第28話

 ダグラスの運転する黒塗りのバンは、江戸川区国道三五七号を東行きに進み、左折して東京都道三一八号環状七号に入った。街路をつなぐ中低木の常緑樹も、夜間走行ではほとんど目に入らず、路面を照らすメタルハライドランプの列と居並ぶマンション群が無限に続いている。

 レクレーション公園を過ぎ、葛西駅前、東京メトロ東西線の高架橋をくぐり、青砥、一之江方面に進む。

 武装した四人が乗り込んだバンは、環七通りを内回りで流していた。レザビア情報部の人質を抱えた車のおおよその存在が、この通りという概算に基いての行動である。未だエリア特定には至らず、全てが当て推量のままだったが、急場の予定変更に備えて動いている必要はあった。

(この通り、やたらと陸橋が多いな)

 ダグラスは無骨な上腕筋を車窓に預けたまま、神経質にハンドルをさばいていた。ジェットコースターのように頻繁に出会う、独特な高低差が鬱陶しい。狭い土地に犇めく、東アジアの首都圏ならでは道路事情なのだろう。車道を囲むように被さる、周辺地域への騒音減少のための防音板が、車のヘッドライトにメタリックに反射している。

 ダグラスは長島陸橋の上りを走らせながら考えた。

 エリア特定がされていないとは言え、同じ人間の考えることである。自分だったらどうするか? プロファイリングとまでは行かないが、これで大方の予想は立てられる。

 ここ一時間ばかりで、環状道路の湾岸から東側の一部を回ったが、主だってはマンションや住宅、駅周辺に集中した商業施設。時折現れるファミレス、ガソリンスタンド、郊外型紳士服チェーン店などなど。………という、代り映えしない宅地造成の集大成といったエリアである。レザビアの連中が何処かで固定回線を使ってデータをダウンロードするとして、はたして、こんな場所に留まるだろうか? 

 ダグラスは(レンズ)のルートナビゲーションを開いて、試しに、西側の路線周辺を検分してみた。

 板橋中央陸橋から南下していくと、大学のキャンパスに総合病院、区民ホールなどの大きな施設が目立っている。しかし、基本的に周辺は住宅街で、公共施設の人の出入りも考えると少々目立ち過ぎではなかろうか。自分ならばこの選択肢はなしだ。

 更にルートを中野方面に下ってみた。早稲田通りと直交する大和陸橋を越えた辺りから、少し寂しい雰囲気になってくる。道路沿いに並ぶ建物は二十世紀後半から存在するものが多く、いずれも老朽化していた。首都圏の建築基準の見直しもあり、廃ビルが数多く存在している。ちらっと見た限りでも、高円寺駅入口を少し越えた辺りの、ビジネススクール跡地など、まさにぴったりな物件と言えるだろう。

(廃屋のビジネススクール、か)

 ダグラスは(レンズ)に浮かんだ、廃棄区画を睨んだ。

 比較的最近(二年前、この民間教育機関が倒産するまで)、使用されていたらしい。そもそも学校の機能を果たしていたとすれば、本格的な通信インフラも整備されていたであろうし、廃屋とはいえ配線くらいは残っているだろう。事前に手直しするにせよ、ここなら邪魔も入るまい。隣り近所は空きビルばかりである。作業の明かりが目立ったしとても、取り壊しの準備か何かに見える。主要幹線道路沿いのJR駅付近とは言え、いかにも誰も関心を払いそうにない建物である。

(まさしくぴったり、だな)

 ダグラスの敏感な諜報員の鼻が、ぴくりと反応を示した。

 とりあえず当たりは、高円寺の南側付近としよう。ルートの到着時刻を計算すると、約一時間半と出た。環七から外れた短縮ルートもあったが、当てが外れた時の対応を考えると難しい。やはり、三一八号を内回りすることにする。


 これで果たして人質奪還なるか、というところだが、ダグラスの皮算用では五分五分である。自分の勘が当たれば、まあ何とか。

 それにしても、あの携帯端末の映像で見た、人質の女の子。あんな可憐な娘が人質とは、随分不憫な話ではないか。

 我々諜報員の間で、血生臭い争いが起きることは致し方ない。それが国際政治と言うものだし、現場に携わる者も、端から覚悟が座っている。しかし、加賀洋輔や、巻き込まれた民間企業の人々、はたまた人質に至っては、突然降りかかって来た災厄のようなものである。

 道義的に見ても、あってはならん状況だ。

 道義的? 己の胸中ながら、随分と建前めいた言葉が出たものである。ダグラスはそんな自分に嫌気がさし、苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。

 拘束された娘の姿が、ちらちらと脳裏を過った。

 華奢な肢体の、白いブラウスの女。

 本当に美しい娘だった。

 見慣れぬ異国情緒もあるだろうが、絵のような娘だった。紙のように白く、ほんのり紅がさして。怒ると陶器のような肌が、瞼から鼻の先まで赤くなって。………

 ダグラスは、はっと我に返り、虚ろになった自分の顔を部下に見られまいと、ブロンドの髪を掻き上げた。

 ヤマトナデシコ。

 確か、そんな言葉があったか。意味は良く知らないが、彼女のような娘を指すのだろう。本音を言うと、職場の同僚があんな可愛いコだなんて、正直、加賀洋輔が妬ましい。

 それに引き換え、自分の上司は、あの女殺戮マシーンなのである。これはもう、雲泥の差ではないか。

 出来ることなら助けたい。力になりたい。

 これは道義の、程度問題ではなかった。

 必然、である。

 白状するならば、ダグラスは加賀洋輔にも、並々ならぬ関心を抱いていたのである。

 単なる仕事上の付き合いでしかなかろうに、あの中年男の、部下を思う気骨には心揺れた。

 ひょっとすると、それ以上の関係? いやいや、それはないだろう。加賀に限っては。奴は生真面目で正直な人間だ。

 ………あの必死さ。なりふり構わなさ。

 過去の人生で、自分にそんな上役がいたろうか? 

 否。

 捨て身でぶつかるあの心意気、    

 奴は、サムライだ。

 恰好悪かろうが、何だろうが。加賀には、サムライのソウルがある。

 ア・ソウル・イズ・ア・仁義。

 ア・ジャパニーズ・ビジネスマン・イズ・ア・サムライ。

 その立ち振舞いは、清廉で眩しい。


 そこでダグラスはもう一つの、借りを思い出していた。

 そうだ、森の弔いもあるんだったな。………ようし。

 ダグラスは左の脇に下がる、九ミリのオートマチック拳銃の重さを意識した。

 レザビアの犬ども、生かしちゃおかない。俺が必ず、息の根を留めてやる。

 それが俺の、仁義だ。


 ダグラスは車窓を流れる星屑のような夜景に目を凝らすと、堅くハンドルを握り締めた。


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