十三話:『買い物は出会いなんだよ。在庫? 人との出会いに在庫なんてないでしょ? 買い物も一緒だよ』

 ドイツの買い物事情、特に商品に対する接し方が日本のそれとは大きく異なっていることを知る人は少ない。特に客と店との距離、そして商品在庫に対する考え方が大きく違う。

 まずは前者、買い物客と店との距離の違いについて語ろうと思う。日本では何よりも客を尊び、心地よく買い物をできるようにと誠心誠意尽くそうとする。お客様は神様とは言いすぎだが、それでも店側は明確に客のほうが立場が上と錯覚するかのような丁寧な対応をする。これは日本の美徳であると同時に悪習とも言える。なぜなら客が店側の配慮を当然と受け止め、相手に対して敬意を払うことが少なくなっているからだ。

 ではドイツではどうか。前にも触れたがドイツでは客とサービス提供者の立場はあくまで対等である。それは店と客との関係についても例外ではない。店の中の商品は店主のものであり、客が金を払って始めて所有権が移行する。だから客が店主に断りなくべたべたと触りながら商品を物色していると、店主は間違いなく不愉快な表情を浮かべるだろう。なぜならその商品は店主のものだからである。誰だって自分のものを遠慮無くベタベタ触られたらいい気はしない。そんなバカなと思うかもしれないが、ドイツではお客様は神様ではないのである。

 ドイツではお店に入ることは他人の家に入るのと同じである、とは言いすぎだが、それでも客の方からも店員に挨拶をする場合が多い。日本の感覚で無言で入店し、棚に並んだ手に持って商品をあれこれ物色し結局何も買わずに出る。そんなことをこっちでやると下手をすれば塩をまかれかねない。否、筆が滑った。さすがにそこまではいかないが、そんなことをすれば確実に良い顔はされない。日本においては粗相でも無礼でもない普通の態度であっても、ドイツにおいてはそれは不躾な態度に映るのである。所変わればなんとやら、ドイツに旅行をして現地の素敵なお店に入る時は笑顔で店員さんに挨拶をしよう。たったそれだけで店員さんは満面の笑みを返してくれるだろう。お互い心地よく買い物をしたいものである。

 さて、ドイツと日本とでは買い物客と店との距離感が違うことは理解いただけたと思う。しかしお店に関するドイツと日本の違いはこれだけではない。先にも述べたが、商品在庫に対するスタンスがドイツと日本とでは大きく異なっている。それを理解するにはドイツの世界的にも類を見ない凄まじいバーゲンを語らねばならない。

 ご存知かも知れないがドイツには年に二回、夏と冬に各地で一斉にバーゲンセールが行なわれる。夏のセールははSSV(Sommerschlussverkauf Sommer Schluss Verkauf :夏の終わりの大売り出し)、冬はWSVと呼ばれている。

 これをただのセールと侮ることなかれ。その値引率は凄まじく、場合によっては80%オフ、なんてこともあり得る。日本の名ばかりのセールとは違い、こちらのセールは文字道り売り尽くしのセールなのだ。

 このドイツの夏と冬の二代セールの歴史は古く、少し前までは混乱を防ぐためにわざわざ法律でセールの開催時期が規定されていたりする。現在ではこの法律は廃止され、それぞれのお店が一定の期間内という制限はつくが自由にセールをうたうことが出来る。

 さて、この売り尽くしセールはどのようなものか。これを目当てにわざわざドイツに買い物旅行に訪れる人がいる程である。とにかく安い。あらゆるものが値引きされ、客は待ってましたと言わんばかりにバーゲン品を買い物かごに放り込んでいく。

 そしてこれが最大の特徴なのだが、基本的にドイツでは洋服や靴などのモデルチェンジのサイクルが早いものに関してはデッドストックを嫌う。とことん嫌う。ではどうするのか。在庫がなくなるまで売りつくすのである。

 例えばお店がとあるブランドの靴を扱うとしよう。そろそろ季節の変わり目が近くり、夏なら冬物が、冬なら春夏物が発表される時期である。そうなる前にオフシーズンのアイテムは売り尽くしたい。例えばその時期が春なら夏のセールまでにちょっとずつ値引きをしたとしよう。すると定番サイズはそこそこ売れて、売り切れ間近になった。逆に標準サイズからずれたもの、特にサイズが大きいものと小さいものに関しては売れ行きはイマイチで、仕入れた分が残ってしまっている。そうなった場合、売れ行きが悪いものだけ更に値引きをするのである。

 つまり標準サイズの靴は定価、もしくは僅かな値引きをして、同じモデルでも売れ行きの悪いサイズのものは更に大きな値引きをするのである。いわば値引きのえこひいきである。標準サイズのものが一万円、オフサイズの物は三千円、ということも起こりうる。これには大きいサイズを求めている人は大喜びである。しかしそれ以外の、いわゆる一般的なサイズの客からしたらなんとも不公平な話ではあるが、店にとっては実に合理的な方法である。

 この手法、実店舗のみならずネット通販でも同じシステムが採用されており、例えばamazonで靴を買おうと思ったら、サイズによって値段が大きく違う、ということは往々にしてあり得るのである。そうやってあの手この手で在庫をすべて売り切ろうとする。

 ドイツでは場所(都市)にもよるが、昨年モデルの商品が翌年の店頭に並ぶことは

あまりない。その前にみんなセールで売り尽くしてしまうからだ。この夏と冬のセールはそういうデッドストックを嫌うドイツのお店からしたら絶好の機会なのだ。同時にそれは客にとっても喜ばしいことである。もしバーゲン品の中に気に入ったものを見つけることができたら、そしてその中に自分のサイズがあったら、貴方はとても運が良い。通常の半額以下、下手をすれば十分の一近くの値段で手に入れることができるのだ。文字通り残り物には服がある、ということである。

 さて、そんな残り物を求めてセールの時期になると毎年多くのドイツ人がデパートやお店に行き、『%』の文字が付けられた商品を血眼で物色する訳であるが、ここで日本人とドイツ人とで行動に大きな差が出る。

 ドイツでは売り切りが基本姿勢なので、まず在庫を持たない。これが一体何を意味するのか。答えは簡単である。気に入って手にとった洋服は現物限りであり、店は在庫を持たない。つなりその機会を逃すとその洋服は二度と手に入らない。ドイツのセールは殆どの場合においてすべて現品限りである。気に入ったものに出会えれば運が良い、という偶然の出会いを楽しむ場でもある。故にドイツ人はそういう『良い出会い』があったら躊躇わない。すぐに買い物かごに入れて自分のものだと唾をつける。日本人のように、展示品がちょっとしわがよっているので在庫の新品を出してもらえないだろうか、なんてことを悠長に考えていたら獲物はあっという間に他の人に掠め取られてしまう。バーゲンは戦場でありサバンナである。

 実際服を買うのはセールの時だけ、と決めている人も多い。ドイツの定番もの(アウトドアージャケット等)は飛ぶように売れるが、人気がある商品はその数も多い。お店を複数回れば一軒くらいは自分の好みのものを扱っているところに出会えるだろう。獲物を見つけた瞬間、飢えきった心を満たすべく無慈悲に、躊躇わず、獲物に牙を突き立てるのだ。ドイツ人の決断は早い。

 場所によって多少の誤差はあるが、SSVは7月、WSVは1月に行われる事が多い。もし偶然この時期にドイツに行くことがあれば何はともあれデパートに足を運んでみることをお勧めしたい。日本とはちょっと違ったドイツならではのセールを肌で感じてみてはどうだろうか。

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