第6章 俺が浅岡先生を襲っただと? 馬鹿な!
放課後、俺たちは配置についた。
こずえは、予定では写真部から望遠レンズ付きカメラを借りるはずだったが当てが外れたらしく、かわりに映研からデジタルビデオを借りてきて、サルとともに屋上に行った。それでもズームアップすればけっこう遠くのものが見えるらしい。録画できるから一石二鳥とかほざいていた。五月は木刀片手にA棟の先端にある階段の踊り場でたむろ。俺は本棟の四階で待機する。
もっとも俺は顔が割れている可能性があるし、あまり社会科準備室に近いところでは待機できない。多少離れているがいざとなればすぐに駆けつけられる、本棟のB棟よりの廊下に陣取った。
浅丘先生の胸に仕込まれた盗聴器の受信機はふたつある。ひとつはサル、もうひとつは俺が持っている。サルが司令塔になるとして、突撃部隊の俺も持っていた方がいいということらしい。俺は受信機をポケットに隠し、イヤホンを左耳に付けていた。ちなみにサルの方の受信機には録音機が接続されている。五月は持っていないが必要なときはスマホで連絡するという段取りだ。
まもなく四時になろうとしている。誰か俺を見張っているやつがいないか意識をあたりに集中させた。殺気とはいかなくても、俺を凝視しているやつがいればそれなりの気を感じるものだ。とりあえず、するめ男らしきやつが近くにいるとは思えない。
突如、後ろから強い視線を感じる。ちらっと見ると、浅丘先生だった。先生は見事なまでにかちんこちんになっている。両手をロボットのように振りながら、おぼつかない足取りでこっちに向かってくる。その顔は凍ったようにこわばっていた。
「だ、だ、だ、だ、だいじょうぶでしょうか?」
俺のそばに来るなり、人形のように口を不自然にぱくぱくさせながらいう。
「だいじょうぶですよ。俺たちがついてるんだから」
俺はできるだけソフトにいってやった。
「そ、そ、そ、そうですよね。でも、ちょっぴり怖いです」
子供のように無邪気な瞳はうるうると涙ぐんでいる。
「行ってください。怪しまれる。部屋に入ったら、まず中に誰もいないことを確認してくださいよ。それから窓に鍵がかかっていることと」
まあ、四階だから窓からの進入はほとんど考えなくてもいいが、するめ男がロッククライミングの上級者でないという保証はない。
「わ、わ、わ、わかりました」
浅丘先生は手と足を同時に進めながらしばらく歩くと、社会科準備室のあるA棟に向かって曲がった。
スマホが鳴る。サルからだ。
『浅丘先生が社会科準備室の中に入ってったよ』
「ああ、わかった」
受信機を通じてドアを閉める音を確認した。ここは教材などがあり、鍵をかける必要があるためか、引き戸ではなく開き戸になっている。
『こずえちゃんのスマホは五月ちゃんと通話をつなげたままにしておくから。あんたのはあたしのとつなげっぱなし。切っちゃだめよ』
「わかった」
サルの声は途絶えた。かわりに受信機を通して、左のイヤホンからごそごそといった音が聞こえる。浅丘先生がいわれたとおり、部屋の中に怪しいやつが隠れていないか探っているのだろう。
『誰もいません。それに窓は鍵がかかっています』
イヤホンから浅丘先生の声が聞こえた。俺やサルに対する状況説明だ。
とりあえず、これで待ち伏せはなくなった。するめ男が先生を襲うとすると、あとはドアから入るしかない。そうなれば袋のネズミだ。
俺は今か今かと待ちかまえていたが、なんの動きもない。
やっぱり俺たちが張っていることに気づかれたか?
その可能性は十分にあった。だがそれならそれで、メールかなにかでコンタクトがあるような気もする。
『来ないね』
スマホからサルのじれた声。俺は適当に生返事しておいた。
『きゃあああああ』
そのとき、イヤホンから浅丘先生の悲鳴が上がった。
『なに? なにごと? 影麻呂、突撃よ』
「わかった」
俺が向かおうとしたとき、どんと誰かにぶつかった。
見ると、体のでかい凶暴そうな顔の男。髪の毛はアフロ。不良だ。
ちっ、こんなときに。
アフロ男は予想に違わず怒声をあげると俺につかみかかって来やがった。
こんなやつにかまっている暇はない。学校で目立ちたくはなかったが仕方ない。
俺は捕まれた腕を振り上げ、そいつを投げ飛ばした。合気道の呼吸投げだ。
だがそいつはうまく受け身を取ったらしく、起きあがると俺に向かってきた。
やむを得ず俺はそいつのみぞおちに正拳をぶち込む。
今度こそそいつは倒れたが、注目を浴びてしまった。
やべえ。
そう思いつつも、俺は社会科準備室に走る。たくさんの野次馬の視線を感じたのはまずいがそんなことをいってる暇はない。そのまま社会科準備室に駆け込んだ。
うわっ。
俺は中に入るなり、息をのんだ。
手に持ったスマホからなにかが聞こえる。耳に当てるとサルの叫び声だった。
『なによ、なんなのよ。なにが起こったの?』
「い、いや……」
俺は言葉を濁す。
社会科準備室の中には浅丘先生が倒れていた。額から血を流し、ブラウスの胸のあたりの布地をごそっと引きちぎられ、豊満な乳房をぼよ~んとさらした状態で。
『とにかくあたしたちも今そっちに向かってる途中よ。するめ男を逃がしちゃだめからね』
するめ男? いや、この中には誰もいない。隠れているとも思えない。人の気配がしないからだ。
「するめ男はもういない。逃げたあとだ」
『なに寝ぼけたこといってんのよ。あたしたちはあんたが中に入るのを見届けてからそっちに向かってんだから。先生が入ってから、あんたが入るまで、誰もその部屋に出入りしてないんだよ』
なんだって?
そんな馬鹿なことがあってたまるか。誰もいないはずの部屋で、浅丘先生がいきなり襲われたのは、するめ男が部屋の中に隠れていたことに気づかなかっただけかもしれない。しかしそれ以後、この部屋から誰も逃げ出していないということになる。それならするめ男は今この部屋の中にいるはずだが、俺にはとてもそうは思えない。
とりあえず、俺は気を取り直し、先生を抱き起こすと、首に指を当て、脈を取った。
その瞬間、ドアが開く。
そこに立っていたのは、サルでもこずえでも五月でもなかった。
サルが苦手な生真面目なクラス委員の橘みどり。サル同様ショートカットで胸ぺったんこの橘みどりだ。きょうは一段と胸がぺったんこに見える。いや、そんなことを考えてる場合じゃない。俺はあまりのことに現実逃避してるらしい。
橘は目を見開き、酸欠の金魚のように口をぱくぱくしている。唇の下のほくろが妙にエロいぞ。あれっ、こいつこんなところにほくろなんてあったっけ? う、うわあ、まただ。また妄想の世界に逃げ込もうとしているぞ、俺は。
だがしょうがないだろう。この現実をどう受け止めろっていうんだ?
なにしろそこにいるのは橘だけじゃない。その後ろにはたくさんの野次馬たちが、好奇心をさらけ出した目で隙間からのぞき込んでいる。
さっきの男を殴り倒してここに走り込んだために、よけいなやつらを呼び込んでしまったらしい。
「きゃあああ。綾小路君が先生を裸にして首絞めてる」
橘はいうに事欠いて、とんでもないことをいいやがった。
いや、客観的に見れば、たしかにそう見えても仕方ないような気もする。いや、そうとしか見えないだろう。わかっていた。だからこそ俺は現実逃避したくなったんだ。しかしいくらなんでもその台詞はまずすぎる。
案の定、外は大騒ぎになった。俺が「誤解だ」といっても聞く耳持たない。
そんな中にサルとこずえ、それに五月はやってきた。
「な、なに? いったいなにがあったの?」
サルがぜいぜいと息を切らしながら野次馬の群れをかき分け、俺に聞く。
「彼が浅丘先生を襲ったのよ」
橘は俺を指さし断言した。
「違う」
俺は叫ぶが誰も信じているふうではない。サルが俺を援護する。
「いい? 犯人はするめ男。あたしたちはするめ男を見張ってたんだよ」
「するめ男ですって?」
橘があきれたようにいう。たしかになんの説得力もない言葉だな。
「先生につきまとってたストーカーだよ。あたしたちは先生に頼まれて、この部屋を監視してたの。ほら、ビデオだってあるし。屋上からこの部屋のドアをずっと撮ってたんだよ」
おい待て。さっきおまえ、先生が入ってから俺が入るまで、誰も出入りしていないっていってなかったか。
つまりそのビデオは俺が犯人だという証拠に他ならないんじゃ?
「いったい何事だがやぁあ!」
一括が野次馬の群れを、ふたつに分ける。その中から広げた扇子で顔を扇ぎながら現れたのは、長身に濃紺の高級スリーピーススーツを身につけ、油べっとりのオールバックに立派なカイザー髭、蛇を思わせる嫌らしい目をした中年男。
太鼓持ちのような小太りの学年主任を引き連れ、現れたこの名古屋弁の男こそは、この学校の教師の中でもっとも厳しいといわれる教頭だった。
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