第4話 白き鎧

「俺は、あれを破壊する」

「それも、《黒》のみならず、《白》の方もだ」――。


 国王の執務室で、ヴァイハルトは声をなくして、目の前の青年王を凝視していた。

 この王は、いま確かにそう言った。

 いまだに自分の耳が信じられない思いでいながら、ヴァイハルトは力任せに両の拳を握り締めてその場に立ち尽くしていた。


 《白き鎧》を破壊する。

 それはすなわち、かの北の大国、フロイタールを攻めるということに他ならない。

 それもあの、両国を長年にわたって隔ててきた、過酷な「赤い砂漠」を越えてだ。

 それはつまり、先王ナターナエル公がとりやめていた、北への侵攻を再開させることを意味する。兵馬は勿論、その命を支えるための糧秣その他、そこにどれほどの国力を注がねばならないことか。

 そもそもこの国の歴史上、フロイタール側からこちらへ攻め込んできたという記録は殆どない。戦端を開くのは大概こちら、ノエリオール側からが殆どであり、その理由は、勿論領土の拡大であったり、かの国の物資、食料、人材、また鉱山などの割譲を望んだがためのことらしかった。

 しかし、先王ナターナエルはそうした国力の浪費を避けて、今は内政に力を入れるべしという方針をずっと貫かれてきた。

 とかく、戦争には金がかかる。勿論、貴重な人命も大量に費やすことになろう。

 よほどの覚悟と勝算がなければ、決して戦端など開くべきではないところだ。


(しかも、その目的が――)


 掠れた声で、ヴァイハルトはもう一度、その言葉を繰り返した。

「《白き鎧》の、破壊……とは」


 《白き鎧》は、ここしばらくの喧伝によれば、わが国の《黒き鎧》と同様にして、かの北の王国、フロイタールに存在する《鎧》であろう。かの国においても、どうやらそれは珍重され、崇められ、その王国の歴史上、その王族によってずっと秘密裏に守られてきたものであるらしい。


(それをも、破壊するだと……?)


 ヴァイハルトの驚愕の表情をちらりと見やって、サーティークはまた言葉を続けた。

「北から彷徨い流れてきた者どもの言によれば、北はわが国以上に《鎧》信奉の気風が強い。そのような無知蒙昧の国をのさばらしておいたのでは、いつまでたってもこの地に真っ当なまつりごとなど行なえんわ」

 青年王のぎらつく瞳には、「譲歩」の二文字など一切なかった。

「お前も、今回のことで分かったであろう。やつらのその『妄信』が、今後どんな禍根を招くことになるか、知れたものではない。先手を打つに如くはなし、だ」


 サーティークの弁は、こうだった。

 ここに至る数十年もの期間、先王ナターナエルの考えで、これまであの「赤い砂漠」を渡って北のフロイタール王国から命からがら逃亡してきた人々から、ノエリオール王家は慎重に、かの国の《鎧》に関する情報を集め続けてきていたのだという。その方針と情報は、息子サーティークにもしっかりと受け継がれていた。

 それによると、北の王国フロイタールでも、《鎧》と《鎧の稀人まれびと》の伝説は人々の間に語り伝えられている。ノエリオール同様、一般の民はそれを、やはり単なる御伽噺だと考えているらしい。

 しかし、ナターナエルの前の王、つまりサーティークの祖父の代までに何度かあちらの国に侵攻した際、捕らえられた虜囚の中に、それとは異なる事実を知る者が数名いたのだ。それは王家により近い高級文官や将軍職の武官らだった。

 彼らの語る内容は、「単なる御伽噺」のそれとは相当異なっていたのである。


 やはり北のフロイタールでも、その《白き鎧》は実在する。

 そして南のノエリオール同様、国王はその《稀人》として、年に一度の《儀式》に臨んでいるらしい。

 北と南の、このあまりにもよく似た符牒ふちょうの正体が何であるのか、それはいまだに謎である。この地の二つの王国が、そも、どうやって発祥したのかをつぶさに調べなければ分からないことなのかもしれなかった。そしてその謎の多くは、恐らくかの《鎧》こそが知っているのではないか。

 だからこそ、サーティークは優秀な文官らを組織して、「《鎧》古代文書調査班」を作り、ここしばらくは、その研究に当たらせても来たのである。

 その目的は、はっきりしている。

 それらの調査から分かりかけてきた《鎧》の正体を事実としてまとめあげ、かの「《鎧》信仰者」らの顔に叩きつけて、その愚かな妄信を取り除くために他ならなかった。


 ……しかし。

「それはいかにも、遅きに失した」

 サーティークのその言葉は、あまりにも多くの苦いものを含んでいた。

 今回、このような最悪の事態を招いたのも、自分の決断の遅れがすべての原因だったと、この青年王ははっきりと自分を責めていた。

 サーティークはそこまで語って、しばし重苦しく沈黙した。

 ヴァイハルトもなんとも言えずに、ただ視線を床に落とした。


 やがてぽつりと、青年王は口を開いた。

「この地に《鎧》など要らん。父上もそのようにお考えだった。ことに、ムネユキが――」

 言いかけて、ふと黙る。

 奇妙なものを覚えて、ヴァイハルトが目を上げると、サーティークは少し、口許に手を当てて考え込む様子だった。


(『ムネユキ』……?)


 あまり耳慣れないその単語に、ヴァイハルトは首を捻った。

「かの方も、いわばその犠牲者だ……」

 青年王はごく低い声で、口の中だけでそう呟いたようだったが、その時のヴァイハルトには意味はよく分からなかった。

 と、サーティークが出し抜けにくるりと踵を返し、執務机の上から羊皮紙をつまみあげてまたこちらへ戻ってきた。それをばしりとヴァイハルトの胸に叩きつける。

「ともかくも。今日呼んだは、これが理由だ。持って行け」

「……は?」

 戸惑いながらも受け取って見れば、それは人事の通達書のようだった。

 文書の末尾に、王家の紋章が黒々と捺されている。

「…………」

 しばしその文書に目を走らせていたヴァイハルトだったが、次第にその目が見開かれた。

 何度読み返してみても、そこには同じ文言もんごんが並んでいた。


『万騎長ヴァイハルトを、本日付けをもって天騎長に任命する』――。


「い、いえっ……、これは……!」

 思わず、声を上げていた。


 冗談ではない。

 天騎長といえば、将軍職のすぐ下の位階である。しかも、今の万騎長からさらに二階級も上ではないか。こんな若造の自分などが拝命するには、あまりといえばあまりの重責だ。いや恐らく、数百年を数えるこの王国の歴史にあっても、前代未聞の人事であろう。


 しかし、ヴァイハルトが慌てて顔を上げたところを、唇のあたりに人差し指をびしりと向けられ、即座に青年王に黙らされた。

「貴様、さっきからおかしいぞ」

「……は?」

「その言葉遣いだ。なんとかしろ」

 目を白黒させているヴァイハルトにはお構いなしに、サーティークは腕組みをして眉間に皺を寄せ、面前に仁王立ちになっている。

「先日の勢いはどうしたのだ? 人を『貴様』呼ばわりしたうえ殴り倒した、あの威勢のいい『兄上殿』は、今日は何処いずこわすのだ?」

 小馬鹿にしたようなそんな台詞を、まるで舌の上で遊ばせるかのような物言いだった。

「あ、いや……あれは」

 ヴァイハルトは言葉を失う。


 レオノーラを奪われた、その怒りの余りの、単なる勢いに過ぎないことを。

 この王は今更、糾弾しようというのだろうか……? 

 いや、その表情と台詞からいって、

 言われているのはその真逆のことのようでもあるが――。


「か、……過日は」

 混乱しつつも、ヴァイハルトは謝罪の言葉を口にした。

「誠に、申し訳もなきことを――」

 が、目の前の青年王は簡単にそれを一蹴した。

「ごちゃごちゃやかましいぞ」

 そして面倒臭げに、半眼になってヴァイハルトを睨み据えた。

「二人きりの時は、あれで構わん」

 そしてまた、びしりと鼻先に人さし指を突きつけられた。

「いいな。しかと言い置いたぞ」


 そうしてサーティークは、まだ呆然としているヴァイハルトの胸にその羊皮紙を押し付けるようにして、自分の執務室からあっさり追い出したのだった。



                 ◇



 そして、数ヵ月後。

 あの悲惨な事件以来、ずっと病の床に臥せっていた父エグモントと母アデーレが、遂にレオノーラのいる場所へと旅立った。


 兄二人の悲しみは深かったが、ずっとその病床の傍に居続けたヴァイハルトは、最後はやっと愛する娘のもとへいけると微笑んだ優しい父と母の顔を見て、なにか心の荷が下りたような気持ちがしていた。

 二人の葬儀はごくしめやかに行なわれ、長兄クラウディオが家督を継いで当主となった。家族だけでの葬儀だったが、青年王サーティークと宮宰マグナウトは、お忍びの形をとって、そこに参列してくれた。

 心優しくも聡明な次兄ディートハルトは、残された末弟ヴァイハルトのことをまた心配していたようだったが、その葬儀の場での王とのやりとりを見て、やや安心したようだった。そして、今や王からの直々の要請を受けて、嫌々ながらも天騎長を拝命し、王宮でかの青年王の傍に仕えることになった弟を、非常に誇らしく思ってくれている様子だった。


 そうして、更に数ヵ月後。

 あの「冬至の日」、すなわち北のフロイタールにおいての「夏至の日」が、あっという間にやってきたのだ。

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