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二十八話:『高速道路? 大体180キロくらいで走るかな。早い人は250キロを超えるし。 ……ちょっと待って。それ本当に高速道路? (ドイツの恐るべき高速道路事情)』

さて、何度目の問いになるかは分からないがあえて問おう。ドイツと聞いたら一体何を想像するか。いろいろな文化を象徴するドイツであるが安心して欲しい。今回は誰もが真っ先に思い浮かべた(であろう)、車について語ろうと思う。

 ドイツ車――それは上質にして洗練された一部の限られた者にのみ所有が許された至玉の逸品、とまではいかないが概ね高級車である。ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン等がその代表格にあがり、お値段はすこぶる高い。

 多くの人はこう考えるだろう。日本でドイツ車が高いのは一重に関税のせいであり、ドイツならドイツ車を安く買えるはずだと。答えは否、である。ドイツでもドイツ車は高い。いわゆる高級車である。多くのドイツ人はいつかドイツの車に乗ることを目標に働いていたりする。ドイツ人にとっても高嶺の花であり、憧れである。これは日本における日本車の立ち位置とは大きく異るのが面白い。

 お金をためて高級なドイツ車に乗る。ではそれまでは? ヨーロッパでは資源・自然環境への配慮意識がアメリカや日本に比べてダントツに高く、車は小型で燃費の良い物が好まれる。大型で燃費が悪いアメリカ車はその対極に位置しており、たとえばベルリンを一日散歩して一台見かけるかどうか、というくらいには人気がない。ドイツではガソリン代が高く、車検を含めた車にかかる維持費がべらぼうに高い。特定都市、例えばベルリンに車で入るには環境基準に関する法令により特別な検査をクリアして排ガスのレベルが一定値以下であるということを示す必要がある。高度経済成長時にドイツを襲った深刻な環境汚染はドイツ人のトラウマなのである。

 さて、ドイツは車の国であることは疑うべくもないが、前に述べたようにドイツは鉄道の国でもある。都市間の移動は車を使うよりもECやICEを使ったほうが圧倒的に早いし安全である。さらにドイツはEasyJetをはじめとした格安航空キャリアが数多く存在するので、長距離をわざわざ車で移動するメリットはあまりない。余談だが時間さえ選ばなければ格安キャリアを使えばベルリンからイタリアはミラノまで三千円で行けたりする。格安キャリアだけではない。高速道路には日本と同じように高速バス路線が存在し、これもまたお得なお値段で利用できる。こうなると車の出番は普段の生活に限定され、長距離旅行は公共交通機関にその役目を奪われてしまう。これは日本とドイツとで大きく異なる事の一つである。

 例えば日本だと旅行に行く場合、車を所有している人は飛行機を使わねばアクセス出来ない場所を除き、ほとんどの場所には自家用車で向かう。わざわざ電車を使う家族はあまりいない。それにはいくつか理由があるのだが、まず日本の場合はドイツに比べて電車賃が恐ろしく高い。家族四人で電車による長距離旅行なんてしたら軽く数万円は飛んでしまう。車があるなら車で行けばいいじゃない(ただし運転時間は考慮しない)。それが日本人である。一方のドイツは電車賃が安く、お得な家族切符やグループ切符も充実しているのでわざわざ車で行くメリットはない。そしてガソリン代がとても高い。環境に配慮したハイオク車だった場合なんて目も当てられない。それにドイツ独自の安全意識が加わり、長時間疲れながら運転すると危ないし、ようやく現地に着いても疲れきってしまって旅行を楽しめない。だから電車で行くことを選択する人が多い。

 一見すると車移動のメリットは何一つないように思えるがそうでもない。一つはそのフットワークの軽さである。ドイツは交通網が発達しているとはいえ、田舎ともなると交通の便が極端に限定される。バスなど二時間に一本などざらであり、下手をすると三時間に一本なんていう場所もある。電車も同じで線路は見えるものの、田舎部では走っている電車の数が極端に少なくなる。かくいう筆者も某所で電車を逃してしまい、次の電車まで数時間駅で待つ羽目になったことがある。田舎は無情である。しかし車で移動しているなら話は別である。あらゆるタイミングで好きなところに行ける。これは大変素晴らしい。このメリットのためだけに数十時間かけて車を運転するドイツ人も少なくない。

 ドイツ人が車移動を選ぶもう一つのメリットとは、高速道路を使えば『頑張れば速く着く』からである。恐らくなんのことかわからないだろう。そういう時は同僚の『ミュンヘンまでは600kmくらいだから頑張って三時間位かなぁ』という言葉を聞いて欲しい。一体何を頑張るのか。答えは簡単である。単純に『運転速度を速くする』のである。何を馬鹿なと思う人も多いかもしれないが、都市部を除き、ドイツの郊外のアウトバーン(高速道路)には速度制限が無いのである。これは一体何を意味するのか。時速150キロで走っても200キロで走っても良いのである。

 何を馬鹿なと思うかもしれないが、これは紛れも無い事実である。むしろ速度制限のないアウトバーンで日本と同じく時速100キロで走ると逆に遅すぎて危ないと言われる始末である。速度制限が無いとなると、一部のクレイジーな人が時速の限界に挑戦するかと思われがちであるが、実際にそこまで速度を出す人は稀であり、概ね時速150キロくらいで走り、早い人は200キロ前後で運転する場合が多い。飛ばす人も200キロを超えるとさすがに恐怖を感じるのか、250キロを超えるのは稀である(もちろん車の性能にも依存するが)。日本でこんなことをやろうものなら高速道路は事故多発の地獄絵図となるだろう。郊外のアウトバーンのトラフィックが少ないドイツだからこそできる芸当である。

 ちなみに時速200キロで時速100キロで走っている車を追い抜かすということは、時速100キロで停車している車の横を通り過ぎるのと同義であり、はっきりいってものすごく怖い。ともあれ、このスピートの恐怖と事故へのリスク、そして自制心と強靭な集中力を駆使すれば、600キロの行程でも三時間もかからずに到着できてしまう。これがドイツのアウトバーンであり、ドイツの車移動の本質でもある。高速道路は原則無料なので、移動に必要な費用はガソリン代だけで良い。中距離には車移動で出かける人も多い。

 ちなみに速度制限が無いという一見無謀ともいえるこのシステムは、厳密な車の管理がちゃんと行なわれているという前提の上で成り立つシステムであり、車検を始め車のメンテナンスはとても厳密に行なわれねばならないとされている。例えばドイツでは車のタイヤのクオリティーコントロールがとても厳しく、タイヤがすり減って溝が規定値以下であると厳しい罰則を受ける。これはとても重要なことで、高速でスリップすると大事故に直結するからである。他にもいろいろあるが、このようにドイツ人は車の質を一定基準値以上に維持するからこそ、あの冗談のような高速道路が成り立つのである。

 とはいえ、多くのドイツ人、特にお金に多少余裕がある人は電車移動を好む。理由は神経をすり減らしながらの高速道路運転に疲れたということもあるが、一重に安全上の理由である。ドイツ人の同僚が『日本の高速道路は速度制限があって実に安心できる』と語るくらいには、実はドイツ人も速度無制限のアウトバーンを運転することにストレスを感じているのである。それならば椅子に座ってビールを飲める電車の方が良い、というのが本音である。

 ちなみにドイツと日本は免許に関して協定を結んでおり、日本の免許のドイツ語翻訳を所持していれば数ヶ月の間に限定されるがドイツ国内を日本の免許で運転することができる。誰でもドイツに旅行に行き、レンタカーを借りてアウトバーンを運転することができる。どうしても時速200キロ超えの世界を体験したい人はお試しあれ(おすすめは出来ないが)。

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独逸異聞録 茴香 @uikyou

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