二十話:『私明日から一ヶ月休むからあとよろしくね? はっ? じゃあ来月また会いましょう? はぁあああ?? (ドイツの恐るべき長期休暇制度とは)』

人は一体何のために働くのか? 哲学的な問いに日本人は一体何と答えるだろう。答えに窮してしばし考えこむだろうか。それとも迷いなくはっきりと答えるだろうか。ドイツ人であればこのような問いに対して、こう即答するだろう。


『楽しく生きるために働いているのだ』と。


 多くの日本人が考えているドイツ人のイメージは『勤勉』である。日本と同じく技術大国であるドイツ人は勤勉、実直、そしてあらゆることにこだわりを持ち続けるマイスターの国。おそらく多くの日本人がそう考えているだろう。では実際はどうか。

 まず勤勉という点について。ドイツでは日本に比べて残業が恐ろしく少ない。前にも述べたが朝が早いという理由もあるが、五時ともなるとオフィスから人の気配が消える。みんな一秒でも早く家に帰りたい。だから残業なんてしないしする必要もない。今日すべきことは今日中にする。そのためには日中は恐ろしいほどの集中力を見せる。余計な会話などせず黙々と仕事を終らせる。

 仕事が終わらなかったら残業すればいいや、という考えはない。親鸞が詠んだ、明日ありと思う心の仇桜の精神がドイツ人の中に息づいている。同時に彼らは労働のプロでもある。自分の仕事をキッチリと行ない、休日には仕事に関する一切に反応しない。例えば急ぎの用事で土曜日に同僚にメールを送っても、自動返信で『休日中につき返事は月曜日まで待たれたし』という旨の返事をもらうだけである。彼らは労働力を提供する代わりにサラリーを得ているプロである。自分の時間を時間外労働という形で安売りすることはない。

 では勤務時間はどうか。これは日本と同じでフルタイムで1日8時間、週に5日間が基本である。これだけ見ると日本と同じであるが、実際のドイツ人の平均勤務時間は日本のそれに比べて二割程度低いと言われている。ではその差は一体どこから生まれるのか。まず年間休日を見てみよう。

 ドイツの休日(旗日)は年間10日前後と日本の15日に比べてずっと短い。これには多くの日本人が驚くが、ドイツは日本に比べて圧倒的に休日が少ないのだ。さらに恐ろしいことに、ドイツの休日は週末と被っても振替休日が用意されることはない。つまり土日に休日が被ってしまった場合、単純に年間休日が目減りすることになる。なんとも気の滅入る話である。だからドイツ人は新しいカレンダーを買うと真っ先に休日を確認する。運が良ければ土日と繋げて連休にできるが、運がわるければ休日そのものが週末に埋もれて消えてしまう。

 さて、オフィシャルな休日はドイツの方が少ない。では一体何故ドイツ人の方が日本人に比べて年間勤務時間が短いのか。残業が少ないという理由では説明しきれない。答えは簡単である。みんな有給休暇をごっそりと取るのである。

 そんな馬鹿な、と思う人もいるだろう。そこはドイツと日本の労働環境が顕著に違う点でもある。ドイツではフルタイム勤務の雇用者には25〜30日に及ぶ有給休暇が与えられ、その消費を法律で義務付けられているのである。冗談のような数字だが、六週間まるまる休日にすることも可能なのだ。

 これが日本なら『数字上』の休暇はたくさんあっても実際は全く使えない、という事態になるだろうがドイツは違う。有給休暇の消費が義務付けられているのである。だから誰も休暇申請に嫌な顔をしない。

 ドイツに来て間もないころ、職場の同僚達が衝撃的な会話をしていた。

「今年はどうするの?」

「今スペイン語を習っているから今年はスペインに行こうかなって思ってるの」

「いいわね! どれくらい行くの?」

「とりあえず一ヶ月は行こうかなって思ってるわ」

「やっぱりそれくらい行かないと駄目よね」

『そんな馬鹿な!』

 思わず叫んでしまった。一ヶ月の連続休暇。日本なら会社にある自分の席が消失しかねない恐ろしき暴挙である。しかしドイツではこれは至って普通なのだ。ドイツ人は休暇をちまちま細切れにして消費することは少ない。旅行にいくと決めたら本気で行く。最低でも数週間は行く。数日で数か国を回るポイントラリーに例えられる日本の忙しないツアー旅行のようなことは絶対にしない。現地に長く滞在し、気候風土を自らの体で確かめ、その文化を楽しむ。ヨーロッパの旅行と日本で言うところの旅行とは本質的に異なるのである。

 この長期休暇はドイツではUrlaub(ウルラウブ)と呼ばれ、ドイツ人の殆どがこのウルラウブを楽しみに仕事をしていると言っても過言ではない。しかしいきなり一ヶ月も仕事を休まれると職場は困るのではないだろうか、という疑問が浮かび上がる。数日ならともかく一ヶ月も担当者がいないのだ。周りの負担は大きいだろう。さて、その答えは是、である。

 とは言っても周りの同僚ではなくサービスを受ける側にも負担が大きく振りかかるのがドイツ流である。例えば市役所の人に何かを聞きたいとする。いつも対応してくれる人にメールを打つ。すると「ただいま休暇中で一ヶ月帰ってきません。返事は○○くらいになります。どうしても急ぐ人は他の人に聞いて下さい」という旨の返事が帰ってくる。そして急ぎなので他の人に聞いてみると「担当者がウルラウブだから今はちょっと分からないわ。待ってれば帰ってくるわよ」という返事をいただく。冗談のような実話である。

 いくらなんでもこれは例外だと思って周りのドイツ人同僚に聞いてみると、みんな不便だけどウルラウブはお互い様で「ウルラウブなら仕方ない」と言って納得するらしい。もちろんどうしても必要な最低限のことは担当者に変わって他の人が対応してくれる。

 この長期休暇のシステムは素晴らしいの一言に尽きる。今年はどこどこに行って何をしようとか、その使いみちの殆どが旅行に充てられる。外に出てお金を使う。すると経済も回る。長い目で見れば生産性があがるのだ。みんな一生懸命働いて、一生懸命遊ぶ。実にメリハリの効いた社会である。本来休暇とは自己実現の場であり、魂のリフレッシュの場である。

 日本のように休日を働き過ぎて自身の体力の回復に費やすこともなく、義務感にも似た家族サービスと称して混みあう商業施設に行くこともない。ただゆっくりと、自分たちだけの時間を自分たちだけの場所で楽しむのである。

 日本人的には一ヶ月仕事を休むことは正直罪悪感しか感じないが、意を決して長期休暇を利用すると日本にいる時には知ることの出来なかった人生の楽しみ方というものが見えてくる。何の為に働き、何のための休暇なのか。休暇は労働力を提供する代わりに得ることのできる権利である。有給休暇申請をするのにいちいち理由を考える必要もなく、休むことに後ろめたさを感じることもない。日本よりも短い労働時間に長い休暇。それでいて日本に近い生産性を生み出しているドイツの勤務システム。

 どちらが良いかはそれぞれ議論の余地があるが皆さんはどう感じただろうか。


 余談ではあるがドイツでは病欠は有給にはカウントされない。風邪を引いたら医者に行きとある書類に一筆書いてもらう。それだけで三日間は働かなくても給料が保証される『病欠』扱いになる。ドイツ人は日本の様に風邪気味なのに無理にして出社することは絶対にない。なぜなら風邪気味の人が職場に来ることは他の人の迷惑に他ならず、程なくして同僚から周りに風邪を移す前に帰れ、と追い返されるだろう。無理をすることは美徳ではなく、ただの自己管理能力の欠如とみなされる。なのでエナジードリンクはスポーツ用のものしかない。日本だと疲れても無理やり働けるドリンクがあるんだよ、なんて言ったらドラッグ? と言われる始末である。無理は駄目、絶対。

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