第9章 するめ男の正体とは?

 沈黙が訪れる。サルが橘を指さしたまま、場は凍ったように動かない。

 静寂を破ったのは、当の橘だった。

「な、なにをいってるの? 冗談?」

「冗談なもんですか。あなたが怪人するめ男。浅丘先生をストーキングしたあげく、きょう、先生を襲った犯人よ、橘さん」


 ちょっと待て。なぜこいつなんだ?

 俺は混乱した頭で必死に考えた。

 こいつが犯人だという根拠はなにかあるのか?

 そもそも動機は?

 どう考えても、こいつが犯人だとは思えない。


「ちょっと。悪ふざけなら怒るわよ、夏島さん。みんな唖然としてるわよ。いったいどうしてあたしがそのするめ男とかなんとかなのよ」

 橘は眉をつり上げていう。

「ふふん。完璧だと思ってるみたいね。なにも証拠は残していないと」

 サルがにぃっと意味深な笑みを浮かべる。

 気のせいか、橘の顔色が悪くなったように見える。ほんとにこいつが犯人なのか?


「な、なにをいってるの? 証拠もなにも、あたしは犯人じゃないわ」

「ほうら、動揺してる」

「馬鹿をいわないで」

 たしかに橘の態度は怪しいともいえるが、それだけで犯人扱いはできない。


「いい? なにもいい加減なことをいってるわけじゃないんだからね。するめ男は社会科準備室から出たあと、隣の部屋に逃げ込んだんだのよ。だけどそれからどうやって逃げたと思う? 階段の方には五月ちゃんがいた。本棟のほうからは野次馬が押し寄せてきた。逃げ場なんてないはずだよ」

「そんなの一般生徒に紛れたんでしょうが」

「その通り」

 サルは橘のいったことに激しく同意した。

「つまり、するめ男はあの野次馬の中にいたんだよ」

「な、なによ。だからあたしだっていうの? あのとき、あそこに集まった生徒はたくさんいたわよ。そんな中でどうしてあたしに限定するわけ?」


 いや、サルのいうことには一理ある。するめ男はやはり、野次馬に紛れこんだんだろう。ただ橘のいうとおり、その中から橘と特定するには無理がある。

「第一、犯人は男子生徒でしょう?」

「なにいってんの。女子だってセーラー服の上から学ランを着れば十分に男に化けられるでしょうが。隣の部屋に逃げ込んだあと、学ランを脱ぎ捨てれば問題ないでしょ。そして現に隣の部屋には学ランが脱ぎ捨ててあった。つまりそれこそが犯人は女だっていう証拠でしょうが?」

 橘の顔色はさらに悪くなったように見える。


「か、仮にそうだとしても、それだけじゃ、あたしが犯人だとはいえないわ。あのとき、女生徒だってあたしの他にたくさんいたのよ」

「でも影麻呂と見間違える女子生徒となると限られるよ。長い髪の子は無理だし、背が小さすぎてもだめ。太っていてもだめ。あなたなら髪型も影麻呂に似ているし、背の高さだってほとんど同じ。しかも胸がぺったんこ」

「馬鹿にしないでよ。あんたよりはあるわ」

「そのあるはずの胸がいつも以上にぺったんこなのはなぜ?」

「うっ」

 いや、俺もなんとなくそう思ったが、気のせいじゃなかったのか?


「それはあなたが男に化けるためにさらしを巻いて胸を隠したから。その上に学ランを羽織って先生を襲った。その直後、学ランは脱ぎ捨てたけど、さらしまでは外している暇がなかったんだよ」

「なにを馬鹿な……、きゃああああ」

 橘が途中までいいかけて悲鳴に変わったのは、後ろの席にいた五月が「うりゃあ」といいながら、後ろから橘のセーラー服の中に手を突っ込んだからだ。

「ほんとだ、さらしまいてやがるぜ、こいつ」


 ある意味衝撃的な絵だ。流れるような黒髪の女が後ろからショートカットの女のセーラー服に手を突っ込んで胸を揉んでいる。とても事件解決のための行為には見えないぞ。

 はっきりいって百合百合だぁあああ。

 それにしてもサルのやつ、胸の大きさを内心比べてたんだろうな。勝ってるとか負けてるとか。だから橘の胸が小さくなったことを自信を持って断言した。そう思うとちょっと悲しいぞ。


「ほうら、動かぬ証拠だよ」

 サルはそういって、大はしゃぎする。

「冗談じゃないわ。そんなのあたしの勝手でしょうが。さらし巻いてるからって犯人扱いされちゃ、たまったもんじゃないわ」

「そこまでいうなら、もっと確実な証拠を出そうじゃないの」

 サルは意地悪く笑う。


「な、なによ」

 橘はもう動揺を隠せない。

「その証拠ならあんたの顔にはっきりついてる。鏡を見る暇がなかったようね」

「なんですって?」

「いつからあんた唇の下にほくろができたの?」

 サルの一言に、橘はぽかんとした顔をする。

「なんですって?」

 そういえば、俺もなんとなくそう思ったが、前からあったのが気づかないだけかと思っていた。しかしそれにいったいなんの意味が?

「血痕だよ、それ」

「な?」

 橘は顔を真っ青にし、反射的に口を手で隠す。

「あの部屋に入らなかったはずのあなたにどうして血痕がつくの?」

「そ、そんなものがどこについてるっていうのよ」

 橘は必死で口のまわりをぬぐったあと、いった。

「あのぅ、ついてるところビデオに撮っちゃったんだけど」

 前にいたこずえがビデオを構えながら遠慮がちにいう。

「ぎゃっ」

 橘が叫んだ。五月が後ろから橘の腕をねじ上げたのだ。

「顔から消えても、ぬぐった手についてるぜ、血がな。こずえ、ちゃんと撮っとけよ」

「了解~っ」

 橘のねじ上げられた手にレンズが寄る。五月はハンカチを取り出し、それで血痕をぬぐった。

「これを警察に突き出して、DNA鑑定すれば動かぬ証拠だぜ」

 お世辞にも本格ミステリー小説のように、論理的かつスマートな解決とはいい難いが、動かぬ証拠が出た以上決まりだ。もっともそれがじつは血痕ではなく、チョコレートとかだったら脱力ものだが。


 しかし橘はやはり身に覚えがあるらしく、観念した様子だ。

「ちきしょう」

 そう叫び、五月を睨むその姿は、いつもの優等生のイメージはもやはない。

「し、しかし、いったいなぜ彼女が?」

 教頭は納得できない顔でサルに聞く。俺の時とはえらい違いだなと皮肉のひとつでもいいたくなるような態度で。

「決まってるでしょ? 彼女はレズビアンなのよ。浅丘先生に恋心を抱いてたけど、打ち明けられずにストーカーに走ったの。ところが盗聴を見破られて逆ギレしたんだよ」

 サルは自信満々に断言したが、う~む、説得力があるんだか、ないんだか。


「げっ、こいつレズなのか? レズの胸揉んじゃったぜ」

 五月が間抜けな声を出す。その瞬間、橘は五月の腕を振り払い、飛び出した。

 そのまま視聴覚室から駆け出る。

 俺は反射的に追った。

「追うことないよ、影麻呂。疑いは晴れたんだし」

 後ろからサルの声が聞こえたが無視した。

 俺の頭に、ある種の疑惑がわき起こったからだ。

 こいつの動機はほんとにサルがいったとおりなのか?

 それとも、ひょっとしたら……。

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