ドイツのちょっと変わった洗濯事情

九話:『ドイツ人はBarで洗濯をする? ふざけるのもいいかげんにしろ! 〜 バッシュ・バーのススメ』

ドイツは世界でも数少ない水道水の水を直接飲める国である。水に溶け込むミネラルの量によってその硬さは異なるが、概ねそのまま飲むことができる。地域によっては水が硬水過ぎて直接飲むと喉に違和感を覚えることもあるが医学的には問題ないらしい。しかし、水道水をそのまま飲めると言っても、多くのドイツ人は飲料水にはミネラルウォーターを買って飲むことが多い。ここで言うミネラルウォーターとはミネラル分の含有量が少ないいわゆる軟水のことを指し、日本の様な水道水が超軟水の国でわざわざお金を払ってミネラルウォーターを買う必要はない。ちなみにゲロルシュタイナーやビッテル、ボルビックよりも日本の水道水の方が軟水だったりする。

 ともあれ直接飲むことのできる水は貴重である。ドイツは高度経済成長期に深刻な環境汚染に苛まれ、それ以来ヨーロッパでも類を見ない程環境資源というものを大切にするようになった。それは綺麗な空気であり、雨であり、水である。清浄な空気を守るためにゴミは徹底的に分別し、使えるものはあらゆるものをリサイクルする。水は無限の資源ではない。大事に使おうと思うように至る。

 だからドイツ人は水を大事にする。日本のように食器洗いに文字通り湯水のごとく水を使うことはない。節水という概念が主流のドイツでは手洗いよりも食洗機を使ったほうが水が節約できるとして、その普及率は非常に高い。ほぼすべての家庭に存在する。下宿中の学生も持っている程である。節水に関しては洗濯にも同様で、ドイツでは日本とは異なり水の使用量を抑えられるドラム式が主流である。家電量販店で日本の縦型の洗濯機を見つけようと思ってもまずどこも置いていない。日本でドラム式の洗濯機を買おうと思うととても高くつくが、ドイツではメーカーさえ選ばなければそれこそ三万円でドラム式の洗濯機を買うことが出来る。

 食洗機と異なり、洗濯機は無くてはならない必要不可欠な家電である。じゃあその普及率が100%かと問われると実はそうでもない。部屋が小さくて洗濯機のスペースがない賃貸物件などでは、その建物の地下部分に共同の洗濯機が置いてあったりする。しかしこれで皆一安心、とはいかない。

 日本のドラム式洗濯機は分からないが、ドイツのドラム式洗濯機は水の消費量が少ない代わりに洗濯時間が長い。ものすごく長い。どれくらい長いかというと映画を一本まるまる見終わっても終わっていないくらい長い。日本とは異なりドイツの洗濯機は素材によってその洗濯時間が異なり、例えば汚れが付きにくいかつ落ち易い化繊であれば多少は洗濯時間が短く終わるのだが、木綿関連だと悠に二時間は超える。

 ドイツ人の洗濯にかけるこだわりは凄まじい。木綿を洗う時は汚れに応じて洗濯温度を30度、40度、60度、そして90度と選ぶことができる。日本で問題になる洗剤の溶け残りなど一切起こらない。完全殺菌したい時や白い物を本気で漂白したい時は90度で洗うのが一般的らしい。これがとにかくすごい。本当に恐ろしいほど白くなる。そのかわりに洗い上がった服がなんだかカピカピしてたり、心なしか薄くなっている様な気がするが、ドイツ人はそんなことは気にしない。綺麗になることが一番大事なのだ。

 もちろん温度が違えば使う洗剤も違う。特に酵素系洗剤は最適温度があり、それを超えた温度で洗うと酵素活性が失活してしまうからだ。温度に応じて洗剤を選ばねばならない。ドイツ人の洗剤に対するこだわりは世界一である。まず色によって洗剤が異なるのは常識として、白物と色物では使う洗剤の種類が全く違う。白物は色落ちを気にしなくていいので皮脂の汚れに対して強力な効果を発揮するアルカリ洗剤であることが多い。しかしこのアルカリ洗剤、色物に使うと色落ち・色移りしてしまうので白いものにしか使えない。当然カラー洗剤は中性である。しかしここだけで終わらないのがドイツである。カラー洗剤も赤い服用、黒い服用とそれぞれの色用に分かれていたりする。更に蛍光剤が配合されていたりいなかったり、色落ちした服の色を復活させるための洗剤なんて言うものもあったりする。ここまで来るともはや何を買えばいいのか分からなくなる。ちなみに蛍光洗剤はドイツが発明した洗剤であるのは余談である。

 ともあれ、メインの洗剤は白物、色物とで分かれている。ではそれ以外の洗剤はどうか。日本ではあまり馴染みが無いかもしれないが、ドイツには予備洗い用の洗剤というものが存在する。これは汚れが酷い時に重曹のような強アルカリの洗剤で予備洗いをすることで本洗い時に汚れを落ちやすくするものである。当然白物専用である。

 次に漂白剤。これもドイツ人の洗濯に対するこだわりの象徴の一つと言っても過言ではない。正直種類が多すぎて日本人は頭を抱えるだろう。そして柔軟剤。ドイツの水は硬水なのでどうしても仕上がりが固くなる。ひどい時にはタオルがバリバリして痛く感じる程である。日本の洗濯後のタオルのふわふわ感など夢のまた夢である。だから柔軟剤が必要になる。これも種類が呆れるほど多いが、機能的には大差ない。なので多くの人は単純に好みの匂いかどうかで選んでいる場合が多い。

 柔軟剤とは異なるが、部屋干しになることが多いドイツでは洗濯後に雑菌の繁殖を抑える殺菌剤の様な物が存在する。それを柔軟剤を使う時に一緒に混ぜてすすぎ洗いをすると、部屋干ししても臭くならない。

 ドイツ人は掃除・洗濯に関して何故か異常なこだわりをみせる。台所事情については別の機会に紹介したいがとにかくすごい。洗濯一つとってもどれだけこだわっているかお分かりいただけたかと思う。ドイツに旅行する機会がある人は、是非薬局の洗剤コーナーに足を運んでもらいたい。目の前に整列した膨大な洗剤の数々を見て呆然とするだろう。

 さて、このような洗濯に異常なこだわりをみせるドイツ人が、実は一風変わった方法で洗濯を楽しんでいることはご存知だろうか。既に述べたようにドイツの洗濯にかかる時間は長い。洗濯機を持たない人は運が良ければ、住居に共通の洗濯機を使えるのだが、誰かが使っていると二時間は待たねばならない。そして待っていても、他の人に先を越される時もある。そうなったら更に二時間待たねばならない。

 ではどうするか。多くの人はバッシュ・バーと呼ばれるコインランドリーに出かけるのである。しかし驚くことなかれ、バッシュ・バーはただのコインランドリーに非ず。洗濯に二時間かかる以上、そこで二時間待つか外で時間を潰さねばならない。そのためにドイツ人はこう考えた。洗濯を待っている間暇ならお酒を飲めばいいじゃない、と。そして出来たのがバッシュバーである。壁一面に洗濯機が並び、その反対側にはバー・スペースが有り、多くの人が洗濯が終わるのを待ちながらビールを飲んでいる。ビールは言わずもがなであるが、サイドメニューも何故か美味しいものが多い。ちょっとした軽食を取るのにも十分なクオリティーなのだ。

 洗濯客は洗濯をしつつ食事を取る。ビールを飲む。こうして生活の一つに組み込まれていく。すると同じようなタイミングで来るお客同士が顔見知りになる。現代版井戸端会議である(語源は井戸端で洗濯をしている女性たちが世間話に興じること)。こうしてバッシュ・バーは地元民の交流の場になったのである。

 バッシュ・バーは個人的には高額すぎて買うことの出来ない最高級ブランドであるミーレの洗濯機を使えたり(店によって洗濯機のブランドは異なるが概ねトップブランド)、一回あたりの費用も安い(数ユーロ)かったりと、家の近くにバッシュ・バーがあればわざわざ洗濯機を買わないという選択をする人もいる。

 洗濯機を持っていなかった時分に何度か利用したことがある。ビールを飲みながら自分の洗濯物が回っているのを眺めている。これだけなのに、このバッシュ・バーは実に居心地が良い。洗濯機を持っている今でもたまに立ち寄り、他の人達が洗濯機に洗濯物を放り込む姿を眺めながらビールを飲んでいたりする。

 ドイツに旅行に行くことがあったらホテルにクリーニングを頼むのではなく、自身の洗濯物を持ってバッシュ・バーに行ってみるといい。洗濯の待ち時間すら楽しもうとするドイツ人のこだわりを肌で感じてみるのも面白いだろう。

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