第25話


 (レンズ)に届いた美島美登里の姿は、一見して普通の状態に見えた。つまり五体満足で、暴行や拷問は受けていない、そんな風に見える。

しかしながら、つまるところ彼女は人質である。不安そうな目で、青ざめた顔をこっちに向けている。

「美島さん、大丈夫?」

 そう、問い掛ける加賀を遮るように、外国なまりのある男の声が答えた。

「こいつには聞こえてない。俺の携帯端末から送信してるからな」

「お前ら、何者だ?」

 声は面白そうにへらへら笑うと、

「お前ら、って………十分わかってんだろ? 加賀洋輔さんよ」

「レザビアの情報部か?」

「おう、当たり! 俺たちはちょっとな、あんたに怒ってんのさ」

 声はどこかふざけた調子だったが、冗談を言ってる風はない。加賀は慎重に問い掛けた。

「何の話だ?」

「馬鹿、データだよ、分割データ。カトーの野郎、偽物を持ってやがったんだ。ぶっ殺しちまったんでいいわけは聞いてねえけど。そんで本物はこのネエさんに宅配したらしい。自分でだぞ。迅速、明朗会計のバイク便ってところだな」

 携帯端末の映像がにわかに美島美登里に近付いた。どうやら男が身を乗り出したらしい。彼女が後ろにのけぞるのがわかる。

「挙句の果てに、この女がわけのわからねえ所に隠したもんだから、取り出せねえときた。………俺もこの国に来てまだ数日なんだが、何一つうまく行かねえんで頭に来てんだよ。特にこの女のせいでな!」

 突如、映像の視界に男の右手が現れると、美島の顔に平手打ちを喰らわせた。

「いや、やめて!」初めて聞く、美島美登里の悲鳴。

「おい、やめろ! 美島さん!」

「助けて、加賀さん!」

「要求は? 要求を言えよ!」

 上ずった加賀の声音をあざ笑うように、男の声が呟いた。

「また、連絡するよ」

 そこで通信は途切れた。加賀は放心状態で空中を見詰めていた。

即座にレインが追跡していた解析チームに問うた。

「逆探知は? 出来た?」

 それぞれの頭蓋に、【sound only】の若い男の声が届いた。

「駄目でした。連中、移動しながらIP電話を使って掛けて来たようで。何か特殊なジャミングも使ってますね。ウイルスを仕込もうと思ったらブロックされました」

「車の中?」

「恐らく」

「概算エリアは?」

「東京都内ですか。多分、環七沿いかな」

「どこにでも潜り込める、か。考えてるわね」

ほぞを噬むレインに加賀が噛みついた。

「彼女、彼女を、どうすればいいんだ?」

 慌てふためく加賀の様子に、レインが目を細める。

「あのコは誰よ?」

「会社の同僚だよ。火災に巻き込まれて死んだと思ったけど、違ってたんだ。でもこんな、こんなことに巻き込まれるなんて………、全部、俺のせいだ!」

 狼狽する加賀をよそに、レインは考えを巡らせていた。

「さっきの話、連中、カトーに偽物を掴まされたと言ってたわね」

「………えっ? ああ」

 そこでレインは微かに笑みを浮かべた。

「じゃ、まだ勝算はあるわね」


 じりじりするような小一時間の後、再びレザビア側から連絡が入った。目的はもちろん、人質、美島美登里と引き換えの、要求を伝えるためである。

「………よし、話せ」

 外国なまりのある日本語に続いて、椅子に縛られた美島美登里の映像が、加賀の(レンズ)に届いた。携帯端末からと思われる、不安定な揺れる画角。それは明らかに、移動する車中を裏付けていた。

「美島さん!」

 加賀の問い掛けが、微かにスピーカーホンに木霊する。ぼんやりした美島は、億劫そうに顔を上げると、携帯端末の方へ視線を向けた。

「………加賀さん、ですか?」

「そうだ、俺だ。大丈夫、美島さん?」

 美島は皮肉めいた笑みを浮かべると、

「大丈夫、って、何ですか? お互い生きててびっくり、でしょ?」

 加賀は言葉に詰まった。

美島は力なく話を続けた。

「てっきり死んだと思ってましたよ」

「俺もさ。………とりあえず、無事で何よりだ」

 加賀がそう言うと、美島は鼻で笑った。

「この状態で無事なんて、………」

 (良く言うぜ、このオヤジ)。顔をそむけて、そう呟く彼女の声が、控えめに届いてくる。彼女の抑えた怒りが、いたたまれない。加賀はなだめるように尋ねた。

「なあ、何があったんだ? 今の状況は? 相手は何人いるんだ?」

 美島は呆れたように首を振った。

「加賀さん、頭、おっかしいんですか? そんなこと言えるわけないでしょ。言ったら私、殺されちゃいますよ」

「そっか、そうか、そうだな。………悪い」

 美島はそこで視線を泳がせると、顔をそむけ、思いっきり深いため息を吐いた。

「確かに、私、あの日は午後からサボリで、ぶらついてましたよ。夕方になったら街中が大騒ぎになっちゃって。そりゃあ、びっくりしました。で、帰ってきてテレビ付けて二度びっくりで。どうしていいかわからないから、彼氏の家でじっと隠れてたんです」

「彼氏んち? そりゃあ、初耳だな」

 不用意な加賀の相槌に、美島はいらっときた。

「そんなこと、どうだっていいんですう!」

「………すまん」

「三日目になって、シャワー浴びて、化粧して、これからどうしようかなあって、色々考えてたところに、玄関に届いたんですよ」

「何が?」

「加賀さんの手紙」

「え? 俺は知らないぞ。第一、その彼氏の住所を知らない」

 美島はうんざりしたように小さくうなずいた。

「私もね、そう思ったんです。………でも、もう不安で。そんな時、知ってる人から連絡もらったらどう思います?」

「どうって………」

「無理にでも信じようとするじゃないですか。………それが人情ってやつですよ」

 加賀は内心、美島に人情を語られ、苦笑いしていた。

「で? 内容は?」

「メモとSD-RAMが一枚。データを安全な場所に隠せだの、チップを燃やせだの、そんなことが書いてました。………手書きの文字でね」

「俺の字だったのか?」

「そんなの、わかるわけないでしょ。加賀さん、会社でメモ書きとか、したことないし」

「わかったよ。………それで、どうしたんだ?」

「指示通りにしました。RAMのプロテクト解除して、(パーキィ・パケットちゃん)で分割して隠したんです」

「何処に?」

「ローレライモールの、セールフォーマットです」

 加賀はそれを聞いて渋い顔をした。

「そりゃ、確かに安全だけど、………また、厄介だな」

 そこで美島は、キッとモニタを睨むと、押さえていた感情を一気に爆発させた。

「加賀さん、どうしてくれるんですか!」

 黒ぶち眼鏡の奥で、美島の瞳が憤りに燃えている。

「………ごめん」

 二言もなく加賀が平謝りすると、美島は半狂乱のように騒ぎ立てた。

「私、まだ二十五だし。やりたいこと、一杯あるし!」

「ほんと、………すまん」

「お母さんやお父さんになんて言ったら、………好きな人だって、まだ………もう!」

「え? でも彼氏は? 美島さ………」

「加賀さんの、馬鹿!」

 と、手がつけられない。思い付いた言葉を手当り次第、脊髄反射のごとく投げつけて来る。ほとんど、だたっ子である。

美島は泣き腫らして赤くなった鼻を鳴らしながら、恨めしい声を上げた。

「加賀さんは、いつもそうなんですよ。………いつだってサインを見落とすんだから」

 加賀は思わず美島に聞き返していた。

「………サイン? えっ? 何だって?」

 美島は加賀をじっと睨んだ。

「人が困ってる時は何かしら、サインが出てるものなんですよ」

「はあ?」

「だから、今度見落としたら………承知しない!」

 そこで脇から、外国なまりのある男の声が割って入った。

「と、まあ、そういう状況だ。わかったか、加賀洋輔さんよ」

「あ、………ああ」

 背後では、怒り狂った美島の金切り声が響いている。

 外国なまりの男は、幾分、加賀と美島のやりとりを面白がっているような、そんな鼻息を漏らした。

「あんたのやることは、もちろん、このネエちゃんが隠した、(エリュシオンⅡ)の断片を探し出すこった。それで全部、きっちり耳を揃えて提出すること。いいか、言うまでもないが、この女の命と引き換えだぞ、わかってるよな。言っとくが俺は気が短い。可及的速やかに。………頼んだぜ」

 通信はそこでぷつりと途絶えた。


 レザビアの代表(?)である主席テロリストによると、大橋ジャンクションの待ち合わせに現れたカトーは、問題のデータを持っていなかったらしい。連中の口振りから察するに、カトーはそのライダー姿で美島美登里の手元に本物のSD-RAMを届けたようだ。事情を知らぬまま指定場所に集まった我々は、無意味な銃撃戦を繰り広げた揚句、大勢の犠牲者まで出した。その間に、美島美登里は家に届けられたデータを加賀からのメッセージと勘違いして、指定された通りの(安全な場所)に隠し、チップと通信機器(どうやら携帯ゲーム機を使ったらしい)を始末したのである。

 カトーの皮算用では、大橋JCTで加賀たちに偽物をつかませ、それをレザビア情報部に追わせている間に、自分は周辺アジア諸国に高跳びする。本物のデータは後でゆっくり回収して、どこぞの反政府勢力、あるいは国連相手にでも高値で取引するつもりだったのだろう。実際は予定外に、レザビアの先回りが早すぎたのであるはあるが。

 しかし、双方の、目下の一番の問題は、別のところにあった。それは美島美登里がデータを隠した(安全な場所)なのである。

それはあまりに安全過ぎる場所で、………彼女は熟慮の末、業務用特殊ソフト(出所不明の違法プログラム)を使って、SD-RAMのプロテクトを解除した。データをサードパーティ製の宝探しゲーム、(パーキィ・パケットちゃん)で分割し、ローレライモールのVRセール商材群の過去号、十一月三十日号のフォーマットに分散して埋め込んだのである。


「それって、何が問題なわけ?」

レインが加賀に問うた。加賀は神妙な面持ちで説明した。

「ローレライのサーバはセキュリティに生体認証を採用しているんだ。虹彩パターンの濃淡値のヒストグラムを用いる認証方式。これで登録者の個人識別を行っている」

「登録者は?」

「一応、俺が。会社がローレライの取引業者で、俺が制作責任者だったから」

「なるほどね」

「彼女は制作者ナンバーを持っているから、作業許可はあるんだ。ただし彼女のグレードだと無断書き出しは出来なくて、申請書がいる。申請で個別のパスワードが発行されて、それで書き出しが可能になる。でもこれには時間が掛るし、受取が作業内容の提出と引き換えなんで、色々とまずいよな」

 レインは納得した様子でうなずいた。

「あなたなら、その辺の面倒がないってことね」

「ああ」

「じゃ、加賀さんが頑張るしかないな」

「俺が?」

「可愛い後輩を、死なせたくはないでしょ?」

「………」


 予想はしていたが、レインたちには他人事である。だが自分の良心に掛けて、美島美登里を見殺しにはしない。

 絶対に、だ。

 加賀はそう心に決め、腹をくくった。

 美島がデータをパケット分割した送信先の、(宝探しキーワード)はわかっていた。それはレザビア情報部の方から伝えられた。(美島の家が徹底的に家捜しされたか、口を割らされたか)当たり前の話だが、自分がこれを持って警察当局にどうこうすることは出来なかった。そうなれば、たちまち美島が土左衛門となって東京湾に浮かんでしまう。

 もうひとつの問題は、美島が埋め込んだ十一月三十日号のフォーマットが既に数週間を過ぎた過去号であることだ。

 ARでセール展開の終わった過去号は、二週間が経過した時点で、直近の作業フォルダからバックアップへ移されてしまう。動かされたのはつい最近のようだった。美島がパケットを埋め込んだ直後に移動されている。

 バックアップデータは検索エンジンから外されているので、作業レンダリングからしかアクセス出来ない。つまり通常ネットワークの、ショッピング・オプションを使って、(店舗)プランから入ることが出来ないということだ。

 おまけにバックアップデータは、プラン別の(店舗)レイヤーが統合されているので、アイテム数が最大パターンになっている。埋め込みエリアの範囲にもよるが、これはまさしく、広いスーパーの売り場から針一本を見付け出すような、そういった類の作業になる。効率が悪いことこの上ない。

 これらの問題を全て解決した上で、加賀が回収したパケットは一旦オンラインストレージにアップして、それをジグムント・ボックスが順次回収していくことになっている。全部が揃った時点で暗号解凍し、ネットワーク中の計算資源のデータとともに(エリュシオンⅡ)を構築する。その後、レザビア側は所定のプロトコルに従い、再度パケット分割した(エリュシオンⅡ)を自分たちのサーバにダウンロードする、という手筈だ。

 作業が首尾良く終わっても、美島美登里がすんなり解放されるかというと、そこはまた未知数である。

 何しろ相手は悪名高い北ヨーロッパのマフィア国家であり、レインたちも奴らにデータをタダでくれてやるつもりなど更々ないのだから、プランBは絶対に不可欠だ。

 加賀のデータ回収と同時に、レザビアの連中も大量のダウンロードを安定させるために、何処か固定の高速回線に留まると踏んで、IP電話のジャミングを解析し、発信元を割り出し、美島美登里の奪還を敢行する。そのためにはレザビアの連中に携帯端末を使わせなければならないわけだが、こちらから連絡する術はない。向こうからの一方通行だけである。そこで回収作業を牛歩のごとくのろのろと、相手に苛立ちを与えるように仕向けることで、奴らも美島の命を交渉材料に、作業を急げと頻繁に発破を掛けてくるはず。そこで時間を稼いで、連中の居場所を特定する。

 これが、プランBの肝と言えた。

 何と恐ろしいまでの当て推量ではないか。そもそもレインたちは、美島の奪還など本気で考えてはいないのである。加賀がそうしなければデータの回収を断る、とごねて渋々飲ませた取引だった。

 個人の命など、国際諜報の中では軽い。そういうことだろうか。

 美島美登里の加賀への怒りは相当なものだった。それもそのはずである。全ての原因は加賀にあるのだから。自分が、あのお台場の展示場で、ジグムント・ボックスを受け取った。そこに火種があるのだ。………混乱はしていても、美島美登里の言葉は一言一句間違っていなかった。全くの正論である。加賀は辟易として、正直、その場から逃げだしたい気分だった。

 だが、そうした思いを、加賀は全て飲み込んだ。自分がやるべきことは、ひとつしかない。

 何としても美島美登里を無事に取り戻す。ただ、それだけだった。


 約六時間の後、全ての手筈が整った。美島の奪還のため、国連軍の極秘介入も手配されたらしい。二時間前、増援部隊が横田飛行場に到着した。時間切れで、居場所特定の範囲が定まりきらない場合、概算エリアに即時対応するための人員確保である。ダグラスが人質奪還の指揮を執る。レインは加賀の護衛、というよりはお目付け役か。全体の状況判断もレインが行う。

「さて、時間よ」

 黒い戦闘スーツにコートを羽織ったレインが、骨伝導音響装置を側頭に装着しながら、加賀を促した。

「ああ」

 加賀は既に準備万端である。レインが続けた。

「私もあなたと一緒にネットワークに入るけど、私の仕事はあなたへの物理攻撃を防ぐこと。だからちゃんとエスコートしてね」

「わかってるよ。………任せてくれ」

 加賀のデータグラブのファスナーをいじる手が、緊張に震えている。加賀はレインにたずねた。

「これが全部済んだら、君はどうするんだ?」

 レインはカイデックス製ショルダーホルスターに九ミリのオートマチックを収めながら、

「私は一旦、ニューヨークに戻るわ。国連本部に。色々と報告もあるしね。人も死んでることだし。後、日本政府に保管されてる、森の遺体の本国送還とか」

「彼って、もしかして?」

「国籍はアメリカ人よ」

「………色々大変なんだな」

レインは少しだけ微笑んだ。

「そう。私たち、公僕ですから」

 部屋の片隅で装備のチェックを終えたダグラスが、戸口へと向かった。通りしなに加賀の肩をポンと叩き、にこりと笑う。

(心配ない、任せとけ)か? 

 加賀は弱々しく笑顔を返した。

(畜生、カッコいいじゃねえか)

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