ドイツの知られざるソウルフードとは

十九話:『ドゥナ・ケバブはドイツの食べ物? トルコだよね? えっ? ドイツなの?』

読者の皆さんはドゥナ・ケバブと聞いて一体何を想像するだろうか? 日本にはあまり馴染みのないその料理はトルコに代表されるアジアの基本料理の一つである。どういうものかというと肉を円柱状に固めて、くるくると回転させながら焼いていく。そして焼けた部分を長い包丁で撫でるように削ぎ落としていく。それに各種野菜とソースをかけて分厚いパンで挟んで食べる。いわゆるファストフードの一種である。それがドイツのドゥナ・ケバブである。

 この焼いた肉をそぎ落として各種ソースと一緒に食べるスタイルはアジア圏、それこそペルシャ料理やトルコ料理、そしてギリシャ料理に共通して見られるが、この分厚いパンに挟んで食べる方法はドイツでしか見られない。何を隠そうドイツ産の料理なのだ。

 ドイツ産と言うと少し誤解を招きかねないので少し詳しく説明したい。これを理解するにはドイツの歴史を知る必要がある。第二次世界大戦の後、ドイツは完膚なきまでに叩きのめされ、それぞれの占領国によって分割統治される時代が続いた。それが東西ドイツである。そんなドイツは戦後、日本と同じく凄まじい高度経済成長をみせる。経済が上向くのは万々歳であるが、そこで深刻な労働不足に直面することになる。そこで台頭してくるのがベトナム人とトルコ人である。

 ベトナムは難民受け入れの歴史があり、それを起点に。トルコ人は労働力を求めた移民政策によって。紆余曲折有り戦後のドイツには大量のベトナム人とトルコ人が流入してくることになる。

 水は変わっても故郷の味だけは忘れない。そんな一念の元、多くの移民たちはドイツという異国の地で自国の料理を同胞たちに振る舞いだした。それがベトナム料理のフォー(米で作ったヌードル)でありケバブであった。特にトルコ料理は世界三大料理に数えられる歴史ある料理である。これには多くのドイツ人達が飛びついた。何このケバブ、おいしい! という感じで。

 しかしここはドイツ。パンをソウルフードに持つ小麦粉の国である。ケバブは美味しいんだけど、どこか一味足りない。一体何が足りないのだろう。そうだ、パンが足りないのだ! 多くのドイツ人たちが気がついた。これにパンがあったら最高だよね、と。なぜならドイツはパンの国だから。

 そしていろいろ試行錯誤が行なわれ、ついにドイツ人達は究極のケバブを作ることに成功したのである。それがドイツの分厚いパンに挟まれたケバブ。しっかりとした生地ながらモッチリ感も失われない。硬いだけのパンとは明らかに一線を画す実に歯ごたえの良いパンである。そして肉厚なのでケバブにふんだんにかけられたソースを吸い込んでもすぐにはふにゃふにゃにならず、しっかりとした食感を維持できる。「ケバブはソースで食べる」という人がいる程ケバブのソースは重要であり、逆にソースがないと驚くほど味気なくなってしまう。そんなソースを逃さない実に洗練されたデザイン。まさにケバブの為に開発されたパンであるといえる。げに恐るべきはドイツ人の執念である。

 そんなこんなでドイツ人の情熱と執念がトルコ料理のケバブを進化させた。その名はドゥナ・ケバブ。意味はケバブの野菜サンドイッチ。彗星のごとく登場したドゥナは瞬く間にドイツ人の支持を集め、あっという間にドイツ全土に広がっていく。このドゥナ、野菜と肉をふんだんに使い、脂が少ないのでアメリカ系列の大手ファストフードチェーン、例えばマクドナルドやバーガーキングなどに比べて圧倒的にヘルシーである。ちなみにドイツ人はヘルシーという言葉が大好きである。マクドナルドを食べるくらいならドゥナを食べよう。そして老若男女ともにドゥナを食べるようになる。値段も概ね3ユーロ前後とお得であるのも人気の秘密である。

 ちなみにこのドゥナ、いつの間にかベルリーナーにおけるカリーブルスト的なポジションを手に入れていたりする。たとえばドイツにはドゥナのお店は星の数ほど有り、ある人は駅前のドゥナが最高と言い、ある人は大通りの中ほどにある店がベストという。ドイツ人の多くがこだわりを持って、心に秘めたマイ・ベスト・ドゥナショップを決めている。故にドイツでは迂闊によく知らないドゥナショップを貶してはいけない。ひょっとすると、そのお店が相手にとってベスト・ドゥナショップである可能性もあるからだ。そうなると後が大変である。

 さて、ドイツ人はどうやってベストドゥナを決めているのだろうか。ドゥナにおいて真っ先にこだわる点として、まず肉に成型肉を使っているか、それとも切り落としを使っているかで大きく好みが別れる。成型肉は食感的には歯ごたえの強いハムのようなものであり、脂が多い。実に太りそうな脂が口の中に広がっていく。困ったことに、この明らかにカロリーが高そうな脂がとても美味しい。体重増加の恐怖に打ち勝つ者のみが食べることが許されるドゥナである。

 もう一つの肉、切り落とし肉は成型肉に比べたらさっぱりしており、脂は少ない。健康面を意識する人には人気がある。また成型肉に比べて肉の質も良く、多くのドイツ人はこちらの肉を好むことが多い。若者やジャンクな味が好きな人は迷わず成型肉を選ぶらしいが、特に高齢者や女性はこちらを選ぶことが多い。ムスリム用に鶏肉を選べるところもある。というよりもトルコ料理なので本来であればこちらが嫡流なのであるが、ドイツにおいてはその限りではない。

 ドゥナにおいて、肉の次に重要な要素がソースである。おおまかにニンニクか豆のペースト、そして唐辛子が選べる。頼むと全部ミックスもできる。そして最後にパン。これに関してはどこもほぼ差はなく、どのお店で食べてももちもちのパンを堪能できる。パンだけは常に一定のクオリティーを守るのがドイツである。

 それに付け合わせの野菜の量、種類、そして値段で総合的なドゥナの判断をする。一見するとどのお店で食べても同じように聞こえると思うが、実際食べてみるとその味のバリエーションに驚かされる。こうしてドイツ人は自分のベスト・ドゥナを見つけるのだ。


 ちなみにドゥナの多様性は肉のみならず、その調理方法にも及ぶ。古くからドゥナは櫛に突き刺した巨大な肉のロールを炙りながら焼けた部分を長い包丁のようなもので削ぎ落とすのだが、それには熟練した腕が必要になる。未熟者が肉を削ごうとすると肉厚に切りすぎて焼けてない部分まで削いでしまったり、肉が小さくなりすぎてしまったりする。しかしドゥナショップの需要は高く、次々に新しいお店がオープンしていく中でいちいち肉を均一に削ぎ落とすトレーニングなんてしていられない。そんな問題を解決したのは、実に工業大国のドイツらしい方法であった。

 それは一体何か。うまく肉をそぎ落とせないなら電動カンナを使えばいいじゃない。某マリーほにゃららネットの言葉を聞いた人々は気がついた。ここはドイツであり、便利な機械がたくさんあるじゃないか、と。そしてドゥナ屋さんは包丁を持つ代わりに電動カンナに持ち替えた。意味が分からない。

 なぜこうなるのか。分かるようにもう少し詳しく説明したい。電動カンナとは木材などを一定の薄さで削り取ることのできる電気式のカンナ(鉋)である。いわゆる鰹節を削るアレの電気版である。この電動カンナの優秀な点はその刃の深さを調節できることにある。だから誰が使っても対象物を一定の厚みで削りだすことが出来る。つまり電動カンナを使えば誰であっても、一切の訓練を必要とせず一定の厚みの肉を削ぎ落とすことが出来るのである。しかも包丁と違い頻繁に刃を研ぐ必要も無く、そして何よりも早い。

 早くて正確、耐久性もお墨付き。ドゥナ屋を営む人たちは実にドイツらしい発想で新たな発展を見せた。食品衛生法とか、そんなものは気にしてはいけない。衛生的にも大丈夫なのだろう。きっと。大丈夫だったらいいな。


 さて、そんなドイツ人の熱い魂がこもったドゥナ屋さんであるが、実はその店舗の数が本家トルコを遥かに凌ぐという事実はあまり知られていない。これには本家トルコ人もびっくりである。まさか自分の国の料理が遠いドイツという異国の地で謎の改良がなされ、人気を博しているのだ。日本で言うところの中華料理のような変遷である。

 野菜もたくさん入っており、肉とパンというドイツ人の嗜好を満たすドゥナ。休日はドゥナを買って、テラス席でビールを飲みながら食べる人も多い。ドゥナはもはやドイツの食文化に無くてはならないものの一つであり、ドイツを代表する料理と言って差し支えない。ガイドブックには載らない、ドイツ人の魂がこもったドゥナ・ケバブ。

 もしドイツに行くことがあったら、まずホテルの受付の人に「あなたの最高のドゥナ屋さんはどこ?」って聞いてみよう。それぞれが心に秘めた最高のドゥナを喜々として紹介してくれるはずである。人の数だけ答えがある。ドイツのドゥナとはそういうものである。


 余談ではあるが、筆者も心に決めたドゥナ屋さんを一つ持っている。いつも行くと気の良いトルコ人の店主が挨拶をしてくれる。夕ごはんを作るのが面倒な時などはよく買いに行く。ただ、個人的にはドゥナのパンが分厚すぎて食べにくいので、ドゥナの代わりにターキッシュピッツァ(トルコ風ピザ)を食べることが多い。これもまた絶品である。是非ご賞味あれ。














あとがき:気がつけば過分な評価を頂いておりました。皆様に楽しんでいただけているのであれば、それは望外の喜び

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