二話:『ベルリンのサラリーマンの格好はミュンヘンの物乞いの格好である』

二話:『ベルリンのサラリーマンの格好はミュンヘンの物乞いの格好である』


ドイツファッションといえば前衛的だったり奇抜だったり、いわゆるバロック・ロックの影響を受けたスタイルを想像する人も多いのではなかろうか。しかし実際のドイツのファッション事情は多種多様であり、一概にこういうものだ、とは言えない。

 それは何故か? 理由は簡単で、ドイツでは同性婚が認められているくらい主義主張の幅が大きく、それはファッションにおいても同じことが言える。例えば全身を真っ黒な服で身を包んで髪をワックスで固めたゴシック系の人もいれば、まるでモデルと見まごうばかりの華やかな格好をする人もいる。都市部の電車に乗れば実に多種多様な格好の人が乗っているし、他の乗客が奇異の目で見ることもない。ファッションは多種多様というのは当たり前だからである。

 それは髪の色にも言える。日本では金髪は不良の代名詞だがこちらでは人種の違いにより髪の色が違うことは至って普通のことであり、金髪が不良ならば実に過半数以上の人間が不良ということになってしまう。そんな背景があるが故に、こちらの人は髪を染めることを躊躇わない。

 職場の同僚の女の子が突然真っ赤な髪に変わっていたり、いつも行くスーパーのおばちゃんが刈り上げスタイルになっていても、道行く若い子がほぼスキンヘッドで歩いていても、違和感なくそんなものかなと受け入れてしまうくらいには髪の変化は日常的なのだ。

 ファッションに関しては多種多様としかいいようのないドイツではあるが、都市部、特にベルリン周辺に関しては少しばかり事情が異なる。ベルリンは言わずと知れたドイツの首都であり、あらゆる人種が集まる混沌の街でもある。WW2の影響で破壊された町並みは再開発が進みドイツでも屈指の近代化都市であるが、その一方では破壊を免れた古い建物が立ち並ぶ、いわゆる古典的ヨーロッパの表情も併せ持つ。

 そんなベルリンを歩いている人を見てみよう。老若男女、あらゆる人種がいるが、注意深く見ているとあることに気がつくはずだ。それは何か。

 それは「みんなアウトドアジャケットばかり着てる」ということである。そして更に別のことに気がつくだろう。「なぜかみんなJackばかり着てる」。これは本当に謎である。謎であるがそのトレンドは疑うべくもない事実なのだ。そして気がつく。若い子のファッションは二極化するのだと。ひとつ目はファッションに敏感な、いわゆるおしゃれをしたい人たち。自分の主義主張をファッションに織り込むことで自己表現する人たち。そしてもう一つは徹底的な実用性を重視したアウトドアファッションを好む、いわゆる一般人たち。彼らは不便なおしゃれよりも無骨でも実用性を好む人たちである。

 しかしこれには理由がある。ドイツの天気は日本の秋の空より気まぐれだ。朝には雨が振り、昼には太陽が姿を見せ、そのあと豪雨になりそして晴れる。そんなことは日常茶飯事である。ドイツの雨は長くは続かない。日本の言葉で表現するなら通り雨である。だからドイツ人は傘を持たない。

 でも傘を持っていない時に雨に振られると大惨事である。じゃあどうするか。そこでアウトドアジャケットの出番である。ジッパーを上げ、フードを被ればあっという間にレインコートを凌ぐレインウェアに早変わりだ。汚れも付かず、ついても洗えば簡単に落ちる。まさに理想のアウターなのだ。

 汚れにくく、濡れても大丈夫。だからみんなアウトドアジャケットを着る。おしゃれ着をしている女の子もみんなアウターはアウトドアジャケットなのだ。だから脱いだらその下はすごい。でも脱がなければどこかの旅行者にしか見えない。それがドイツなのだ。サラリーマンもスーツの上にアウトドアジャケットを着て出勤というのも日常的な光景である。

 では何故みんなJack(Jack Wolf Skin:ドイツ発のアウトドアブランド)が好きなのか。同僚に聞いてみた。そしたら一言。「ドイツ人はみんなドイツが好きなんだよ」、と。これは言い得て妙であり、同じことが車にも言える。日本でドイツ車といえば高級車だ。ベンツやBMW、フォルクスワーゲンはその代表格であるが、じゃあドイツではそれらドイツ車は安く変えるのか? 答えはノーである。ドイツでもBMWやベンツは高いしVWも高い。だからあまり簡単には手が出ない。そこでこんな言葉がある。

「ドイツ人はみんないつか自分のドイツ車を持つのが目標なんだ」

 閑話休題。彼らの自国愛は深い。車に比べたらジャケットは実に簡単に手に入る。だからみんなJack。ただアウトドアブランドにもヒエラルキーがあって、Jackは高級な部類に入る。最高峰はスイスのマムート。マンモスのロゴが有名で日本でもお目にかかれる。圧倒的ラグジュアリー。これを着てれば周りの視線は釘付けだ。でも圧倒的に高い。次にJack。言わずと知れたドイツアウトドアブランドの雄。これらブランドは男女ともにファッション性の高いモデルを多数発表しているので人気がある。

 実際にこちらのアウトドアショップに行くと、下手なファッションショップを遥かに凌ぐジャケットやパンツのバリエーションに驚かされる。日本ではアウトドアファッション=アウトドア・スポーツのもの、という認識だがドイツではアウトドアファッションは身近なファッションの一つなのだ。そのマーケットは日本と比べるべくもなく、種類も多い。

 一見みんな地味な色のアウトドアジャケットを着ているが、驚くことなかれ。そのジャケットの下はすごいから。一見ちぐはぐに見えるが、実用性を考えるとドイツの気候風土的にはこのスタイルがベストなのだ。

 そういえばドイツに来る前に、日本で会ったドイツ人が行っていた。

「どこに行くの? ドイツ? じゃあ傘は要らないわ。代わりに良いアウトドアジャケットが必要だけどね」、と。あの時は意味が分からなかったが、その意味をようやく理解した。

 しかしこのドイツスタイル。日本人的にはどうか。それは――「実に快適」である。いちいち服に気を使わなくていいし、それこそ多少汚れていても全く気にならない。だってアウトドアジャケットは汚れるものだし。今日はどの服で行こう? そう考えたら、適当なインナーを着て、後はいつものJackを羽織れば完成なのだ。もう一度言おう。実に快適である。気張らないし、頑張らなくても良い。甘い悪魔のような囁きにも似た誘惑を感じる。

 ただ面白いのが、このファッションスタイルは主にベルリン周辺のものであり、他の地域――例えばミュンヘンなどに行くと事情は大きく異る。企業戦士はきっちりとスーツを着こなし、若い女性は着飾っている。同僚のドイツ人曰く、どうやらベルリンが特別らしい。首都なのに気張らない首都。彼女曰く「ベルリンのサラリーマンの格好はミュンヘンの物乞いの格好である」と。

 確かにきっちりと服を着こなすと適度な緊張感が生まれるから身が引き締まるし、それはそれで気に入っている。どちらが良いとは一概には言えないが、皆さんはどちらがお好みだろうか。

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