いわゆる中年の危機だね」
加賀は驚いたように眉を持ち上げた。
「中年? そりゃショックだ」
「まだまだ若いつもりかね? まあ、四十と言えば見掛けも気持ちも十分に若いだろう。だが、ユングはこの年齢を(人生の正午)と呼んでいる。つまり、折り返し点だ」
「ユングとはな。あんたはジグムントの方だろ?」
そう加賀が茶化すと、装置は乾いた笑い声を立てた。
「面白いね。………冗談はさておき、三十代後半を含むこの年代、いわゆるアラフォーだが、………は、職場や家庭での責務が増えて来る時期で、心の負担がだんだん大きくなって行くんだ。若い時の価値観を見直し、残りの後半生をどう生きるか、考える時期でもある」
加賀は曖昧に同意した。
「なるほど。確かにな」
「君の奥さんの不安もそうしたところから始まっているんだろう。出産と子育てを考える女性の立場なら、至極当然の悩みだと思う」
装置は前足を突っ張ると、威張ったように身を逸らせた。
「しかしだ。子供は天からの授かりものでもある。不妊治療が功を成さないケースも多々ある」
「実際の話、経費も、......大問題さ」
「君は子供嫌いかい?」
加賀は唸った。
「多分。......いや、どうかな? あんたはどうなんだ?」
「私は機械だ。好き嫌いはプログラムされてない」
「言えてるな」
装置は続けた。
「子供を授かるにせよ、そうでないにせよ、その先をどう生きて行くか。君たち夫婦は、受け止めなければならないんだ。新しい価値観の選択だな」
加賀は立ち上がると、少し苛立ったような口調で装置に問うた。
「さて、診断を聞かせてくれよ、先生。俺はどうしたらいい?」
装置は静かにたしなめた。
「少し急ぎ過ぎだぞ。それにカウンセリングは診断するものではない。私は君が自ら答えを導き出すよう手助けする存在なんだ」
「随分、まどろっこしい」
「それがカウンセリングというものだからね」
「じゃ、何かアドバイスを」
「フーム」
装置はしばし考え込んだ。
「この短時間で君から得た情報を整理するとして、君たち夫婦についての感想を述べようか」
「いいね、頼むよ」
「君たちは、ある意味似たもの夫婦と言えるだろう。生真面目で控えめな世話好きタイプ。君は会社では、いい上司なんじゃないかな?」
「お? 案外好評価かい?」
「そうとも言えない。この特徴は一番うつ病になりやすい気質だ」
「俺が? まさか?」
「気を付けた方がいい。ストレスは知らぬ間に忍び寄って来る。ちょっとしたきっかけで発症することもあるんだ」
「なるほど。………だが、今はまだ」
「そうだな」
「俺たち夫婦には、そんなに共通点があるのか?」
「私はそう思うね。つまり、物分かり良く嫌なことでも引き受けて、自分一人で解決しようとするタイプだな」
「ほう?」
「君たちは自分の中に抱える矛盾、つまり周囲に感じる違和感を、呑み込むことによって無難に辻褄を合わせる道を選んで来てはいないか、ということだ」
加賀は不思議そうな顔をした。
「それが処世術ってやつだろ?」
「そうかね? だが、無限に呑み込むことは出来ないぞ。君の仕事上の我慢も、奥方の君への不満も、いずれは臨界点が来る。人の許容は有限だが、要求は無限なんだ」
「フーム......」
「無難にやり過ごす方便。その一時しのぎの積み重ねが、君の意見を曖昧にしてしまっているんだ。周囲が見誤ると、君という人間は霞みの彼方に隠れてしまう。君の行動、足跡は良く見えるが、君本人が見えてこない。君は社会的にも役に立つ人間だと思う。だが良くわからない人間の典型でもあるわけだ。つまり、君の思いは誰にも理解されない」
加賀は顎を擦り、弱々しく呟いた。
「詰まる所は、破綻......」
「思い当るかね?」
「無視できない言葉だな」
装置はそっけなく続けた。
「言っておくが、私は君の言葉を半分程度に聞いているよ」
「どう言う意味だい?」
「君の今話してくれた内容は自責の言葉ばかりだろ? 世間体が半分。だが、奥方はまるで無関係かね? そんなことはないだろう。夫婦の問題が片方だけってことはないものだ」
加賀は装置に向かって、おどけて見せた。
「やれやれ、機械に慰められるとは」
「統計から導いた、一つの意見だ」
加賀は眉をひそめると口元を歪めた。
「しかし、他人の考えを変えることは出来ない。………いや、断定は出来ないけど、難しいだろ。だったら、まずは自分だ。そうじゃないか?」
「それだよ、君。その発想が抱え込む原因なんだ」
「そう言われちゃ、元も子もないが。………だったらどうしたらいい?」
「ほらほら、またどうにかしようとしてるぞ。まずはそんな自分を、正直に受け止めてみることだ」
「しかし、どうにかしないとな」
装置は探査部を、もつれる線虫のように絡めながら、じっと加賀の表情を盗み見た。
「奥方との関係を、改善すべきと考えているわけだな」
「もちろん」
「彼女を愛している?」
「そう、………思いたい」
装置は憐憫のこもった口調で呟いた。
「君は真面目な人間だ」
「誉めてくれた?」
「いや、単なる感想さ」
装置は黒い背中の翅の内側でチカチカと緑色の光を点滅させると、小さな駆動音を立てた。一瞬動作が凍り付き、ぶるっと身震いする。
加賀は恐る恐る灰皿を引き寄せ、煙草に火を点けた。
装置は唐突に、ダウンロードした言葉を棒読みするように発声した。
「思いを表明することで、周囲との距離と曖昧さを断ち切ることが出来る。今君に必要なもの、それは行動療法だ」
「行動療法?」
「学習理論を基礎原理とする一つの訓練法だよ。アサーション訓練が最適だろう。君の読んだ資料にも載ってなかったかね?」
加賀は上目使いに記憶を辿った。
「えーっと、自己主張、だったかな?」
「正解だ。対人関係に不安がある、自分を否定的に捉えがち、自分を表現することに憶病、あるいはそうしたことの全て裏返しの人間に有効な訓練法だ。自分も相手も大切にする自己表現や、対人関係を上手に保っていく技術を身に付ける」
加賀は静かに同意した。
「要するに体のいい(ノー)の言い方、ってわけだな」
「そうだ。適切な自己主張はストレスを軽減させ、生き生きとした人間関係を発展させる。これは、社会から得られる利益にも大きな差が出てくるものだよ。君の不合理な思い込みを修正し、適切な状況判断を身に付けてもらう」
加賀は両手を上げると、まいったとばかりに降参した。
「さすがだな、先生。説得力あるよ」
加賀は、硝子テーブルの上から自分にカウンセリング指導する機械装置をじっと見詰めた。金属と強化プラスチック製の黒い昆虫然とした装置。加賀には、それが一回りも二回りも大きな存在になった気がした。最初はただの機械、それが秘密を打ち明ける話し相手となり、今や、主治医に取って替わろうとしている。
なんと奇妙な体験であろうか。
自分自身、医者にかかることに抵抗があり、その代替えとしてこの装置を選んだわけだが、それにしても人間の慣れとは恐ろしいものである。今や、自分はこの機械装置に心を開いて、個人的な相談事を持ち掛けているのだ。錯覚を恐れて、(レンズ)に表示されるARのシミュレーション・キャラクターを避けたのだが、そんなものは影響のうちには入っていないらしい。高度なエリザ効果(※意識的には判っていても、無意識的にコンピュータの動作が人間と似ていると仮定する傾向を指す)は、対話の中に潜んでいる。
加賀はにわかに育ち始めた、互いのリレーションを意識した。
カットグラスの分厚い灰皿に煙草をはたくと、加賀は吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出した。
「なあ、先生。具体的には俺は何をすればいいんだ?」
装置は少しもったいぶった口調で告げた。
「君はゲームは好きかね?」
「ああ、そうだな。嫌いじゃない方だ」
「オペラント条件付けを導く、トークン・エコノミー法に根差したゲームだよ」
「言葉が難し過ぎる。もっと噛み砕いてくれ」
「フーム、そうだな。では、ルールを説明しよう」
「オーケー」
「これから数週間の間に、私は君に十二の課題を出す」
「課題?」
「そうだ。君はその課題に沿って指定の場所に行き、荷物を手に入れる。手に入れるためには常に、何らかの交渉が必要となるぞ。それが君の獲得報酬だ」
「何だか、借り物競走みたいだな。それで? 報酬は荷物? それとも交渉力の方かな?」
装置は低い声で笑った。
「どちらにも、同等の価値が」
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