第24話

「それで? これからどうするんだ?」

 加賀は古ぼけたシェード付きの白熱灯が揺れる部屋の片隅で、誰とはなしに問い掛けた。微かに声が震えているのがわかる。

 レインは小さな腰かけの上で足を組んでいた。ブロンドのダグラスは、キャンプ用の青い折り畳みテーブルの上で、黙々と自動拳銃を手入れしている。残る二人のボディガードは、どこかで見張りに付いているのだろう。ここに到着してから姿を見ない。

 結局のところ、加賀たちはカトーのデータ回収に失敗し、敵の追跡をなんとか振り切って、再びこのカビ臭い神田の書籍倉庫に戻ってきたのだった。事態は振り出しに返った。まさしく文字通りの状況である。

「さあ」

 バーガンディのサングラスを掛けたまま、レインが無表情に呟いた。

「さあって、何だよ?」

 加賀は苛立ちも露わに唸った。レインは小さく肩をすくめ、

「今、考えてるところよ」

 加賀は立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き回った。千切れて湿った紙切れが床の上で腐り、ぬるぬると滑る。それに腹を立て、加賀は横積みされた雑誌の残骸に蹴りを入れた。鈍い音がして、すえた臭いが少し濃くなる。加賀は震えている両手を握り締めるとポケットに突っ込んだ。

「作戦は失敗だった。森さんが死んだ。カトーもだ。………東京駅であの営業マンが殺されて、何が何だかわからないまま、振り回されてきたけど、これはもう、緊急事態だよな?」

 レインは無表情のまま、加賀の顔を見返した。

「慌てる事はないわ。作戦のある局面が失敗して、一人犠牲が出た。今の状況はそんなところ」

「これ以上続ける意味が、あるっていうのか!」

 動揺で我を忘れた加賀を、レインが静かにたしなめる。

「もちろんあるわ。私たちは国連直属の諜報を専門とする部隊で、国際的な技術資源の均衡のために戦っている。森だって同じよ」

「あんたらのモットーなんて聞きたくない………」

「いいえ、聞きなさい。それが森の弔いにもなるから」

「………」

 加賀はむっつりと黙り込んだ。それから一つため息を吐き、あきらめたように近場の椅子に腰を降ろした。

「森さんとカトー、終いに何を話してたんだ?」

 レインは足を組み替えると、左手を顎に添えた。

「あなたの話をしてたわ。掲示板に残したあの質問は傑作だ、ってね。笑ってた」

 加賀は複雑な表情でうつむいた。

「俺の質問、わかってたんだな」

「そうね」

 レインはサングラスを外すと一度ダクラスの方を向き、それから加賀に視線を戻した。

「森のことは残念だけど、これからのことを考えないと」

「ああ」

「レザビア情報部は、データの最終パーツは入手したわけね。でも他は、まだ。   そうなんでしょ、ジグムント?」

 ジグムント・ボックスはそれぞれの(レンズ)の視界に、自らのレンダリングを表示させた。骨伝導を通じた深みのある声音が頭蓋に届く。

「分散させた計算資源には、接触していない」

「じゃあ、これからってことね。………さて、どう出てくるのか?」

 加賀は腕組みして首を捻った。

「逆にこっちから先手は打てないのか? やつらの居場所はどこなんだ?」

 ジグムント・ボックスが答えた。

「彼らは個々に連絡を取り合わない。一旦計画が始まったら、その予定に沿ってそれぞれの部隊がスタンド・アローンで動いて行くのだろう。何か通信機材でも使ってくれれば、あるいは」

「現代的な電子戦の脆弱性を、突いてるわけね」

「しかしやつらは我々に先手を打った。大橋ジャンクションでは明らかに待ち伏せされたんだ。情報があやふやでは、有り得ないことだ」

とジグムント。レインも同意した。

「実働部隊とは別の、監視チームがいるのかしら?」

 加賀は何か言い返そうとしたが、言葉が見付からず黙ってしまう。不愉快な沈黙のまま、加賀は椅子を引きずって部屋の片隅に移動した。


 暗がりの中、加賀は堅く瞼を閉じた。不意に熱いものがこみ上げてきて、目がしらを湿らせる。

(どうなっちまったんだ、俺は?)

 ほんの数日前まで、自分の人生は退屈な繰り返しだったはずだ。

妻に逃げられ、うつ病の気を抱えてはいたものの、手慣れた仕事を持ち、安定した給与を受け、つつましく生きてきたのである。それが東京駅での、あの瞬間から様変わりしてしまった。

 自分の目の前で桐原正則は死んだ。桐原の側頭部を弾丸が削り取る様が、まざまざと脳裏に浮かんでくる。あまりに詳細でリアルな記憶の再生は、不自然なほどだ。

森も、そしてカトーも死んだ。自分は彼らの死を悼んでいるのか? 森は下の名さえ知らない。カトーに至っては通り名だけだ。物語でいえば点景人物、ヴァーチャル・モール連続体の接客アバターにも等しい彼らを、自分はどう考えているのか? 

桐原にせよ、森にせよ、互いに家族もあったろう。妻に可愛い娘もいたかもしれない。カトーについては謎だらけの人物だったが、映画好きの面白い奴だった。

そうした彼らが、目の前であっという間に、物言わぬ肉塊と化したのである。

死は現実なのだ。

にもかかわらず、東京駅での、あの瞬間。

目の前に現れたレインの姿は、日常を打ち破る、救いの天使に思えたのである。白い羽を広げた守護天使。………あれから自分はゲームの中に囚われたように、現実感のない展開を、ただただ興奮を持って受け入れていたのだ。半ば楽しみすら覚えながら、である。

明らかな現実逃避、いや、非現実的現実への逃避とでも言うべきか? そこには、妻との問題を抱えたまま、それを乗り越えられぬままに別の問題へ気を逸らそうとしている自分がいる。ジグムント・ボックスならば、フロイトの防衛機制を使って説明するのだろうか。

何の答えも見付けられぬままに、さらに馬鹿な考えが、いつもの言葉が、頭をもたげて来る。

こんな時妻が、清美がいてくれたら。どれだけ力になるだろうか、と。

まさしく堂々巡りである。

加賀はどうしようもない自己嫌悪を覚えた。

焦燥に震え、恐怖を飲み込む。加賀は叫びだしたくなる衝動を必死でこらえていた。


加賀の視野の端に小さな明滅が起こった。(レンズ)に届く着信シグナルだ。

「おい、………(レンズ)に着信だ」

と、加賀が上ずった声を上げる。

「何? 今?」と、レイン。

「そう。どうする?」

「発信元は?」

「不明だ」

「解析チーム、トレースして。逆探知よ」

 レインは無言で加賀にうなずいた。加賀は受信をスイッチした。

「………はい」

 繋がった途端、目の前に若い女の姿が映った。見覚えのある格好だった。特に特徴のある太い黒ぶちの眼鏡が印象的。

「美島、さん?」

 しかし、加賀の問いに答えたのは、奇妙な外国なまりのある日本語だった。画面の外側からハイテンションな男の声が、骨伝導音響装置伝いに響いてきた。

「お前だな、加賀洋輔。………やっと見つけたぞ」

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