ドイツのユニークな健康法

十一話:『風邪をひいたら寝てないでお茶を飲んで公園に行けって? 冗談じゃない、私は意地でもベッドから動かないぞ!』

国が違えば文化も違う。文化が違えば生活も違う。何を当たり前のことと思うかもしれない。しかしそんな当たり前のことであっても、実際に直面してみると大きく戸惑ったりするものである。特にドイツの健康に対する考え方や病気との付き合い方は日本のそれとは大きく異なり、日本にいては考えられないようなことが推奨されていたりするから驚かされる。

 さて、多くの日本人が考えている通り、ドイツは何事も自然であることを好む。自然であることが一番良い状態であると定義し、それから外れることは不自然であるとして忌避する傾向がある。例えば生卵。ドイツでは日本ほどきっちりと表面殺菌をしない。むしろ汚れが多く残っていたり、羽が付着していることもある。しかしこれは業者の怠慢ではない。卵の表面には出産時に付着した雑菌(日和見菌)がたくさん生育しており、彼らが増殖することで他の悪玉菌を淘汰するという性質を利用している。卵を洗ったり殺菌してしまうと、これらの菌による防御がなくなり病原性の細菌が増殖する余地を与えてしまう、ということである。だからドイツの卵は見た目が汚い。でもそれは自然かつクリーンな状態でもある。

 この自然であることが最良という考え方は病気の治療にも織り込まれている。例えば風邪を引いた時、体がだるくてボーっとする時、ドイツ人は必ず窓を開ける。ドイツの病気の治療の第一歩は窓を開けて新鮮な空気を取り入れることである。これには更に次のレベルがある。体が動くようなら簡単でいいので外に散歩に出かけるのだ。新鮮な空気をたくさん吸って、適度に動いて基礎代謝を高めることが風邪の治療に繋がるのだという。ドイツ人の新鮮な空気を求める姿勢は老若男女皆に共通しており、冬であっても空気が少しでも悪いと感じたら窓を大きく開く。年配の方は特にその傾向が強い。もっともそれが原因でしばしば同じ部屋に居合わせた他の国の人と言い合いになったりもするのだが、それでも彼らは新鮮な空気を追い求める。正直冬はやめて欲しいと思うのだが、郷に入っては郷に従えである。日本でもドイツ人が締め切った室内でそわそわし始めたら笑顔で窓を開けてあげよう。きっと天使のような笑顔をみせてくれるはずだ。

 さて、このドイツ人の自然崇拝は薬にも及ぶ。ドイツ人は風邪を引いても抗生物質を頑なに飲まない。その代わりアスピリンをたくさん服用する。しかしアスピリンは解熱鎮痛薬、すなわち対症療法薬であり風邪の原因を取り除くことが出来ない。アスピリンで症状を抑えているうちに散歩をして、健康な体を取り戻し、免疫力を高めて風邪を治すのである。

 この自然治癒のアイデアは医療の現場にも及び、日本なら風邪を引いて医者に行くと抗生物質を含むたくさんの薬を処方されるが、ドイツでは驚くほど薬を出してくれない。ひどい高熱が出て始めて薬が出る、と言った具合である。では重篤な患者以外は完全に放置するかと問われれば答えはノーである。ドイツでは薬の代わりに薬用茶を処方される。

 たかが薬草茶と侮ることなかれ。その効果は驚くべき程高い。これには本当に驚かされる。というのも、ドイツでは古くからハーブによる治療が盛んに行われておりその歴史はとても古い。日本でもドイツのマリエン薬局の名を聞いたことがある人がいるだろう。例えばこのマリエン薬局のハーブはドイツでは立派な医薬品である。薬として薬効成分の生成技術が確立される前は薬草茶が薬の主役であり、今でもその効果は折り紙つきという訳だ。

 化合物を摂取するとその作用が直接過ぎてどうしても体に負担がかかってしまう事に対し、薬用ハーブティーはその効果がおとなしく体に浸透する。漢方を想像してもらえばイメージしやすいが、これらハーブティーは西洋の漢方と呼べる存在である。

 ドイツのハーブティーがすさまじいのは何も医薬品だけではない。ドラッグストアに行くと、例えば風邪用だったり不眠用だったりとそれぞれの諸症状に応じた薬用茶が売ってある。値段にして十包で三百円弱といったところか。それが恐ろしく利くのである。ドイツのお土産として昔の職場を訪ねた時である、いたずらにこの不眠用のお茶を皆に振る舞ってみた。するとどうしたことか、飲んだ人全員が激しい眠気に襲われ、その日はまるまる仕事にならなかったのである。ちなみに後日皆からお叱りを受けたのはご愛嬌である。

 ならばと自分で飲んでみれば、なるほど凄まじい効果である。お茶の種類も胃の痛みに利くお茶から寒気、鼻詰まり、不眠、風邪、etcと多岐に渡り、味も美味しく飲めるようなレシピになっている。ドイツに旅行に行く機会がある人は安いので是非試してもらいたい。dmなどの大手のドラッグストアに行けば必ず手に入る。

 お茶があるならお酒もあるはずでしょう? そう思った人は実に鋭い。薬草を煎じてハーブティーで飲むのも効果的だが、その有効成分が脂溶性だった場合、アルコールに溶かし込んで飲むのが一番効率がいい。つまり薬用酒である。お酒と薬、そしてハーブは昔から切っては切れない関係である。例えばドイツではイエーガーマイスターという酒がある。数十種類の薬草を漬け込んだリキュールであり、体が冷えた時に強い効果を発揮するお酒である。アメリカではカクテルに使われたり、純粋なアルコールとして人気があるイエーガーマイスターであるが、ドイツでは立場的には酔うためのお酒というよりも滋養強壮の為のお酒、という側面が強い。ドイツにはこうした薬用酒が数多く存在するが、残念ながら日本に輸出されているのはその中のごく一部だけである。

 薬用酒は健康増進に対する機能と、嗜好品の酒としての機能を両立させた素晴らしいものであるが、味を捨て切った純粋な薬草の抽出物の様な養命酒も存在する。もはや酒とは呼べないそれは超濃縮されたハーブエキスであり、アルコール度数も高い。味は苦いの一言に尽きる。そのまま飲むとアルコールで舌がやけどしかねないのでお人によっては湯割りにしたりするが、苦いリキュールを飲んでいると考えればなんとか耐えられる。ドイツの薬用ハーブティーもすごいが、この養命酒もすごい。何がすごいのかというと、とにかくすごい。良く効く。

 こんなものがゴロゴロしているドイツでは薬なんかいらないんじゃないかとさえ思えてくる程である。しかしそう結論付ける前に考えねばならないことがある。薬には一定の薬効を示すためのいわゆる力価というものが存在する。ここに人種の差が顕著に影響する。西洋人は薬のレセプター(受容体)が日本人のそれとは感度が異なり、一定以上の効果を期待するには日本人よりも多くの薬を必要する。一言で言うと日本の薬に比べてドイツの薬は強いのだ。なのでそれらドイツ人用に作られた薬や薬酒、薬用茶は時として日本人には強すぎる場合もある。余談だが、この理由でドイツのアスピリンやパラセタモールなどの消炎鎮痛薬は恐ろしく効果が高い。わざわざ旅行のお土産に買って帰る人がいるほどである。

 さて、こちらのお茶を飲んでやたらと効くと思っていたら、どうやらそれは日本人だけに限った話である可能性もあるのだ。では実際はどうか。ドイツ人の友人たちに聞いてみた。結論は『風邪をひいたら外を散歩してお茶を飲んで寝るべし』とのことだった。どうやらこちらのお茶は日本人だけではなくちゃんとドイツ人にも効果を発揮するようだ。げに恐るべきはドイツの薬草茶である。

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