ドイツのちょっと変わったペット事情

六話:『誰だ! デパートに犬を連れこんだのは!』

いきなりだがドイツ人は犬が好きである。どのくらい好きかというと、一緒にレストランに入ったりデパートで買い物をするくらい好きである。想像してみて欲しい。レストランに何食わぬ顔で犬を連れ込む。これを日本でやったならば周囲から厳しいお叱りを受け、ツイッターで写真付きで晒されて、心ないネット掲示板で大きく叩かれるだろう。 

 しかしドイツでは決してそんなことにはならない。これにはドイツ人のペットに対する、特に犬に対する付き合い方の違いが大きく関係している。日本とは異なりヨーロッパでは犬は単純な野生生物という立場に収まらない。犬と人間との歴史は古く、犬の祖先種である狼の家畜化がその起源と言われている。実に一万年以上も昔の話である。そんな人間と狼との運命的な出会いを経て、狼はイエイヌとなり、人間の狩猟に役立つ形質を与えられるべく幾度と無く交配が繰り返された。あくなき人間の探究心は多くの狩猟犬を生み出し、その数はゆうに数百を超える。余談ではあるが日本でも狩猟犬は数種類存在するが、その歴史と数においては圧倒的に西洋が先駆者である。

 さて、そうした歴史を経て犬はついに愛玩動物という枠組みを超えた。つまり人間のパートナーとしての座を獲得したのだ。こうして家族の末席の地位を得た犬であるが、ここで問題が生じてくる。家畜なら家畜小屋に、ペットならペットケージに入れられる。それこそが人間と人間の周囲で生活するそれ以外の動物の立ち位置である。しかし犬はそのいずれにも属さない。哺乳綱食肉目イヌ科の犬が人間と同じ空間で生活をしているのである。いくら家族の一員として認められても所詮獣である、人間のような高度な社会生活に溶け込むのはなかなかに難しい。

 しかしその社会性を身につけてもらわないと人は犬と――家族と一緒に暮らせない。できないなんて認めない。ならば教育だ。そう思い立った人たちは犬に人間の家族の一員として人間社会で暮らしていくための教育を施し始めたのだ。もちろん最初はうまくいかない。しかし幼児教育のメソッドが時代の変遷とともに習熟するように、犬への教育も一定の習熟度をみせるようになった。特にドイツは犬が家族の一員という思想が強く、その教育の熱の入れようも高かった。

 いつくもの犬の教育メソッドが生み出され、システム化され、今では犬専門の教育施設ができる程である。マナーが悪い犬達は熱心な飼い主たちによって社会生活のイロハを叩きこまれ、それでも態度が改善しない犬たちはこうした専門施設に預けられ、人間社会の一員としての教育を叩き込まれるのである。

 こうして野性味溢れる犬たちはどんどん上品になり、家族の一員として振る舞う事ができる用になる。そうなると彼らの生活はますます人間に近づいていく。住宅事情の影響もあるが、ドイツではペット小屋というものはあまり存在しない。基本的に部屋で飼い主と一緒に食事を取り、風呂場でシャワーを浴び、そして部屋で寝る。なぜなら犬は家族だから。家族を外に放り出すことはしない。

 買い物に行くときはもちろん一緒にお店に入る。所狭しと商品が陳列している棚の近くにいっても犬たちは行儀よく主人に付き添い、粗相をすることはない。中には犬を伴っての入店を禁止する店もあるが、ドイツの殆どのお店は犬同伴の入店を許可している。あのヨーロッパ最古にして最大の高級デパートであるベルリンのKaDeWe(カーデーヴェー)でさえみんな普通に犬を伴って来店する。グランドフロアの高級ジュエリーコーナーではセレブたちが犬を伴って宝石を選んでいるし、上階のファッションフロアにも犬がいる。さらに高級食材コーナーにも犬はいる。つまりどこにでもいる。

 犬がいるのはデパートだけではない。喫茶店は言うまでもなく、多くのレストランが犬の入店を認めている。日本人観光客がご飯を食べるために訪れたレストランで犬が堂々と鎮座しているのを見て驚いている、という光景もしばしば見られる。これが日本なら衛生的に不潔という理由で激しく糾弾されるだろうし、ひょっとしたら保健所からお叱りを受けるかもしれない。しかしドイツでは全く問題ない。

 こうした犬が人間の生活空間に同伴することができているのは、一重に犬に対する教育のレベルが高いことが最大の理由である。どんなところでもちゃんとわきまえ、主人のいうことを聞き、周囲の状況を自ら判断し、飼い主の家族の一員として堂々と振舞っている。これが出来ない犬はとてもではないがデパートなどには入れない。

 ここまでの話を聞くと、ドイツの犬はとても聞き分けが良く優秀な存在と思えてくるだろう。実際日本の犬に比べてドイツの犬は遥かに優秀で、おりこうで、わきまえている。マナーを熟知している。この認識は正しい。ただし、表に出て来ている犬に関しては、という注釈が入るが。

 人間の中にも勉強が嫌いな子供がいるように、犬の中にもマナーを覚えるのが嫌いな犬や礼儀がなかなか身につかない犬もいる。落ち着きなく走り回る犬もいれば、突然吠える犬もいる。そんな犬が狭いお店に入ったらどうなるか。店内で走り回り棚を倒し、商品を踏みつけ、店内を蹂躙するだろう。大惨事である。そうなるとどうなるか。飼い主が責任を問わねばならなくなる。それならどうするか。一定の習熟度に達していない子供が進級できないように、マナーが悪い犬はマナーを身につけるまで訓練施設に預けられるのだ。

 もちろんこれには強制力はない。しかしドイツにおいては犬の顔は飼い主の顔である。外で見境なく吠える犬がいたら誰もが驚いた表情で振り向き、そして顔をしかめながら飼い主に視線を投げかけるだろう。お前は自分の犬にろくな教育をしていないけしからん奴だと語るかのように。こうして社会全体が犬の習熟度を押し上げる圧力を飼い主にかけるのだ。そうして犬はどんどん教育されていく。それこそレストランに入店できる程に。

 ちなみにヨーロッパでは『犬と子供の躾はドイツ人に任せろ』という言葉が存在するくらい、ドイツ人は犬と子供の躾に厳しいのである。その厳しさがあるからこそ、犬たちは人間社会に一緒に入ることが許されているのだ。この話を聞いて犬が可哀想と思うだろうか。もしくは人間として振る舞える犬がいることを素敵なことと思うだろうか。おそらく賛否両論あるだろうが、ドイツにおいては犬は家族であり、社会の一員なのだ。社会に出る以上責任が伴う。故にしっかりとマナーを身につける。そうして彼らは歴史を紡いできた。これはこれで実に興味深い文化である。

 ちなみにドイツでは基本的に大型犬が好まれ小型犬は少ない。しかし最近日本の柴犬が人気を博している。なんでもあのなんとも言えない締まりそうで締まらない笑顔が人気の秘訣なのだとか。

 最後にドイツでは犬の躾はとても厳しい。しかし犬の糞の処理に関しては驚くほど無頓着である。場所にもよるが通りには必ず複数の犬の糞が落ちているし、下手をすれば歩道の真ん中に放置されていたりする。場所によってはゴミ箱のような犬の糞入れが存在するのだが、わざわざ犬の散歩に飼い主がシャベルとビニール袋を持ち歩くことは殆ど無い。犬が土の上に糞をしたらそれは放置するのが普通である。そして周りの人はそれを当然のように受け入れる。日本からしたら明らかにマナー違反だがドイツではそれは許される。それは何故か? それを考えるにはドイツ人の宗教にも近い自然観があることを知らねばならない。

 高度経済成長期、ドイツは環境汚染が進み、それこそ日本の教科書に載るレベルで深刻な公害・汚染が広がっていった。そんな悪夢からなんとか抜けだしたドイツ人は自然を至上のものと考えるようになる。なんでも自然であることは尊い、というように。だから雨に濡れても気にしない。雨は自然の恵みなのだから。だから裸足で外を歩いても気にしない。大地を踏みしめることはとても良いことだから。そのアイデアの延長で、犬の糞は土に還り、それが植物の栄養となり、その植物が空気を綺麗にする。犬の糞は自然を循環する。だからドイツ人は犬の糞を自然に還すことをはばからない。なんとも清々しい自然観ではあるが、日本人的には地雷のように通りに犬の糞を放置するのは本当に迷惑なのでやめて欲しい。それを友人に語ったら彼女はこう言った。『あれ本当に迷惑よね。犬を飼っていないドイツ人は全員、犬の糞はちゃんと飼い主が始末するべきって思ってるわ』。崇高な自然観、どこに行った?


 しかしこれだけは注意して欲しい。上述の通り、ドイツで犬がお店の中にいる(いられる)のには理由がある。だから間違っても『ドイツはペットの入店が許されている』と思ってはいけない。あくまでお店に入れるのは『人間社会のマナーを守れる存在』だけなのだ。間違っても日本から連れてきたペットをレストランに連れ込んではいけない。あなたの旅行が大惨事になるだけである。

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