第18話

 同日深夜遅くに加賀の監禁は解かれ、一行は都内のホテルへ移動した。

 中央区の箱崎ジャンクションに近い、極標準的な首都圏型ホテルであった。(今回は移動の際の目隠しはなしである)エグゼクティブフロアのプランらしく、随分とゆったりした間取りの部屋へ通された。

 部屋に着くと、早速、私服の応援スタッフ五人と合流した。スーツやジャケットの下に目立たぬよう銃火器をぶら下げた武装集団である。最初に監禁された部屋のブロンドの筋肉マン(名前はダグ。ダグラスらしい)が警護チームのリーダーで、スタッフ五人に的確にミッションを指示した。

作戦の頭を取るメタボ小男は、森。イベントコンパニオン兼女殺し屋は、レインと紹介された。全員(レンズ)のエアタグ表示は非開示である。無論、本名ではなかろう。コミュニケーション上の呼称に過ぎない。国籍・年齢不詳の一団だった。だが皆、流暢に日本語を話す。さすがは国連の関連機関だけのことはある。一様に学歴は高いらしい。

 テレビを付けてみると、どのチャンネルも、昨日の東京駅での発砲事件と首都圏一円の大規模分散型火災のニュースで持ち切りだった。千代田区と中央区、新宿区の三か所に報道関係者が押し寄せていた。加賀の住まいの全焼など話題にもなっていない。

 こんな不穏な状況下で、お咎めもなく、怪しげな外国人グループがホテルのエグゼクティブフロアに予約出来る辺り、外事情報部の静観は本当らしい。


 加賀はソファに座ったまま、朝のニュース番組を眺めていた。

 テーブルの上には、ルームサービスが寄越した大皿のクラブハウス・サンドと、各種飲料が並んでいる。応援スタッフは腹ごしらえに少し手を付け、それぞれの持ち場へと出掛けて行った。加賀は端っこにあった玉子サンドを手にすると、オレンジジュースで流し込んだ。

「良く眠れた?」

 ドレッサーから化粧ポーチを下げて現れたイベントコンパニオン………レインだったか………が加賀に声を掛けた。すでにメイクは完了で、青紫色の(レンズ)が微笑んでいる。意味のない笑い。朝の挨拶程度の他愛無いものだった。

 加賀は小さなサンドイッチを呑み下すと曖昧に答えた。

「うん、まあね」

 レインは黒いTシャツにオフホワイトのショートパンツ姿で、加賀の横に座った。ポニーテールの黒髪が揺れ、控えめに柑橘系の香気が漂う。

「ニュースは見た?」

 レインはミネラルウォーターのキャップをねじりながら聞いた。加賀は力なくうなずき、

「見たよ。どこも派手にやられてるな。日本橋の俺の勤めてたビルもだ。………ぞっとしたよ」

「そうね」

「同じ犯行グループなのかい?」

「レザビア情報部よ」

「過激だな」

「手際もいいわ」

 レインはボトルから少しふくませると、キャップを閉めた。

「あなたの部屋からジグムント・ボックスを回収出来たのも、タッチの差だったのよ」

 加賀は暗い顔をした。

「そうだった。ニュースにはなってないけどね」

「それは残念」

「本当に全焼なのか?」

「ええ」

「まるっきり?」

「それはもう、完全に」

 加賀は深いため息を吐いた。ちらりとテレビに目を向けると、自嘲気味に小声で呟いた。

「ま、財産分与の手間は、省けたよ」

 レインは面白そうに首を傾げると、茶化すような口振りでたずねた。

「調べて薄々はわかってたけど、あなたの私生活、そんなにヤバいんだ?」

加賀は露骨にむっとして、

「……もしかして、面白がってる?」

「ある程度」

 加賀は一つ咳払いした。

「九月に妻が出てった。………それっきりさ」

「まさに、崖っぷち男ね」

「……そこまで言うか?」

 レインはくすくすと忍び笑いした。

「経験豊富な年長者の言葉は、人生の宝ね」

「君にもいつか、わかる日が来るさ」

 加賀は吐き捨てるように言った。そこでレインは人差し指を持ち上げると、注意深く言った。

「でも正直なところ、あなたの職場が襲われて、あなたは行方不明で、今現在はテロの標的で。………離婚も財産分与も関係ないじゃない」

 加賀はしばし黙ったまま、静かにうなずいた。

「絶望的かな?」

「そうね」

 レインは加賀を励ますように肩に手を添えた。

「ま、人間生きてれば、いいこともあるわよ。………前向きに」

 加賀は不愉快そうに、オレンジジュースのボトルを傾けた。

そこに奥のベッドルームから森が現れた。前日と同じスーツ姿だった。小脇にホテルサービスの朝刊を挟んでいる。一見すると、出張先のビジネスマンさながらである。

「やあ、お二人さん。お早う」

 そう言うと森は、カフェオレのブリックパックを取り、サンドイッチを無造作に複数個掴んでむしゃむしゃと口に運んだ。

「加賀さん、君の部屋から引き上げたものの調査報告が届いてる。ARで会議をやるんだが、君も参加してくれ」

 急に話を振られて、加賀は無意識に自分を指差した。

「俺? 俺が?」

「そうだよ。一緒に検討してもらいたいんだ。(レンズ)は付けてるんだよな」

 森はそう言って、側頭の骨伝導音響装置を指差した。

「ああ」

「じゃ、アドレスを」

 加賀はそらんじた番号を口頭で伝えた。

 言い終えた途端、空中に無数の色彩ドットが瞬き、立方座標が検出された。視界が白い空間にすり替わる。気が付くと、加賀は小さめの円卓に着いていた。 (レンズ)で網膜に直接描き込まれた(暗室モード)のARである。

 座っているのは五人で、顔が見えるのが自分を除く二人。つまり、森とレインだった。後の二人はおぼろげに揺らぐ平面的な輪郭で、顔の部分がグリーンの表示で【sound only】と記されている。頭上を煽ぐと、無限の彼方まで、複数のエアタグ情報が竜巻のように渦巻いていた。

 森はカフェオレの最後の一口を、ストローでずーずー言わせながら啜り取ると言った。

「報告を聞こうか」

 向かって右側の【sound only】が口を開いた。若々しい男の声音が、骨伝導音響装置に届いた。

「加賀氏の部屋から回収されたジグムント・ボックスのHDDの調査報告から。問題の分割暗号化されたデータは、ランダムデータの上書きでほぼ消去されています。現在、残存磁気から磁気顕微鏡を使って、ビット単位で復元を試みていますが、………かなり難航しそうです」

 森の目前にはテキストのエアタグが開いていた。恐らく報告書類であろう。しかしながら加賀の座る角度からは、【閲覧制限】の赤い文字しか見えない。どうやらプロテクトが施されているらしい。なるほど。部外者が会議に出ても問題ないわけである。

「そうか。じゃあ、AIの方は? つまりソフトウェアだか何だか……」

「ジグムント・ボックス?」

「そうそう。それの復元の見込みは?」

 右側の【sound only】は残念そうに首を横に振ると、

「AIの方は絶望的ですね。ジグムント・ボックスの逐次記憶は元々ネットワークのどこかに外部化されているらしく、筐体内部には残されていません。復元しても恐らくデフォルトの状態かと」

「居場所は?」

「現在、調査中です」

 森は深いため息を吐き、カフェオレの入っていた空のパッケージを握りつぶした。

「記憶喪失のドクター・ジグムントじゃ、話にならんな」

「全く、その通りです」

 黙って耳を傾けていたレインが、冷淡な口調で言った。

「分割データも駄目、ソフトウェアも駄目。大体私たちが追い駆けている画期的な先端技術って何なの? ………それさえわかっていない。お手上げ。ちょっとこれって、かなり問題じゃない?」

「確かにね」と、森。

 そこで、向かって左側の【sound only】が、恐る恐る口を挟んだ。

「あの、でも一つだけ、解析出来たみたいなんですけど」

 女の声音だった。右側の男の【sound only】が問いただした。

「何の話だ?」

 左側の【sound only】は、輪郭を微かに震わせると、やや緊張気味に咳払いした。

「ちょうど今、上がって来た報告なのですが。……加賀氏の自宅のパソコンですが、中に分割データの断片と思われるファイルが見つかりまして」

「それも、持ち出せたの?」と、加賀。

「はい。外付けのHDDだけですけど」

 森とレインが、同時に加賀の顔を覗き込む。

「何か、思い当る?」と、レイン。

 加賀は、ふと考え込み、アサーション訓練の数々を思い返してみた。

 そこですぐに思い当った。一度だけジグムント・ボックスに内緒で、プログラムを開いてみたことがあったのである。SD-RAMの中身をコピーしたのだ。そう、自宅のパソコンの、外付けHDDの中に。

「そ、そうだよ。確かコピーした。一度だけ。………でも適合するソフトがなくて、全然、開けなかったんだ」

 森は非難めいた視線で一瞥すると、左側の女の【sound only】にたずねた。

「どの程度、読み取れたんだ?」

「ほんの一部なので、はっきりしたことはわからないのですが………」

 そう言うと、森とレインの目前にエアタグが開いた。

 女の【sound only】は続けた。

「報告によると、これは三次元アトムプローブのシミュレーションではないか、ということです」

 森が首を傾げた。

「三次元アトムプローブ? 何だね、それは? 説明してくれ」

「はい。通常これは対象資料内の原子の飛行時間と位置を同時に三次元測定する装置のことです。この装置を用いれば試料表面に存在する構成元素を、原子レベルの空間分解能で二次元マップとして表示する事が出来るばかりでなく、電界蒸発現象を用いて試料表面を一原子層ずつ蒸発させることにより、マップを深さ方向に拡張していくことが出来ます。このデータを蓄積し再構成することにより、資料中の原子の分布を三次元的に再構成することができる」

 森とレインは顔を見合わせ、首を捻った。

レインが言った。

「原子の飛行時間と位置情報? それが、何?」

 左側の【sound only】は黙り込み、輪郭を歪ませた。どうやら肩をすくめたらしい。

「さあ」

「さあ、って………」

「読み取れたデータがそう示しているだけです。その先は、まだ……」

 そう言い終わると、左側の【sound only】はしょんぼり黙り込んだ。彼女は若干、レインが苦手なようである。森は顎をさすりながら呟いた。

「どこかで聞いたような気がするな。原子の飛行時間と位置情報………」

 レインがすかさず茶化しに入った。

「あなたが理科系だとは知らなかったわ」

 森は少しも動じることなく、言葉を紡いだ。

「概論だよ。確か大学の講義か何かでな。ええっと、………何だったかな? 決定論?」

「ラプラスの魔、ですか?」

 と、男の声の【sound only】が呟くと、森は弾かれたように人差し指を持ち上げた。

「そう、それ。……もし、ある瞬間における全ての物質の力学状態と力を知ることができ、それらのデータを解析出来るだけの能力の知性が存在するならば、この知性にとって不確実なことは何もなくなり、その目には未来も過去も同様に全て見通しているであろう、とか何とか。………物質の力学状態と力。これが原子の飛行時間と位置情報だ」

「凄い。何か哲学者みたいな言葉ね」

と、レイン。そしてその先を問うた。

「それで? それが何なわけ?」

 森は小さく両手を広げてみせた。

「さあ。………どうかな? 俺は専門家じゃない。ただの聞きかじりだよ」

「何よ、当てずっぽうなの?」

「すまん」

 レインは苛立ちも露わに鼻息を漏らすと、静かに腕組みした。

「じゃあ、みんなこれ次の時まで、………宿題だからね」



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