独逸異聞録

茴香

ドイツ人の知られざる生活事情

ドイツ人の知られざる生活実態とは

一話:『東ドイツ人は初対面の人には可能な限り不機嫌な表情と態度を見せるのだ』

汝、一言でドイツを語れると驕ることなかれ。

歴史的にドイツは複数の小国が寄せ集まった国であり、地方ごとに文化が大きく異なるのが特徴である。故に一言で『ドイツは〜』とは言えないし、言おうとしてもいけない。しかし地域ごとに文化や人間性が異なるとはいえ、社会性質的にドイツは大きく二つに分けて考えることが出来る。すなわちアメリカを筆頭とした連合国が統治する西ドイツと、社会主義国である旧ソビエト連邦によって統治されていた東ドイツである。

 それぞれの地域は西と東に分かれて分断され、戦後はお互いに独自の文化が育まれていった。東西分断と聞いて真っ先に思い浮かぶのがベルリンの壁だが、あれは東ドイツ地域であるベルリン市内に西ドイツ地域が存在するというファンタジーな地理情勢によって生まれた特殊なものであり、東ドイツ地域と西ドイツ地域との境には構造的な『壁』は一切存在しない。というかお金がかかりすぎて作れない。無論それぞれの地域間での移動は厳しく制限されていたのだが。

 筆者はいわゆる旧東ドイツと呼ばれる地域に住んでいる。そこで最初に驚かされたのが、スーパーやレストランの店員さんたちが、まるで怒っているかのように不機嫌かつ厳しい表情をしているということだ。

 無言でレジに並べられた商品を処理していく店員さんたち。その表情は険しく、精算後の金額など眉間にしわを寄せながら告げるのである。彼らを前にすると、日本のいわゆる無愛想と呼ばれる店員さんたちが輝いて見えるレベルである。

 最初は何が自分が気が付かないところで彼らに粗相をしてしまったのかとうろたえもしたが、慣れてくるに連れて彼らはこういうものだと思うようになる。そして末期になってくるとあの不親切な表情が恋しくなってくるから不思議である。しかし、いくら慣れたとはいえ、彼らの徹底した不機嫌そうな態度は初対面の人――特に日本人にはなかなか衝撃的なものである。

 東ドイツの人は冷戦時の隣人監視という悪しき風習を引きずっているのか、なかなか初対面の人には心を開かない。本音を他人に言わない。迂闊な発言をすると政治犯・思想犯に仕立てあげられて投獄されてしまうからだ。なので、初見の相手には懐疑的な視線を投げかける。目の前にいる人間が敵なのか、味方なのか判断するために。

 しかし友人のドイツ人に言わせると彼らが不機嫌そうに振る舞うのはそれだけが理由ではないらしい。彼女曰く、ドイツ人はシャイで外国語を話すことを嫌う。特に東ドイツ地域では英語教育がプアーで、ろくに英語も話せない。そういう状況下で突然明らかに共通言語が英語しかなさそうなアジア人が現れたらどうするか。彼らは必死に接触を最小限にするように務めるのだという。一重に英語で話しかけられないために。

 若い世代では皆流暢な英語を話すが、中年以上の世代では英語に対して恐怖にも似た忌避感を持っているらしい。こうなってはもはやお手上げで、誰が悪い、悪くないでは解決できない。つまりずっとこの不機嫌な表情と付き合わねばならない、ということになる。

 だけど心配ご無用。そんな彼らを笑顔にする方法がある。

 それはレジやレストランで、『片言でもいいので』ドイツ語を話すことである。拙いドイツ語で挨拶をした途端、彼らは一瞬驚いた表情を浮かべ、そして満面の笑みを浮かべながら微笑んでくれるのだ。たった一言で彼らの心許せる距離まで近づくことは出来ないが、それでも歩み寄ろうとする意思があれば、彼らは笑顔で両手を広げて受け止めてくれるのだ。


 今となっては笑い話にできるのだが、実は筆者がこのような『東ドイツは無愛想なのだ』――的な洗礼を受けたのはスーパーが最初ではなく、ドイツ入りをした時、つまりエアポートで強烈な洗礼を受けた。筆者がミュンヘンで国内便に乗り換え、ベルリンに到着した時、自分の荷物がいくら待っても出てこないという状況に遭遇した。時間も経ち、これはもうロストバゲージかなと諦めてベルリン空港のクレーム関係の窓口へと無かっていた時である。

 ロストバゲージに対応しているオフィスはすぐに見つかった。そこには一人だけ先客がおり、何やら身振り手振りで熱心に説明していた。さて、では自分も彼にならっていろいろ説明しないといけないなと思ってオフィスの前に立つ。オフィスの自動扉がゆっくりと開かれていく。少しばかりの緊張を伴って、窓口の人が英語を話してくれますようにと心の中で祈りながら(筆者はドイツに来たばっかりで当然ドイツ語はしゃべれない)ゆっくりと足を踏み出した。

 そしてオフィスに踏み込んだ瞬間、窓口にいた担当者と思しき中年の女性が大きく首を横に振り、『呼ばれるまで入ってこないで』と睨みながら語ったのである。一瞬何を言われたのか理解できなかったが、どうやらオフィスに無断で入ったのが行けなかったらしい。一旦オフィスの外に出る。そして気がつく。窓口はオフィスの中にあり(JRの緑の窓口のような配置)、オフィスに入らないとクレームできないのだ。じゃあ当然中に入る必要があるのだが、係の人は勝手に入るなという。じゃあオフィスの前に次の人が待つ場所があるかと探してみるがそんなものは一切存在しない。

 その時同伴していたドイツ人同僚もそんな係員の立場に驚いたらしく、自分に変わって事情を聞いてくれた。そして彼は驚愕の事実を耳にする。

 『なんでも部屋に対応客以外の順番待ちのカスタマーがいると気が散るから』ということらしかった。確かに夜の便だったし、疲れているのかもしれないけれどサービス業としてそれはどうなのかと。

 既にお気づきかも知れないが、ドイツのサービス業に気持ちの良い接客とか、笑顔とか、そういうものを求めてはいけない。東ドイツなら尚更である。彼らのサービスとは可能化な限り不機嫌そうに振る舞い、笑顔は無く、素っ気なく、プロフェッショナルとして自分の職務を全うすることである。ロストバゲージに対しては当然謝罪もない。会社のミスは会社のミスであって窓口の人のミスではない。なので彼らは謝らない。

 しかし誤解しないで欲しい。別に彼らの性格が悪いという訳ではない。ただ懐に入るまでに時間がかかるだけなのだ。常にしかめっ面で、無愛想で、怒っているようにも見える彼らではあるが、その実、シャイで、怖がりで、そして歩み寄る人を笑顔で受け入れてくれる可愛らしい人たちなのだ。

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