第7章 王女様、初登校する

 俺とサルは朝一番で暁学園高校の正門前に立っていた。

 きのうはあれから、けたたましい笑い声が夜中になっても半分眠っていた俺の頭に響いたから、サルは夜更かししてマンガを読みふけっていたに違いない。もっともだからといって、サルがいま寝不足でぼ~うっとしているかというとそんなことはない。目はらんらんと燃えさかっている。まあ、夢にまで見た日本での学園生活が始まるのだから無理もない。


「ねえねえ、見てよ。まさに日本の学校って感じじゃない?」

 サルは拳を握りしめていう。校門を一歩くぐると、異常なまでにハイになる。


「ほうら、あの四階建ての校舎。マンガに描いてあるとおりだよ。それにあの大きな体育館。あ、プールがある。プールよ、プール」


 そのうち飛びはねだした。まあ、王国の学校は平屋建てが普通だし、すぐ近くに海があるため、学校にプールがあることはほとんどない。そもそもサルは宮殿で少数の選ばれたエリートたちと席を並べて勉強することはあっても、一般の学校になど行ったことがない。


「ああ、きょうからここで、あたしは憧れの大和撫子として生活するわけだよ」

 サルは満足げに断言した。たしか大和撫子というのは、清楚で美しい日本女性のことをほめたたえた言葉だったような気がしたが、俺の記憶違いか?

 国籍以前に、サルがそんなものになれるわけがない。


「それにしてもたくさん生徒がいるよねぇ。これだけ同じ格好をした人間が群れるのは圧巻だよ」

 好奇心丸出しの顔で、あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろするさまは、きのうの新宿となんら変わらない。


「おい、いくぞ。あんまり変な行動を取るな。思いっきり怪しまれる」

「ふ~んだ。相変わらずなにが楽しくて生きているのかわからない男ね。あたしたちは転校生なんだからきょろきょろしたってべつに不思議じゃないよ」

「限度ってもんがある」


 サルの行動はどう見ても学校というものに初めて来た人間のものとしか思えない。そもそも転校生というのはもっと不安そうにしているもんだ。


「とにかく行くぞ、サル」

 そういった瞬間、サルは飛び上がって俺の脳天を引っぱたいた。


「ここじゃ、本名言っちゃだめじゃないのよ。あたしは夏島愛子なつしまあいこ。日本語でしゃべるときは必ずそう呼んでよね」

 サルは下唇をつきだしてそういった。


 それにしても条件のあった戸籍を闇で買ったら、たまたまそういう名前になったわけだが、どうしてこいつは愛子なんていう可愛い名前で、俺は影麻呂なんていう変な名前なんだ? サルなんかは俺の日本名を聞いた瞬間、「軟弱なお公家さんみたい」といって、死ぬほど笑った。逆に愛子という名前はかなり気に入ってるらしい。ユマからこの名前を聞かされたときなんか、俺に十回も愛子と呼ばせ、「愛ちゃん感激いぃ~っ」とかいいながら、浮かれ踊っていたからな。


「もしサルって呼んでるのが誰かに聞かれて、あたしに猿女なんていうあだ名が付いたら、あんたのせいだからね」


 そっちかよ。たしかにうっかりサルと呼んで、身分がばれるのはまずいなと、俺は内心反省していたのだが。

 とにかくあっちにふらふら、こっちにふらふらしそうになるサルを引っぱって、俺は職員室まで行った。その途中、「ひょえええ」とか「のわああ」とかわけのわからない感嘆の声がサルから上がったが無視した。


「失礼します」

 俺は職員室に入ると、浅丘あさおかすみれという先生を探した。その先生が担任になるから朝一でたずねろとユマからいわれていたからだ。


 近くにいた教師にたずね、指差された机にいたのはまだ二十代前半と思われる女の先生だった。肩までの柔らかそうな髪を内巻きにし、ベージュの上品なスーツが似合う優しそうな教師。うまくいえないが、全身から「のほほん」とか「ぽよよん」とかいう雰囲気を発しているように見える。すごいグラマラスな体をしているのに、妙に幼い感じがする。それは顔のせいかもしれない。顔ははっきりいって童顔で、美人というよりも可愛らしい。

 邪気のまったくなさそうな大きな目と、触ると赤ちゃんのようにぷよぷよしてそうな白い肌が印象的だ。


「転校生の綾小路と夏島ですけど」

 俺がそういうと、浅丘先生は子供のような可愛らしい口をあんぐり開けた。


「あらあら、そういえばきょうだったかしら? すっかり忘れていたわ、ごめんなさい」


 そういうと、てへって感じで舌を出し、自分で頭をぽかぽかと叩く。

 そんなことをわざわざ白状しなければ、誰も気づかないだろうに。俺はそう思いながら、浅丘先生を眺めていた。


「な~んちゃってね。えへん、だいじょうぶよ、まかせて」

 立ち上がるとそういいながら胸を叩いた。


 なにがだいじょうぶなんだ? そう思ったが、まあそれは俺の胸のうちにしまっておいた。


「じゃあ、付いてきなさい」

 無理に威厳を保とうとしているのがみえみえの顔でそういうと、浅丘先生はすたすたと職員室を出て行った。俺は無言でついていくが、サルは隣で笑いをこらえるのに必死のようだ。


「ねえねえ、面白いというか、可愛い先生だね。ちょっと頼りないけど」


 サルは俺の耳元でつぶやいているつもりだろうが、けっこう声でかい。しっかり聞こえているぞ、本人にも。その証拠に浅丘先生動揺して歩き方がふらついてる。


 俺たちは一年A組の前にたどり着いた。

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