第3話 仇敵

 「四、五日たったら登城しろ」

 別れ際、サーティークはひと言、ヴァイハルトにそう言った。

 巨大な石壁に囲まれた王都クロイツナフトに入る、石造りの大門の前である。

 青年王は、腫れあがった顔を隠すため、今は黒いマントのフードを深く被っている。

 愛馬に跨って速歩はやあしに駆け去ってゆくその後ろ姿を、ヴァイハルトはただ呆然と見送った。


 空はすっかり、「夜の色」だ。

 とはいえ、まだまだ夏のこの時期、この辺りは白夜を少し抜けたばかりのため、夜とは言っても周囲は夕刻の色のままである。二人が大門を入った直後、門番の衛兵が数名がかりで、大門を閉じる巨大な木枠の門をおろした。門扉が軋み、轟音が鳴り響く。

 ヴァイハルトは背中でその音を聞きながら、自分もおもむろに白嵐の腹にかかとをあてた。


 あのあと、サーティークは特に何も言わず、ヴァイハルトがようやく嗚咽をおさめたのを見計らって、何事も無かったかのように馬に乗った。そうして、無言のままにここまで帰ってきたのだった。

 他ならぬこの国の王を何度も罵倒し、あそこまで思うさま殴り続けたというのに。

 そんな、義理の兄でもある臣下の自分を、彼はひと言も咎めなかった。それどころか、むしろ何故だか「清々した」とでも言わんばかりの顔をしているようにさえ思われた。

 ヴァイハルトの方でも、別にわざわざ彼に対して「お咎めは」などとは訊かなかった。自分のしたことに、微塵の後悔もなかったからだ。

 咎めたければ、咎めればいい。死罪だろうがなんだろうが、言い渡されればどんなことでも、甘んじて受けるつもりでいた。ただ、罪の無い家族にだけは、類の及ばないことを願ったけれども。


 やや暗さを取り戻しつつある夜空を見上げてひとつ溜め息をつくと、ヴァイハルトは石畳に蹄の音をたてながら、自分の屋敷に戻ったのだった。



               ◇



 夜になってようやく帰城した青年王を見て、家臣で驚かぬ者はなかった。

 その片側を赤や青紫色に盛大に腫らし、乾いた血をこびりつかせたまま、「それがどうした」と言わんばかりの顔でぐいぐいと王宮の廊下を行くサーティークを、臣下たちも召し使いらも、ただもう呆然と、恐ろしげな瞳で見送っていた。


 王の執務室に呼ばれてやってきたマグナウトは、ここしばらくの過酷な事件と道行きで、相当その老体に無理をしたらしく、やや疲れた風情だった。

 老人は、執務机の向こうに座ったサーティークの顔を見るなり、しばし言葉を失った。この、常に冷静沈着で豪胆な老人でも、まだ驚くことはあるらしい。

「……若。そのお顔は――」

 ここに至るまで、臣下も召し使いらも恐ろしさのあまりに誰も尋ねることの出来なかったそのことを、この老人はさすがにさらりと口にした。

 が、サーティークはしれっとした顔だった。

「何だ? 俺の顔がどうかしたのか」

 そんな事を言いながらも、召し使いの少年がその脇に立ち、冷水の入った器に何度も布を浸しては、震える手で恐る恐るその顔にあてがって冷やしているのだった。

 それでもサーティークは、別段何事もないかのように、普段どおり目の前の書類の束に目を通しているだけだった。

 マグナウトは、呆れたようにちょっと苦笑した。

「……いえ。何でもござりませぬ」

 そして少し、サーティークの表情を窺い見るような目をしてから、ごく僅かだったけれども、何か安堵したような風情が見えた。

 やがてそっと青年王に近づくと、老人は声を低めてひと言、嬉しげに囁いた。

「よろしゅうござりましたな、若」

 サーティークが片眉を上げて変な顔になる。

「何の話だ、爺」

 マグナウトは、ただにっこりと微笑んだ。

「いえいえ。余計なことにござりまするな――」

 そう言って、この小柄な老人は、あとはにこにこ笑っているだけだった。


 それから、人事の件について青年王からとある相談をうけ、一も二もなくうけがって、宮宰マグナウトはまた嬉しげに微笑みながら、とことこと執務室から出て行ったのだった。



               ◇



 そして、五日後。

 ヴァイハルトは言われた通り、武官としての正装をして王宮に伺候した。

 相も変わらず、「《鎧》信仰者狩り」とでも言うべき作戦は続行中で、王城に向かう道すがらにも、例の檻馬車ががらがらと不快な車輪の音をたてて、騎乗したヴァイハルトを追い越して行った。

 城の門のところでも、王宮の入り口でも、さほどの説明もしないうちに、あっさりとヴァイハルトは中へ通された。どうやら入り口を護る衛兵らは、事前に「こいつが来たらすぐ通せ」と、相当厳しく言い渡されていたらしかった。

 迎えに出てきた王付きの文官が、ヴァイハルトの顔を見るなり「どうぞこちらへ」と言って踵を返し、先日の謁見の間を通り抜け、更に王宮の奥へと進んでゆく。


「あ……申し訳ない。どちらまで」

 と、一応尋ねてみたのだが、前を歩く中年の文官は、足も止めずにちょっと後ろを振り返って目礼してきただけだった。面食らっているうちに、気がつけばあれよあれよと思う間にも、ヴァイハルトは王の執務室の前へ連れて来られてしまっていた。


(……どういうつもりだ。)


 これはどう考えても、罪に問うために呼び立てた臣下への扱いではない。奇妙な思いに捉われながらも、ヴァイハルトは姿勢を正すと、扉の前から中に向かって一声かけた。

「万騎長ヴァイハルト、参りました」

「来たか。入れ」

 即座にいらえがあって、中へ入る。すぐさま、相手に向かって礼をした。

「陛下。この度は、忌引きに引き続いて長すぎる休暇を頂き、まことに申し訳ございませんでした。過分のご温情、心より感謝申し上げます」

 彼に会ったら真っ先に言おうと準備していた台詞を、顔を上げないまますらすらと澱みなく述べあげる。勿論、べつに真情はこもっていない。

 と、周囲に居た補佐の文官や武官、侍従たちが、ヴァイハルトの脇を抜けて、ささっと素早く退室していった。王が人払いをしたらしかった。


「顔を上げろ、ヴァイハルト」

 静かに面前から声が掛かって、ヴァイハルトは目を上げた。

 青年王は、自分の執務机の向こうで、窓外を眺めるようにして座っていた。先日は相当に腫れていた左頬も、今ではほぼ元通りになっているようだ。ただ、激しく切れていた唇と瞼の脇にできた傷は、まだ生々しく残っていた。

 サーティークは、ふいとこちらを見てほんの僅か片頬を上げた。それは、ヴァイハルトがそれらのことを素早く観察しているのに十分気付いている顔だった。

「死罪の宣告でもされると思ったか?」

 相変わらず顔色は冴えず、頬がそげて目ばかりが炯炯けいけいとした相貌である。ヴァイハルトはちょっと黙って、あまり表情の読めない青年王の顔を見返した。

「……いえ。ですが、お望みとあらば、いかようにも」

 腰を折って、軽く頭を下げる。ふん、とサーティークが鼻を鳴らした。

「『どうにでもしろ』か? 格好を付けすぎじゃないのか、貴様」

 いちいちかんに障る言い方だ。ヴァイハルトは眉間に皺を寄せたが、黙っていた。サーティークは机の上で両手を組み合わせ、それを口許に当てている。

「妹を死なせた上に、その兄を死罪に処せよとでも? 俺を鬼畜に堕とすつもりか」

「…………」

 ヴァイハルトは口をへの字に曲げた。サーティークが目をすうっと細める。

「勘弁しろ。そんなに妹御を泣かせたいか」

 サーティークの言いようは、もはや吐き捨てるかのようだった。そうしてすっと立ち上がり、二、三歩、こちらに近づいて来る。

「万が一にもそんな真似をしてみろ。俺もお前も、であれに泣かれるは必定だぞ、『兄上殿』」

 言いながら、びしりと胸の辺りを指差された。「あちら」というのは、つまりはこの世の「此岸」に対する、向こうの世界を指すのだろう。

「…………」

 ヴァイハルトはやっぱり、厳しい眼差しで青年王を睨みかえしているだけだった。

「叩き潰すのは、かのにっくき《鎧》の信奉者どもだけで十分だ」

 その単語だけが何か、怨念を纏ったかのような凄みをもって発音された。

 言葉そのものが、まるで目の前で火花を散らすようだった。


(《鎧》……。)


 ヴァイハルトは、ふと視線を彷徨わせた。

 あの妹が、その中で短い命を終えるに至ったという、《黒き鎧》。

 ここしばらくの王家発信の喧伝により、おぼろげながらこの国の人々にも、それが一体なんであって、どんなし方であり、またどんな働きを持つものなのかが明らかになりつつある。サーティークは出来うる限り、ここまでに分かった《鎧》の本質について、民と臣下たちに対して開示し続けていた。

 そしてなおかつ、その不要性と、いかにそれがこの国にとっての「お荷物」であるのかを、王都はもちろん、各地方都市に向けて丁寧な書簡も送り、弁舌に明るい臣下を使って口を極めて説明させていた。


 サーティークはヴァイハルトに対しても、噂に聞いていたのと同様の内容を、改めて懇々と言い募った。

「ここで、全ての悪弊を絶つ。お前も協力しろ、ヴァイハルト」

 実際にレオノーラに手を下したのはバシリーの一党だったわけだが、元をただせばあれら「狂信者」の生まれた発端は、何よりもかの《鎧》である。

「いわばあれが、レオノーラのだと言ってもいい」

 だから、この王がいま言うのは、その《鎧》を殲滅せしめることなのだ。

 それも、完膚なきまでに。


「俺は、あれを破壊する」


 サーティークはその場に傲然と立ったまま、決然と言い放った。

「それも、《黒》のみならず、《白》の方もだ」


「な……」

 ここで、はっとヴァイハルトは顔を上げた。

 我が耳を疑ったのだ。


(なんだと……?)


 いま、この男は何と言った?


「《白》も……とは――」

 思わず、言われたことを阿呆よろしく繰り返してしまう。

 そのたった一言に、恐るべき内容が含まれていた。

 愕然と見返したヴァイハルトの視線を、ぎらつく青年王の瞳が跳ね返した。


(まさか――。)


 驚きに目を見張ったヴァイハルトを、黒髪の王が沈黙のままに見返している。

 二人の佇む執務室の外では、かの「兄星」が無遠慮な顔で、にやにやとまた地上の「虫ども」を見下ろしているようだった。

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