ドイツのユニークなデザートたち

七話:『お米がデザートだって? そんなバカな話があるか!』

人はどこに行ってもそれなりに生きていける。言葉の違いは時間が解決するし、気候風土や文化の違いもなんとかなる。流通網が発達していなかった昔に比べたら、今の時代は国の、文化の垣根というものは随分と低くなったことだろう。張り巡らされたネットワーク網は情報の国境を無くし、流通・交通網の発展は自宅にいながら地球の裏側のものさえ取り寄せることを可能にした。世界の距離は確実に近くなった。

 こうした情報化社会の恩恵によって異邦人は祖国への望郷の念に駆られて胸を焦がすことはなくなり、それなりに楽しく異国の地で生活できるようになった。ネットワーク様様である。それに加えて大抵どの国にも先駆者的な移住者が存在し、彼らの尽力により祖国の物が当該国へとどんどん持ち込まれている。

 ドイツを例に挙げるならば、もはや日本人の街と言っても過言ではないデュッセルドルフには日本のインポート食材を扱うショップが存在し、ドイツ全土に日本の食材を提供している。アジアショップの棚に置かれている怪しい和食もどきではない(アジアショップには偽装和食が所狭しと並んでいる。ほぼ中国か韓国産)、正真正銘の日本の食材を楽しむことが出来るのだ。これの意義は非常に大きい。

 食事とはその人の心の故郷であり、疲れて魂を寝かせるベッドである。長年愛用してきた寝床が変わる。それだけで魂は不調をきたし、最悪寝不足に苛まれることになる。心が記憶に刻まれた生まれ育った地の水の味を求めているのだ。

 舌慰みにと懲りずにMiso Suppe(ドイツ語で味噌汁の意味)を飲んでその味に怒りを覚え、スーパーで売られているSUSHIのまずさに絶望する日々に疲れた時、本物の日本食材が手に入るという状況は非常に大きな意味を持つ。途端に枯れていた心に潤いが戻る。香りの全然しないNoriを捨てて日本産の海苔を使って巻きずしを作る。香ばしいとも思える海苔の芳醇な香りが鼻を通りぬけ、脳を優しく撫でていく。まさに幸せの瞬間である。

 さて、このように和食インポートショップは海外在住邦人にとってはまさに救世主であるが、必ずしもすべての食材が手に入るわけではない。むしろ手に入る食材の数は非常に限定されている。例えば調味料を考えてみる。寿司や豆腐の世界的進出と共に日本の醤油の知名度は飛躍的に上昇し、ドイツ全土でキッコーマンの醤油が売られている。これは日本人的には誠に嬉しい事である。朝の目玉焼きに醤油があると無いとでは雲泥の差である。こうして醤油派は勝利の勝ち鬨(かちどき)をあげる。ではソース派はどうか。

 結論から言うと、こちらには日本で言うところのウスターソースが存在しない。あの甘くてほんのりスパイシーなソースが存在しないのだ。代わりにハインツのトマトケチャップやバーベキューソース、カレーブルスト用のソースが並んでいるが、あのイギリス発祥のソースがドイツには何故か存在しない。フランスにはあるのにドイツにはない。摩訶不思議である。そして多くのソース派が困っている。こうしたかゆい所に手が届くのがインポートショップである。オタフクソースや紅しょうが、油揚げなど地味にあると嬉しいものが揃っている。ちなみに醤油派の筆者はソースがどうなろうと正直どうでもいいと思っているのは内緒の話である。

 閑話休題、醤油はあった。朝の食卓に必要な物は何か。それは味噌汁、豆腐、納豆にご飯。それだけあれば一応日本の朝食の体を成す。さて、それぞれの食材はドイツでどこまで手に入るか。結論から言うと納豆以外はすべて手に入る。ただしそれは味と香りの全くしないMisoであったり、ピスタチオが練りこまれたりするトリッキーかつ味・食感的に許しがたいレベルのTofuであったりするが。当然木綿豆腐である。もそもそである。Bioショップに行くとHacho-Aka Miso(八丁味噌)なるものが売られていたりする。これは以外に知られていないが、八丁味噌とは愛知県は岡崎市にある家康の生まれ育った城――岡崎城から八丁の距離にあった八丁村で作られた味噌のことを指していた。今では愛知で作られる赤味噌全般を指すことが多いが、まるやとカクキューの二社だけが本家本元の八丁味噌といえる。ちなみにこの謎のHacho-Misoはもちろんメイド イン EUだったりする。

 味噌の香りが無いのが致命的だが、手に入るだけマシである。では豆腐はどうか。木綿のみ。もそもそしていて硬い。ドイツ人はこれこそが日本の豆腐であると信じており、彼らは絹ごしの深い味わいと滑らかな舌触りを知らない。豆腐にピスタチオを練り込む彼らが豆腐の持つ大豆の本質的な美味しさに気がつくことはない。しかしドイツにおいては豆腐は人気かつもっともポピュラーな日本食材の一つである。理由としては簡単で、ベジタリアン、特にビーガンなどの厳しい制約を科している人たちにとってはいかに良質な植物性タンパク質を摂取するかに頭を悩ませており、豆腐は彼らの需要に対してジャストミートだったのである。

 では次に米について紹介したい。ドイツ、ヨーロッパにおいてライスといえば概ねインディカ米(細長くて粘つかない)がメインであり、レストランに行けば炒めたライスに野菜を和えた料理が食べられる。味は日本人が想像しているほどは悪くなく、こういうものだと思って食べれば普通に食べられる。しかしふりかけや納豆をかけて食べたいと思える味ではない。いくら美味しくても、それはあくまで許容できる、というだけであり、あの炊きたてほかほかのご飯には遠く及ばない。ではドイツにはジャポニカ米は存在しないのか、と思うだろう。安心して欲しい。ドイツにはSUSHIがある。そしてSUSHIはジャポニカ種(丸くて粘つきが多い、いわゆる日本のお米)でなくては握れない。そうして登場するのがSUSHIライスである。

 これは大抵のアジア食材店に行けば手に入る。ヨーロッパではイタリアやスペインで日本米が育てられており、その質は概ね高い。しかし値段も他のライスに比べて概ね高い。でも大丈夫、ドイツのスーパーに行けばほぼ確実にジャポニカ米を手に入れる事ができる。これはあまり知られていないが、実はドイツ人は恒常的にジャポニカ米を食べているのだ。

 まず適当なスーパーに入る。そして穀物コーナーに行く。レンズ豆やひよこ豆、大豆が並んでいるコーナーの端にインディカ米と、そしてデ《・》ザ《・》ー《・》ト《・》用のジャポニカ米が売られているのに気がつくだろう。それにはこう書いてあるはずだ。『Milch Reis』、つまりライスプディングである。

 ドイツに来てから多くの料理に出会い、多くの驚きに触れてきた。その全ては日本人として生きてきた自分の持つ価値観を大きく揺るがすものであったが、必ずしもそれらすべてを無抵抗に受け入れられたわけではない。その最たる例の一つがこのMilch Reisである。

 日本にいてこれを食べたことのある人は少数だろう。しかしちゃんと日本にも乳粥の名で伝わっている料理である。さて、その味はどうか。一言で言うと練乳でご飯を炊いたもの、に近い。地域によっては味のバリエーションがあるのだが、ドイツのライスプディングはとにかく甘い。おかゆを牛乳で炊いてそこにありったけの砂糖を入れて、それを覚めた状態で食べる、と言えば伝わるだろうか。日本人にとって米は主食であり、牛乳で炊いて食べることもなければ砂糖を入れて食べることもない。まして冷や飯を牛乳と砂糖で食べることもない。まさに日本人のタブーを地で行くデザートなのである。トルコ料理には米を使ったデザートがあるが、これはその更に上を行く。

 温かい米ならまだ食べられるかもしれないが、牛乳の香りと煮込んでボロボロになった米がもそもそとした食感をかもし出し、更に冷えている状態で、しかも激甘というおまけもつ付く。Milch Reisを始めて食べた時は(と言ってもこれが最初で最後だが)、人生で生まれて始めて出されたデザートを残すという憂い目にあった。日本人からしたら悪夢のようなデザートではあるが、ヨーロッパでは普通に各国で見られるし、更に言うとインドで釈迦が悟りを開くきっかけとなったという由緒正しい料理なのである。

 おそらくジャポニカ米を主食としている日本人のみが持つ独特の嫌悪感なのだろう。パンを主食とするドイツ人が日本の菓子パンや惣菜パンを見て『なんでパンにそんなものが入ってるんだ! ありえない!』と驚くのと同じ感覚なのかもしれない。立ち位置が違うから受け取り方も違う。文化のギャップに驚き、困らされるのも異文化交流の醍醐味である。

 Milch Reisが気になった方はお米を研がないで、水の代わりに牛乳と砂糖でおかゆを作って、それを冷蔵庫に入れて冷まして食べてみるといい。もしくはそれを「ドイツの伝統的な料理」と言いながら笑顔で友人に出してあげればいい。もしその友人が日本人ならきっとドイツ嫌いになることうけ合いである。


 最後に、Milch Reis用のジャポニカ米を炊飯器で炊くと普通においしい。味もいわゆる日本のご飯とくらべて遜色ない――とまでは行かないが十分に食べられるレベルである。そんなドイツのMilch Reis、出会いを間違わなければもしかしたら良い友だちになれたかもしれないと思っているドイツ料理の一つである。主にお米的な意味で。


 ちなみに昨今日本で流行っているライスミルクとMilch Reisとは全くの別物である。注意されたし。

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