ドイツの男女共同参画型子育てスタイルとは

二十三話:『パパ達は子供達と公園に散歩に、ママ達はデパートにお買い物に。』

子育て。国を問わず、多くの人びとがこの言葉に悩み、苦しみ、そして喜びを見出してきた。まさに人類の歴史は子育ての歴史である。食文化と並び、子育て程その国を特徴づけるものはないだろう。いわゆる所変わればなんとやらである。

 日本では古くから子育て、特に子供が乳児から幼児の間は特に母親の仕事とされ、父親がそれに積極的に関わることはない。もちろん父親は昼は仕事で家を開けねばならないので子育てに関わっていられる時間が限られているというのも理由の一つであるが、概ね母親の仕事と認識されている。父親は多くを語らず、その背中でものを伝えるものである。そんな硬派な父親像が崩れて幾久しい日本であるが、程度の差こそあれど子育ては母親の仕事という認識は揺るがない。

 しかしそれがドイツとなると状況は全く異なる。ドイツでは子育ては父親も積極的に参加するものである、という認識が一般的である。多くの父親が子供のために仕事を早退して幼稚園に迎えに行く、あるいは仕事に行くのを少し遅らせて毎朝子供を幼稚園に送りに行く。幼稚園は朝夕問わず、子供達の送り迎えに来た父親達で賑わっている。ドイツは『今日は幼稚園に子供を迎えに行かないといけない日だから早退する』といった言葉が職場で飛び交うが、早退することに異を唱える人は誰もいない。なぜなら『子育ては全てにおいて優先すべきことである』と、全てのドイツ人が共通した意識として持っているからである。子供が風邪を引いたら時には仕事を休んで母親と一緒に病院に行く父親も珍しくない。ドイツでは仕事よりも家族が大事なのだ。

 何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、この当たり前のことを実現できないのが日本社会である。例えばドイツでは子供が生まれた場合、父親母親問わず、育休を取ることが出来る。そしてドイツ人のメナーズ(父親たち)はこの育休をほぼフルに消化する。職種と自身のポジションによって多少は変わるが、少なくとも三ヶ月、長くて半年の育休を取るのが一般的である。そして新米父親たちは新米母親と一緒に子育てに悪戦苦闘するのだ。むしろ育休を取らないと、『えっ? 奥さん子供生まれて大変だろうに君は休まないの? それってちょっとひどいんじゃない?』と非難されるほどである。

 父親が子育てに積極的に参加している理由の一つとして、既婚ドイツ女性の就労率の高さがあげられる。ドイツでは女性は家を守り、男性は外で仕事をする、といった概念は現在では減少傾向にある。多くの世帯が共働きであり、そこに男女の差異はあまり存在しない。特に旧共産圏、いわゆる東ドイツ地域ではそれが顕著で、殆どの女性は結婚しても共働きは常識である。更に言うと家庭によってはお財布が父親と母親とで分かれていたりする。あくまで結婚はパートナーとの共同生活であり、その本質は個人と個人の付き合いである、という考え方である。そうなるとお互いを尊重する意識が高まってくる。結婚してるから多少の負担を相手に押し付けても大丈夫、なんてことにはならないのである。そういう考えは子育てに顕著に現れる。

 朝夕の送り迎えはもちろんのこと、休日の子供の散歩も立派な父親達の仕事だったりする。休日に公園を歩くと、ベビーカーを押している父親の集団を見かけることがある。周りをいくら探しても母親はおらず、どうやら父親だけの集まりだというのが分かる。男性陣が並んでベビーカーを押している姿はある意味シュールであり、道行く老人たちが微笑ましい視線を投げかける。ひょっとしたら彼らは父子家庭なのかもしれない、そんな疑問が浮かび上がるが心配ご無用。ちゃんと奥さんがいる。

 ではそんな奥さんたちはどこにいるのか? 日頃の育児から開放された奥さま連合は徒党を組んで喫茶店でケーキを頬張っていたり、あるいはデパートでショッピングに勤しんでいたりする。いわゆる父親たちによる母親感謝デーのようなものである。

 ドイツの父親達はこうした母親の負担を減らす努力を厭わない。むしろ積極的に子育てに関われることを楽しんでいるようである。ドイツの女の子の習い事といえば乗馬かバレエなのだが、夜にバレエ教室の前を通ると子供を待っている父親の集団が通りを埋め尽くしている光景に遭遇することも珍しくない。

 とにかくドイツの家族は休日に公園を散歩する。父親と子供達が嬉しそうに野原を走り回り、母親は貴重な自分の時間を手に入れる。こうしてドイツの家庭は育まれていく。先にも述べたがドイツでは子供のためという理由はいわばお墨付きであり、仕事を早退する免罪符でもある。だから父親たちは必要以上に積極的に子供の活動に参加しようとする。例えば幼児の体操教室が夕方に開かれているのだが、五時にもなればいつの間にかそれぞれの子供の父親が揃っていたりする。五時に体操教室にたどり着くには少なくとも四時台、遠くの人は三時台には仕事を終わらせて退社していなければならないはずである。つまりどういうことか。

 子供の体操教室がある日はやむなく早退しているのだ。繰り返すがそうした積極的な早退は社会通念上認められており、むしろ積極的に推進されていたりする。なので父親たちは子供のために早退することに余念がない。働くよりも子供と一緒にいることのほうが良いに決まってる。まさに父親にとっては渡りに船なのだ。しかしこれは父親のみならず、母親にとってもありがたいのである。父親が早退して子供の面倒を引き継いでくれれば、場合によっては母親は先に家に戻ることも可能であり、その間に自分のやりたいことや、やり残したことを片付ける。子供は父親と遊べて嬉しい。父親は早退できて嬉しい。母親は自分の時間ができて嬉しい。まさに全ての人にとってwin-winな関係になるのだ。

 こうして家庭は温かい気持ちで包まれる。ドイツで見聞してきた文化の中でも、筆者は特にこれを気に入っていたりする。子育ては家族で行うものであり、家族はお互いを支え合うものである。まさに思いやりのフィード・フォワード・ループである。

 しかし全てが全て、このように夫婦円満な家庭なわけではない。当然、中には子育てに興味の無い父親もいるし、あるいは子育てをしない母親も存在する。実際ドイツでは親による育児放棄が社会問題化しており、見かねた近所の人たちがそうした子どもたちを保護して自分の家で暮らさせようとしてトラブルになったりもしている。ドイツでは昔の日本に見られた『社会による子育て』という概念が残っており、近所のおばちゃんにお菓子をもらったり、悪いことをして叱られるというのは日常茶飯事である。それこそ見知らぬ通行人のおばあちゃんに怒られたり褒められたりすることすらある。そういう意味では育児放棄されたドイツの子供はスタンドアロンではなく、味方は社会にいる。頑張れば逃げ道は見つかるかもしれない。そこが日本との大きな違いではなかろうか。

 子供と親との良好な関係は国の明るい未来への篝火である。日本でもイクメンと称した子育てパパが話題になったが、父親達が休日に肩を並べてベビーカーを押す日が来るのだろうか。そんな日が来たら日本はもっと素敵になるだろうとは筆者の勝手な思い込みである。

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