ヨーキ=ナハルの騎行
夫人と娘さんは、力の抜けたグレイブ氏の手をとり、胸の上に組ませた。
立ち上がった娘さんの視線は、足元に向けられたままだ。白い手を震わせる程に強く握りしめている。
振り返った顔に涙はなく、怒りとも悲しみともつかない感情が満ちていた。
娘さんは、並び立つ俺とミルの間を割るようにして、部屋を出ていった。金属質な擦り音を鎧が立てる。小さな背中には、たしかな決意が溢れていた。グレイブ氏の死をめぐる攻防は、すでにはじまっている。
俺は気を引き締めなおし、夫人と鎧の男に部屋の外へ出るよう、促した。
「さぁ、外でお待ち下さい。ここからは、われわれ、葬儀ギルドの仕事ですから」
「主人を、よろしくお願いしますね」
夫人と男は、息を合わせたように深く頭を下げ、重い足取りで部屋を出た。寝室の扉が閉まるのを目視確認し、窓のカーテンを閉めておく。
いよいよ、作戦開始だ。
「よし。ミル、ジーク。身体を棺に移してくれ。俺はダミーの方の釘止めをする」
俺の言葉に応えるように、ビシっと敬礼するミル。させるか。
言い切るより早くミルの口に手を伸ばす。
「りょう――」
「ミル。静かにな。バレるとヤバい」
「……りょーかいッスよぉ」
敬礼はそのままに、ミルは小声でそう言った。
まずはダミー棺の準備である。
棺はご遺体の寸法を測って発注するため、本来は同じものを用意したりしない。
当然、片方にはグレイブ氏のご遺体が収まり、もう片方はダミーである。厚い内張りの中にはグレイブ氏の体重二割増し程度の鉛が仕込まれている。屈強な男たちが担ぎ手になるため、やや重い方がそれらしいだろう、という判断に基づく。
味方まで騙すのは少々気が引ける。しかし、最優先事項はあくまで故人の遺志を尊重することだ。つまり全てはグレイブ氏を死なせてやるため。まぁ、俺がややこしい集団戦闘を避けたいというのも、ほんの少しはあるが。
二基の棺の蓋を釘止めし、寝室に鎧の男を招き入れた。
「それでは、『不死身の兵団』作戦、開始といきましょうか」
「了解した」男は振り返り、後ろに控えていた仲間を呼んだ。
「さぁ、みんなで運ぶぞ。これまでのご恩を返す時だ!」
男達は、雄々しい声で応えた。喪に服すことになる夫人の前でやることなのか。
浮かんだ疑問を脇に置き、ダミーの棺を担がせ部屋の外へと運ばせる。
とりあえず屋敷の前まではついていき、兵団が引く荷車に棺が置かれるのを見届ける。棺が鎧を着た男たちに囲まれているのは、なかなかどうして、悪くない光景だ。
半ば口からでまかせで提案した見送り方ではあった。しかし、蘇生魔法の存在さえなければ、これは正しい冒険者、あるいは軍人の葬儀と言っていいだろう。残念ながら、今から彼らが引くのは空っぽの棺ではあるのだが。
棺を囲む男達が振り返り、各々が持つ武器を一斉に肩の高さまで掲げた。
「葬儀ギルドのネイト殿に!」
一糸乱れず高く掲げられる槍や剣。ほぼ一つの音に聞こえるほどに統制がとられており、ずいぶんと勇ましく見える。……このあと、彼らの決意を台無しにしかねない作戦が控えているだけに、正直なところ生きた心地はしない。
勇ましき鎧の兵団はダミーの棺を引いて、謳うような声をあげながら、家の前から去っていく。
さぁ、ここからが、ホントの仕事だ。
馬車近くで待機していたウチの担ぎ手たちを呼び、部屋からグレイブ氏のご遺体が収まった――つまり本物の――棺を運び出す。
両手にたしか重さを感じつつ家から出して、もうそろそろで馬車に乗せ換えるというところで、夫人に引とめられた。
「ちょっと待ってもらっても、いいかしら?」
「……はい?」
夫人がゆっくりと俺たちの持つ棺まで歩み寄り、優しく棺の蓋に触れた。
「いってらっしゃい。あなた」
……バレてる。
動揺して引きつっているであろう俺に目を向けた夫人は、微かに頬を緩めた。
「釘打ちの音が、多すぎますよ? あの人達は気付いていなかったでしょうけど。悪巧みをするなら、もっと上手くやらないとダメ。ね?」
「……肝に銘じておきます……」
旦那、娘、そして妻。この一家、誰ひとりとして油断ならない家族だ。
夫人に対する謝罪も込めて深く頭を下げてから、棺を丁重に馬車に乗せ換えた。
馬車が走り出してすぐ、ジークが俺の肩を小突いてきた。
「おい、ヤバかったな。汗、すごいぜ?」
「……」
なにニヤついてやがる。俺はジークの肩を、拳で叩きかえしておいた。
グレイブ氏の家を後にし少し進んだところで馬車を止めさせる。棺を、別の乗り物に乗せ換えるためだ。
困惑を絵に描いたようなミルとジークは放っておいて、俺は馬車を下り、青い空に輝く太陽を見上げた。時間的に、そろそろ到着するはずだ。
しばらくそうして待っていると、手配した乗り物が近づく音が聞こえてきた。石畳を削り飛ばすかのような、重量感のある車輪の音だ。
音の接近に伴い、道行く人々の悲鳴にも似た、驚き叫ぶ声もする。響く馬の蹄の音も、ここまで乗ってきた馬車を引く一般的な馬のそれとは、あきらかに違う。
曲がり角から勇壮なる姿を現したのは、鎧を着せられた馬が四頭。馬が引く荷車は赤と黒で禍々しい獅子が描かれた鋼板で周囲を覆われ、長槍を防ぐための盾が御者の前にそびえる。
車輪は左右二対の四輪で、よく知られているそれより荷台がやや長い。
不戦の時代に蘇った戦の象徴は、俺たちの前で動きを止めた。
ぽかん、と間抜けヅラを晒していたジークが、呟くように言った。
「……ネイト。お前、俺よりずっとバカだわ」
「ふぉぉぉ……すっげーッスぅ……ボク、戦車なんて、初めて見たッスよぉ……」
おバカな後輩の素直な感想。当たり前だ。俺だって用意するときに初めて見た。
両手を打って皆を促す。さっさと棺を積み替えなければダミーがバレる。
「さぁ、こいつに棺を乗せて、男たちともども、蹂躙してやろう」
「なんで戦車なんだよ! ネイト、お前アタマおかしくなったのか!?」
「うるせぇから叫ぶな。あんな大人数で殺し合ってる所にグレイブ氏のご遺体があってみろよ。誤蘇生で蘇ってて生き埋めになってました、なんて洒落にならんだろ」
「誤蘇生なんて起きるわけねぇだろ! お前、俺が集めた奴らに殺されるぞ!?」
ぎゃんぎゃん叫びまくるジークにうんざりしていると、ミルが真面目な顔をし、俺の両手を握った。……今度は何だよ。
「センパイ! センパイが死んじゃったら、ちゃんと骨は拾うッスよぉ!!」
「焼くなバカ! 蘇生しろ!」
俺は握られた手を振りほどき、冗談なのか本気なのか分からないデコをペチる。
「安心しろ。どうせ今頃、やつらは阿鼻叫喚の戦争ごっこ中なんだ。背後から突撃しかけたところで、そんな事はもうどうでもいいって感じに仕上がってるよ」
「そう上手くいくとは思えねぇが……いざとなったら、俺はお前を囮に逃げるぞ」
「黙れバカ神官。そして聞け」
俺はジークをドツいて、戦車の前で宣言した。
「名付けて『ヨーキ=ナハルの騎行』作戦だ!」
「……ネイトよぉ……これだけは言っとくぞ。バカは絶対、お前の方だからな」
「ふぉぉぉ……かっこいいッスよぉ!!」
バカどもめ。仕事さえ終えてしまえば、あとはどうとでもなるのだ。……多分。
棺を戦車に乗せ換えたところで、ミルが高々と右手を挙げた。
「ハイ! センパイ! ボク、これ動かしてみたいッス!!」
「やめとけ。一番危ないポジションだぞ、御者は」
「だいじょーぶッス! きっと、お馬さんがガードしてくれるッス」
「……まぁ、いいか。だが手綱だけは離すんじゃないぞ?」
「りょーかい! ッスよぉ!」
ミルの敬礼は、いつもより気合いが入っているように見えた。……不安だ。
荷台に乗った俺とジークは革ベルトで棺を固定し、隠れるようにしゃがみ込む。
「行くッスよぉ」
「墓地の入り口まではトバすなよ。危ないからな」
「りょーかいッス!」
鈍い音を立て、戦車が動きだした。音の割に意外と震動は少ない。
ジークは揺れる棺が不安なのか、周囲を落ちつきなく見渡した。
「ネイト……この、継ぎ目みたいなのと、フック、なんなの?」
「次善策の仕掛けだよ。いじるなよ?」
「いじるなってお前、何する気なんだよ……」
「お前が気にしてたって、仕方ねぇだろうが」
「まぁ、なあ。……ああ、ダメだ。恐怖で手が震えてきたわ」
そう言ってジークは懐からスキットルを取り出し、口をつけた。
「ぶはぁ」
馬車の中に、強いアルコールの香りが漂いはじめる。また飲みやがって……。
頭にきた俺は、即座に酒を奪い取った。
「俺にも飲ませろ。やっぱシラフじゃキツい」
葡萄の香りがする液体を流し込む。若干の甘みと、喉を焼くアルコールのしびれるような感覚があった。一瞬で身体が熱くなる。クソが。強すぎてむせそうだ。
ジークは俺の手からスキットルをもぎとって、口の端をいやらしく上げた。
「すげぇだろ。『ヨーキ様の口づけ』」
「……超酒くせぇんだな。ヨーキ様のキスってのは」
ジークは俺の返答がツボに入ったらしく、バカみたいに大きな声で笑っていた。
酒精の力か、思わず笑い返した。
外から戦車の車輪以外の、鋼のぶつかる音が聞こえてくる。
戦車の速度が落ちた。
「センパイ! なんだか、スゴイことになってるッスよぉ!」
弾むようなミルの声がした。お前は、なにがそんなに楽しいんだよ。
腰上げて正面に目をやると……すげぇ。
墓地の前に見えるのは、地獄絵図か、さもなきゃ戦争そのものだ。
槍を突き出し押し合う鎧の兵団。死者もびびって置きだしそうな男達の奇声が響いてくる。双方の背後には神官の集団が控え、誰かの死布とほぼ同時に、蘇生が繰り返されている。
鎧の男達は刺し殺されては蘇生され、起きあがり、また刺し殺される。なんといっていいものか、その光景を見続けているだけで後々うなされることになりそうだ。
しかも、一向に決着がつく気配がみえない。
墓地の門前は、蘇生による新緑の光と男達が撒き散らす鮮血で染めあげられ、近くの建物の屋根にはデカいカラスまで集まりはじめている。今なら、あそこがヨーキ=ナハルの足元なんだ、と言われても、決して疑うことはない。酷すぎる。
ミルを挟んだ向こうから、ジークの呆れ声が聞こえた。
「やっべぇな」
「ふぉぉぉ……燃えてきたッスよぉぉ」
あの凄惨な光景を見て闘志が燃えてくるのか、この子は。
……俺も覚悟を決めなきゃいけないらしい。
「とりあえず、車輪にスパイク取りつけんぞ」
「りょーかいッス!」
急ぎ戦車から降りた俺たちはスパイクを車輪に取り付け、革のカバーを取り外す。
黒革の覆いの下に収まっていたのは、徹底した殺意の象徴たる銀色。その物々しさを前にして、俺は思わず唾を飲み込んだ。
再び戦車に戻るとき、ジークが言った。
「俺も乗らなきゃダメか?」
「ダメに決まってんだろうが、このバカが。ミルがやられたら、速やかに起こせ」
「……うぇーい……」
戦車に戻った俺は、御者として手綱を握るミルのベルトを、後ろからつかんだ。
「よぉし。いいか、ミル。ビビったら負けだ。
「りょーかい! ッスよぉぉぉ……」
ミルの足が、踏ん張るように、前後に幅を取った。
「はいよぉぉ! ッスぅ!」
ミルの握る手綱が、パンパンに膨らませた紙袋を破裂させたかのような音を出す。
ほぼ同時に、猛烈な加速感を感じた。
鉄で補強された車輪が石畳を爆ぜ割り回る。
前を走る鎧馬の隙間から見えるのは、みるみる内に迫る不死身の兵団の背中だ。
あまりに異様な音だったのだろう。
ジークが集めたヤサグレ神官たちが振り返る。
それに気付いた鎧の兵団もまた、こちらを向いた。
兵団の手が止まる。不死身のファランクス同士の
突進を認識したであろう兵士の顔が恐怖にひきつり、槍先をこちらに向けた。
ノリノリのミルを挟んでジークの叫びが響く。
「おい! あいつら迎撃する気だぞ!」
「見りゃ分かるよバカ野郎!
「りょーかいッスよぉ! とっかぁぁぁん!!」
再び響く破裂音。
恐怖を誘う破砕音。
震動が尻から伝わり頭を抜けた。
戦車は、迎撃態勢を整えつつあった兵団に、真正面からぶつかった。
馬車に加わった衝撃は、想像よりはるかに小さい。しかし視界に広がる光景は凄惨にして壮観だ。
ある者は鎧馬に踏み倒され、ある者は弾き飛ばされ、宙を舞う。
車輪側からはスパイクが鋼を切り裂く耳触りな音がする。
空色のカンバスには、鎧が放つ鈍色の雲と、舞い散る鮮血の風が吹く。あ、肌色が混ざった。
――震動と絵面で、吐きそうだ。
ふいに空気を切り裂く、高い声が聞こえた。同時に金属の鋭い切断音も。
血がこちらに飛んできたかと思うと、前方の馬の一頭が頭から崩れる。避けきれずに後続の馬が引っ掛かる。それでも戦車は止まらない。
崩れた鎧馬の死体に荷台が乗り上げ――
「うぉぉぉおおお!?」
「うひゃーッスぅ!!」
「!――!!」
三者三様の叫びを乗せて、跳ねあげられた。
悲鳴を気合いでこらえてミルと戦車を掴んでいた俺は、見た。
グレイブ氏の娘さんの、絶対に退かぬという信念こもる双眸を。
宙を舞った戦車は、鎧の兵団を踏みつぶして地に降り立つ。不快な擦過音が尻の下でしている。馬の死体への衝突にくわえて地に落ちたはずみで、車輪が外れた。当然、戦車は傾いて、荷台の底で石畳を砕くようにして、墓地へと突入した。
幸いにも後ろの車輪は無事らしい。とはいえ、このまま走り続ければ戦車が崩壊するのは時間の問題だろう。やりたくないが仕方ない。次善策に移行する。
足元の感触が石のそれから、土に変わるのを見計らい、俺はミルに叫んだ。
「突破した! 戦車を切り離して、棺を運ぶぞ!」
「ふぇぇぇ!?」
「叫んでないで、止めろ!」
そう叫びながら、ミルのベルトを強く引く。躰を後ろに引かれたミルは手綱を引く形になり、鎧馬が
そう。この特別製の戦車は、前後で荷台を切り離せるのだ。
正確にいえば、単に戦車二台を強引に繋いだもので、方々に無茶を言ってでっちあげた、
切り離した後ろの戦車――今は左右二輪の荷車――の鋼板を外していると、
「待ちなさい!」
鋭い声と駆けてくる足音があった。やべぇ、娘さん、すげぇ怒ってる。
「ミル! お前は棺を運べ! ジークは走ってミランダ呼んで、蘇生封印!」
「はぁ!? お前どうすんだ!?」
「娘さんを止めるんだよ! 行け!」
「りょーかいッスよぉ!!」
言うが早いか、ミルは棺を積んだ荷車を曳き、土煙をあげて駆けだした。さすが格闘家、押すのも引くのも凄まじい。問題は上体を逸らして走る、ジークの方か。
俺の仕事は、怒れる少女の相手をすること。
喪服の下からダガーを引き抜き、腰を落として迎え撃つ。
白銀の鎧を血で赤く染めあげた少女は、鎧馬をも切り裂く大剣を軽々と担ぐ。
しかし。
一対一ならどうにかできる。いや、しないといけない。
……やだなぁ。女相手でもキツイのに、女の子だよ。しかも依頼人の、娘さんだ。
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