第7章 天才なのか馬鹿なのか、俺にはわからん

 緊張が走る。

 玉城のアップカードは、スペードの9、スペードの10、スペードのK、クラブの8。

 サルのアップカードは、ハートのQ、クラブの2、ダイヤの4、ハートの4だ。

 それに加えて、それぞれふせたホールカードが三枚ずつある。それがなんであるかは、それぞれのプレーヤーしか知らない。


「お先にどうぞ」

 サルがほほえんだ。

「いいだろう」

 玉城は不敵に笑うと、一枚目のホールカードをめくる。


 スペードのQ。


 客席がどよめいた。フラッシュまでスペードのカードあと一枚。

 それどころかロイヤルストレートフラッシュすら可能性がある手だ。俺の手は緊張で汗にまみれている。

「次いくぜ」

 玉城は二枚目のアップカードをめくった。

 五月から悲鳴が上がる。俺も叫びたかった。脚がかくかくと震えはじめた。


 玉城のカードはスペードのJ。


 ストレートフラッシュが完成した。これに勝つにはロイヤルストレートフラッシュか、あるいはジョーカーを含むファイブカードしかない。


 甘かった。

 俺は玉城はいかさまはやっていないと思っていた。資金力にものを言わせて、相手をおろす分には手の善し悪しは関係ない。

 だが、玉城は用心深い男だったらしい。しっかり手も最強のものをそろえてきたようだ。

 つまり、最後のカードはおそらくスペードのAで、ロイヤルストレートフラッシュ。

 いや、それだとサルにジョーカーがわたった場合、万が一にもファイブカードで負ける可能性があるから、ジョーカーか?


 ジョーカーをふくんだロイヤルストレートフラッシュ。それこそがやつのもくろみ。

 だがいったいどうやった?


 伏せてあるホールカードはともかく、アップカードはすり替えようがない。俺が配った時点で表に晒されているのだから。

 いや、おそらく玉城は最初からいかさまをやるつもりはなかった。チップを上げるだけで勝てるはずだったのだから。だから勝負する必要が生じた段階で、アップカードに合わせてホールカードをすり替えたんだろう。

 さいわいにしてこのアップカードなら、ホールカードをすり替えさえすればロイヤルストレートフラッシュも可能だ。みながサルの反撃に興奮している隙にホールカードをすり替えた。


 いや、待てよ。そうすれば玉城のホールカードとデッキに残っているカードが重複する。後でデッキを調べればカードのすり替えがばれる。

 俺は一瞬いかさまを暴くネタを掴んだと思った。

 そもそも、もしそんなことをすれば、最悪、サルのホールカードとすり替えたカードが偶然一致することだってあり得るぞ。そうなれば、この場に同じカードが二枚並ぶことになる。


 ……だめだ。万が一その場合は、いかさまをやったのはサルの方だと主張することもできる。あるいは玉城がいかさまをやったように俺が見せかけたとか。なにせカードを配ったのは俺だ。俺にすり替えの罪を着せるくらい当然してくるだろう。下手にいかさまを指摘すればやぶ蛇になりかねない。

 すり替えを主張するなら、すり替えの現場を押さえない限り水掛け論にしかならないってことだ。

 俺はなんて間抜けだったんだ。


 野次馬たちもサルに期待していたらしく、落胆の声を漏らす。それが耳障りだった。

「ふん、最後のカードはお楽しみってことにしておこう。さあ、君の番だ」


 だが意外なことにサルは絶望しているようには見えない。それどころか口元に笑みすら浮かべているじゃないか?

 いったいどういうことだ?

 サルは無造作に一枚目をめくった。


 スペードの4。


 4のスリーカードが完成した。野次馬たちがまたざわめきだした。

 サルはいたずらっ子のような顔で玉城を見つめると、二枚目をめくった。


 クラブの4。


 カジノ中に異様な歓声がわいた。サルはフォーカード。


「ふわ~っはっははは。やるじゃないか、愛子さん。まさかフォーカードを持ってくるとはね。だけどまだ足りないね。勝つためにはファイブカードにする必要がある。つまりジョーカーが必要不可欠だ。次の一枚で絶望を知るがいいさ」

 玉城は最後のホールカードをめくるといきおいよくテーブルにたたきつけた。


 スペードのA。


 どさっ。

 なにかが倒れる音。見ると、五月が卒倒していた。

 同時に観客から絶望の叫び。

 玉城はファイブカードに次ぐ手、ロイヤルストレートフラッシュだ。

 俺が気を失わなかったのは、違和感がしたからだ。

 なんか変だ?


「え?」

 そんな間抜けな声を上げたのは、勝ち誇るべき玉城だった。玉城はなにが起こったかわからないといった顔で固まっている。

 そうだ。やっぱり俺の思ったとおりだ。玉城は最後のホールカードはジョーカーのつもりだったのだ。それがなぜか入れ替わっている。


「ば、馬鹿な。ま、……まさか?」

 サルは手でピストルを形作り、玉城を撃つ真似をする。

「ば~ん」

 その目は普段の人なつっこいドングリ眼ではなかった。殺し屋を思わせる氷のように冷たい目だ。

 そして最後のカードをめくる。


 当然のようにジョーカー。


 ジョーカーは悪魔の道化師の笑みを、玉城に向けている。

 サルの大逆転。ファイブカードの完成だ。


 割れるような歓声がこだました。

「貴様ぁあ、俺のカードとすり替えやがったな!」

 玉城はサルに向かって絶叫する。


「馬鹿なこといわないでっ。あたしは配られたカード以外は指一本ふれてなんかないよ。どうやってあんたのカードをすり替えたっていうのよ」

 たしかにそうだ。しかしサルは間違いなくすり替えている。いったいどうやった?


「う、ぐ……、それは……」

 玉城には答えられない。サルが自分のカードをすり替えるのならともかく、手を伸ばして玉城のホールカードをすり替えるのはいくらなんでも無理に決まっている。


「じゃあ、これはもらっていくから」

 サルはテーブルに置かれた店の権利書を手にする。

「金貸し。あたしの借金の契約書をお出し。オーナー命令だよ」

 サルは骸骨に命令する。笑みを絶やさなかった笑う骸骨は、はじめて生気を失い、本物の骸骨のようになりながら、契約書を渡した。

「オーナー権限にて削除ぉお!」

 サルはそれをびりびりと破り捨てる。

 会場が驚喜の歓声に包まれる。

 玉城は魂の抜け殻のようになり、崩れ落ちた。そのまま起きあがらない。


「うわあああああん。愛子さん、大好き」

 神無がはしゃぎながらサルにしがみつき、胸にほおずりする。

「ほら、五月ちゃん、いつまで寝てんのよ。勝ったよ」

 サルは神無の頭をなでながら、床に倒れた五月の頬をぱんぱんと叩いた。


「え、え? 勝ったのか? ほんとか?」

「うん。あんなやつ、ちょろいちょろい」

 五月がサルに抱きついた。それから、立ち上がり、涙目になりながら俺に抱きついた。

「う……うえぇええ~ん。影麻呂ぉお」

 こんなときになんだが、泣きながら豊満な胸を押しつける五月にちょっとだけ萌えるぜ。


「はい、ラブシーンはそれまで。みんな、帰るよ」

 サルの一言で、俺たちはエレベーターに向かう。観客たちの拍手が、まるでスタンディングオベーションのようだ。俺たちはその中を通り、エレベーターに乗った。


 ドアが閉まるなり、俺はサルに訪ねる。

「いったいどうやったんだ?」

「いい? 玉城は最初からいかさまをする気はなかった。でもあたしが折れないからひょっとしていかさまが必要かもしれないと感じて、ホールカードをアップカードに合わせてすり替えたのよ。影麻呂が最後のホールカードを配ったときにね。あたしはしっかりその現場を見たの」

 そこまではわかる。しかしそれだけじゃなんの説明にもならない。


「でも、一応最初から保険も考えていたんでしょうね。ジョーカーだけは一番最初に影麻呂に渡す段階で抜き取って袖に隠しておいた。いざとなれば入れ替えられるようにね。まあ、ふつうカジノで使わないジョーカーを入れることを提案してきた時点でそれはわかってたんだけどね」

 なるほど、そうだったのか?


「案の定、玉城は最後のホールカードを袖に隠したジョーカーとすり替えた。いえ、すり替えたつもりだったのよ。じつはその前にジョーカーがべつのカードにすり替えられていたとも知らずにね」

「玉城の隠し持ったカードをすり替えただと? どうやって?」

 あの位置から届くわけがない。


「あたしにすり替えられるわけないでしょうが。すり替えたのは……」

「あたし」

 神無が自分を指さし、さっきまで泣いていた顔に照れ笑いを浮かべる。


「じつは最初カードをあらためたとき、一枚抜いておいたんだよ。その一枚をメモといっしょに神無ちゃんに渡して、玉城の袖口のカードとすり替えるように頼んだの。すり替えたあと、またあたしのところに持ってきた。あとはそれをテーブルにあるあたしのホールカードとすり替えたわけ」

 いや、たしかに観客の目だけ考えれば、テーブルの上のカードをすり替えるよりは楽だろうが、当の玉城が……。


「玉城が袖口のカードをすり替えられて、気づかないはずが……」

「あたしが一兆円の借金を申し出た時点で、玉城は思考停止したのよ。玉城に限らず、誰も神無ちゃんの動きになんて注目してなかった。強がってはいたけどそうとうのプレッシャーがあったはずだよ。案の定、玉城はよけいなことを考えすぎて隙だらけだったし、みんな無限のように上がっていく掛け金に夢中で、誰ひとりそんなこと考えつきもしなかったんだよ」

 サルは一階のボタンを押しながらいった。

「簡単だったわ」

 神無が自慢げにいう。


 なんてこった。あの場の誰もが、常軌を逸したベッドに気をとられ、興奮していた中、サルと神無だけが冷静だった。そもそもあの時点で、勝負はいくら金を積めるかこそが問題であり、カードにはもはや誰も注目していなかった。玉城は玉城で予想外の展開とプレッシャーに集中力を乱され、まさに素人以下だったんだろう。


 さらにいえば、玉城はいかさまでぜったいに勝てるはずだったから、サルがテーブルのホールカードをすり替えるなんて考えもしなかった。いや、正確にいえば、サルがいかさまをやろうと負けるはずがないから油断していたってことだ。

 五月も真っ赤に腫らした目で神無を見つめ、あきれ顔だ。


「最後のジョーカーはともかく、フォーカードができたのは?」

「あれは神の思し召しよ」

 つまり、あそこまでは偶然だったのか? なんて運が強いんだ?

 あきれつつもエレベーターの一階のボタンを押した。

 しばらく動いたあと、エレベーターがいきなり止まった。まだ一階に着いていないはずなのに。


「なんだ?」

 ドアが開く。そこは一階ではなかった。一階とカジノの間に、もうひとつ地下室、いわゆる隠れた階があったらしい。

 そこはテニスコートほどの大きさの部屋で、床も壁も天井もコンクリートの打ちっ放しだった。天井には飾りっ気のないむき出しの蛍光灯がついているだけで、下の階と比べるとあまりにもみすぼらしい限りだ。しかも中には三角木馬だの、磔用の十字架だの、怪しげな拷問道具が並んでいる。だが問題はそんなことではなかった。


 そこには黒いスーツ姿の集団が百人ほど俺たちを睨んでいた。

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