第4章 ルーレット必勝法? そんなのあるか!

「黒の13」

「おおおおおお」

「あひゃひゃひゃひゃあ」

 また勝ちやがった。またたくまにサルの前にはチップの山ができあがる。


「いったいどうなってんだ?」

 五月が俺に耳打ちしたが、俺だって知らない。ルーレットで客の方がいかさまできるとは思えないからな。


「たぶん運がいいんだ」

「ふざけるなよ。なんの根拠もなしに十万ものチップを一点賭してるっていうのか?」


 五月がそういうのも無理はないが、サルにとって十万なんてたいした金じゃない。というか、はした金にすぎない。これでも今や世界的な経済大国になったサンリゾート王国の第三王女だ。しかもあの超過保護でサルを溺愛している国王陛下が、生活に必要最低限の金だけ渡して、日本なんて遠い異国に送り出すわけがない。俺がふたりの生活費用に渡されたキャッシュカードですら、その口座にはマンションの家賃や学費とはべつに月五十万の仕送りがある。サルが持っているカードにはいくら振り込まれるのか、俺だって知らない。ただ俺の口座の数倍から数十倍は金が送られてくるのは間違いない。


「普段ならともかく、ああなったらあいつの金銭感覚は普通じゃない」

 それもほんとうだ。日本に来る前、王立カジノでサルにつきあったことがあるが、熱くなると金を湯水のように使う。ふつうはそれでアウトだが、こいつの場合いくら使ってもつきないから、けっきょくは勝つことが多い。なにしろサルの場合、膨大な小遣い以外にも、王国にいたときギャンブルだ株だ投資だと個人の才覚で儲けた金だけでもそうとうある。いくらなのかは俺もくわしくは知らないが。

 たとえ大負けして熱くなろうとも、しょせんは遊び、首をくくる心配もなければ、負けが込んで心が折れることもない。そういうやつがけっきょく最後には勝つんだろう。今はたまたま最初から勝ってるだけだ。


「ねえ、もう五百万は楽勝で勝ってるんじゃない?」

 神無が目をぱちくりさせながらいった。俺の目にもそう見える。余裕で。

 最初に買ったチップは二十万くらいだから、すでに二十五倍以上になっている。


「目的は達したんだ。帰ろうぜ」

 五月がいうことは至極もっともだ。


「まあ、無駄だな。ああなったら止まらん」

「……みたいだな。あいつ、本気でこのカジノを潰す気か?」

「あいつがいうことは、誰がどう考えても冗談に聞こえることもたいていは本気だ」

 いや、いい直そう。冗談に聞こえないようなことこそ本気に決まってる。


 妙に醒めた俺たちはべつにして、サル、そしてそのまわりは異常に盛り上がっている。今度は一点じゃなくて、四点賭けだがそれでも九倍。金髪のディーラーは顔が完全に引きつっていた。なにしろサルの掛け金はどんどん上がっているのだから。


「勝ってるうちはほっとけ」

 あまり勝ちすぎると、店はとうぜん回収にくるだろうが、ルーレットはカードと違っていかさまがやりにくい。ディーラーは好きな目に玉を入れられると伝説のようにいわれているが、じっさいにはそんなことはほとんど不可能らしい。もしこのディーラーがわざと負け、この明らかに動揺した態度も芝居だとしたら恐ろしいほどの役者だ。しかし俺が見た限り、そんなことはあり得ない。だから運が続く限り、サルが失速することはない。


「ずいぶんがんばってるみたいですね、お友達」

 いきなり後ろから声をかけられた。

 ふり返ると、そこに立っていたのは、黒のタキシードを着ていたことからここのスタッフなのだろう。だがスタッフの中では異様に若い。おそらく俺たちとそう変わらないくらいの年に見える。それもやややせ形の長身で、髪の毛も少しカールしたふんわり髪、優しい笑顔をした、「さらり」、「ふんわり」、「するり」、とでもいう擬態語が似合いそうな男だ。少女マンガのヒロインが恋しそうな男といいかえてもいい。


「誰だ、おまえ?」

「これは失礼しました。ここの責任者の玉城たまきと申します」


 玉城は誰もが警戒心を起こさないような笑顔で返答した。

 それにしても責任者とは。若すぎる。いや、そう見えるだけなのかもしれない。しかしそれでも三十を超えていることはどう考えてもあり得ない。


「で、その玉城さんがなにか用かい?」

 俺はその人なつっこさと、さわやかな態度にむしろ過剰な警戒心を抱いた。見た目はどうあれ、こいつらは屑だ。むしろこういう善人に擬態したやつほど性根は腐っていることが多い。


「いえ、べつに。ただ彼女、見てると面白いなあと思って」

 玉城は視線をサルに移す。


「なんていうか、元気で、楽しそうで、可愛らしくて。それにはっきりいって美形です」

「ああいうのが、裏ビデオに出れば売れそうかい?」

 一瞬、玉城の肩がぴくっと動いた。


「なにをいってるんですか? 僕は単純に彼女が魅力的だといったんです。年はあまり変わりませんし、そう思うことはすごく自然だと思いますけど」

 これ以上ないさわやか顔で、やんわりと否定する。


「そうかい? 俺はてっきりあんたは俺たちを見てこう思ったのかと思ったよ」

 俺は玉城をにらんだ。

「『カモがネギしょってまたやってきやがった。しかも、極上のネギをしょって』ってな」


「あははは、面白い人ですね、あなたは。まあ、僕らも商売ですから、お金を落としてくれるのはありがたいですけど」

「話の腰を折るなよ。俺の話はまだ終わってない。あんたはこうも思ったはずだ」

「へえ、どう思ったんです?」

「『このカモネギ軍団はおいしいな。バラエティに富んでいてじつにいい。テンションの高い元気少女に、ちょっときつめの正当派美女、それにロリータふたり。ビデオに出ればいい金になる。なんならこいつらを絡ませてもいい。じゃまな男がひとりいるが、問題ない。こいつは適当にこき使ってやればいいさ。なんなら殺したっていい』ってな。どうだ、俺はおまえの心が読めるようだろう?」


「あははははは」

 玉城はこれ以上おかしいことはないとばかりに高笑いする。もっともまわりの客はギャンブルに熱中していて振り向きもしない。

「想像過多というか、妄想気味というか、なかなか楽しい人ですね。でも、それくらいにしておきなさい。それ以上いうと、頭がおかしい人かと思われますよ」

「おい、やっちまうか、こいつ?」

 五月が俺に耳打ちした。顔は怒りに燃えている。


 こいつもけっこう後先考えないやつだ。こんな人がいっぱいいるところでこいつを叩きのめしてどうするっていうんだ? せっかくサルが稼いだチップを換金できずにたたき出されるのが落ちだぞ。

 五月のささやきが聞こえたらしい。玉城は初めて顔から笑みを消した。

「なるほど、あなたたちは初めから敵意を持ってここに来ているようですね。単純に負けを取り戻そうというわけじゃないらしい」

「ああ、あそこで大勝ちしている愛子は、このカジノが潰れるまでやるっていってるよ」

 五月が玉城を鋭い目で睨んでいうと、玉城は大笑いした。


「うわ~はっは。やっぱりあなたたちは楽しい人たちだ。どうやったら、そんなことができるんです?」

「知らないよ、そんなこと」

 五月はむっとした顔でいう。ついでに助け船を出さない俺を睨んだ。

 そんな目で見るなよ。俺だってサルの考えてることなんか、わかるもんか。


「でもあながち冗談でもないかもしれませんね」

 いわれて、俺はルーレット台に目をやった。

「彼はあれでもうちのナンバーワンディーラー。それが追いつめられています」

 神無たちを借金に追いやった金髪ディーラーはすでに顔面蒼白になりふらふらだ。精神的に追い込まれている。

 サルは舌なめずりしていった。


「ねえ、ディーラーさん。遊びはこのへんで終わりよ。一気に勝負に出るからね。悪いけど大負けしてクビになっても恨まないでよ」

 その一言に場は盛り上がる。


「じょ、冗談じゃありませんよ。勘弁してくださいよ」

 もうまったく余裕のないディーラーはおどおどした表情でいう。

「あら、しっぽを巻いて逃げるわけね。でも逃がさない。とどめを刺してあげる。レートを上げてね」

 サルが物騒なことをいい出した。そろそろ止め時、引き上げ時だ。とりあえず稼いだチップが五百万を超えているのは間違いないが、掛け金を上げすぎれば、負け出すと早い。長居しすぎるのはまずい。


 止めようと思ったがもう遅い。サルは百万を一点に賭ける。もう一度黒の13。当たれば三十六倍。さらに赤か黒かでは赤に、偶数奇数では奇数に、ハイかローではハイに五十万ずつ賭けた。こっちはどれも二倍。まあ、これだけ賭ければ、よほど不運でなければどれかには当たる。

 まわりの客たちはサルにあやかろうと、次々に黒の13に賭ける。

 金髪は玉城をちらっと見た。お伺いを立てているって感じだ。

 玉城はほほえんでいる。俺にはその笑みの真意は読めない。

 ディーラーは球を投げた。俺にはやつの口元が一瞬笑ったように見えた。


「やっぱ、こっちにする」

 サルはチップを黒の13から0に移した。

「な?」

 ディーラーは明らかに動揺した。

 まさか、こいつじつは目をねらえるのか? 0をねらったのか?

 サルに便乗した客たちもそう思ったのか、「俺も」「わたしも」と次々にチップを0に移動した。

 もうチップを置くなという合図のベルが鳴る。


 ルーレットの回転は弱まり、玉の動きが目で追えるようになった。

「目をねらえるディーラーなんていないっていうけど、あんたはできるんでしょ?」

 サルはディーラーに向かって笑いかける。

「あんたは最初わざとカモに勝たせる。渾身の演技でね。そしてカモが調子に乗ってきたころを見計らって外すのよ。そのあとは入らなくなるけど、カモは熱くなってるからやめることを知らない」

 台の回転は止まり、玉だけがからからと音を立て転がっている。

「そろそろ回収にはいると思ってた。偉いさんをちらっと見たものね。あたしの張ったところを外すのに一番いいのは0か00。しばらく出てないから出ても不自然じゃないしね。あんた投げる直前、0の目を見たでしょ?」


 ディーラーは魂を抜かれたような顔をしている。玉城の前で、自分のミスをサルにぺらぺらしゃべられては面子丸つぶれだ。玉が0に入ればまあ、クビは間違いないだろう。

「好きな目に入れられるのも善し悪しね」

 からからから……から。

 玉は0で止まった。


「やりぃ~っ、うひゃひゃひゃひゃ」

 サルは飛び上がって大喜びだ。同時に便乗した客たちも手を取り合って大騒ぎする。

「オ、オーナー」

 金髪はそう叫び、玉城を見る。玉城は鬼のような顔をしていた。

 金髪ディーラーはぶっ倒れた。野次馬たちは決闘でも見たかのように歓喜の声を上げる。百万の三十六倍。三千六百万の当たりだ。

 サルは五百万分のチップを神無に渡すとほほえんだ。


「これで借金をば~んと返してやりなさい」

「うん」

 神無は大喜びでそれを受け取ると、百合子と一緒にバンクに走った。

 拍手が聞こえた。玉城だった。満面の笑みを浮かべ惜しみない拍手をサルに送っている。


「じつにすばらしい。雑魚相手ではつまらないでしょう。僕とポーカーでもやりませんか? もちろん、レートは青天井。つまり上限なし。ついでにレイズの回数も無制限です」


 玉城がついにサルに牙をむいてきた。それにしてもこの男、雇われ店長かと思っていればオーナーだとは。少し見くびっていた。

 まあ、なんにしろ借金分を勝った以上、ここに残る意味はないのだが、それは俺の意見だ。サルはきっと違うことを考えている。


「乗った」

 案の定、サルは目の中にめらめらと炎を燃やし、叫んだ。

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