第5話 密談

 翌月。

 自宅である王都内の屋敷に戻ったヴァイハルトを、家族は大喜びで迎え入れた。それは勿論、唐突な今回の彼の昇進を祝う気持ちでのことだった。


「おめでとうございます、ヴァイハルト兄様!」

 レオノーラはもう、それがわが事ででもあるかのように嬉しそうに、ヴァイハルトの首っ玉に抱きついて喜んでくれた。

「ほらほら、レオノーラ。もういい大人のご婦人なのだから。そういうことは控えなければ――」

 そうやってたしなめながらも、ヴァイハルトも零れる笑顔を堪えるのは難しかった。


 因みに、あの王太子殿下は、当のレオノーラ本人にもまだ、王家への輿入れの件については話していないとのことだった。王太子は王太子で、その前の下準備だの、周囲の臣下を黙らせるための外堀を埋める工作だのに忙しいのであるらしい。

 事実、王太子は、ご体調のすぐれない父王に成り代わり、すでに多くの政務を日々こなしている。その傍ら、この一連の「策謀」のためにも様々に動かねばならないため、非常に多忙な様子に見えた。


(しかし、それにしても――。)


 いまだこのレオノーラに、「はっきりとした意思表示」すらしていないとは。

 その話を聞いた時、さすがのヴァイハルトも鼻白んで、「まさか、戯れで妹とお付き合いくださっているというのではないでしょうね」と、かのサーティークに詰め寄ったものだった。もしそうであるのなら、絶対に許さない。

 ヴァイハルトはその場合、たとえ自分の命を懸けてでも、王太子に一矢報いるぐらいのことはしてみせるつもりだった。


 しかしその時、王太子はもう「馬鹿いうな」とばかりに冷たい目をして、こちらを睨み返しただけだった。

「俺がそんな男に見えるか? あまり舐めるなよ、ヴァイハルト」

 逆に、底冷えのするような殺気の籠もった目に睨み据えられ、ヴァイハルトも仕方なく、一応の納得はしたのだった。

 だが、それでも心配だった。こうして時間を置いている間にも、妹の心は翻弄され続けている。彼女が王太子を思う気持ちに変わりはなく、いやむしろ更に深まってさえいるようだったが、もしそうして時間を置いた挙げ句に、万が一、王太子に突然の心変わりでもあったなら、いったいどうしてくれるというのか。

 王太子自身、思った以上に工作に手間取っていることに苛立ちを覚えないわけではなかったようだが、それでもヴァイハルトに対しては、辛抱強く「信用しろ」といい続けていた。

「いま少し待て。あと少しで、外堀は埋め終わる」


 今はただ、その言葉を信ずるよりほかはなかった。

 じりじりしながらも、ヴァイハルトは千騎長となったことで一気に増えてしまった自分の責務を全うしつつ、それに加えて、王宮内での王太子妃関連の噂や人々の動きを注視していた。

 今回のこの一連の「作戦」において、ヴァイハルトは主に周囲の情報収集を主な仕事としている。今はまだ王太子の「本命」がレオノーラであることを隠さねばならぬ時期であり、その肉親であるヴァイハルトがあまりおおっぴらに動く段階ではないというのが、サーティークとマグナウトの判断だったからだ。

 そして勿論、そうして得られた情報については、即刻、かつ秘密裏に王太子の耳に入れるようにもしていた。勿論、あの宮宰マグナウトとも、緊密に連絡は取り合っている。


 そうこうするうちにも、日々は移ろいすぎてゆく。

 暗い極夜きょくやの続く季節もそろそろ終わり、地平線にはゆるゆると、そこを這うようにして赤い太陽が姿を見せる時候となっていた。


 春の訪れ。つまりは、新しい年の幕開けである。



                ◇



 そして。

 今日もまた、私服に身を包んだヴァイハルトは、何の気なしの足取りで、自分の屋敷から出ると、いつも彼と落ち合う街のいちの広場へ向かっている。


 いちで店を出している様々の商売人たちと親しげに言葉を交わしたり、買い物をしたりして待っていたその約束の相手に会うと、ヴァイハルトは黙って人通りの少ない小路へ入り込み、いつものように密談を始めるのだった。勿論その相手は、「行商人の息子サムス」に身をやつした王太子殿下本人である。

 実のところ、その「密談」は、大概こうして自分が休暇を貰って屋敷に戻ったときなどに、街なかの片隅で行なうことが多かったのだ。


 顔を隠した粗末なフードの下から先に口火を切るのは、大抵王太子の方だった。

「やっと臣下どもに話を通した。お前の家を、侯爵家に引き上げるぞ」

「……は?」

 思わず、ぴくりと顔を上げる。寝耳に水の話だった。

 その突拍子もない言葉をきいて、ヴァイハルトは一瞬絶句したが、王太子はそれには構わず話を続けた。

「ともかくも、きさきの出自をどうこういう輩を黙らせる」


 それは、現在伯爵家であるヴァイハルトの家の家格を、王家の一存でひとつ引き上げるということだった。勿論、それは不可能な話ではない。しかしそれでも、この若造ヴァイハルトの目から見ても、相当な力業だろうと思われた。

「父と母はあまりそんなことは気にしないが、なにしろ煩い臣下が多いものでな」

 さも面倒臭そうに、サーティークが説明する。彼の父母とはつまり、国王ナターナエル公と、その正妃ヴィルヘルミーネその人だ。


 王太子の声には相当量、苦いものが含まれている。

 英明で知られるかの宮宰マグナウト翁も、当然ながらそのような愚考に陥る御仁ではないだろうが、問題はそのほかの連中であるらしかった。

 何しろ、「あわよくば自分の一族の娘を」と、その機会を狙っている輩が殆どなのだ。現段階で「この娘を妃にする」と宣言したところで、相当の反対に会うのは必至だろう。レオノーラの容色と性格は勿論のこと、その出自、家格から家の財力にいたるまで、その連中からあれやこれやと文句の出る事は想像に難くない。

 この王太子は、予想されるそれらをひとつひとつ秘密裏に、この数ヶ月という時間を掛けて可能な限り潰し続けてくれているのであった。


 実際、この王太子は、まずは地方都市にいるヴァイハルトの兄、長兄のクラウディオに密かに連絡を取り、彼の預かっている領地の内情をつぶさに調べた。その上で、周辺の王家管轄の土地を多少融通してみたり、その石高を上げるための開墾技術を教える技官を送り込んで農業技術を向上させたりしてくれた。

 次には、家全体の財務状況を好転させるべく、父に有能な会計専門の文官やら、財務に明るい人物を家令として紹介したりと、なかなか細かな手配りにも余念がなかった。

 またさらに、王立学問所にいる次兄、ディートハルトの文官としての地位を引き上げ、もともとあまり見合っていなかった彼の能力に十分に沿うような席に据えて、収入の後押しを図ったりもしてくれている。

 勿論その背後には、一連の作戦首脳として、かのマグナウト翁の尽力があるのに相違なかった。


 さすがのヴァイハルトも、この王太子のこうした行動力には、正直、頭の下がる思いだった。この若さで、ここまでできる王子はそうそういまい。幼いころより甘やかされて育っただけの少年では、到底こうは行かないはずだった。

 そして、やや不本意な思いはあったものの、今後、彼が本当に王位を継いだなら、この国がいかにより良いところになるものか、想像するだに楽しみな気持ちにもさせられた。臣下にある者として、それはもう、妹のことは抜きにして、このヴァイハルトでさえ、ついうっかりと嬉しく思うこともしばしばだったのだ。


父母ちちははには、すでに内々に話を通した。お二方は『かのザルツニコフの姪ならば』と、もはや二つ返事であられたぞ。よかったな?」

「…………」

 にっこり笑われて、答えに窮する。「よかったな」も何も、それはそちらの婚儀の話だろうに。


(……俺は別段、嬉しくもなんともないんだがな。)


 ちょっと呆れて頬を掻き、平民の出で立ちでフードを被った、なにか楽しげな様子の王太子の横顔を盗み見る。

 この数ヶ月で、この王太子は更にその風貌に精悍さを加えたようだった。別に「悪巧み」でもないのだが、こうしてひとつの目標をもってあれこれと精力的に動き回っているのが、この王太子はことのほか楽しいのであるらしかった。


 ここしばらく、近しくこの王太子を観察する機会を得て、少しずつだがヴァイハルトの中にも、彼に対する認識の変化が生まれている。

 初めはただ、「妹のために」と半ばしぶしぶ彼の手足になることにした関係でしかなかったものが、今はこうしてこの王太子の手下てかとなって動いている自分が、意外なほどに気に入っているのだった。

 自分からあの大事な妹を奪い去ろうとしている男のことなど、わざわざ好きになりたいはずもないのだが、どうもそう言ってばかりもいられない。

 傍に居ればいるほどに、また共に行動すればするほどに、どうにもこうにもヴァイハルトの中に、この隣にいる豪胆で強面の少年に惹かれる気持ちが、涌き上がるようにして生まれてくるのだった。

 ヴァイハルトはそんな自分に、ただ呆れるほかはなかった。


 そして近頃では、どうにも認めたくない思考まで、ついぽろりと生まれてしまう。


(……この、男になら。)


 彼になら、自分のもっとも大切なひと、決して自分ではそういう意味で愛してはならない人の、その人生を託してもいいのではないのかと。

 しかし、そんな思いが頭をもたげるたび、ヴァイハルトはそれを振り払った。

 敢えて、考えないようにしてきたのだ。


 自分は、自分だけは、最後の砦でいてやらねば。


 今後、もしも妹の身に大変な災厄が降りかかることにでもなった時、そして万が一にもこの王太子が彼女を守りきれなかったりした時に、この男を殴ってでも弾劾するのは、恐らくこの国、この世界で、自分をおいて他にはないのだから、と。

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