第6章 賭け金? 国家予算か!
「まあ、いいわ。とりあえず三千万貸してもらうから。あたしの名前は夏島愛子。連帯保証人は綾小路影麻呂」
「かしこまりました」
三千万の連帯保証人になるのに、俺の意志はどこに行った?
サルのやつも、骸骨もそんなことは気にしない。あっという間に書類を作成したかと思うと、サルはそれにサインした。
「影麻呂、あんたもサインしといて」
まるで宅急便の受け取りにサインしろとでもいうように、書類を俺に渡した。
それを見るとたしかに連帯保証人の欄には俺の名前が書いてある。
「おい、ちょっと待て」
「なにもいわないでサインして」
サルは真剣な目で俺を見つめた。
もちろん、サルとてこの証文の意味をわかっていないはずはない。わかってて、俺にすべて飲めといっている。絶対の自信があるんだろう。
俺はそれ以上なにもいわずに、サインすると骸骨に渡した。
「はい、けっこう」
骸骨はにんまりと笑うと、つきそいのバニーガールに合図した。
バニーは手にした台車の上の金庫からプラチナチップを三十枚取り出すとサルに渡す。
サルはそれをいきおいよくテーブルにのせる。
「コールよ」
玉城はそれを見て、嬉しい驚きの声を上げた。
「よほど家がお金持ちなんですね。三千万の借金を平気でする高校生を初めて見ました」
「そんなことあんたの知ったことじゃないでしょ? それより影麻呂、次のカードを……」
「ちょっと待った。最初にいったはずですよ。レイズの回数は無制限だって。つまり、お互いが納得するまで掛け金は上がるんです。それこそ本物のギャンブルだと思いませんか?」
玉城の笑いが下品になってくる。じょじょに仮面がはがれ、その本性が現れてきたってところか。
「つまり、あんたはまだレイズするつもりなんだ?」
「はい」
玉城はバニーガールに合図すると、やはり金庫を台車にのせて持ってこさせた。
「まあ、とりあえずこれくらいにしときますかね」
そういうと、金庫からプラチナチップを取り出す。五十枚。
玉城は五千万、レイズした。
野次馬たちは悲鳴に近い声を上げたあと、沈黙した。
誰もが勝負がついたと思ったのだ。カジノの圧倒的な財力によって。
「金貸し。こんどは五千万よ。あ、ついでに次の回のオープンベッドの分、五十万も借しといて」
サルが叫んだ。その顔はもはや嬉しそうですらある。
骸骨が嬉々として返事をする。玉城も満面に笑みがあふれていた。
「いやあ、まさか、君みたいなのと対決できるとは思っていなかったよ。ほんとうに楽しみだ」
例によって俺はまた連帯保証人の欄にサインした。
「コール」
サルは宣言とともに、五十枚のプラチナチップをテーブルにのせた。
観客たちは大喜びだ。どうもサルを応援しているらしい。
五月はとてもついていけないらしく、魂の抜け殻のような顔をしている。
「まだレイズする気か?」
俺が聞くと、玉城は少し考えていった。
「とりあえず、ここまでにしときましょうか。まだ最後のベッドがありますからね。配ってください、ディーラーさん。最後のカードはホールカードですからね。間違えないでください」
俺はカードを配った。こんどはホールカード。つまり伏せた状態で配る。見れるのは本人のみ。
サルと玉城はそれぞれのカードの縁をちょっとだけめくり、中を瞬時に確認すると手を離した。
ふたりとも完全なポーカーフェイス。あのサルですらこの土壇場で自分の感情を殺した。
オープンベッドはワンペアができているサルから。
無条件に規定の五十万チップを置く。
誰もが息をのんだ。いったい玉城はいくらふっかけてくるのか、サルはそれに応じるのか、興味津々なのだ。もはやだれもがカードの役など気にしていないはず。勝負の本質はどちらが先に降りるか。いい換えれば、大金のプレッシャーに負けて、心が折れるかだということが誰もがわかってきていた。
「まず、五十。そしてレイズ分……」
玉城は金のチップを一枚置く。そして隣に置かれた金庫の中をあさった。
そしてテーブルの上に、プラチナチップを次々と積み重ねていく。
「一億」
テーブルにのったプラチナチップ百枚はシャンデリアの光を受けて、煌めいた。
まわりのどよめきに反し、玉城は涼しい顔をしている。こんな金額はなんでもないと言わんばかりに。
「金貸しぃ。同じ額ちょうだい」
サルは逃げない。
「もうよせ。無理だ。おまえにこんなこと頼んだあたしが悪かった」
泣きついたのは、サルではなく五月だった。
「だいじょうぶ。あたしは絶対に負けないから」
「か、仮にそうだとしても、相手は無制限に掛け金を上げられるんだぞ。おまえは借金して張ってるんだ。途中で降りるしかない」
「途中で音を上げるはあっちだよ」
サルは強気にもそういった。そして骸骨を睨む。
「早くして、一億円よ」
「はい、はい」
骸骨はもみ手をしながらうなずいた。サルがサインして俺に回す。俺がサインしている間に、骸骨の助手のバニーがプラチナチップをテーブルに積み上げていく。
「いいですねぇ。だけどわかってます? あなたの借金には利子が付くんですよ」
玉城は電卓をポケットから取り出すと、にやにやと薄ら笑いを浮かべながらいう。
「ちゃんと計算してるんでしょうね? これであなたの借金は合計で、ええ~っと、一億八千とんで五十万です。さらに利子だけでその三割ですから、ええっと、五千四百十五万になりますよ」
とたんに観客がざわめきだした。玉城のいうとおりだからだ。
俺はめまいがした。
だがサルはびびるどころか平然といい切った。
「そんなことあなたが心配することじゃないけどね」
「あ~っはっははは。そうですね。たしかに僕が心配することじゃありません。でもこれでもそんな戯れ言をいっていられますかね」
玉城は仮面を完全にかなぐり捨て悪魔のような顔になると、金庫からチップを取り出した。それは今までのものと違い、金とプラチナの段だら模様に無数のダイヤがちりばめられている。
「これは百億円チップですよ」
「ひゃ、ひゃ、百億円~っ?」
悲鳴を上げたのは五月だ。すでに卒倒しかけている。俺もできることなら卒倒したい。
「さあ、どうします。今降りれば返済額は二億ちょっとですよ。でもこのまま続ければ、負けた場合、百三十億以上の支払いになりますよ」
「降りろ。今すぐ降りろ。こんな勝負受けるのは馬鹿だけだ」
五月がわめいた。
「五月ちゃん」
サルは五月を見てにっこりと笑う。
「あたしって馬鹿なんだよね~っ」
五月は口をあんぐり開けて、絶句した。俺もそれに習いたい。
「金貸しぃ~っ」
サルは骸骨を呼びつける。そして次に述べた言葉を聞いたとき、俺は耳が遠くなったか、さもなくば頭がおかしくなったかと思った。
なぜならサルはこういったからだ。
「次は一兆円ね」
「い、い、い、一兆円だぁああああ?」
立ったまま気を失っていたかと思った五月が絶叫する。とうぜん観客たちのざわめきも絶頂に達した。
だが驚いたのはそいつらだけじゃなかった。玉城すら予想外のサルの行動に動揺を隠せない。
「な、なに? 僕の聞き間違いかな? 一兆って聞こえたような気がするが……」
「聞き間違えじゃないよ。一兆っていったんだよ」
サルはウインクする。
「ば、ば、馬鹿じゃないのか、君は? 利子だけで三千億だぞ。わかってんのか?」
「うん、十分わかってるよ。でも、あんたが心配する必要、これっぽっちもないから」
玉城が大口開けて固まった。
いや、自分ではわからないが、たぶん俺の顔も大差ないだろう。
「いや、わかってない。俺が降りたらどうするんだ? 百億ちょっと勝つが、返す利子だけで三千億を超えるんだぞ。どう考えても丸損だ。まともな頭していたら絶対にできないことだ」
「降りる?」
サルは不敵に笑う。
「降りるならあたしの勝ち分全額換金させてもらうけど。百数億、もちろん現金で。一日たりとも待たないから。もちろん、借りた一兆円だって、十日後の返済日まではあたしのものだから、その分も現金でもらうからね。きょう、そんな大金がこのカジノの中にあるかどうか知らないけどさ」
「な、な、なんだとぉお?」
「なに驚いてんのよ? 客が勝った分のチップを換金する。もちろんその場で現金で。そんなことは当たり前のことじゃないの。あんただって百億円あるからこそ百億円チップを出してきたんでしょうが? それに借金の借用書だけ作って、現金を渡さなきゃ詐欺じゃない」
玉城の顔はすでに埴輪だ。
「ない金を張ったことが客にばれたとなると、あんたはもうギャンブラーとして死んだも同然。そもそもギャンブルの負けを払えないとなると、この店の権利はあたしがいただくけど、文句ないよね」
なんという荒技。いくらなんでもこの程度の店に一兆円はおろか、百億円の現金だって置いてあるわけがない。この店の権利にはもちろん闇金もそれに含まれる。つまりサルが勝てば闇金のオーナーになるわけだから借金は実質チャラだ。玉城も骸骨もサルの従業員になるから逆らえない。っていうか、クビになるだろう。
「あっぱれじゃ」
とつぜん野次馬のひとりが叫んだ。杖をついた着物姿の白髪の老人。しわくちゃだが妙に眼光の鋭いじいさんだ。
「わしは関東武澤組の
どよめきが走る。よく知らんが、偉いやくざらしい。
「わしはこの娘さんがどうやってピンチを切り抜けるつもりか、わくわくしながら見とったが、まさかこんな手を使うとはな。じつにあっぱれ。愛子さんとやら、わしの孫の嫁、つまり将来の四代目姐にならんか?」
「四代目姐ぇえええ?」
サルは驚いて叫んだが、その顔は好奇心で満ちあふれていた。
「いや、こいつまだ十五ですから」
ほっとくと、サルの馬鹿がやくざやってみた~いといい出さないとは限らないから、俺は釘を刺した。
「う~む、そうか、まだ十五か。まあ、考えておいてくれ。一度遊びに来るがいい」
武澤はそういって、サルに名刺を渡した。
「さて、玉城とやら」
武澤は埴輪化した玉城を鋭い眼光でにらみつける。
「愛子さんのいう通りじゃ。負けを払えなければ、店を売れ。当然のことじゃ。この武澤が見届けてやる。不服はないな」
やくざに借りを作るのはどうかとも思うが、この際そんなことはいっていられない。
「いいでしょう」
玉城は顔に生気を取り戻した。けっこう打たれ強いやつだ。
「ただし一兆を貸すには条件があります」
「最初に無条件で貸すっていったくせに」
サルが頬をふくらませる。
「限度ってもんがあるでしょうが。連帯保証人を彼女になってもらう。それが条件です」
玉城は五月を指さした。
「なんですって?」
「驚くことはないでしょう。金額が金額ですからね。保証人がひとりじゃ心許ないじゃないですか。それくらいは常識内の要求だと思いますが、違いますか、武澤の先代?」
「ううむ。まあ、たしかにそうだな」
「ね。先代もそうおっしゃってる。それが一兆円融資の条件です」
玉城は再び悪魔の顔を取り戻した。
「五月さん。わかっていると思いますが、念のために教えてあげましょう。連帯保証人になるということは本人が借金したも同じ。愛子さんを無視して、あなたに借金の返済を迫ることだってできるんですよ」
玉城は露骨に五月を恫喝した。
五月はサルを助けたいだろうが、一兆円の借金を背負う度量はない。五月は全身をかたかたとふるわせた。
無茶だ。いっかいの女子高生が受けられる話じゃない。
だが五月はとんでもないことをいい出した。
「影麻呂。おまえが決めてくれ。おまえが受けろっていうなら、あたしは受ける」
俺に振るんじゃねえ。
そう叫びたかった。サルを助けるには五月の協力が必要だが、それを要求することを俺にやれっていうのか? 負けた場合、五月がどうなるかは目に見える。それこそありとあらゆる方法で、体を使うしかない。それでも一兆円にはほど遠いだろうから、一生玉城の奴隷だ。
「愛子はあたしのために戦ったんだ。あたしが受けなきゃならないのはわかってる。だけど怖いんだ。勇気をくれ。おまえが受けろっていってくれたら勇気が出る」
まるで愛の告白をされているような気分になる。じっさい五月の目はそれくらい真剣だ。
俺はサルを見る。
「勝てるよ」
サルは断言した。その目は嘘はついていない。サルは暴走したときでも、仲間を破滅させるようなまねはしないはずだ。なんだかんだいいながらも、俺は最後のところではサルを信じているらしい。
「五月、受けろ。絶対に勝つ。万が一の場合は、俺が命を賭けてでも守ってやる」
こうなったら万が一の場合は、俺は玉城を殺してでも五月を守らなくてはならない。俺はそう決心していった。
五月はそんな状況にも関わらず、明らかに笑った。いや、ほんの少し唇の端を上げただけだが、とても嬉しそうにすら見える。笑ってる場合じゃないだろう、おまえ?
その後、玉城をきっと睨み、断言する。
「連帯保証人になる」
どいつもこいつも馬鹿ばかり。俺もこの非常時にもかかわらず笑いたくなった。
玉城は化け物でも見るような目で俺たちを見つめる。
「おまえは、……馬鹿か? こんな小娘のなにを信じてるっていうんだ?」
「もちろんあたしの人柄、家柄を含む、全人格をよ」
サルは力強く断言した。
俺はそれを聞いてあんぐりと口を開けた。きっとここにいる誰よりも間抜け面をさらしていることだろう。
「店の権利をこいつに譲るっていう書類作って持ってこい」
玉城は脇に控えていた助手のバニーガールに向かって絶叫する。彼女は逃げるように走って消えた。
サルは骸骨から渡された借金の書類にサインする。五月もそれに続いた。
「さあ、チップ積んで」
「一兆円分のチップはありません」
骸骨の助手のバニーガールが泣きべそをかく。
「あるだけ置いて。気分よ、気分。こんな紙切れ一枚じゃ気分が出ないでしょうが」
みるみるテーブルにはあるだけのチップが山のように積まれていく。それも光煌めくチップが。
「ここまできたら、お互いこれ以上のレイズは無意味だろう。俺がコールしたら賭は終わりでいいな?」
玉城は悪党の本性をむき出しにしていった。
「いいよ」
走って店の権利委託書を持ってきたバニーから玉城はそれを受け取り、内容を確認すると、テーブルにたたきつけた。
「書類を確認しろ。俺が勝ったら、おまえたちは一生払いきれない借金を背負う。俺が負ければ、この店はおまえのもの。借金もチャラだ。いいな?」
「オッケー」
サルは書類に目を通し、承諾した。
「手役をさらせ《ショウダウンだ》」
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