第5話 ナイト王

「準備が十分だとは到底言えんが、まあやむを得ん」

 それが、この計画に関するサーティークの言だった。

 ふざけているようにも聞こえるが、彼は勿論大真面目である。なにより、あまり時間がなかった。


 こちらでの「冬至の日」、すなわち北のフロイタールにおいての「夏至の日」のために、サーティークはとある計画を立てていた。

 青年王によれば、かの《白き鎧》を手中にするために絶対に必要なものがあるのだという。そして、その計画が上手くゆけば、もしかすると北への侵攻そのものも、行なわずに済むかもしれぬと言うのだった。


「賛成だ。実行すべきだと俺も思う」

 人払いされた国王の執務室で、宮宰マグナウトと共にその密談に参加していたヴァイハルトも、少し考えてからそう言った。

 因みに、何となく成りゆきで、マグナウト翁が同席している場合にも、このぞんざいな口調は許されてしまっている。「本当にいいのか」とは思ったのだが、この仁愛の人はむしろ、ヴァイハルトが王に向かってこうした口の利きかたをすることを、ことのほか喜んでいるようにさえ見受けられた。

 それどころか、近頃ではヴァイハルトは、この老人からご自分のことを「じいと呼べ」などと、とんでもないことまで要求されている。

 サーティークに関しては一応年下ということもあり、先日の陵墓での顛末もありで「もういいか」という気持ちが強かったけれども、この件については心底困った。この国随一の叡智の人を、まさかそんな風に呼べるはずがない。

 そんなわけで、これについては今のところ、棚上げ状態になっている。


 ともかくも。

 ヴァイハルトは自分の意見を続けて述べた。

「無用な戦を避けられるのだとしたら、是非もなかろう。勿論、俺も協力する」

 言い切ったヴァイハルトを見て、サーティークもひとつ、頷いた。

 たとえ準備が十分ではないにしても、相手はたった二人なのだ。

 すなわち、かの《白き鎧》の中にいる、北の白の王、ナイトと、その腹心である。要するに、彼らがむこうの《鎧の儀式》を行なう、その瞬間を狙うのだ。


 漏れ聞こえる話によれば、かの国の「白の王」ナイトは、決して荒事に明るい男ではないらしい。ごく温順で、先王ナターナエル公のように内政に力を入れる国王であり、「血気盛んで好戦的」といったような性質とは、全く趣を異にしているようだった。

 対するこちらは、この武辺極まりないサーティークだ。

 近頃では、中庭で彼の剣の稽古にも付き合わされることの増えたヴァイハルトは、すでに身に染みて知っていた。この青年王、頭も相当に回る上、忌々しいことに、武術の心得もかなりのものだったのだ。


 それも、単に好戦的な単細胞というのでなしに、周囲の状況を冷静に鑑みて様々に判断した上での気魄の剣である。そうそう、そんじょそこらの武官に劣るようなものではなかった。

 そこへ持ってきて、このたびの一連の、魂を削るがごとき顛末である。

 青年王の剣気は、それなりに腕に覚えのあるヴァイハルトですら、時にその殺気にされ、背筋を駆け抜ける寒気を禁じえないほどのものだった。

 彼の剣はこの時すでに、それほどの凄絶さを兼ね備え始めていたのである。


 文武両道のこの王が、まさか武芸に劣るかの王や、その腰巾着ごときに遅れをとるはずがなかった。

 だからこの計画、万に一つもやってみない手はなかったのだ。

「ふむ……。左様にござりまするな――」

 宮宰マグナウトも、眼前にいる二人の若者をじっと眺めながら、しばしとっくりと考えてから頷いた。


 ただし、それには《黒き鎧》を操るための膨大な知識が必要だった。

 しかしこちらの問題も、このごろではかなりの部分が解消されつつある。数年前に比べれば、今では《鎧》に関する相当量の知識がサーティークにはもたらされているのだ。

 それは、あの「夏至の日」の悲惨な事件以来、更に速度を速めて《鎧》やその《召喚の間》に記された古代文字を研究していた「《鎧》研究班」の必死の努力の賜物だったろう。そうして、それをこの若き王は、研究班の文官らに講義させ、とても常人とは思われぬ、凄まじい速さで身につけた。

 これにはさすがのヴァイハルトも、その熱意と能力の高さに舌を巻かざるを得なかった。


 なんでも、かの《鎧》には、遠く隔たった地へと道を開く、恐るべき技術が内臓されているのだという。

 今回、サーティークは《鎧》のその力を利用して、フロイタールにある《白き鎧》において「夏至の日」に行なわれるはずの《儀式》の場に道をつなぎ、なんと国王ナイト本人を掠め取ろうとしているのだった。


 どのような理由でかの王を攫う必要があるのか、そのこともサーティークはごく端的に説明した。

 要は、《白》と《黒》のは、互いの情報を補完し合う関係にあるらしい。その内側に保管されている情報を、人を介して交換するという交流があって初めて、本来の能力ちからを発揮するからくりだというのだった。

 その「人」がすなわち《鎧の稀人》なのであり、この場合、《白き鎧》のそれはナイト王その人のことなのだ。勿論、こちら《黒き鎧》の《稀人》は目の前のサーティークである。

 それらの話のどれもが、ヴァイハルトにとっては驚嘆すべきことばかりだった。彼がもし天騎長とならず、サーティークの側近としての立場になかったのなら、これらが決してこの段階で聞ける話でなかったのは言うまでもない。



                ◇



 そして、ひと月後。

 南の国ノエリオールは、すでに真冬となっていた。

 サーティークとマグナウト、それにヴァイハルトの三名は、十数名の騎馬兵らと共に、すっかり極夜に落ち込んで暗く沈んだノエリオールの街道上を、南方辺境へ向けて進んでいた。いつものように、騎馬と馬車による一団である。

 レオノーラの命の失われた、まさにその場所に出向くことは、ヴァイハルトにとって確かに痛みを伴うことではあった。だが、恐らくそれ以上に心痛んでいるはずのサーティークがその顔になんの感情も乗せまいとしているのを見れば、自分もうかうかとそんな顔は出来なかった。


 自分は、この男の義兄あになのだ。

 それは、たとえかの妹が、この世の人でなくなったといっても変わりはない。

 恐らくは、彼か自分のどちらかが死ぬ日まで、それは続くことだろう。

 今後も、ずっとだ。


 そして、義兄あにであり、臣下でもあるこの自分は、この王が何か正道から外れた道へ迷い出るようなことでもあれば、命を賭しても、たとえ殴ってでも、止めることが最大の務めなのだと思う。

 隣で愛馬を駆る国王の鋭い横顔を盗み見ながら、ヴァイハルトはずっと、そんなことを考えていた。今では、あの次兄ディートハルトに言われたこととは関わりなく、そうした滲むような自負と誇りが、次第におのずと、ヴァイハルトの胸を満たすようになっていたのである。

 まあそれとは逆行するようにして、彼のサーティークに対する言葉遣いは、どんどんざっくばらんなものに変わって行ったわけなのだったが。



 《黒き鎧》とその周辺は、極夜のために薄暗かったけれども、恐らくはサーティークとマグナウトの計らいにより、あの夏の惨劇の跡はきれいに拭い去られていた。

 護衛につけてきていた兵らは近隣の村にとどまらせ、ここまではサーティークとマグナウト、ヴァイハルトの三名だけで山道を登ってきた。

 三名は、《黒き鎧》の前でしばし黙祷を捧げてから、《黒き鎧》の中に入った。 

 そうして、一連の作戦行動を開始したのだった。



                 ◇



 結論から言えば、その「作戦」は失敗に終わった。

 なんと言っても、《鎧》の《門》の開いている時間は短すぎた。

 《白き鎧》から腹立たしげに戻ってきたサーティークは、「戻るぞ」とひと言いっただけで、あっさりと王都クロイツナフトへ引き返した。


 後々聞いたところによれば、白の王ナイトは、すんでの所でサーティークの腕を逃れ、あちらの《白き鎧》の《儀式の間》へと飛び込んで、姿を隠してしまったのだという。傍についていた宰相らしき老人は、頑としてそこを開く方法について口を割らず、さすがのサーティークも時間切れとなって諦めざるを得なくなった。かいつまんで言えば、まあそういうことであるらしい。

 もともと確実な成功を見込んで始めた作戦でもなかったし、実害などはなかったので、こちらとしてはさして気に病むほどのことではなかったが、サーティークはいかにも不快げだった。

 あちらの「ナイト王」は噂どおりの荒事嫌いらしく、なんの抵抗をするでもなしに、ただまっすぐに逃げることのみを選択したらしかった。いうなれば、そのことが最大に功を奏してしまったのだということだろう。サーティーク曰く、かの王は、見た目も相当にか弱げで、ただ優しい青年としか見えない風貌だったと言う。


 その後の顛末については、ここで改めて語るまでもないことだろう。

 サーティークは一連の「《白き鎧》破壊」のための戦術について、はっきり「フロイタール侵攻」へと舵を切り、翌年から、あの侵攻作戦が開始された。

 その主たる目的は、かのフロイタールの現状と《白き鎧》、それにあの時捕らえそこなったナイト王のその後の状況について知ることだった。

 無論、侵攻した結果として、領土なり権益なり資源なり、なにがしかのうまみが生じるのは有難いことだったが、今回はそれを大きな目的とはしていない。目的はあくまでも情報集めであって、言わばこの「侵攻」そのものが大掛かりな「陽動」といってもいい位の作戦だった。


 実のところ、青年王はこれよりかなり前の時点から、かの《黒き鎧》の機能を使い、敵国フロイタール内に相当数の間諜を潜り込ませて、諜報活動をも行なわせていた。そのうちの半数は、残念ながら敵軍に気取られたり、思わぬ事故やら事件等々に巻き込まれて命を落としたようだったが、残りの半数のさらに一部が、敵軍内部に潜り込んでかなりの働きをしてくれたのだ。

 彼らは巧みにフロイタール軍内部で信用を得て、中には敵軍の将軍の傍近くに仕えるような者まで居た。

 フロイタール侵攻作戦中、それらの将軍やら高級文官やらのだれかれを、その間諜らは密かにに薬などで眠らせて、事前に示し合わせていた友軍の部隊へ秘密裏に送り届けた。捕らえた高官らは勿論、すぐさまサーティークによって直々に「尋問」され、とりわけ《鎧》と、「ナイト王」の消息の情報源となったのだ。


 それによれば、「ナイト王」は健在で、今も王位にあるのだという。ただし、最近では謎の頭痛に悩まされ、ご体調はいまひとつであるのだとか。

 その尋問にはヴァイハルトも参加していたのだったが、この点を聞いた時のサーティークは、ふと奇妙な顔をした。彼にはなにやら、心に思うところがある様子だったが、その点については誰にも何も語らなかった。


 サーティークは将軍らに、この侵攻作戦の間じゅう「ともかくも人命優先」と口を酸っぱくして言い続けた。

 ああして「《鎧》信仰擁護派」の面々を血も涙もないやりかたで葬り尽くした王だったが、その一方でこの男は不思議なことに、「人材こそは国の宝」という考えもしっかりと持ち合わせていたのだった。そして、自らも前線を青嵐を駆って駆け回り、その類稀たぐいまれなる武勇によって窮状に陥った友軍を幾度も救うという離れ業を演じて見せた。


 彼が敵軍に取り巻かれた友軍の部隊を救い出すべく配下の騎兵を従えて敵に突っ込む時、そこには常に血煙があがったものだった。そんな時のサーティークはまさに、戦場の鬼神としかいいようのない姿だった。

 無謀な真似をしているようでいて、この王は、小さな刀傷こそあちらこちらと作るものの、腕や足や目を失くすなどといった重傷は決して負わないのだった。



 初めのうち、「ただの気のふれた殺人鬼」というふうに彼を見ていた元帥以下の将軍たちは、目を丸くしてこれらの顛末を眺めていた。

 そして、やがてこのことは、くだんの「蛮政」によって「狂王」などというあまり聞こえの良くない渾名ふたつなを冠されてしまったサーティークの声望を、いやがうえにも盛り返す契機となったのである。


 宮宰マグナウトは、これに伴い、戦費そのものと兵士や将軍らに対する恩賞を準備することに忙殺されているようだった。何より、あの広大な「赤い砂漠」を越えての進軍では、長く伸びきった補給路がまさに将兵らの生命線となった。

 それをいかに敵に絶たれないか、運ぶ糧秣そのものを絶えさせないかといった兵站が、非常に重要な問題だった。

 この戦争で誰より大変だったのは、かのご老体であったろう。



                 ◇



 そうこうするうち、瞬く間に、その七年が過ぎ去った。

 繰り返される侵攻作戦の中、サーティークの体躯には、大小さまざまの刀傷が増えていった。その隣にあってヴァイハルトも、自らに与えられた部隊を動かし、青年王の手下てかとなって陰に陽に、彼を支えて働いた。


 そして。

 準備は整い、遂にその日がやってくる。

 サーティークは遂にその年、八年前の雪辱を果たすべく、再度「ナイト王略取作戦」に取り掛かったのである。

 それはその年、「夏至の日」のことだった。勿論北のフロイタールにおいて、それは「冬至の日」のことである。



 そうして、王は出会ったのだ。

 その、自分に見目形みめかたちのそっくりな、

 清廉そのもののかの青年に。

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