ミル、プリムローズに来襲す。

 ミルに背中を押されて歩くライト・シハナミの街は、いつでも活気があふれていて、それでも安全に歩けるいい街だと思う。冒険者達がそこら辺で殺し合っていないのが、特にいい。

 俺がいた盗賊ギルドのあった街では、結構な数の暇を持て余したバカ冒険者が、鍛練と称して街中で殺し合いをしていた。


 目的はよくわからんが、彼ら曰く、

『死んだ方が蘇生料金を持てよな!』

 バカか。


 普通に殺し合ってくれるだけなら問題はない。ようするに淘汰されるだけだ。しかし復活するからタチが悪い。しかも住民に被害が出たって、お構いなしだ。連中の思考に則れば『だって、生き返らせればいいじゃん』ってなもんだ。

 ずばり、ヨーキ様の元へ行って欲しかった。命を軽く見るなと言いたい。


 まぁ俺の感情は脇においても、命をかるーく考えている冒険者しかいない街だと、葬儀ギルドは仕事にならないのである。なんせこっちは、死をおもーく考えて、ちゃんと死にたい人達がお客様だ。そこら中で殺して起こして、なんて街じゃあ、商売にならない。その意味で、ライト・シハナミという街は、正しく葬儀に向いている。


 俺を押すミルの手に力が入ってきた。もうプリムローズが近いからだろう。

 念のため、懐から財布を取り出し、中身を覗く。……まぁ、多分、大丈夫だろう。


「プリムロォォズ! っスよぉ!」


 そう叫び、ミルは石畳が爆ぜ割れそうな勢いで駆けだして行く。彼女の爆走の先にある超素朴な見た目のパン屋が『プリムローズ』だ。外見とは裏腹に超高級パン屋だったりする。そしてミルによれば、ライト・シハナミ一番と言っていいパン屋だそうだ。俺からすれば、値段のこととしか思えないのだが。


 はっきり言って外観は地味この上ない。石造りの店舗に華やかさはなく、とってつけたようなショーウィンドウには、普通なパンばかり並べられている。

 だがしかし。

 さすがに窓から覗けるパンは美味そうで、ひとつひとつの表面に食欲を掻きたてる透き通った油膜が見える。高いバターが表面に薄く塗られているのだろう。その澄んだ照り返しは星の如く、褐色の肌を彩る粉砂糖は、霊峰に降り積もる雪の如く。


 ……なかなか人を誘惑するディスプレイじゃないか。ってぐぁ、値段が。

 一瞬、俺も何か腹に入れようかと思ったが、値札を見たら食欲はどこかに消えた。

 ミルを追って店内へ。扉の鐘の短い音色。財布の中身を天に送る、教会の鐘の音。


「むぉぉぉ……」


 愛すべきおバカな後輩は、並べられた数々のパンを舐めるように眺めていた。やめてやってくれ、まだ店に馴染めてない感ある新人店員さんが、不安そうにしている。


「あの……」


 苦笑いの店員さんの気持ちが、手に取るかのように分かる。突然よだれ垂らした喪服のデコ少女が店内に乱入し、唸りながらパンを眺めだしたのだ。止めようかと思案した瞬間に、抹香臭い喪服の男がさらに来店してきた。

 そんな状況、誰だって嫌だ。パン屋だったら、特に嫌だ。


「おい、ミル。あんまり被りつきで見るな。店に迷惑だろ。それと早く決めてくれ」

「センパイッ……!」

 

 ぐりんと顔がこっちを向いた。よだれが出てる。


「よだれを速やかに止めろ。買い取りになる」


 どうせ隙あらばの精神で一個追加とか言う気だろう。機先を制するのが肝要だ。

「お前の二つと、ミランダさんのひとつだけだぞ?」

「クロワッサンは! 菓子パンに入りますか!?」

「声でけぇよ! パン屋で叫ぶなよ!」

「あの……」


 店員さんの苦笑が痙攣した。平謝りしとくしかねぇ。


「クロワッサンは!? クロワッサンは菓子パンカウントじゃダメッスかぁ!?」

「あー……クロワッサンが、菓子パンかどうかって……どうなんです? 店員さん」

「えっ!? えっと……当店のは、甘さ控えめなので、食事パン、ですか、ね?」


 明らかに動揺してるし、聞き返すのは販促だろう。質問したのはこっちだ。

 何より食事パンと菓子パンの分類なんてそっちがきめてほし――。


「うぇぇぇ!?」


 うるせぇよ。今度はなんだよ。

 くりっとした青い目に零れおちそうな程の涙を溜めたミルが、こちらを見ていた。


「ぐろわっざんんんぅ……」


 何だよグロ輪斬わざんって。物騒すぎる技だなオイ。ちらっとクロワッサンの値札を見ると……アホか。なんで、こんな……。 

 ミルの目を覗く。涙目でふるふる。ああ、食べたいんだろうなぁ。ここで食事パンだからダメ、とか言ったら絶対ボロボロ泣きだすに違いない。さようなら、俺のメシパンよ。


「いいよ。でもクロワッサンは一個だけな」

「やった! うぉぉ……クロワッサン。プリムローズのクロワッサンッスよぉ……」


 なんだよ、その戴冠式でもやってるような掲げ方は。クロワッサンを冠の代わりに頭に載せるつもりかよ。

 ……そんな凄いなら俺も……やめとこう。明日のメシがヤバい。


「むむむぅ……悩みどころッスよぉ」

「今度は何だよ。っていうか、サっと決めてくれないか。メシ食いてぇんだよ」

「今ボクは、一生に一度の選択を迫られてるッス……急かさないでほしいッス……」

「それはつまり、一昨日ポクっと死んで復活したからノーカンとかそういう話か?」

「茶化さないで欲しいッスよぉ! ドライチェリーでさっぱりか、ピーチで甘々、これは悩まずにはいられないッスよぉ……むぉぉぉ……」

 

 どっちも卵とバターにフルーツだ。甘いのは変わらんだろうに。


「じゃあ、両方買って、片方をミランダさんに渡してシェアってのはどうだ?」

「ンなっ……天才ッス……センパイ、天才ッスよぉ! そうするッス! ていうかもうそうとしか考えられなくなったっスよぉ!」


 狂気乱舞で汗が光りそうなミルのデコを、ピチンとデコピンしておく。


「良かったな。もっと崇めろ、ヨーキ様を」

「うぉぉぉ……ヨーキ様ぁ! ありがとうっスぅぅう!」

「店で叫ぶなバカ!」

「あの……」


 店員さんの心が折れる前に、そしてプリムローズの店内がミルの魔の手で破壊の限りをつくされる前に、パンを買って店を出よう。じゃないと、出禁になっちまう。


「んじゃまぁ、お前はそれもってミランダさんとこ行け」

「うぇぇ!? センパイは? センパイは来ないッスかぁ?」

「うえぇじゃないよ。俺はメシ食いたいし、事務所に帰りたいんだよ。菓子パンは手に入れたんだし、それ持ってって、ちゃんとミランダさん接待しとけ」


「うぅ……センパイ冷たいッス。海より深く冷たいッスよぉ……」

「意味分からねぇよ。海の深さと冷たさは関係ないだろ。俺は海より深い懐だよ」

「?……センパイ意味分かんないッスよぉ……パンは皆で食べた方が美味しいッス」


 ……俺の分、ねぇじゃん。おバカさんめ。

 何度も何度もしつこいくらいに振り返りながら、トボトボと墓地に帰るミルを見送る。そしてメシを食うため、酒場に寄った。

 店内に入ると同時に、裸踊りを神官の爺さんに披露しているジークの姿が目についた。そっと戸を締め、事務所二階の自宅に帰った。

 パン、買っときゃよかったよ。

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