第3話 夜会
それから、
その夜会は、春先のノエリオール宮、大広間で、
ヴァイハルトは伯父の命を受けて、下級武官としての正装をして自分の屋敷へレオノーラを迎えに行き、彼女と共に小さめの箱馬車に乗って王宮へと再び戻った。
レオノーラは、母アデーレが慌てて
「レオノーラ。手と足は、交互に出さないと危ないからね?」
そんな事をわざわざ注意してやらねばならないほどに、彼女は舞い上がっていて、早くも顔を真っ赤に染めていた。
「はっ、はははい、ヴァイハルト兄さま――」
「……おっと」
王城の城門前で、言ったそばから転倒しそうになった妹の腕を、ヴァイハルトはすんでのところで捕まえた。仕方なく、そのまま自分の腕を握らせて、淑女をエスコートするようにして王宮の建物へと続く石畳の広場を歩いていった。
(……それにしても、父上も、母上も――。)
ちらりと、屋敷を出てくる前のことを思い出して、ヴァイハルトは溜め息をついた。
父と母は、伯父からこの話を聞いた時、もちろん喜んだようだったが、我が娘がかの王太子の目に留まるなどとは、露ほども考えていないらしかった。
かれらにとっては大事な一人娘なのだから、親の情として彼女を可愛いと思い、愛しているのは当然のことであろう。しかしあの両親は、そうは言っても客観的に見た場合に、まさかこの痩せた胸の薄い粗忽者の娘が王太子妃になるなどとは、夢のまた夢と思って疑いもしなかったらしい。
母アデーレが彼女のドレスを新調したのも、別にそれをあてこんでのことではなく、単純に「せっかくのいい機会なのだから、新しいドレスでも作ってやりましょう」という程度のことらしかった。そして実際、彼女の髪飾りだの正装用の短靴だのをあれこれと、侍女たちと共にさも楽しげに選んでやっていたものだった。
(そこまでというのも、いかがなものか――。)
さすがにヴァイハルト自身は、胸にとある秘密の
まことにもっておおらかというのか
◇
「おお、ようやく来たか! 遅いぞヴァイハルト!」
と、王宮側から野太い声がして、やはり武官の正装姿をした伯父、ザルツニコフが、大股にこちらへやって来た。二人はそのまま、大柄な伯父に背中を押されんばかりにして、舞踏の宴のために花や薄絹で飾り付けられた王宮の大広間へと連れて行かれた。
「とうに始まっておるぞ! 殿下はこちらだ」
そしてもう有無を言わさずに、集まった来賓たちを幅広の肩でぐいぐいと押しのけるようにして、広間の上座の方へと引っ張っていかれた。
もう夕方の刻限だったが、大広間は多くの灯火と燭台でふんだんに照らされて、まるで真昼のような明るさだった。広間の隅では王宮付きの弦楽団が、様々の形や大きさの弦楽器をあやつって舞踏のための楽曲を奏でている。広間の中は、着飾った紳士淑女が所狭しと立っていた。
非常な広さのその空間のどちらを見ても、ありとあらゆるタイプの美少女たちが、親や親戚であるらしい貴族たちに伴われ、これ以上ないほどにめかしこんで、長いドレスの裾を引きずりながら、ひしめくように立っている。
彼女たちは、その麗しい顔の前でゆらゆらと飾り扇を打ち振りつつ周囲を眺め、その陰でくすくすと密やかに、また楽しげに親や友人たちと談笑していた。その中には明らかに、ヴァイハルトの連れている、ひどく貧相な体つきの少女を嘲り見る視線もあるようだった。
ヴァイハルトは殆ど本能的にそれを嗅ぎ取り、ぴりっと不快なものを胸に覚えた。しかし、素早くそちらを見やっても、もうその時には、いったい誰がこちらを見ていたのかは皆目わからなくなっていた。
(……気分が悪いな。)
こんな場所からは、この素直で純粋な妹は、なるべく早く連れ出してしまいたくなる。どう考えても、このような場所、素朴でそそっかしいばかりのこの妹の居るところではない気がした。
それと共に、何か自分に対しても熱く纏わりつくような視線を感じて、ヴァイハルトは更に不愉快な気持ちになる。自分と妹が一緒にいることのどこが、この少女たちにとってそんなにも可笑しいというのだろう。
「なんだ。もうその年で、えらいもてようではないか? ヴァイハルト」
面白げな伯父の声音が脇から聞こえて、ヴァイハルトははっと目を上げた。
「……は?」
怪訝な顔で聞き返すと、伯父はちょっと肩を揺すって含み笑った。
「なんだ、気付いておらんのか? 『我こそは殿下に見初められん』と集まった娘らであるにもかかわらず、そなたもどうやら、彼女らの羨望の的であるようだぞ?」
言って、ザルツニコフはくいっとその頑丈な顎をしゃくり、少し離れた所に立っている着飾った少女らの一団を指し示した。思わずそちらに目をやると、彼女らは小さく「きゃあっ」と声を立てて、扇で顔を隠す風情だった。
「……ご冗談でしょう」
ヴァイハルトはちょっと顔を顰めると、伯父のそんな言葉にはまったく取り合わないで、さりげなく王太子殿下の姿を探した。
実際、そんな話はどうでもよかった。
とにかく、さっさと王太子に紹介してもらい、ひと言、ふた言、妹と話をしていただいたら、すぐにも失礼させて頂こう。その時のヴァイハルトはもう、そんなことしか考えてはいなかった。
◇
「おお、殿下。こちらにございましたか」
伯父のザルツニコフが、貴族の男女やその娘たちに埋もれるようにして囲まれている王太子の姿を見つけたのは、それから四半刻ほどしてからだった。
王太子サーティークは、さすがに不快げな顔まではしていなかったものの、こういった「舞踏の宴」にはなんの興味もないらしく、ひどく退屈そうな様子で人々からの挨拶に儀礼的に応えていた。一見して、彼が特段、自分の妃を決めるというこの一連の「合同お見合い」について何ら期待もしていなければ喜びも覚えていないのは明白だった。
ザルツニコフに名を呼ばれてこちらを向いたその黒い目も、非常につまらなさそうに見えたが、相手が伯父であることが分かると、少し光を取り戻したようだった。
「おお、ザルツニコフか」
声に多少の喜色が混ざったところをみると、この王子は伯父のことを、なかなか気に入ってくれているらしかった。
「だが、なぜそなたがこんな所に?」
「確か娘はいなかったはずだが」と、ちょっと首を傾げている。
近くに寄って見てみると、彼はヴァイハルトより二つ年下のはずだったが、身長差はさほどではなく、ヴァイハルトよりも少し低いかという程度の、長身の少年だった。遠目にも聡明さは輝くように思われたが、近くで見るとより一層それが際立つようだった。精悍でありながらも目鼻立ちの整った、ごく端正な顔立ちをなさっている。
「殿下。こちらがわたくしの甥のヴァイハルト、そしてその妹のレオノーラでございまして――」
伯父の紹介を受けて、ヴァイハルトは一歩前へ出た。きりりと武官としての一礼をする。
「ヴァイハルトと申します。王太子殿下には、ご機嫌うるわしく――」
「ああ、話は聞いている」
サーティークは軽く言って片手を上げ、ちょっと頷いただけだった。
「そなたがザルツニコフの自慢の甥っ子か」
「……は」
なにやらその口ぶりからは、この王宮で自分の噂が既にそれなりに広まっているような感じを受けた。
ほかでもない、この王太子殿下の耳に入るほど、一体この王宮で自分の何がそこまで囁かれているというのだろう。
ちょっと奇妙な気分になりつつも、ヴァイハルトは改めて、王太子に妹を紹介しようとした。
しかし。
(……おや?)
きょろきょろと周囲を見回す。当の妹が、隣に立っていなかったのだ。
と、面前に立っていたサーティークが少し変な顔になって、自分の背後に目をとめているのに気がついた。案の定、妹は自分の背後にすっかり隠れていたようだった。
「これ、レオノーラも挨拶せんか」
気付いたザルツニコフがそう言って、妹の背中を押し、ぐいと無理やりサーティークの前に立たせた。しかし、サーティークがそれでもやっぱり、奇妙な顔をして妹の顔を見つめていることに、ヴァイハルトは思わずむっとした。
(……なんなんだ。)
いや、まあそれも無理はなかった。
何しろ妹の顔といったら、これまでヴァイハルトが見た中でも最高級に、本当に耳まで真っ赤に染まっていたのだから。
「…………」
自分を見つめ、妙な顔をして沈黙してしまったサーティークを前に、レオノーラはますます萎縮したようになって、完全にその場に固まってしまった。見れば、もうがくがくと足が震え、長いスカートの脇で握り締めた拳は血の気がなくなり、真っ白になっているほどだった。
と見る間にも、レオノーラの小柄な体は、つつつ、と再びヴァイハルトの背後に隠れてゆく。
仕方なく、ヴァイハルトは自ら彼女の紹介をした。
「妹の、レオノーラです。確か、殿下と同い年だったかと」
そしてさりげなく片手を後ろに回して、妹の腕を励ますように軽く叩いた。
「レ……レレ、レオノーラ、です……。よろしく……」
そうしてやっと、蚊の鳴くような小さな声が、自分の背後から聞こえてきた。
それが、王太子サーティークと、妹レオノーラとの出逢いだった。
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