第8章 サルの名探偵ぶりがなぜか板に付いているだって?
「真相だと?」
教頭は豆鉄砲を食らった鳩のような顔で聞いた。
「つまり、こいつが犯人じゃないとでもいうがか?」
こいつとは当然俺のことだ。
「あったりまえよ。影麻呂が犯人のわけないじゃない」
サルは胸を張り、自信満々といった顔で答えた。その大きな目はきらきらと輝いている。
「愛子、ひょっとして、浅丘先生の自作自演か?」
「違うよ、馬鹿。いい? 浅丘先生はブラウスを引きちぎられたのよ。ボタンが飛んだだけじゃないの、布地自体が破れてたんだよ。浅丘先生が自分でやったとしたら、その破れた布地はどこにいったわけ? それに自演だとしても、頭の傷は本物だから、現場に凶器がないとおかしいでしょ? 体のどこかにこっそり隠したってことも考えられるけど、先生の服装はブラウスにタイトミニよ。破れた布きれはともかく、凶器なんて隠す場所がないじゃない。それにそもそも動機がないし」
違うのか? たしかにいわれてみればブラウスは引きちぎられていた。自分でやったとしたら現場にちぎられた布地と凶器があるはず。凶器を使わずに、自分で棚に頭をぶつけたなら棚に血が付いているはずだが、そんなこともなかった。もちろん自分の拳で殴ったなんていうのは無理がありまくりだし、やはり拳にも血なんかは付いていなかった。
まあ、動機に関しては俺なりの考えがあったのだが、それは見当違いだったらしい。
それによく考えれば、もし、浅丘先生が俺を陥れるために嘘をついたのだとしたら、曖昧な証言をするのも変だ。はっきり俺がドアから入ってきて襲ったというに決まっている。
つまり、浅丘先生は本当にするめ男に襲われた?
「じゃあ、誰が犯人だっていうの?」
橘が怒ったような顔でいう。
「『誰が』よりも『どうやって』を先に説明するよ」
そうだ。どうやって? そっちの方が一段と不思議な謎だ。
するめ男と思われる犯人は、突然密室に現れ、密室から消えた。窓から入った形跡はないし、ドアはサルたちに見張られていた。ビデオ映像まである。
なのにどうしてするめ男はビデオに映らなかった?
しかも被害者の浅丘先生の証言では、犯人は瞬間移動でもしたかのように、いきなり部屋の中に現れたらしい。
「その前に教頭先生、誰かにあの部屋の隣の部屋を家捜しさせてください。ちぎれた布地となんらかの鈍器が出てくるはずです」
サルはいい切った。隣の部屋はたしか資料室。
「な、なんだとう? 隣の部屋? 資料室からそんなものが出てくるっていいたいがか?」
教頭は半信半疑のそぶりだが、スマホを取り出して電話していた。誰か手の空いている先生にでも行かせるつもりらしい。
「いったいどういうことだ?」
なぜ、そんなものが隣の部屋にあるとわかる? 俺にはさっぱりわからない。
「影麻呂、あんた自分のことなのにまだわかんないの?」
サルはあきれ顔で聞く。
わかる? なにをわかれというんだ?
「こずえちゃん、もう一回ビデオを再生して」
「わかった」
サルの号令で、こずえがせかせかと動く。部屋はもう一度暗くなり、スクリーンに社会科準備室が移った。
「いい? 影麻呂、教頭先生。目を見開いてよっく見てるのよ」
サルが偉そうにいう。
だがいったいなにを見ろというんだ? 目をこらしてみれば、さっき見えなかったするめ男が見えるとでもいうつもりか? それはあまりにも馬鹿げている。
画面では浅丘先生が部屋の中に入った。このあとは、しばらく画面に変化はないはず。
ここで目をこらせばなにかわかるのか? そう思ってみたが、やはりなにも起こらない。
そこで先生の悲鳴。やはり外からはなにもわからない。
『なに? なにごと? 影麻呂、突撃よ』
サルと俺のやりとりのあと、かけ寄る俺の姿が映る。
「ここよ。止めて」
サルが叫んだ。こずえが機械を操作し、俺がドアを開けようとしたところで画像は止まる。
「まだわかんないの?」
だからなにがだ? たしかになにか違和感がある。しかしその正体がわからない。
サルは俺の顔を見て、まだ俺がわからないことを悟ったらしく、肩をすくめ、天を仰いだ。心の中で「オウ、マイ、ガァ~ッド」とでもいっているに違いない。
そのとき、五月が叫んだ。
「こいつは影麻呂じゃない」
「なんだってぇ?」
俺と教頭は同時に叫んだ。
「馬鹿をいうたらあかんがね。たしかに顔ははっきり映っとらん。ドアの方を見ているからな。しかしこのあまり大きくない背、短めの髪、どう見てもこいつだがね。仮にこれが別人だとしたら、こいつは誰だ? どこに消えた?」
教頭がつばを飛ばし、力説する。
俺は五月にこの事実を指摘され、ようやく感じていた違和感の正体がわかった。
悲鳴のあと、俺が現れるのが早すぎる。
なぜならあのとき、俺は因縁を付けてきたアフロ男から逃れるのに少し時間を食ったからだ。
「ようやくわかったようね、影麻呂。そう、これはあんたじゃない。いくらあんたが強くても、不良を叩きのめすのに瞬殺というわけにはいかなかった。早すぎるのよ、あんたが現れるのが」
サルは俺が言おうとしたことを、先に断言した。話はさらに続く。
「そして、なにより、屋上から見ていたときは遠すぎて気づかなかったけど、こうやって大きなスクリーンに映せば一目瞭然。動き方があんたと違う」
なるほど、ビデオを覗いていたのはこずえのようだ。サルは肉眼で二十メートルほど離れた屋上から見ていたに過ぎない。改めてこうやって大きなスクリーンで見ると、細かいところまでよくわかるのだろう。それにしても、動きがちがうだって? 俺はまったく気がつかなかった。もっとも自分自身の動きなど見る機会はほとんどないわけだが。
「そうだ。影麻呂が必死になったときの動きは、もっと野性的で鋭い」
五月が補足した。こいつには俺が本気で戦ってるところを何度か見せたからな。
「そんな説明じゃ納得できんぞ」
教頭が目をむいて怒鳴る。
「これが誰なのか説明するがや。それにこいつはどこに消えたがね?」
「いいでしょう。説明します。まず最初の質問。これが誰か? こいつは怪人するめ男」
俺はずっこけそうになる。だからそれが誰かってことだ。教頭が文句を言おうとするのを、サルは遮って話を続けた。
「二番目の質問。こいつはどこに消えたか? 浅丘先生を襲ったあと、どうどうとドアから外に出て、隣の部屋に逃げ込んだんだよ」
だから隣の資料室から、凶器や布地が出ると断言したのか?
「なんだと? しかしビデオにはそんなことは映っとらん……」
教頭はいいかけて止まった。気がついたらしい。
「そう、あたしたちはこの時点で影麻呂が飛び込んだと思って、現地に向かったのよ。ビデオを持ってね」
つまり、するめ男がドアから出る瞬間は、サルたちはドアを見張っていない。当然ビデオも回っていない。五月の位置からはドアは見えない。そして俺は例のアフロと戦っていた。ついでにいえば、まわりにいた関係ない生徒は俺と不良のけんかに目を奪われて社会科準備室なんか見ているわけがない。
「つまりそのするめ男とやらは部屋の中に入るなり、ごく短い間に浅丘先生を襲い、飛び出した。そして隣の資料室に逃げ込むのと入れ違いに、綾小路が社会科準備室に飛び込んだとでもいうんかね?」
「その通り」
「だが浅丘先生はこう言っとったぞ。襲った男は黒いスーツを着ていたと」
教頭は半分意地になっているかのようだ。自分がさっきその服装のことを無視して、俺を犯人扱いしたことは棚に上げていやがる。
「それは単なる思いこみよ。先生の頭には襲ってくる男はするめ男とすり込まれてたし、先生がアパートで見たするめ男は黒いスーツの男。それが明確にインプットされてたのよ。ただでさえ襲われたときは動揺しているものでしょ? 記憶が混乱しても不思議はないし、学ランはボタンを上の方だけ外していれば、ただでさえ黒いスーツと見間違えやすい。だから思い出したとき、相手が黒いスーツを着ていると思った。それだけの話だよ」
「いや、だが信じられん。仮にそうだとしても、あまりにもきわどすぎるがや。犯人はそれをすべて計算してやったとでもいうがか?」
この教頭の反論は一理ある。いや、二理も三理もあるかもしれない。
これが計画的犯行ならば、一歩間違えば成功しない。というより、限りなく失敗する可能性の高い計画だろうが。ほんのちょっとタイミングが狂っただけで、サルたちに正体を暴かれるし、そもそも俺と鉢合わせする。ほんとうにするめ男はそんなことを考えていたのか?
「考えすぎ、考えすぎ。するめ男はそんなこと考えちゃいないって」
「なに? 偶然だとでもいうがか?」
「そうよ。だって、するめ男はあたしたちが見張ってることなんか知らなかったはずでしょ? つまりするめ男の計画は単純明快。浅丘先生を呼び出しておいて、自分はそこで先生を襲い、瞬時に逃げる。ほんのちょっと浅丘先生を脅したかっただけ。ただそれだけだったのよ。ちょうどいいときに、影麻呂がけんかを始めて注目がそっちに移ったからチャンスと思ったんでしょうね。だからあのタイミングで飛び込んだ。それが結果的に奇跡の犯罪になっちゃったんだよ」
「ちょっと待ってよ、かんじんなことを忘れてるわ。あれが犯人だとすると、最初の悲鳴はなんなの? 浅丘先生は犯人に襲われる前に悲鳴を上げたことになるわ」
橘がサルに向かっていう。これはサルの推理の根底を覆す質問だったが、サルはひるまない。けろっとした顔でいう。
「ああ、あれ? あれはきっとなんでもないことなのよ。あのとき、浅丘先生はものすごく神経質になってたはずでしょ? ほんのちょっとしたこと、たとえば、後ろの資料の束が崩れ落ちたとか、そういうことでも悲鳴を上げる状態だったってわけ」
つまり、浅丘先生はお化け屋敷にいる子供状態で、ちょっとしたことで泣き叫んだってことか? そしてそれが偶然して、あんなことになったと?
「そうでなくっちゃ、筋が通らないでしょ? 浅丘先生はそれで一瞬気を失って、その直後、するめ男がドアを開けて入ってきたあと、意識を取り戻したんだよ。だけど頭の混乱した先生は、自分が気を失っていたことがわからないから、その間の時間が飛んだように思えるの。だから、するめ男がドアも開けずにいきなり現れたような錯覚をしたってこと」
誰しもあきれ顔だが、論理だった反論が出ない。
「むう、認めたくはないが、一応理にかなってるがな」
教頭が渋々といった感じで認めた。
「でしょ?」
サルは対照的に、小鼻をふくらませて勝ち誇る。
そのとき、教頭のスマホが鳴った。おそらくさっき指示を受け、隣の資料室を確認にいった教師から連絡が入ったのだろう。教頭は、しばらくスマホで話したあと、電話を切っていった。
「彼女のいうとおり、隣の部屋に破れた布きれと、小型の金槌が捨てられていたがや。そしてもうひとつ、男物の制服一式が」
「ふん、やっぱりね」
サルの目がきら~んと光った。
これでサルの推理の裏付けが取れたことになる。同時に俺が考えた浅丘先生自演説はなくなった。だけど、男物の制服だって? つまり学ランだが、なぜ……。
「たしかに一理はあるようだな。だが君はかんじんなことはわからんわけだが。つまり、そのするめ男がいったい誰かってことだ」
教頭の言葉に、サルの眉毛がぴくんとつり上がった。
「馬鹿いわないで。それがわからなかったら、偉そうに名探偵気取りしてないよ」
偉そうに名探偵気取りしている自覚はあったらしい。
だがいったい誰がするめ男なんだ? 俺にはさっぱりわからない。っていうか、これまでのことで特定可能なのか?
「じゃあ、ぜひとも教えて欲しいがや。その犯人とやらを。うちの生徒なのか? だったら呼び出して確認する必要があるがね」
「そんな必要ないって。だってするめ男はこの中にいるし」
「なにぃいい?」
これはほぼ全員の声がハモった。
「するめ男は、おまえだぁあああああ!」
サルが指さした人物は自分の隣に座っていた女、橘みどりだった。
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