第30話

 高円寺駅入口と記された高架橋を越え、環七沿いを中野方面に少し入ると、ビジネススクール跡地がある。廃棄されたビルだった。美島美登里を拉致したブルーのバンは、その裏口に止めてある。

 二階のがらんとした埃っぽい部屋は東側にあった。大きな窓のある四十平米ほどの事務所である。地下の配電設備と通信機能は回復され、外部との接続は万全である。レザビア情報部の三人組は機材を持ち込み、時を待っていた。

 美島美登里はスチールの事務椅子に縛られたまま、廃材の積まれた部屋の片隅に放置されている。

「よし、残り二つだな。………そろそろだろう」

 片目のダークブロンドは上着を脱ぎ、Tシャツ姿になっていた。脇の下に汗滲みが目立っている。特注のショルダーホルスターには小型のSМGが下がっている。

 片目の男は、窓際で作業する赤毛にたずねた。

「サーバの調子はどうだ?」

 赤毛はマニュアルを片手に、設定を微調整しながらうなずいた。

「問題ないよ。ダウンロードのプロトコルも含めてな。こっちのダウンロードが終わったら、攻性ウイルスを流すんだろ?」

「そういうこった。奴らの手元のデータは焼いちまわねえとな」

「βトレース型だから、根こそぎいける」

「そっか。じゃ、後は加賀洋輔の働き次第か」

 片目の男がそう言うと、赤毛が薄笑いを浮かべた。

「いい感じに、働いてくれてるんじゃないの?」

「ああ? ………ああ。そりゃもう、真面目なもんさ」

「さすがはワーカーホリックのお国柄だな。俺たちの地元じゃ、そうは行かねえ」

「この国じゃ、そういうのを、エコノミックアニマルって言うそうだぜ」

「経済的利益追求の動物? 何だい、そりぁ。新手の哺乳類か?」

「いやいや、起源は古いらしいぞ。由緒正しくてな。六十年代まで遡るらしい」

 そう二人が他愛無い話に興じていると、助手席にいた一番若そうなブロンドが、暇を持て余してぼやきだした。

「あー、腹へった。そろそろ九時だろ? 俺、ピザとか食いてえな」

 片目の男が若造をたしなめた。

「まあ待て。これからが正念場だ。………終わったらたらふく食わせてやるからよ」

 若造は肩をすくめた。

「了解。………だけど、絶対、ドミノピザだぜ。俺、ブルックリン・ガーリック&トマトがいいな」

「わかった、わかった。ブルックリンでもソーホーでも構わねえから、もうちょっと大人しく待ってろや」

 美島美登里は部屋の片隅から、三人の様子を伺っていた。

 三馬鹿トリオが車を降りてサーバを設置したということは、いよいよダウンロードが始まるということだ。それは自分の運命と同じく、あまり猶予はないということ。

 片目の男が唐突に美島の方を向いたので、一瞬どきりとした。片目の男は、白髪混じりのいやらしい髭面に笑みを浮かべた。

「そろそろお前の監禁も終わりだぞ。………覚悟しとけ」

 覚悟しておくことは、色々ありそう。そう思うと途端に情けなくなって、美島は泣きたくなった。

 (駄目よ、美登里。しっかりしなきゃ!) 

 美島は心の内を知られまいと気丈に振舞った。

 美島は縛られたままの態勢から、じっと片目の男を見詰め、それからたずねた。

「あんたのその左目、どうしちゃったわけ?」

 片目の男は思い出し笑いでもするように、小さく鼻を鳴らした。

「これか? これは勲章みたいなもんだ。昔の仕事で、馬鹿に切りつけられてな」

「それは、災難ね」

「フーム。ま、さほど不便でもねえし。見えねえ方が色々と、………都合がいい時もある」

「そうなの?」

「ああ、そうさ」

 そこで美島は、男たちに向かってひとつ、大きなあくびをして見せた。

「あんたらの長いドライブに付き合ったから、ちょっと疲れたわ。しばらく放っといてくれる?」

 片目の男はあきれ顔で美島の顔を覗き込み、

「フン。肝の座った女だぜ」

 そう言い、彼女を縛った事務椅子に軽く蹴りを入れた。自在キャスターの付いた椅子が少しばかり床を滑り、壁際の影の中で止まった。

 美島は頭を下げ、タヌキ寝入りを決め込んだ。ショートボブが顔に被って、表情が見えなくなる。

 片目の男は窓辺に近付き、携帯端末を取り出した。

「おう、どうだ? 順調か?」

 どうやら加賀洋輔の(レンズ)に掛けているらしい。

「後一つか? ああ。………そうだよな?」

 美島は男の背を、黒ぶち眼鏡越しに、射るような視線で睨んでいた。

 この時点で、片目の男は何もかもが順調であると、高をくくっていたはずだ。だが、一つ見逃している点があった。それは美島美登里の本性である。

 一見して表面的には明るく、無邪気に見えるが、彼女の生まれ持った性質は、陰湿で執念深いものだ。負けず嫌い、どころではない。状況にかかわらず、恨んだ相手にはとことん、全てを晴らすまで付きまとうほどの粘着質だ。単純さゆえの残虐性。一体誰から受け継いだものか定かではないが、それが今の彼女を支え、勇気付けている原動力でもある。

 アジア女性の態度と見掛けに惑わされてはいけない。この北欧の大猿どもには、未曽有の惨劇が降り掛かることだろう。

 彼女は、絶対に許さない。

 美島を叩き、美島の首筋を許可なく触ったケダモノ。

 美島の視界に映る三人の姿は、既に人ではなかった。

 潰すべき標的である。

 ミドル脂臭の豚野郎。見てろ、ギャフンと言わせてやる。

 おっと、これって死語かしら。

 さっきのエコノミックアニマルと同じくらい、死んでるわね。

 オ・マ・エ・ハ・モ・ウ、シ・ン・デ・イ・ル。

 美島はそれに満足した。

 美島は少し壁際に身体を捩り、男たちに見えない角度に顔を伏せると、二回、一回と瞬きした。ハンズフリーの(レンズ)の起動コマンドである。

 フレームワークが立ち上がると、美島は起動状態をチェックした。視界にアンテナ表示が見える。三馬鹿トリオは、ダウンロードに備えて、ワイヤレス接続のサーバを調整するため、ジャミングを切ったらしい。

 美島の口元に微かな笑みが浮かんだ。

 チャンス到来! 

 (レンズ)に自動読み上げ項目が流れて、瞬き選択で加賀洋輔のアドレスを検索する。

(加賀さん、………気付かなかったら承知しないわよ)

 美島は文字列をコメント機能で送信映像に被せた。


【SОS、美島】

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