第7章 名探偵は誰だ? サルだ!
「こ、こりゃあ? どえりゃあことだがね」
教頭は部屋の中を見るなり、細い目を見開きのけぞった。
「こ、殺したのか、貴様?」
俺に向かって物騒なことをいう。
「死んでないし、俺はなんにもしていません」
さいわい浅丘先生は死んではいなかった。頭を打って気を失っているだけだ。
「関係のないものはさっさと立ち去るがや」
教頭は部屋のまわりに集まっていた野次馬たちを恫喝する。生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
残った生徒は俺とサル、こずえ、五月、それに橘だ。
教頭は上着を脱ぐとそれを浅丘先生の胸に掛け、脈を診る。さらに頭の傷を調べると、スマホを取り出し119番に連絡を入れ、救急車を呼んだ。
「説明してもらうがや。いったいなにがあったんだ? そもそも君のクラスと名前は?」
教頭が俺を睨む。俺が襲ったと信じて疑わないような目で。
俺は名乗った上、きのうからのことをすべて話した。そうしているうちに救急隊員が担架を持ってやってくる。教頭は学年主任にいった。
「君が病院に一緒に行くぎゃあ。状況を報告するがね。私は事件の検証をする」
「わかりました」
学年主任は教頭の命令に従い、担架に浅丘先生を乗せた救急隊員とともに病院に向かう。
「さあてと」
教頭は扇子でぱたぱたと顔を仰ぎつつ、ふたたび蛇のような目で俺を睨む。
「一年A組の綾小路影麻呂君やったな。君のいっとったことを信じるなら、君は盗聴器を通じて浅丘先生の悲鳴を聞き、この中に駆けつけた。するとそこには浅丘先生が胸をはだけ、頭を殴られて気を失っとったちゅうわけだな? だが犯人はこの中におりゃあせんかった。そして先生を介抱しようとしたところに、クラスメイトの橘みどり君に見られた。そういいたいんだな?」
「そうです」
「馬鹿なことをいうとんじゃないがぁ。それを信じるならば、そのするめ男とかいう犯人は、まだこの部屋の中にいることになるがや」
教頭のいうことは、正論だ。俺もそう信じたい。
だがはたしてこの部屋の中に犯人の隠れる場所はあるか?
たしかにがらんどうではない。壁際に棚が置かれ、地球儀だの、世界地図だの、歴史資料の書籍だのが乱雑に置かれているが、人の隠れる場所などなかった。
「あの棚の陰にでも隠れとるとでもいいたいんか?」
教頭はつかつかと中に踏み込み、棚の影を見る。
「おらんがぁ。こっちの棚にも、あっちの棚にも。そして……」
教頭は窓際に行き、クレセント錠をチェックする。
「窓には鍵がかかっとる。そもそもここは四階だがね。そう簡単に出入りなんてできんぎゃあ。あとはどこだ? 天井にでも隠れているといいたいんか?」
残念ながらそれは無理だ。天井点検口などない。
とうぜん床下点検口もない。ましてや、学校の中に秘密の出入り口なんていうものがあるわけがない。
「凶器は? 影麻呂が犯人なら凶器を持っているはずです」
しばらく部屋の中をごそごそと探っていたサルが口を挟んだ。たしかにそうだ。おそらく浅丘先生は鈍器で殴られたんだろうが、俺はそんなものを持っちゃいないし、ここにも落ちていない。俺が犯人なら凶器を外に持ち出す時間なんてなかった。
しかし教頭はひるまない。扇子を閉じ、ぱちーんと手を打つと、叫ぶ。
「凶器は拳だがね」
教頭が指さした先には俺の拳がある。そのとき俺は初めて拳に血が付いているのに気がついた。介抱しようとしたときについてしまったらしい。
「一発殴ったくらいで、大の大人を気絶させるなんて……」
いや、俺にはできる。しかし教頭にはそれを証明することはできないはず。
「できるわ」
声を大にして主張したのは、橘だった。
「あたし見ました。この人、この部屋に入る前に、体の大きい不良を一発でのしちゃいました」
俺は言い訳しようにも、なにもいえなかった。橘は嘘をいっているわけじゃない。あのあたりに橘がいたことには気づかなかったが、アフロをぶっ飛ばしたところをしっかり見られたらしい。しかも目撃者は他にもいるはずだ。まさかあのことがこんなことになろうとは。
「たしかにそうさ。あのとき俺は先生を助けようと必死だった。たまたまぶつかったあいつがじゃまをするから一撃で倒した。だけど俺は先生を殴ったり、ましてや服を引き裂いたりはしてない」
「そうだ。影麻呂がそんなことをするはずがない」
五月が声を大にしていった。
ありがたいがなんの説得力もない。教頭を説得するには論理的に俺の無罪を照明する必要がある。
はっきりいって俺の立場はきわめて悪い。この性格の悪そうな教頭でなくても、俺が犯人だと決めつけるに決まっている。それを覆す根拠はなにもない。あとは浅丘先生が意識を取り戻すのを待つしかないのか?
「君、屋上からぜんぶビデオで撮ったっていうとったわな」
教頭はビデオを持ったこずえにいう。
「うむ、それを見るがね。よっしゃ、視聴覚室に行くが。ついて来るがや」
こうして俺たちは視聴覚室に移動した。
「再生するがね」
部屋に入るなり、教頭は指示し、椅子に座る。この教室は正面にスクリーンがあり、三人掛けの長テーブルと長いすが三列になって並んでいる。教頭の座ったのは、真ん中の列の席の一番前だ。スクリーンの真ん前を陣取ったともいえる。その隣に橘、そのさらに隣にサルが座った。俺と五月はひとつ後ろの席につく。
こずえがひとり前に出て、ビデオとプロジェクターを接続し始める。
「準備できました。ビデオの画像に盗聴器で撮った音を時間的に合わせて再生します」
「よっしゃ、やってくれ」
教頭はで~んと構え、自慢の髭を指でいじくりながらいう。こずえはそれを受け、室内の電気を消し、機械を操作した。
スクリーンに社会科準備室が廊下の窓越しに見える。浅丘先生が社会科準備室に向かって歩いてきた。この部分から撮ったらしい。
スマホの操作音がする。
『浅丘先生が社会科準備室の中に入ってったよ』
サルの声が入る。これは俺に対して電話した言葉が、盗聴器ごしではなく、直接ビデオのマイクで拾われたものだ。
俺は返事をしたはずだが、俺の声は録音されない。
浅丘先生は社会科準備室の中に入り、ドアを閉めた。
『こずえちゃんのスマホは五月ちゃんと通話をつなげたままにしておくから。あんたのはあたしのとつなげっぱなし。切っちゃだめよ』
俺への電話のあと、ごそごそという物音が入る。これは浅丘先生が俺にいわれた通り部屋の中に誰か隠れていないかどうか調べている盗聴器を通しての音だろう。
『誰もいません。それに窓は鍵がかかっています』
これは浅丘先生が盗聴器を通して、俺やサルに対していった言葉だ。
このあと、しばらくは画面に変化は起こらなかった。無関係の生徒が廊下を通り過ぎることすらなく、無人の画面が続く。社会科準備室の中からも物音らしいものはせずに、ときどきサルのじれた声が聞こえるくらいだ。
とつぜん悲鳴が起こった。もちろん盗聴器を通しての浅丘先生の悲鳴だ。
『なに? なにごと? 影麻呂、突撃よ』
まもなくドアにかけ寄る男の後ろ姿が映った。学ランを着た小柄な男子学生。
俺だ。
やはり、俺がかけ込む前にこの部屋に出入りしたものはいない。
俺がドアを開け、中に入る。ドアは閉まった。
『先生は無事なの?』
サルの声が響く。この台詞は聞いた覚えがないが、スマホを耳から離していたんだろう。俺は中に入ったとき、スマホを耳に当てるちょっと前に、手に持ったスマホが妙に騒がしかったことを覚えている。おそらく、そのときの言葉だ。
画面はここでとぎれた。こずえが電気を付けて、部屋を明るくする。
「これで終わりかね?」
「このあと、あたしたちも走って現場に向かいました」
教頭の問いにサルが答える。
「あの、盗聴器の音声だけなら、まだ録音してますけど」
こずえがいった。
「再生するが」
教頭の指示に、こずえは残りの音を再生する。
『なによ、なんなのよ。なにが起こったの?』
『い、いや……』
サルと俺のやりとり。俺が倒れた浅丘先生を見たときのものだ。俺の声は先生の胸の盗聴器を通じて録音されている。
『とにかくあたしたちも今そっちに向かってる途中よ。するめ男を逃がしちゃだめからね』
『するめ男はもういない。逃げたあとだ』
『なに寝ぼけたこといってんのよ。あたしたちはあんたが中に入るのを見届けてからそっちに向かってんだから。先生が入ってから、あんたが入るまで、誰もその部屋に出入りしてないんだよ』
聞けば聞くほど犯人は俺しかいない。
しばらくしてドアが開く音がする。そして橘の声。
『きゃあああ。影麻呂君が先生を裸にして首絞めてる』
最悪の展開だ。音声はそこで終わった。
しばしの沈黙のあと、教頭は俺に向かっていう。
「綾小路君。君はこれでもしらを切るつもりなんか?」
その蛇のような目には微塵の疑いもない。完全に俺をクロだと決めつけている。
「夜な夜な、浅丘先生のあとをつけたり、部屋に忍び込んで盗聴器を仕掛けたりしたのもおまえだな?」
「違います」
言い訳しなくてはと思っても、なにも浮かばない。
客観的に見れば、俺が犯人というのは間違いのないことだ。
だけどどうしてそうなるんだ?
いったいなにが起こったんだ?
今、俺の頭の片隅には違和感が生じている。いったいなにに対してなのかは自分でもわからないが、強烈な違和感だ。
考えろ。それがきっと真相につながる。
なんだ? なんだ? なんだ? なにかがおかしい。
教頭のスマホが鳴った。教頭は応答する。
「そうか、浅丘先生は意識を取り戻したかね」
病院から学年主任がかけてきたらしい。俺はそれを聞いて心底ほっとした。
浅丘先生が俺の無実を証言してくれるはず。
「そうかね、犯人の顔は覚えていないのか?」
教頭はそういった。一抹の不安がよぎる。
「わかった」
教頭はスマホを切ると、にやりと笑う。
「いったい浅丘先生はなんて?」
たまらず俺は聞く。
「まだ動揺しているらしく、浅丘先生は犯人の顔は思い出せないっちゅうことだ。だが犯人は小柄な男。黒いスーツ姿だったそうだ。しかもドアも開けずに突然部屋の中に現れ、いきなり浅丘先生を襲ったそうだがね」
黒いスーツ姿の男。まさしくするめ男だ。
しかも、ドアも開けずに突然部屋の中に現れたなどと、絶対にあり得ないことをいっている。それじゃあ、瞬間移動できる化け物だろうが。
だがこれは俺にとって吉報だ。なんにしても、犯人はスーツ姿の男。つまり俺は犯人じゃない。
だが教頭は納得しない。
「なんだがね、その顔は? 容疑から外れたとでも思ったんか?」
なんだって? 俺は耳を疑った。
「きっと浅丘先生は顔を覚えている。服装だって学生服だったのを知っているんだがね。だけどおまえのことをかばったんだろうな。だから部屋の中に突然現れたなどという矛盾したことをいう。あるいは気が動転して妄想を口走ったんだがや。君以外に犯人はあり得ん。私は校内で教師を襲う生徒を決して許しゃあせんがぁ。退学にしてやるから、首を洗って待ってるがや」
教頭は吼えた。
その瞬間、俺の頭にある仮説が浮かんだ。馬鹿げているが、俺には他に可能性が考えつかない。
つまり、浅丘先生の自作自演だ。
そう考えれば、すべて納得がいく。自分でするめ男の噂を流し、部屋に盗聴器を仕掛け、俺たちを巻き込み、とどめの自分が襲われる自作自演。
動機は俺をおとしめるため。俺をサルから引き離すため。浅丘先生の目的はサルだ。
なぜなら先生こそは『神の会』のメンバー。
それ以外に可能性はない。なぜなら本当に犯人がいた場合、サルたちに見られずに、まるで瞬間移動のように部屋の中に入り込み、襲ったあと、誰にも見られずに逃げたことになる。そんなこと絶対に不可能だからだ。
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
俺の思考を遮ったものはサルの馬鹿笑いだった。
「なにがおかしいがや?」
教頭が不快な顔で怒鳴る。
「だってわかっちゃったんだもん。真相が」
サルは自信満々で答えた。
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