ドイツ人のキノコにかける情熱とは

十五話:『私が知ってるキノコはこれだけなの。だから死にたくなかったら他のは駄目! 〜 キノコに命をかける人々』

いきなりだがドイツ人はきのこ狩りが好きである。きのこ。漢字で書くと茸。ドイツ語ではピルツ。日本で茸がたくさん食べられるように、ヨーロッパにおいてもきのこ類はしばしば食卓にあがる。その種類は日本よりも劣るが、オリーブオイル漬けにしたり、はたまたキッシュに混ぜ込んだりと調理方法は実に多彩である。クリスマスシーズンの風物詩であるマッシュルームの油炒めにサワーソース和えは絶品である。

 ヨーロッパで茸と聞くと真っ先に思い浮かぶのがイタリアだろう。ポルチーニ茸やタルトゥーフェル(いわゆるトリュフ)を使った料理が有名で日本人もその名前を聞いたことがあるだろう。トリュフは言うまでもなく、ポルチーニ茸は西洋松茸と呼ばれるほど香り高く、実は茸の王様である。このポルチーニ茸、フランスではセップと呼ばれているがあまり日本人には馴染みがないことを考えると、やっぱり茸の国といえばイタリアなのだろう。

 このポルチーニ茸、ちゃんとドイツにも存在する。名前はシュタインピルツ(石キノコ)と呼ばれ、子豚の意味を関するポルチーニとは随分とかけ離れたネーミングである。実はこのドイツ、イタリアやフランスの影に隠れているが、隠れた熱狂的キノコ王国なのである。

 ドイツのスーパーで一般的に買えるのがシャンピニオン。つまりマッシュルームのことである。これは白と茶色の二種類があって味に違いはない。ドイツ人にキノコと聞くと真っ先にこれを想像する人が多いくらい代表的なキノコ。味に癖がないのであらゆる料理に合う優等生でもあったりする。どのスーパーにも置いてある。

 シャンピニオンがドイツで売られているキノコの殆どを占め、次にヒラタケが続く。これは日本のヒラタケと比べて遜色なく、まさにヒラタケである。しかし味が薄い。シャンピニオンとは異なり、ヒラタケはシーズンによって生だったり乾燥させた状態で売っていたりする。

 この二種類がドイツのキノコのメインであり、逆に言えばこれ以外を求めた場合一般のスーパーでは手に入りにくく、BIOショップなどの特別な店に足を運ばねばならない。これだけを聞くと、ドイツは全然キノコを食べないじゃないか、という話になる。確かにドイツは日本とは異なりキノコのブリーディングカンパニーは少ないし、生産しているキノコの種類も少ない。秋になれば市場に出回るキノコの種類も増えるがそれでも数種類増えるほどであり、日本とは比べるべくもない。しかしドイツ人はキノコをよく食べる。たった二種類では彼らの満足には程遠い。一体どういうことか。

 キノコが市場に出ないなら自分で取りに行けばいいじゃない。マリーアントワネットの言葉ではないが、ドイツ人の多くはキノコの季節になると友人や家族たちと森に赴きキノコ狩りに勤しむのだ。キノコが一番多く育つ時期――秋に電車やバスに乗ると、老若男女問わず、多くの人が可愛らしい籐のようなもので編んだかごを持っていることに気がつくだろう。そう、彼らはこれからキノコ狩りに行くのだ。

 しかし忘れてはいけない。彼らはキノコを狩る狩人なのだ。狩人は絶対に他人に狩場を教えない。電車の窓の外に広がっている広大な森のどこに狩場を設けるかは人それぞれであり、親しい友人にしかその場所を教えない。人によっては自分だけに分かるように森に印をつけることもあり、キノコ狩りの時期になると森の中は一種独特の緊張感に包まれる。今年のキノコはよく育っているだろうか。まだ見ぬ期待と不安が入り交じる。そして自分だけの狩場に到着して、目の前の景色に一喜一憂するのである。

 運が良ければあなたの狩場は誰にも見つかっておらず、たくさんのキノコがすくすくと育っている。しかし逆に運が悪ければ貴方の狩場は他の誰かに発見され、そこに生えていたキノコはすべて狩り尽くされるという惨状を目のあたりにすることになる。キノコ狩りは戦いである。

 しかしそれでは森のなかは常に誰かの縄張りということになり、キノコが残らず狩り尽くされてしまうのかと問われれば、答えは否である。誰かとお互いの狩場が被っても、その狩場のキノコが相手によって狩り尽くされるということは滅多に起こらない。

 これには深い理由がある。まず最初に、ドイツ人はキノコ狩りが大好きである。季節になるとピクニック代わりにバスケットを持って森に入る。そうしてたくさんキノコを採集して、家で食べられるものとそうでないものとに仕分けて料理をする。そうして多くのドイツ人が毒キノコを誤食し、少なくない命が失われた。日本と同様、ドイツもキノコ狩りの宿命からは逃れられなかったのだ。

 それ以来、ドイツ人の中にとある自衛のためのルールが生まれた。ルールというよりも鉄則に近い。必ず守らねばならない決まりごとである。それは『自分が100%、一切の間違いもおかさずに種類を同定できるキノコしか食べない』ことである。

 友人と一緒にキノコ狩りに行った時である。森には多種多様のキノコが生えており、いくつかは図鑑で見た食用キノコが生えていた。それを友人に指摘すると、彼女はゆっくりと首を横に振ってこう言ったのだ。『私はまだ三種類しかキノコを取れない。他の種類についてはまた勉強するから来年ね』と。どうやら彼女は祖母からキノコ狩りのノウハウを教えこまれたらしく、未熟な彼女は三種類しか取って食べることを許されていないらしい。もちろんそこに強制力など無く、自分を信じた分だけ多くのキノコを食べることができる。しかし多くのドイツ人はキノコの採取に細心の注意を払い、この『自分が完全に同定できるキノコのみ食べる事が許される』というルールを厳守している。

 なので仮に誰かとキノコ狩りの狩場が被ったとしても、お互いが得意としている獲物(キノコ)が被っていなければ住み分けは可能なのである。こうしてキノコ狩りを楽しみ、家に戻ってキノコを選別し、新鮮なキノコを使って料理を楽しむ。旅行客は知らないドイツの隠れた秋の風物詩である。

 ちなみにこの「自宅に戻ってキノコを選別」というプロセスはとても重要で、下手をすれば自身の命に関わる大事である。キノコの選別に自身がない人は命のリスクをおかしてキノコを食べるか、もしくは泣く泣く諦めるしか無い。しかしキノコに情熱をかけるドイツ人はこんなキノコ弱者を捨て置くことはしない。誰もがキノコを快適に楽しめるべく、行政が『キノコ持ち寄り鑑定所』を開催したのである。

 これはとても素晴らしいシステムで、持ち寄ったキノコをキノコマイスターが責任をもって食用キノコとそうでないキノコ、そして毒キノコとに選別してくれるのである。こうして多くのドイツ人がキノコを安全に楽しむことが出来るようになり、キノコの食中毒で死ぬ人はほぼいなくなったと言われている。

 日本においてはキノコ狩りは一部の訓練された人のみが行なうべきと考えられているが、ドイツでは老若男女、それこそ大学生が友達に「そろそろキノコ狩り行っとく?」「いいね!」と会話に出るくらいには身近なのである。スーパーに並ばない、ドイツの本当のキノコ事情を知る人は少ない。ちなみにこのキノコ狩り、近隣諸国でも生活に身近で、特にポーランドではカップルでキノコ狩りというのが普通だったりする。

 余談ではあるが、キノコで人気なのはプフェファリンゲ(アンズタケ)であり、食感、味とともにとても美味しい。ドイツでもマイタケは貴重品とされ、日本と同じように見つけたら家族でも教えないと聞くがその真偽は定かではない。

 最後に、現代は流通国際化の時代である。ドイツに居ながらにして地球の裏側のものが容易に手に入る。キノコも然り。輸入食材店に行けば多くのキノコが乾燥された状態、もしくは瓶詰めで売っている。中国産のキクラゲやナメコ、シメジ(これは何故かShimeji表記)、そして椎茸も簡単に手に入る。しかし自分で採取した天然きのこはそのどれにも勝るとも劣らない味わいである。

 日本人が思っている以上にドイツ人はキノコが身近である。もし近くにドイツ人がいたら、日本のちょっとめずらしいキノコを食べさせてあげよう。えのき茸のバター醤油のホイル焼きなどはドイツ人にとても評判が良かった。お互いキノコ好きの民族として、食文化交流に洒落こむのも悪く無い。

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