第6話
加賀の視野には、描き込まれたコントロール・ウィンドウが複数透けて見えていた。傍らには黒ぶち眼鏡の美島美登里の姿が。
二人はパーテーションで仕切られた会議用の薄暗いスペースに立っていた。両手にデータグラブをはめ、側頭に骨伝導音響装置がセットされている。美島の声が装置を通じて響いてきた。
「加賀さん、準備オッケーです」
加賀は視界に浮かんだウィンドウを指でスクロールさせながら、
「場所は家庭用品、バス・トイレタリーのコーナーだな」
「はい。………で? どこからのエラーなんですか?」
「ファミリー・プランのC」
美島は露骨に迷惑そうな顔で呟いた。
「あのう私、今日、用事あるんで、五時半で上がらせてもらいたいんですけど」
加賀はちらりと美島を睨んだ。
「だから急いでるんでしょうが。今、何時?」
「五時五分過ぎです」
加賀はフンと鼻を鳴らした。
「じゃ、十五分でやっつけるさ」
頼もしい加賀の言葉にもまだ不満らしく、美島はうだうだと文句を並べ立てている。
デートが台無しになったわけじゃなし、全く面倒な女だ。大体、制作会社の社員が平日の、しかも週中日に彼氏と予定なんて組むか? 真面目に給料分働け、って話である。
「そもそも表示エラーなんて、サイトアップ業者の不手際じゃないですか?」
と、美島の不平はさらに続いた。そこで加賀は諭すように言った。
「表示がエラーしてるってことはだな、ウチのデータ構築の不備って可能性が高いんだよ。サイトアップ業者にまかせてみろ。たちまち先方に話が行って、ペナルティ食うぜ。未表示時間を秒単位で換算されて請求されるんだ。何だったらそれ、君の給料から差っ引いてもいいかい?」
「えー、それは困りますう」
と、美島が口を尖らせる。
「だったら、とっととやっつけて後は知らん顔だ。わかった?」
「はい」
いい返事だ。
「座標は?」
「HFCTの6x」
「バス・トイレタリーの最終システム原稿は準備したか?」
「はい」
「エラー・チェックは?」
「大丈夫です。でも何でシステム原稿丸ごとなんです? 特定箇所って一つか、二つでしょ?」
加賀は、ため息と舌打ちのダブル効果を効かせると呟いた。
「早く帰りたいのは、どちらさんでしたっけ?」
美島はピースサインでニッと笑顔を見せる。
「私です」
「原稿丸ごと置き換えすりゃいいんだよ。特定するのにまた無駄な時間食うでしょ」
「そっか」
「客のフリしてモールの正面から入るぞ。その方がばれにくいから。現場に付いたら直ぐにスタッフ・バッジ付けて一気に作業だ。オッケー?」
「オッケーです」
「んじゃ、レッツらゴーだ」
美島はにやりと笑った。
「加賀さん、それ、いいですね。………死語ですよ、死語」
美島がウィンドウ・キーボードのエンター・ボタンを押すと、色彩の斑点が現れ、立方座標を検出。視野が(暗室モード)に閉鎖された。
加賀は自分の視界の表示画面を見降ろし、プログラム読み込みのタイマーを眺めた。
二人の周囲を閉ざした青黒い闇に、アクセス・インターフェイスの起動ジングルが流れる。続いて宵闇から朝日が差し込むように、周囲に拡張現実のシミュレーションが構築された。シミュレーションは幾何学的な構造物へ結実する。
(秋の日の午後の陽光)
(高い青空)
(鰯雲)
二人はインドのカジュラホ寺院に良く似た、ファサードの前にいた。
複雑な壁面ディティールに目を凝らすと、それがヒンドゥー及びジャイナ教の寺院ではなく、数学的なアルゴリズムから生成された3Dレンダリングであるとわかった。
加賀たちが目にしているのは、人間の性の営みを詠う石造りの彫刻群ではない。これは球体に反復アルゴリズムを適応することで生成される三次元幾何像である。マンデルブロ集合と呼ばれる自己相似でないフラクタル図形の軌跡。それがゴシック調の構造物として認識されるのだ。
加賀は位置情報のウィンドウで前進をコマンドした。
滑るように石造りのコンコースを進み、二人はヴァーチャル・モール連続体に足を踏み入れた。
エントランスを潜ると、(ローレライモールへようこそ)と文字が現れる。文字は急速に接近し、二人の身体を突き抜けた。
ちょっとしたサプライズである。
怪しげな西アジア調の音楽に乗って、ローレライのロゴタイプが空中で踊り始めた。その上に小さめに静止しているGMS連合のマーク。象の頭部を持つ四本腕の神、ガネーシャを模っている。この一貫したインド趣味は、創始者の哲学のようなものだろうか。
加賀が何気なく、横を歩いている美島を振り返ってみると、いつの間にか背が高くなり、少しばかり体つきが女っぽくなっているのに気付いた。
なるほど。
彼女はネットワーク中では、ディテールアップした、キャラクター・アバターを表示させているらしい。加賀があからさまにじろじろ見詰めていると、美島がむっとした表情で睨み返した。
「何ですか、加賀さん? 何か言いたいことでも?」
「いや、別に。………ちょっと綺麗になったかな、と思ってさ」
冷やかし半分に、そううそぶくと美島は顔を歪め、露骨に不満を示した。
「私の勝手でしょ。女の子ですからね、お化粧みたいなものですよ。………それとも何か、社内規則にでも載ってましたっけ?」
加賀は目を細めると肩をすくめた。
「先を、急ごうか」
加賀と美島は、吹き抜けに飾られた超大型スノーマンとクリスマス・ツリーのVMDを眺めながら、エスカレータに乗った。
高い天井から粉雪が降り注いでいたが、それがフロアに積もることは決してなかった。デジタル・シミュレーションは空中の何処かで、吸い込まれるように消え去った。
温かみのあるゴールドの照明設計、赤とグリーンの飾り付け。華やかなクリスマス・ソング。空中を漂う(ローレライモールのクリスマスセール)のロゴタイプが、透き通ったレイヤーで複数重なり、回転を繰り返している。
モール内はクリスマス一色だった。
フロアにはアクセス中の消費者アバターと接客アバター、そして点景人物に溢れていた。視界から七メートル以上の距離は壁紙として表示され、接近に応じてポリゴン像に置き換わって行く。これにより不必要なレンダリングを軽減しているのである。
2フロア分のエスカレータを登りつめたところで、二人は現場に急行するため、業務用特殊コマンドを使用した。
周囲が一瞬ぼやけ、輪郭が尾を曳いたかと思うと、身体が壁を突き抜ける。
軽い衝撃と、風を切るような低い唸りに加賀は身震いした。着地と共にパーティクルが結合し、シミュレーションが姿を表す。
そこでもう一度跳躍。
再び高速移動の残像。
速度が上がるに連れ、ぼやけた前衛写真のような静止画が、コマ落としのように過ぎて行く。デジタル信号の高速処理支援。
これはレンダリング・モデル内を、素早く動き回るためのアクセラレーション効果である。
二人はモール内を直進し、回り込み、壁を通り抜けた。
アクセラレーター使用中はシステムから表示が外されるため、一般の消費者アバター、接客アバターの邪魔になることはない。第三者の視点からは、目の前にいた人間が突如ぼやけ、消え去るといった現象に映るはずだ。
まるでサイボーグ〇〇何とか、みたいである。加賀はアクセラレーターのことを愛着を込め、加速装置と呼んだ。
おっと、またまた死語ハンター美島を喜ばせてしまいそうである。
数十秒で二人は、座標HFCTの6xに到着した。
ホーム・ファッションと呼ばれるエリア、具体的には寝具・インテリア・キッチン用品・生活雑貨などの総合フロアである。
衣類の(ファッション)に対し、室内装飾全般を指して(ホーム・ファッション)と呼ぶらしい。恐らくどこかの企画会社が引っ張り出して来て、提案でもした言葉であろう。消費者的には全く持って意味不明なものである。
加賀は辺りを見回し、言った。
「さて、現場はどちらですかね?」
二人が立っているのは、お歳暮の特設催事場に隣接した通路だった。向かい合わせにエアコンや洗濯機といった、白物家電が並んでいる。
美島が自分の位置情報の画面を確認し、座標を確かめた。
「左、ですかね?」
と、美島。
加賀は彼女の間違いを指摘した。
「北が、上だな。だから右」
「勉強になりまーす」
二人は通路をゆっくり進み、什器に並んだキッチン用品を眺めた。
まずは取っ手の取れる収納便利な調理鍋セット。それぞれのサイズのシリコン製上蓋が付いていて、そのまま冷蔵庫保存も可能である。シルバーストーン加工でこびり付かず、もちろんIH対応だ。続いて電子レンジ、スチームクッカー、オーブントースターが並ぶ。
次に電気ケトルが現れた。二〇秒でお湯が沸く、某有名家電メーカーの人気商品である。この秋から発売が始まった、キャラクタープリントのシリーズだった。機能での差別化が図れなくなると大体やってしまうのが、このパターンである。
「うわあ、これ可愛い」
と、美島が歓声を上げた。
美島は商品シミュレーションをデータグラブで(持ち上げ)た。それを加賀の方へ、近付けて見せる。青いコアラのキャラクター、(ペネロペ)がプリントされた商品だった。
「加賀さん、これ可愛いですよ。ペネロペ」
そう言われて、加賀もなんとはなしに眺めた。
メーカーからの提供データでしか見たことがなかったが、物理イメージとしてはこんな感じなのか。案外小さいものだな。
加賀は興味なさそうにうなずいた。
「え? ああ、美島さん、そういうの興味あるんだ」
美島は子供っぽく笑うと、うなずいた。
「もちろん。………へー、いいなあ。値段も手頃だし。買っちゃおうかな」
「おいおい、仕事が先だろ?」
「へへへっ、十秒で買えますって。ちょっと待ってて下さいよ」
そういうと美島は自分の視野にクレジット機能を呼び出し、棚に付いた商品タグを指先でなぞった。QRコードが即座に読み取られ(これは体感イメージとして設定されている)、後はシステムによりコードが自動処理され、数日後には美島の自宅へ現品が宅配される、という次第である。
「お出掛け前に買い物しても手ぶらです。ヴァーチャル・モールって便利ですね」
と、美島。聞き慣れたコマーシャルのキャッチフレーズである。
加賀は呆れた調子で返した。
「そうだな。君は実に、………いい消費者だよ」
そこで美島は首を傾げた。
「でもこの電気ポットって、家庭電器じゃないんですかね?」
「ああ、家電でも売ってるよ。以前からね」
「何か違うんですか。売り場が違うと?」
「ああ。もちろん違うさ」
「何が?」
「初期型のタイプはスカイブルーが家電、ベージュとシュガーピンクがホーム・ファッションだった」
「え? ………それって、何が違うんです?」
「色だよ」
「どういうこと?」
「仕入れの棲み分け。何故かはローレライさんに聞いてみないとな」
「変な棲み分けですね」
「全くだ」
加賀と美島は二分ほど歩いて、目的のバス・トイレタリー用品のコーナーを見付けた。
「あった」
二人は素早くスタッフ・バッジを着けた。ウィンドウで選択すると二人の胸元にバッジのシミュレーションが浮かぶ。
加賀は売り場の什器をつぶさに確認した。
タオルにバスマット、スリッパ。ギフト用セット商品もあった。不滅の人気を誇るピーラビ(ピーター・ラビット)商品も多数並んでいる。ジブリとウルトラマン・キャラクターは少々割高の価格設定だ。
加賀は棚の一角に注目した。スヌーピーのハンドタオルギフトの横、下の隅だった。
「これだな」
棚の枠組みに立体感を無視した状態で、平板な表示文字が浮かんでいる。
【no image】
ぽっかりと空いた青黒い空洞。
棚の商品カードによると、そこにはリラックマのハンドタオルギフトが収まっているはずだった。だが、ない。表示イメージのリンクが外れているのだ。
「ありましたね」
美島も覗き込んで同意した。
加賀と美島はしばらく辺りを見回して、客足が遠のくのを待った。誰もいなくなると、加賀は無言で美島に指示を出した。美島はウィンドウでエリアを指定した。床から生え出すように、空間に半透明の間仕切りが広がる。バス・トイレタリー用品の一角全体を囲うと壁は白濁し、そのままステルス・モードに入った。
ヴァーチャル・モール連続体には、実サーバが数百から数千台あり、その仮想サーバが×nほどある。その冗長化サーバ(ソフト的に物理サーバを再現した仮想サーバ)の、ロードバランサ(顧客からアクセスがあった場合に負荷が少ないサーバへアクセスを割り振る機構)に割振りをさせない設定をさせて、メンテナンスしたい部分に潜り込むのである。一般ユーザーの体感では、加賀と美島の姿を確認することは出来ない。この間、二人は(中の人)となる。まさしくステルスだ。
「急ぐぞ」
「はい」
加賀は商品カードからJAN(Japanese Article Number)コードを拾い出し、ダブルタップで入力した。
サードパーティの検索ソフトが起動すると、加賀の視野にウィンドウが開き、平板な表示が現れた。業界人必携の防壁侵入ファイル交換ソフトである。名は、………特にない。そう言う類の違法プログラムだからである。
黒っぽい画面に数字列が瞬き、下の方から順に螺旋を描くよう組み上がって行く。商材パターンの数千万を越えるアイテム群の枝葉によって構成されたディレクトリである。
これが(JANツリー)だ。
ゆっくりと回転し、その樹木のような緑色の文字列の構造体を露わにして行く。
加賀は文字列のある個所がオレンジ色に明滅しているのを見付けた。問題のコードの位置である。エラー箇所はそこだけのようだった。しかし、接続の何処でぶつかって、プログラム・エラーが起きているとも限らない。わからない時は、まるごと入れ替え。それに限る。
「システム原稿」
と、加賀が催促した。
「はい」
美島は急いで準備した。
「原稿丸ごと行くぞ。それが時間の節約ってこと」
グループ・データにリカバリーを指定すると、点滅する文字列の周囲五列ほどが一旦消滅し、改めてランダムに数字が組み上がって行く。その間、約三十秒。
そして上書き終了の合図。素早く美島がエラー・チェックした。
「問題ありません」
「よし、撤収」
たちまちステルス・モードの間仕切りが解除され、二人は何食わぬ調子でその場を離れた。売り場を、ぶらぶらとうろつく二人の姿は、歳格好の合わぬ、怪しい不倫カップルのようにも見える。
自己防衛と危機回避。
これもまた、仕事の一つの局面である。エラーは人知れず解除され、サイトアップ業者は、それをうやむやに処理することだろう。
つい先ほどまで【no image】だった棚には、可愛らしいリラックマのハンドタオルギフトが並んでいた。
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