二十六話:『グリューワインは味で楽しみ、カップで楽しむのさ (クリスマスの特別な飲み物編)』

さて、ドイツのクリスマスにかける情熱はアドベントという形に収束され、様々な形で日々の生活に取り込まれる。それはアドベント・クランツであったりシュトレンであったりと形はそれぞれだが、ドイツ人のクリスマスにかける情熱はそれだけに留まらない。

 ドイツは言わずと知れたビールの国であるが、実はワインの国でもある。日本においては白ワイン、特にフランケンワインがドイツのワインとして有名だが、それ以外にもフェダーバイサーという熟成途中の若いフルーツワインも季節ものとして飲まれているし、ドイツ全土で二番目に規模が大きい野外イベントがこのフルーツワインのフェスティバルであることからドイツ人のワインへの関心の高さを如実に物語っている。ちなみに一番規模が大きい野外イベントはベルリンの戦勝記念塔からブランデンブルグ門にかけて行なわれるジルベスターフェスティバル(日本で言うところの大晦日のカウントダウンイベント)である。

 さて、このように実はドイツは隠れワインの国でもある。そしてクリスマスになると、ドイツ人達はグリューワインと呼ばれる特別なホットワインを作るのである。日本でもその名を聞いたことのある人はいるだろう、ドイツのクリスマスを代表する飲み物の一つである。アドベントが始まりクリスマスマーケットが開かれると必ずこのグリューワインが登場する。それこそシュトレンやバウムクーヘンは無くとも、グリューワインの屋台は必ず登場する。それも一つではない、複数のグリューワイン屋台が一つのクリスマスマーケットに登場するのが普通である。それくらいこのグリューワインはクリスマスの時期の代名詞なのである。

 ドイツ人は夜にクリスマスマーケットに行くことが多い。そこで冷えた体を温めるべく、誰もがこのグリューワインを飲むのである。面白いことにこのグリューワインは売っている店舗によって味が異なり、完全に自家製だったり、既成品に独自の味付けを加えたりと実に味のバリエーションが広い。毎年クリスマスマーケットごとにベストグリューワインを決めるコンテストが行われるほどである。かくいう筆者も行きつけのグリューワインの屋台を決めていたりする。その屋台の店主はイタリア人で、ドイツのグリューワインのレシピに独自のアレンジを加えたものを提供しており、多くのドイツ人を虜にしている。いろいろなクリスマスマーケットに行き、いろいろなグリューワインを飲み、自分の好みの味を見つけるのもドイツのクリスマスの醍醐味である。

 グリューワインの醍醐味は味のバリエーションに留まらない。クリスマスマーケットごとに特別な『グリューワインカップ』を用意しているところが多く、可愛らしいクリスマス限定のカップでグリューワインを飲むのも楽しみ方の一つである。まず最初にグリューワインを頼むとグリューワイン代とカップ代の両方を払う。そして飲み終わった後、そのカップが欲しければそのまま持ち帰ることが出来る。もしカップはいらないのであれば、お店に返せばプファンド(保証金)を返してもらえる、というシステムである。これはほぼ全てのクリスマスマーケットで共通なので、気に入ったカップがあれば是非カップを持ち帰ることをお勧めしたい。カップのデザインは毎年異なり、素敵なクリスマスの記念として家に飾ることが出来る(もちろん普通に使える)。このカップ目当てにいろいろなクリスマスマーケットを渡り歩く猛者もいたりする。全てのグリューワイン屋台がこの特別なカップを用意しているわけではなく、プファンド(保証金)の無いところは使い捨ての紙コップで提供されるので、判別も容易である。筆者も初めて持ち帰ったグリューワインカップは今でも大事な思い出の一品である。

 ちなみにこのグリューワイン、昔は各家庭で作られており、それぞれの家の味があるのが醍醐味なのだが、最近ではクリスマスマーケットに赴いて飲むのが一般的になりつつある。それでもいくつかの家庭では家でグリューワインを作り続けているが、香辛料の配合比が味に大きく影響するのでとりあえず作ってみようという気にはならない。だが安心して欲しい、そういう人のためにドイツではグリューワイン香辛料ミックスなるものが売られていたりする。これはグリューワインの原料、オレンジピールとシナモン、クローブをメインにさまざまな香辛料が規定比率でブレンドされているもので、温めたワインにそれらを入れて加熱して砂糖を加えるだけで誰でも簡単にグリューワインを作ることができるすぐれものである。アルコールが苦手な人は加熱時間を伸ばしてアルコールを飛ばして調節することも可能で、これをベースにラム酒を加えたりと自分独自のグリューワインに挑戦する人も多い。

 肝心のグリューワインの味はどのようなものか。一言で言うとあらゆる香りの奔流である。カップから立ち上る湯気をゆっくりと吸い込んでみよう。まず最初にクローブの香りが心地よく鼻の奥に染みこんでくる。ついでワインの芳醇な香りとアルコール、そしてシナモンが続く。正直香りを楽しむだけでも幸せな気持ちになれるのだが、その味も素晴らしい。グリューワインは総じて砂糖を多く含んでおり、鼻に抜けていくシャープな香りとは裏腹のその味は実に丸みを帯びて甘い。そこにレモンスライスの一つでも入れればたちまち味は引き締まり、甘く、スパイシーで、溶けるような衝撃が脳を揺さぶっていく。それを極寒の夜に飲む。冷えきった体を駆け巡る温かい優しさ。天国はここにあった。多くのドイツ人は寒い夜にグリューワインを飲み、恍惚とした表情で呆けていたとしても驚いていてはいけない。それくらい美味しいグリューワインは美味しいのである。まさに幸せの飲み物である。そこに可愛いカップの一つでもあれば、天国である。みんな屋台に張り付いて動かない。

 基本的にグリューワインは赤ワインを用いるのが一般的であるが、まれに白ワインを使ったものもある。ドイツ旅行を考えている人がいて、どうしても白ワインのグリューワインを飲みたいならベルリンのジャンダルメンマルクトのクリスマスマーケットに行くといい。ドイツで一番美しいと言われているジャンダルメンマルクトの広場に所狭しと広がったクリスマスマーケットを背景に、グリューワインを楽しむことができる。

 さて、ドイツのクリスマスの飲み物は何もグリューワインだけではない。おそらく殆どの日本人が知らない素晴らしい飲み物が存在する。その名をファイヤーツァンゲンボーレ(Feuerzangenbowle)という。とても強そうな名前だが、実に情緒があって素晴らしいホットワインの一種である。ではグリューワインとは何が違うのか。

 まずファイヤーツァンゲンボーレは名前の通り、作るのに大きなボウルを必要とする。ボウルというよりもフォンデュ鍋に近い。それに赤ワインとシナモン、クローブ、オレンジピールとスターアニスを入れて温める。これだけ聞くとグリューワインと同じと思うかもしれない。しかしここからが大きく違う。

 そのボウルの上に特別なシュガーコーンと呼ばれる砂糖を三角コーン(道路にある赤いコーン)状に固めたものに、特別な度数の高いラムを染み込ませたものを設置する。そしてラムをたっぷりと染みこんだシュガーコーンに火を灯すのである。最初にラムに含まれるアルコールに着火し、コーンがどんどん熱せられる。するとどうなるか。当然溶ける。しかし溶け落ちる前に砂糖はカラメル化するのである。しかしそのままでは受け皿の上で焦げ付いてしまう。そうならないためにボウルの上に設置されたこのコーンを置く受け皿にもからくりがある。

 受け皿には細かいスリットが空いており、カラメル化するとそのスリットを通して下に待ち構えているワインの入ったボウルに滴下するのである。そうして味付けされたワインにカラメルの香りと甘さが充満していく。なんとも贅沢かつ風情のある飲み物である。マーケットでは巨大なボウルの上で巨大なコーンを燃やすのだが、傍から見ると火事である。巨大な炎が立ち上っている。通行人はそのコーンが溶け落ちるさまを見つめながらファイヤーツァンゲンボーレの完成を待つのである。待ち時間も実に趣深い。そうしてシュガーコーンが完全に溶け落ちるとようやく完成である。皆出来立てのファイヤーツァンゲンボーレをグリューワインと同じく特別なカップで楽しむのである。

 ちなみにこれは家庭でもできるが、酔った状態で作ると火事まっしぐらなのでちょっと危険である。さらにその飲みやすい味のせいで、どんどん飲んでしまい、パーティーが酔っぱらいによって大惨事になった、なんてことも聞く。いろいろと深い飲み物なのである。だけど安心して欲しい。ボウルで作るほどではないが、その雰囲気を楽しみたい人の為にファイヤーツァンゲンボーレ用のマグカップというものが存在する。カップにはシュガーコーンを置くための金具が設置されており、カップ用の小さなシュガーコーンにラムを染み込ませてファイヤーツァンゲンボーレを楽しむことができる。これはとても風情があって、誰かの誕生日パーティーなどでとても重宝する。日本人にはあまり知られていない、クリスマス独自の飲み物の一つである。

 これ以外にもクリスマス限定の飲み物として、ドイツではアイヤープンシュ(エッグポンチ)もあるが、これは次のお話で紹介したい (もうちょっと続く)。

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