ユーツ=ナハルの力
墓地を目指して必死に走る。アンブロジアが死んでしまえば、全てが終わる。もしも自死を完遂されれば、下手すりゃ俺の責任問題になる。
思いすごしを願いはしても、さっき聞こえたユーツ=ナハルの声が、それは望み薄を示してる。
あっという間に息が上がり始める。対してミルは、余裕をもって聞いてきた。
「センパイ! ボクの聞いた声って、ヨーキ様の声じゃないんッスかぁ?」
「違ぇ……よ! ユーツ、ナハル……だ!」
余裕綽綽で前に出たミルは、わざわざ顔を覗きこむようにして、小首を傾げた。
「ユーツ?」
「おまえ……! 終わったら……マジで、ハッ……勉強だ!」
「うぇぇ!? なんでッスかぁ! 昨日もいっぱい――」
墓地へと続く角を曲がると、ミルの声が途中で止まった。俺も足の回転を緩める。
口の片端を不敵にあげる、白銀鎧の少女がいた。見覚えがある。グレイブ氏の娘さんだ。放つ空気は、とてつもなく重い。早朝の街のしじまで威圧してくる。まるで雷雲の下にいるかのようだ。
まだその姿は遠いというのに、お前の首を飛ばすと言わんばかりの殺意と圧力である。どう考えても、前回の意趣返しをする気だろう。もしそうでないのなら、一介の剣士として倒しにきたということ。
気合いを入れなきゃ、すぐにやられる。
俺は息を吐ききり、強く吸い込んだ。
「ミル、手甲つけろ」
「りょーかいッス」
いやにマジメな声で答えたミルは、ぶつぶつと呪文を唱えて真っ赤な手甲を呼びだした。硬く重い金属の音。強く拳をぶつけ合わせた。
ミルは肩越しに俺に目を向け、首を縦に振った。その顔に、いつもの気の抜けた色はない。あるのはひとつ、拳士の色だ。
俺は闘志あふれるミルの背中を叩いた。
「俺は急いでアンブロジアを止めなきゃならねぇ。お前、一人でやれるか?」
「じょーとーッス!」
言葉とともに屈伸をして、立ち上がったら、しゅばばと腕振り。加速している。
「エラいやる気だな、ミル」
「借りを返すッス」
「借り? お前、娘さんに何か借りがあんのか?」
「ボクのことッス。絶対、お仕置きしてやるッスよぉ……」
お仕置きってのは、何の話のことなのか。しかし、やる気があるのはいいことだから、そいつに上乗せしてやろう。
ミルの目の前に指を一本、立ててみせる。
「よぉし、この仕事終わったら『プリムローズ』で何でも一個買ってやる」
「なくても!
言いきる前に、ミルは駆けだしていた。慌てて追う。やっぱりおバカだ。
作戦も何も、あったもんじゃねぇ。
先を走るミルが叫んだ。
「センパイのカタキッスよぉ!」
仇って、何の。
疑問を声に出す暇もなく、距離は間合い直前だ。
不敵な笑みを消した娘さんは、左手を眼前に構えた。いつぞやと同じ作戦らしい。
俺は後ろ腰に挟んでおいた、奪ったナイフを引き抜いた。
「ミル! 頭下げろ!」
返事を待つ暇はない。頭が下がることを祈ってナイフを投げる。
ミルはすぐに動いてくれた。投げたナイフは回転しながら飛んでいき、デコがあった空間を抜け――マジか。弾かれた。
娘さんは左手でナイフを打ち払いつつ、左足を捻るように引いている。次にくるのは、あの
娘さんの左手が柄に届くと同時。
糸を引くかのような光を残して刃が迫る。俺との間合いはまだ遠い。つまり狙いはミルの方だ。
「ミル――」
すでにミルの躰は下がりはじめていた。
今度は突っ込み続ける俺がヤバい。
地を舐めるほど低く駆けたミルは地を滑りつつ、こちらを向いた。
「センパイ!」
ミルが仰向けに寝そべるように姿勢を変えた。組まれた両手が、そこに足を掛けろと言っている。
必死に足を回して、ミルの構える手の平に足を置く。
残光を引いて刃が迫る。
到達するより早く、俺の躰が打ち上げられた。
空中で前に向かって、躰を回す。一瞬見えた、こちらに振り向く娘さんの顔と、その足を蹴り払おうととしているミルの姿。
着地と同時に振り向くと、打音と風切り音が続いて聞こえた。信じられねぇ。
あのミルの打撃を受けたってのに、白銀鎧はへこんですらいねぇ。
鎧の症状は、異常な長さの剣を、軽やかに、縦横無尽に、振り回す。
喪服を着こんだ後輩は、紙より薄い間合いで捌き続ける。見てるだけで寿命が縮む。万が一どちらかが死んで、アンブロジアが自死を遂げてしまったら、蘇生もできないかもしれない。
迫る刃を手甲で受け流しつづけるミルに、俺は叫んだ。
「ミル! 死ぬな、殺すな!」
「――ッスよぉ!」
ドカンと大きな爆発音がした。ミルの足元で石畳が割れている。
娘さんは突きだされた手を、白銀の篭手で受け止めた。
聞こえてないのか、答える余裕がないだけか。
俺はアンブロジアを止めるため、ミランダの家を目指して駆けだした。
ここまで走り続けてきて、いい加減に足もキツい。聞こえるのは呼吸と足音だけ。
ふいに落雷にも似た轟音が鳴る。間をおかずバンシーの金切り声がした。耳から入って身を切り裂くような不快な音に、立っているだけでもやっとである。
目を瞑り耐えると、寝床で聞いた声が頭に響いた。
『急ぎなさい、ヨーキの下僕。 私の力を貸し与えます』
目の前にチカチカと光が見えたかと思うと、すぐに俺の足に力が戻った。それどころか、俺の知る限界を遥かに超えて加速している。
俺の躰は意思を超え、飛ぶように進んだ。
ミランダの家の前には、誰かが立って待っている。ジークだ。バカヅラは怯えて引き攣っている。手にはしょぼいフレイルを携えている。
俺は迷わず地を蹴って、ジークの元まで跳ね寄っていた。
信じられない速さだった。並ぶ墓石は幾条もの線と化して後ろに流れ、ジークが叫ぶよりも早く迫って、俺は奴の胸に両足から突っ込んでいた。
それまでの速度が衝突の瞬間に失われ、バカの躰が分厚い扉をぶち抜いた。
家の中から、ありとあらゆる破壊の音が鳴り響く。
「さぁ、ジーク。裏切り者のバカ野郎が。お仕置きの時間だぞ」。
ジークは血反吐を吐きながら、自分の身体に魔法をかけているようだった。なまいきな。誰のおかげで仕事にありついていたのか、思い出させてやらねばならない。
俺はダガーを引き抜き、わざと音を立てて振り回した。
「裏切り神官め。いつのまに回復魔法まで覚えたんだ?」
「……タンマ。俺の負け。ヤメテ」
「ヨーキ様のところ、行きたかったんだろ? 今なら友達価格で送ってやるぞ」
ジークは両手を体の前で交差した。降参のつもりらしい。ほんとに一回死なせてやりたい。しかし、これでも数少ない俺の友人だから、そうもいかねぇ。
「しょうがねぇ野郎だ。今回だけは許してやる。アンブロジアは地下か?」
だらだらと涙と鼻水と涎と……を吐きつつ、ジークは力なく頷いた。
ほぼ同時に足元から、俺の嫌いな絶望の声が響いた。周囲の空間が一気に歪む。間違いなく奴――アンブロジア――が、葬儀の準備に入り始めた。
しかし声がやむ気配もない。
つまり、
『「間に合う」』
俺の声と、頭に響く神の言葉が重なった。
未だわざとらく
ジークが首根を掴む俺の右手を押さえた。
「分かった! 止めてくれ! 俺は止めようとしたんだよ!」
「うるせぇんだよ! 入り口でミルがやり合ってる。今すぐ行って止めろ!」
「分かったって! だから手ぇ離してくれよ! お前、怖ぇよ!」
必死の抗議は無視だ。ジークを家の外まで引っ張り、軽く突き飛ばす。……想像以上の勢いでもって吹っ飛んでいった。迷惑すぎるな、この力。
家の裏手に回り込み、地下への扉を引っ張り開ける。
階段の先は闇に溶け落ち、その奥では悲嘆の声が響いている。足を踏み入れると同時にガラスの砕けるような音がして、すぐに金切り声も木霊した。
いいかげん聞きあきた不快な声に耐えつつ、暗闇の道を降りていく。いつも躰に感じていた冷気はなく、また恐怖もない。ただ地の底からここまで、暴風にも似た魔力の奔流があった。
地の底に降り立った俺は、眼前の岩戸に手をつき割り開く。岩戸の裂け目から黒い霧が漏れだし、躰にに纏わりついてくる。しかも、それを裂くように俺の躰から光が漏れ出て、やたらと眩しい。
岩戸を開くと視界に入ってきたのは、アンブロジアと思しき不気味な人影。青白い松明の光に照らされたその奥に、腰でも抜けたか地に腰を落とすミランダもいた。
ミランダが神像に向かって後ずさり、こちらに叫んだ。
「ネイトさん!」
ミランダの悲痛な叫びは、救いの手を
俺が答えるよりも早く、アンブロジアらしき影がこちらに向いた。その顔は、ジークの部屋で見た、憂いを帯びる少年のそれとは、まるで違う。
皮膚は衰え萎びて皺をよせ、斑点状に瑞々しく張りのある肌が散らばる。老化と再生を無限に繰り返している。まるで皮の下で蛇がのたうつようだ。こちらをおぼろげに見つめる右目は白く濁って、左目は鳶色の瞳を真っ赤な血の筋が取り囲む。白金色だった頭髪は、いまや白髪と黒髪の筋がまだらに混ざる。
老人と少年が体表で出入りするような有り様は、もはや人の姿ではない。
俺の頭の中だけでなく、その凄惨な場に、ユーツ=ナハルの声がした。
「アンブロジア! 私の元へ戻りなさい!」
「やぁぁっと出てきたわね? ユーツ!」
よく似た声色の神の怒号は、疑いようもなくヨーキ=ナハルのものだ。
いま、ヨーキ=ナハルの神像の前で、女神の姉妹が対峙した。
ユーツの言葉が告げる。
「ヨーキの下僕! アンブロジアの改宗を止めなさい! さすれば貴方に、永遠の命を授けましょう!」
永遠の命って……あんな姿になりたかないぞ、俺は。
「ではあなたは、蘇生の力が世界から失われてもいいと、そういうのですか!?」
そっちはマズい。仕事がなくなる。
なら、是非もない。
ダガーを抜いて、切っ先で変わり果てたアンブロジアを見定める。
「アンブロジアさん。恨みは全くないんですがね、ちょっと待ってもらえます?」
「……モウ、待てまセん」
その声は高低が目まぐるしく入れ替わり、混濁して聞き取りにくい。
駆けようとした瞬間に、ヨーキが怒りの宣言をした。
「裏切り者には死を! 終わる事なき
「ネいトさん、おユルシを」
アンブロジアの左手がこちらを向いて、闇が膨れた。
俺はただ両手で守ることしかできず、膨れる黒に飲み込まれ――、
爆ぜた。
音もなく躰が崩され、宙を舞っている。痛みはない。感じるより早く、肉体が吹き飛んだのか。
いや違う。もしそうなら、何が起きてるかなんて、分かるわけねぇ。
盗賊ギルド時代に何度も死んでる。だから死んだ瞬間には何も感じないことは、よく知っている。つまり今の俺は死んではおらず、生きている。
目が見える。空だ。
首が回る。吹き飛び
なるほど、これが再生か。これはたしかに、死にたくもなる。
宙を舞っていたはずの躰が、落ち始めた。まだ満足に――
ぐしゃり、と、かび臭い地面に落ちた。多分。感覚が完全に失われていて良く分からない。
躰が首根を支点に回って、地面にうつ伏せに倒れたらしい。遅れてやってくる猛烈な痛みはすぐに消え、変り続ける感覚のうねりに流され、狂気に身を委ねたくなる。
見上げる空には、点々と黒い物体が。
バラバラと落ちてくるそれらは、おそらく元はミランダの家だ。
前方から殺気。
力を込めて両手をついて、やっとの思いで這いずり起きる。……壮絶とは、こんな光景を言うのだろう。
地下神像から地表までの大地が放射状に吹き飛び、大穴となっていた。家がどうとかそういう水準の話じゃない。力を発したアンブロジアより後方の空間は無傷なままで、ちょっとした崖を形成している。
そこに立つ神像は残されたままで、張り付いていたミランダも無事そうだ。これが唯一の救いの景色である。
体表をぐずぐずと崩しては再生を繰り返すアンブロジアは、黒く染まった左腕を虚ろに伸ばした。口がパクパクと開閉をして、伸ばした腕から腐臭漂う赤黒い霧が広がった。自分の血を使って血の霧を作るってのは、想像の範疇外だ。
再生を繰り返す躰ならではなのだが、なにより俺には思いつかないやり口である。
壊れ慣れてる相手に、どうやって戦えばいいんだよ。勝ちの目が見えねぇ。
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