第六章 糾弾
第1話 葬儀
ヴァイハルトは、そこからどうやって屋敷に戻ったかを覚えていない。
ともかくも、喉も裂けよと慟哭し、顔を覆って号泣し続けている両親を連れ、それからすぐに自宅へ戻ったのだろうと思われる。両親はそのまま、二人ともに倒れこむようにして床に伏してしまった。
それから、十日。
ヴァイハルトは亡くなった王妃の肉親ということで忌引きの賜暇を与えられていた。
例の「《鎧》信仰者捕縛作戦」も、他の士官らが代役を務めてくれることになり、ヴァイハルトは寝込んでしまった両親の面倒を見ながら、ただ無為に自分の屋敷で、呆然と時を過ごしていた。王都に住む次兄、ディートハルトの一家も、ときどき見舞いに訪ねて来てくれている。
サーティークはその後、相変わらずの「蛮政」を続行しつつ、王太后と王妃の顛末を大々的に国中に喧伝して、己が「断行」の正しさを
そこには勿論、かの《黒き鎧》の正体と、これまでの歴史の一部を公表することが含まれていた。ごく高位の貴族や武官らを除き、その事実を知らなかった
そして、サーティークは早急に、また丁重に二人の葬儀を執り行なった。しかし、それもまた「喧伝」のひとつとしての意味を相当に持っていたらしく、各地から権勢のある貴族らを大いに招き、荘重に執り行なわれたのだった。
当然、王家からは、両親と兄たち、それにヴァイハルトにも参列するようにとの要請があった。しかし、ヴァイハルトと両親は到底、そんな状態ではなかった。やむなく上の兄二人だけが、辛い気持ちを押して参列してくれ、クロイツナフトから少し離れた場所にある王家の陵墓にて、レオノーラの遺骨が確かにそこに納められるのを確認してくれた。
「病は気から」とは言うが、両親はあれ以来げっそりとやつれはて、急に老け込んだようだった。そして、日々の食事も喉を通らずに、日ごとに憔悴していった。ヴァイハルトも決してそれには劣らぬ状態ではあったけれども、自分が両親を見ていてやらねばならないとの思いだけで、その時はどうにか立っていたようなものだった。
母アデーレはずっと、サーティークから下げ渡されたレオノーラの遺髪と髪飾りを枕辺に置いて、泣いては眠り、眠ってはまた目を覚ましてさめざめと泣き、ということを繰り返すばかりで、ろくに食事も摂れず、どんどん衰弱していった。
父エグモントのほうも似たり寄ったりの状態で、本当ならしっかりと二人を支えねばならないはずのヴァイハルト自身、二人を慰めるためのどんな「励ましの言葉」も思いつけず、ただその枕辺にいるほか、出来ることもなかった。
◇
「お前はもう、隊へ戻れ」
そんな様子を見かねて、遂に、次兄であり王立学問所の教官でもあるディートハルトがそう言ったのは、ヴァイハルトの忌引きが空けて、更に十日余り後のことだった。長兄クラウディオの方は、いつまでも領地を放っておくわけにもいかず、一旦そちらへ戻ったとの由だった。
実のところ、本来ならばとうに隊に戻っていなくてはならなかったヴァイハルトも、父母の状態に加え、自分自身の気持ちの整理も付けられず、ずっと王城に戻らずにいた。
そのような勝手な真似は、本当ならば厳罰に処されるところであったけれども、隊からは「ゆっくり養生するように」との簡単なお達しがあっただけで、特に咎められることもなく、ずるずると時を過ごしていたのだった。今にして思えばそれは、サーティークとマグナウト翁の気遣いと、温情によるものだったのだろう。
ディートハルトは藍色の長めの文官服のまま、今は心配げな表情のまま、弟の私室に佇んでいた。ヴァイハルトより十以上も年上の兄だったが、年齢よりもかなり若く見える。瞳は優しい灰色で、弟と同じ亜麻色の髪を長く伸ばし、後ろでゆるく編んでまとめている。ヴァイハルトに面差しはよく似ているが、学問をする人らしく、はるかに落ち着いた雰囲気の男だった。
「隊へ、ですか……」
兄の言葉に対し、覇気のない声でヴァイハルトはそう答えた。彼の方は、屋敷で普段着ている部屋着のままだったが、髪も乱れて、いつになく荒んだ雰囲気を漂わせていた。私室の中も、ひどく荒れているというほどではなかったけれども、書類や葡萄酒の瓶などが雑然と放置されたままで、几帳面ないつもの彼らしくない様相だった。
その時には何かもう、隊へ戻ることなど、どうでもいいような気分にさえなっていた。ヴァイハルト自身、とてもそんな精神状態ではなかったのである。いっそこのまま、退役してしまってもいいとすら思わぬこともないほどだった。
だが、兄はそれを決して許そうとはしなかった。そして、「ここで両親と共にいたら、お前まで病人になってしまうぞ」と、懇々と弟に言い含めた。
「父上、母上のことは、私とクラウディオ兄に任せておけ。お前には、ノエリオール軍士官としての大切な務めがあろう」
亜麻色の髪もぼさぼさのまま、明らかに痩せて打ちしおれている末弟を、兄は声を励まして、わざと明るくどやしつけるようにした。
「あの子の大好きだったヴァイハルト兄がそんなことでは……。あの子が悲しむというものだろう」
「…………」
弟より少し背の低いディートハルトは、項垂れたヴァイハルトの両肩を下から抱くようにして静かに微笑んで見せた。
「それにな、ヴァイハルト――」
少し体を離してから、兄は弟をじっと見つめた。
そして、やや黙って逡巡したようだったが、ヴァイハルトの耳に口を寄せるようにして、こう言った。
「陛下は、あのままではいかんと思う」
「……え」
そこで、兄の声が一段と低くなった。
「私は先日、葬儀で遠くからお見かけしただけだったのだけれどね――」
考え深いディートハルトの灰色の瞳が、焦慮の色を湛えていた。
「あのままでは、どうも……壊れておしまいになりそうだったのだよ。……いや、もうそうなっておられるのかも知れないが――」
「…………」
ヴァイハルトは黙ったまま、じっと兄の瞳を見つめ返した。
「お前もそうだが、陛下もそのお心をひどく傷つけたままでいらっしゃる。かの方はその……レオノーラの惨状を、実際にその目でご覧になったのだろう?」
ヴァイハルトは、知らず、ぐうっと力一杯に拳を握り締めていた。兄は言葉を続けている。
「そして自ら、あの子を荼毘にも付された……。しかも、ご自身のお母上もご一緒にだ――」
「…………」
ヴァイハルトは、目を見開いた。
(……そうだ。)
間違いなく、そうだったはずだ。
一瞬、その光景を脳裏に描いて、ヴァイハルトは片手で顔を覆った。
ぐらり、と体が傾いた。
(それは、一体――)
ヴァイハルトの内面の声を受けるようにして、ディートハルト兄の瞳が、悲しげに伏せられた。
「それは一体……どれほどのお苦しみであったろうか――」
「…………」
ヴァイハルトも、厳しく眉間に皺を寄せる。
「狂うな」と言うほうが、無理だろう。
出産を目前に控えていた最愛の妻と、実の母を目の前で、しかもあんなやり方で惨殺されたのだ。その上そのお二人の体を、辺境の森や荒野で荼毘に付すなど――。
それがどんなことであったのかを想像するだに、それを目にしなかったヴァイハルトですら、今にも理性を失いそうな思いに捉われるのだ。
「私はね、ヴァイハルト」
ディートハルトは、思いに沈んだ弟をじっと見つめて、また言った。
「レオノーラの兄であり、ノエリオール王国軍の武官であるそなたにしか、できない仕事があるのではないかと思うのだ」
「…………」
ヴァイハルトは、黙ってそんな兄を見つめ返した。
(俺にしか、出来ぬこと……?)
兄は穏やかに言葉を継ぐ。
「そうだろう? ……陛下も、お前も、同じ一人の人を思って、今、心の痛みを抱えている。お前はそれを分かち合える、ただ一人の臣下であろう。僭越なことを言うようだが、かの宮宰マグナウト閣下ですら、そのお役目は果たせまい――」
ヴァイハルトは再び項垂れ、床の一点をみつめて立ち尽くした。兄は静かに、そんな弟を見ながらまた言った。
「なればこそお前は、今は何を措いても、陛下のお側にいて差し上げねば。陛下がもしや、ご政道において何か間違われるようなことでもあらば、この国の屋台骨が揺らぐことにもなりかねん。そのような事は、許されん――」
そこで少し言葉を切って、ディートハルトはじっとまた、弟の胸の内をさぐるように、その瞳を覗き込んだ。
「よいか、ヴァイハルト」
兄の言葉は、穏やかだったが、非常な力を秘めていた。
「絶対に、殺しすぎてはいかんのだ。……どんなに憎くとも、……辛くとも、だ」
その声は、悲しげだった。そして、押し隠そうとはしていたが、確かに震えてもいた。
「ましてや……あの方は、王なのだから――」
ヴァイハルトは虚ろな目を上げて、兄の顔を見返した。自分の肩を掴んでいる兄の手に、凄まじい力が籠もっていた。
「…………」
そして、また黙って項垂れた。
兄とて、可愛い妹を殺されて、相手が憎くないはずはなかった。
だがそれでも、あの王にも、ヴァイハルトにも、「決して判断を間違うな」と、そう言ってくれているのだった。
部屋には、言いようのない沈黙が、ひたすらに流れ続けた。
やがて。
静かに、また噛んで含めるような声がした。
「それを、身を賭してもお止めするのが、臣下の務めではないのかな……?」
「…………」
ヴァイハルトはしばし、微動だにせずにそこに突っ立っていた。
「言っている意味は分かるな? ヴァイハルト」
兄にそう問われても、ヴァイハルトは両の拳を握り締め、やっぱり床の一点を睨みつけていた。ディートハルトは、ほんの少し笑ったようだった。
「いや……。お前なら、分かってくれると信じているよ」
「…………」
それでもまだ、沈黙を続ける弟を、ディートハルトは優しい瞳でじっと見つめていたが、やがて懐から三枚の小さな羊皮紙を取り出すと、それをそっと弟の胸に押し付けるようにした。
「陵墓に入る許可証だよ。私たちの家族ぶん、王家から下賜されたものだ」
ヴァイハルトは黙って、自分の胸に押し付けられたそれを見下ろした。
「王城に戻る前に、一度はあの子にも会ってくるといい……」
ディートハルトはそれだけ言うと、またほんの少し微笑して、まだ唇を噛み締めたままの弟の肩を軽く叩くと、静かに部屋から出て行った。
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