ドイツのファンタジーすぎる賃貸住宅事情とは

十八話:『家を借りる時、キッチンを自分で用意しないといけない? 冗談も休み休み言いたまえ』

ドイツのユニークな文化としてしばしば賃貸事情があげられる。若いドイツ人はよく引っ越しをする。それが仕事の事情であれ、家庭の事情であれ、本当によく引っ越しをする。年配者はあまり引っ越しをすることなく一箇所に落ち着くが、とにかく若者は引っ越しをする。

 引越し業者に引っ越しを依頼すると高くつくので、友人たちを呼んで引っ越しを手伝ってもらうのは全国共通らしい。しかし日本と違うのは、よく引っ越しの際に「今回は壁の色は何色にするの?」とか「今度のフラット(借りている部屋のこと)はキッチンついてるの?」という、日本人的には意味不明な会話のやり取りを聞くことが多い。

 まず最初のところ、壁の色は何色にするのかという質問。これは文字通り、新しい住居の壁の色を自分好みに塗り替えるという意味である。ドイツでは「借りた部屋の壁は出て行く時に元の色に塗り替えさえすれば、借りている最中は何色に塗っても構わない」という決まりがある。だからみんな自分の家の壁を思い思いに塗っていく。ドイツ人が引っ越しの最初にやることの一つがこの壁塗りなのである。

 DIYショップに行くと様々な色の壁用のペンキが置いてあり、気分によって今年は黄色に塗ってみようとか、今度は青がいいわね、なんて会話が聞こえてくる。それくらいドイツの賃貸物件は自由なのである。しかしドイツの賃貸物件が自由なのは何も壁の色だけではない。壁に穴を開けて自分の好きなように棚を配置するのもドイツならではの文化である。

 日本であれば賃貸物件の壁に穴を開けるなど御法度中の御法度であるがドイツでは、やはり壁の色と同じように「引き払う時に壁に開けた穴を石膏で埋めれば自由に穴を開けて良い」とされている(ただし物件によっては制限されている場合もあるので、始めは大家さんに聞く必要があるが)。なので壁を好きな色に塗った後にすることは、壁のどの位置にどのような棚を配置するかを検討することである。

 実際ドイツではこうした壁に埋込み式の収納がポピュラーであり、例えばIKEAに行くとそれ関連のコーナーは引っ越しを控えた人たちで連日大賑わいである。ドイツは何でもDIY(自分でやる)なのである。ちなみにドイツの家庭に必ず置いてあるものの一つとしてこの壁の穴の補充材がある。

 しかしこの壁に穴を開けて良いというシステムは時として問題を引き起こす。それは壁の中には室内のコンセントを繋ぐ電線が走っている点である。大抵の場合は電線や重要なケーブル類はとても硬い金属板で保護されており、うっかりドリルで穴を開けようとしても固くてそれ以上掘り進むことができなくなる。殆どの場合はこれで悲劇を回避できるが、たまにそれを硬い壁にぶつかっただけだと勘違いして頑張ってドリルで穴を開けてしまう猛者がいる。

 そうなるとどうなるか。室内の電気は一瞬で遮断され、それを治すのに高い費用がかかる。実際運が悪い人はこうした電気系統のパーツが走っている部分に穴を開けてしまうこともある。それでは困るとして開発されたのが「壁の中センサー」である。これはドイツが世界に誇る工具メーカーのボッシュの製品が有名であり、壁に穴を開ける前にそこに何が埋まっているのかを予めチェックできる優れものであり、大きなスーパーの電気コーナーに行くと普通に置いてある。

 おそらくこのような壁センサーをスーパーで売っているのはドイツくらいだろう。スーパーのポイントの景品として壁センサーがもらえるキャンペーンがあるくらい日常的である。日本ではそんなものもらっても誰も喜ばないし需要すら無いだろうがドイツではスーパーで扱う程の必需品である。それくらいドイツでは自分で自由に壁を塗り替え、穴を開け、家具を設置するのが一般的なのだ。

 こうしてドイツ人は自分のフラットをイメージ通りに改造していく。とても自由度が高く、それぞれの個性をいかんなく発揮できる。だからドイツでは友人の家に行くのがとても面白い。みんな個性的で、モダンで、奇抜で、そして素敵である。

 さて、ドイツの賃貸事情がユニークなのはこれだけではない。おそらくドイツだけの文化なのだろうが(フランス人の友人とスペイン人の友人曰く)、ドイツでは新しく物件を借りる場合、前に住んでいた人がキッチンを引っ越しと共に持って行ってしまう場合が多く、そうした場合は自分で新たにキッチンを用意する必要がある。日本人的には何を言っているのか全く理解できないだろう。筆者もドイツに言って真っ先に驚いたことの一つに、大家さんに「キッチンは自前の持ってくるの? それとも備え付けがいい?」と聞かれたことである。

 いやいや、引っ越しに自前のキッチンを持ってくるという言葉自体意味不明なのだが、当の言った本人(大家さん)はいたって真面目である。意味不明だったが、とりあえず新しく家具をそろえるのが面倒だったのでFURNISHED(家具付き)とお願いした。意味がわからないと思うので少し丁寧に説明しよう。

 まずドイツでは賃貸物件はキッチン無しがデフォルトである。ここで言うキッチンとは流し(シンク)からコンロにまで至るその全てのことである。ウソのようだがホントのお話である。そしてそういう物件に引っ越す人は、自分で新たにキッチンを用意する必要がある。場合によっては大家さんが余分なキッチンを持っている場合もあるので付けてもらうことも出来る。この場合は家賃が少し上昇する。とにかく安くあげたい人は自分でキッチンを用意する。

 ではキッチンを自前で用意しなければならない場合まず何が必要か。答えはホームセンターに全て揃っている。まずドイツ、というよりもヨーロッパ家具の美点として、その全てが統一規格であり、ユニットごとに誰でも自由に組み替えて使うことができる、という点にある。例えばキッチンを見てみよう。

 必要な物はキッチンに使う一枚の分厚い板。それにシンクを埋め込み、その横にはコンロが必要だ。その全ては統一規格で作られており、自由に好きな色、形を選ぶだけで良い。後はブロックをはめこむように適当に設置するだけで驚くほど簡単にキッチンを作れてしまうのである。

 統一規格の凄まじさはこれだけに終わらない。食洗機をキッチンの下に埋め込むことも可能であり、冷蔵庫もすっぽりと入る。ショールームに行くと、食洗機と冷蔵庫、洗濯機と乾燥機が全て埋め込まれた冗談のようなキッチンを見ることができるが、理論上は可能である。というよりも簡単に作れてしまう。はめこむだけである。誰でもできる。

 このようにドイツではキッチンもDIYなのである。ちなみにコンロ部分に関してはガスは不人気、とうよりも賃貸契約で禁止されている場合が多く、電熱線であったり、インダクション、そしてハロゲンであったりする。個人的におすすめなのがハロゲンであるが、日本ではあまり知名度は高くない。というよりも見たことがない。閑話休題、このようにドイツでは新しい場所に引っ越す時はキッチンも自分で用意する必要がある。


 余談ではあるが、ドイツでは自分の部屋を外から隠そうとしない。夕方住宅街を歩いていれば分かると思うが、多くの家庭がカーテンを開いたまま夕食をとっていたりする。外からは家の中が丸見えにもかかわらず、である。

 しかし誤解してはいけない。彼らはわざと自分達の「素敵な部屋」を我々に見せているのである。確かにカーテンを開けている部屋のそのいずれもが、美しく彩られた部屋であったり、モダンな書斎のような部屋であったりする。とにかく美しく、素敵なのだ。そしてドイツ人はそんな自分達の美しい部屋を人に見せることを好む。夜になると雨戸を閉めて完全に家の中の様子を隠そうとする日本とは大きな違いである。そもそもドイツの窓には雨戸がないことが多い。

 なのでドイツで友人宅に招待されたら、その人の家をくまなく見て回るのがドイツの流儀である。そしてその素晴らしい部屋を褒め称えるまでがお呼ばれの礼儀であったりもする。ただし扉が閉められている部屋を家主の許可無く勝手に開けてはいけない。大惨事になりかねない。


 なんでも自由に自分のアイデアで部屋を彩ることが出来るドイツ。もしドイツに旅行に行く機会があれば是非夕方の住宅地を歩いて欲しい。そして窓の向うに映る素敵な部屋を楽しむのも、一風変わった旅行体験としては面白いかもしれない。

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