第2話 訪問
ヴァイハルトにとって、そこから先のまさに信じられぬような急展開も、まったく予想の外だった。
かのユウヤ中級一等は、《白き鎧》の通信機能によってフロイタールと連絡をつけ、その「アキユキ」とも話し合った上で、恐るべき提案をしてきたのだ。
まずは、この世界からすれば「第三者」とも言える、異なる世界からやってきた青年二人が二国の交渉役を務めることで互いの意見が一致した。そうして、早速にその話し合いは始められることになったのである。
ユウヤの方は、相変わらずの自信のない不安げな様子で、正直なところこちらも彼の背後にいて気を揉むことしきりだったのだが、幸いあちらのフロイタールにいる「アキユキ」――ユウヤは彼を「サタケ」と呼んだが――は、サーティークによく似た男らしく、ごく冷静かつ聡明な態度を常に貫いているようだった。
《鎧》の中の「連絡用窓」とでもいったような壁の一部に、あちらの様子が映し出されるような仕組みがあったのだが、それで見る限り、アキユキの年の頃はサーティークよりもやや若いように思われた。
だが、その落ち着きたるや、ヴァイハルトでさえ驚くほどのものだった。
似ているのは外面的なことだけではないらしく、彼は非常に理知的な上、客観的かつ論理的だった。そして、自分の感情には殆ど左右されずに、あちらの将官らに囲まれつつも、理路整然と交渉役を務め上げた。
サーティークは黒髪を長く伸ばしているが、彼の方はごく短い短髪である。文官としての黒い装束を身に纏っているのだが、彼は明らかに、立ち居振る舞いからして武術の心得のある人物だった。ときおりちらりと見られる所作といい姿勢といい、彼は姿かたちのみならず、精神面においても非常な美しさを感じさせる男だった。
ユウヤとアキユキは、「あちらの世界」で友人関係にあったらしく、ユウヤの方は《白き鎧》によって無理やりにこちらに召喚されたのだったが、アキユキはそれを追って、自らこちらへ来たのだという。その辺りからしても、二人の性格はまったく異なることが
◇
「だっ、駄目だっ……!」
ユウヤが大きな声で叫んだのは、その話し合いも終盤に差し掛かった頃だった。
ノエリオール南方辺境、山中にある《黒き鎧》の中である。
「そんなことっ、駄目だ! 駄目だぞ、佐竹……!」
あちらの様子が映し出されている壁の一部を必死に見ながら、ユウヤがそう言い続けている。向こうのアキユキは、そんな彼を静かな視線で見返していた。
《鎧》の動力源の制限もあり、何度かに分けて行なわれた交渉には数ヶ月を要したが、やがてどうにか互いの国の折り合いもついて、話は《白き鎧》の完全化の話になっていた。
サーティークのこれまでの《鎧》調査からわかったことによると、いずれ《鎧》を破壊するため、今は不完全である両 《鎧》を完全にすることが必須だというのである。すでにナイト王によって完全になった《黒》はいいとして、問題はまだ不完全な《白き鎧》の方だった。
命の危険すらあるというその《儀式》に、サーティークは今回、臨むことを拒否している。《鎧》の破壊が成し遂げられた暁には、自分の命を差し出すことも厭わない覚悟のこの王だったが、この段階でそれを行なうわけには行かなかった。
ちなみにヴァイハルトは、相当早い段階で、先王ナターナエルとムネユキの顛末を青年王本人から聞かされている。
勿論、ユウヤの不安は大変なものだった。
無理もない。ただ自分を救うためだけに、自らこちらの世界へやってきた友人が、いまや命の危険を伴う《儀式》に臨まされようとしているのだ。
しかし、あちらの「アキユキ」の意思は固く、それは速やかに決定され、執り行なわれる運びとなった。
ところで、この件に関し、フロイタール側はひとつの条件を出してきた。
曰く、「《白き鎧》の完全化を確認するまでの間、そちらのどなたかをこちらへお預かりできないか」というのである。要するに、人質を要求してきたわけだ。
「マグナウト閣下またはヴァイハルト閣下のいずれかを」という希望だったので、ヴァイハルトは一も二もなく、「自分が行く」と申し出た。
サーティークはそれを受けて、ちらっとこちらに目線を合わせた。
「いいんだな? ヴァイハルト」
ヴァイハルトは、じろりとその義弟を睨み返した。
「当然だ。下らんことを確認するな」
まさか
サーティークはちょっと笑って頷くと、《言霊の壁》に向き直り、その旨を相手方に即座に伝えた。
そのような訳で、あの驚くべき「兄星調査」の後、ヴァイハルトはアキユキと入れ替わるようにして、《黒き鎧》の開いた道を通り、フロイタール王国「訪問」を果たしたのだった。
◇
それはもちろん、命の保証などない「訪問」だった。ノエリオール側に万が一にも何らかの不手際でもあれば、ヴァイハルトの首と胴は、その場であっさりと永遠の別れをすることになる。
けれども、ヴァイハルト自身はこの稀有な体験を、意外にも結構楽しんだ。
心構えとしても、ほとんど物見遊山に近い。
なんといっても、一応捕虜としてではなくこちらの国に正式に招きいれられたノエリオール軍幹部は、長い両国の断絶の歴史上、恐らく自分が初めてなのである。
とはいえ人質は人質なので、「賓客」とまでは行かないのだが。
(なに、殺される時は殺される時。ここで慌てても始まらんさ――)
ヴァイハルトはそんな風にゆったり構えて、フロイタール側の武官らに
もちろん丸腰の上、着の身着のままの姿である。それでもヴァイハルトは、自分の監視のために脇について馬を歩ませる兵らにざっくばらんに話しかけ、時折り楽しげな笑声さえ上げた。道中はずっとそんな風で、ただ悠然と、爽やかな森の小道を楽しみながら馬を進ませていった。
そんな自分を、少年王ヨシュアを初め、竜将ディフリード卿やら周囲の武官らが、なにか驚いたような、また感心したような視線で見つめているのは分かっていたが、別に取り立てて格好をつけたつもりは全くなかった。
驚いたことには、その
この将軍は、《鎧》の画面越しに見ていても非常に品のある美麗な様子に見えたものだったが、近くで見ても本当に、まるで女かと見まごうばかりの美貌の男だった。いや、女にも、ここまで端麗な容姿の者はなかなかいるまい。
銀色の滑らかな長髪を緩く編んで流し、美々しくも不思議な菫色の瞳は、「艶麗」という言葉がそのまま当てはまるかのようである。彼が微笑むと、まるでそこにあでやかに高貴な花が匂いたつかのようだった。
どうやらその美貌の竜将と自分が並んで立っていることそのものが、その村の女性がたには非常に感極まることであるらしかった。
ちなみに、この騒がしい村の女たちの一連の様子を見て、背後から歩いて来る巨躯の男、竜騎長ゾディアスが、とてつもなく嫌そうな顔をしているのが興味深かった。
金色の短い髪をしたその男は、その巨大な体躯に見合った大きな
一体、なにがそんなに不満なのかは知らないが、どうやらこの男、あのアキユキの事といいこのディフリード卿の事といい、
なお、村の中では少年王ヨシュアの付き人であるらしい少年少女が出迎えてくれた。
年の頃はちょうどその少年王と同じぐらいに見えたのだが、そのうちの一人、桃色の髪をした非常に美しい女官の少女は、自分と目が合った途端、凄まじい眼光でこちらの瞳を射抜いてきた。
それが無言でありながらもあまりの剣幕だったので、ヴァイハルトはちょっと驚いた。しかし、いったい自分の何がそこまで彼女の逆鱗に触れたものだか、さっぱり理由がわからなかった。
(……なんだか、退屈しなくて済みそうだな。)
ヴァイハルトは、周囲からきらきらと飛んでくる村娘たち――中にはとうに「娘」の範疇から外れたようなご婦人も多々いたが――の熱い視線に、にこやかに手など振り返しながら、そんなことを考えていた。
そんな人間観察が、ヴァイハルトはことのほか好きだったからである。
◇
その後、数日その村に滞在している間、村の人々は――勿論、圧倒的に女性からのそれが多かったのは事実なのだが――非常にヴァイハルトによくしてくれた。
着の身着のままだった軍服を気の毒に思ってくれて、決して物資も豊かではないだろう中、よそ行きらしい上等の布でヴァイハルトの体格にあわせた
ヴァイハルトはそれを着て、自分につけられた監視兵二人を連れては、ぶらぶらと村の中を
出会った村人とはにこやかに雑談もし、そんな中でごくさりげなく、生活の様子や国王陛下、王家についてどう思っているのかを聞き出してみたりもした。そこはやはり、「もと情報将校」としての
生きて戻れるかどうかは定かではなかったけれども、自分としてはここで、できるだけの仕事をしておきたい。何か少しでも、あの男の役に立ってやりたかった。いつかはきっと、どんなことでも、役立たぬということはないはずだからだ。
が、そんな使命感はもちろん
そんな風に、村の人々と、そしてあの美貌の人、竜将ディフリード卿とも話をするうち、やはり思い出されるのは、喪われたかの
見たところ、この非常に美麗な将軍も、何ごとかのつらい想いをその胸に秘めた人であるようだった。そして巧妙に、それらの想いを隠し
彼の努力は十分に功を奏しており、その美しい瞳に時折り宿る暗いものの影を、周囲の人々はまったく気付かぬように見うけられた。だが、皮肉なことに、この敵国の将軍であるヴァイハルトの目だけは誤魔化しきれなかったようなのである。
その相手が誰であるのか、それも何となく察しはついたが、ヴァイハルトはディフリードに対してそこまで言及はしなかった。さすがにそこまでするのは、敵国から来た人質の身ではやりすぎというものだろうからだ。いや、もはやお門違いと言ってもいいだろう。
それに、何となくだが、彼が気の毒にも思えたのである。
「『
余計なことかとは思ったけれども、単に美しい人だからということでもなく、何となく放っておけないような気がしてしまい、ヴァイハルトは彼にだけは少し言わずもがなのことを言いすぎてしまったかも知れなかった。
「人の命は、限りのあるもの。……まあ、それが分かっていても、ままならぬことは多いもの――」
「どうか、あとに悔恨だけは残されませんように」
気がつけばそんなようなことを、ヴァイハルトはつらつらと、つい言い募ってしまっていた。しかし、ディフリード卿はやや呆気に取られたような顔はしたものの、特に怒る風ではなかった。
そして後日、最後に《白き鎧》の中で別れた時にはさりげなく、その美しい
(……同じなのだな。)
そして思うのは、ただただ、そんなことだった。
人は、人なのだ。
どんなに敵対してきたからといっても、やはり同じ人なのだ。
家族がいて、友がいて、隣人がいて。
皆がそれぞれ、それらの人々を大切に思っている。
誰かが傷つくことなど、決してないことを願っている。
殺し合い、憎みあうだけの関係を、この先もずっと続けてゆくことなど、
この国の人々も、勿論サーティークも望んでいない。
無論、問題がそう簡単に解決するような話でないことは分かっている。
しかし、そこに一縷の希望を見た気がして、ヴァイハルトの頬はほころんだ。
ここは、ノエリオールが長年敵対してきた北の国の、更に北の辺境だというのに。
不思議と、心は穏やかだった。
その小さな田舎の村の小道を、周囲の木々が
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