そしてネイトはブチ切れた
赤黒い血の霧をその身に纏ったアンブロジアは、躰を左右に揺らして歩み来る。
たった一発くらっただけだが、それでもすでにわかってる。俺とあいつじゃ元の実力に差がありすぎて、勝負にもならない。しかも、相手は死に慣れすぎてて、やることなすこと躊躇がねぇ。どうすりゃいいんだ。
迷って動きを止めた俺を見かねてか、ユーツ=ナハルの声が辺りに響いた。
「ヨーキの下僕! 私の力を貸し与えます!」
俺の体躯が光りはじめる。まさか自分の躰を眩しいと思う日がくるとは。
みなぎりすぎる活力は、正直いって不快極まりない。神の御加護の力ってのは、こうも押しつけがましいものなのか。
薄く笑ったアンブロジアが手を伸ばす。血の霧が濃度をまして、一気に広がる。濃すぎる霧は視界どころ朝日を遮り、まるで泥中にいるかのようだった。
俺は脳裏を過る指示通り、右手を振った。
途端。
伸ばした手の周囲から、何十条もの光の矢が、空間を穿って射ち出されていた。
黄金色の糸引く光の矢は、分厚く赤い霧の塊に突き刺さる。霧中で光が散った。一面の闇に開いた
俺は右手の先に熱を感じた。焼けた鉄のような熱を握る。短剣の柄だ。
振るおうかとした矢先、ヨーキ=ナハルの声がした。
「この裏切り者ぉ!」
子供っぽい呪いの言葉に驚きつつ、光の短剣を構えてアンブロジアを待ち受けた。
霧の奥から姿をみせたアンブロジアは、漆黒の刃を振り下ろしてきた。
俺の握る光の刃と交錯し、闇が吹き飛ぶ。光の短剣も爆ぜ散った。ほぼ同時、節くれ立った手が伸びてくるのを見た。早すぎて避けられねぇ。
とっさに躰を庇った俺の右手が崩壊していく。
気づけば俺の躰は、再び宙を舞っていた。
吹き飛ぶ間に見たのは、粉砕されて端から腐る右の上半身だ。惨たらしさに反して、頭は冷静そのもの。死ぬほど痛ぇなんて思う間もなく、それも消える。何事も無かったように、躰が形を取り戻し――背中に鈍い衝撃があった。
俺は墓石をぶち割り、多分これ、背骨が折れて……直った。
……この戦い、不毛だ。虚しすぎる。
「あなた弱すぎ! もういいです! 古の英雄を使います!」
頭なの中でわめいているのはユーツ=ナハルの声だ。
って、待て待て待て。古の英雄ってなんだよ。
文句を伝える手段もなく、耳が音を拾わなくなるほどの爆音がした。背後に落雷にも似た身を竦ませる何かが落ちた。
驚き思わず振り向くと、神々しさすら感じる光があった。
光の中には、トーガを纏った一人の女が、ただ静かに浮いていた。
透き通るほど白い肌と白金色の髪を除けば、驚くほどヨーキ=ナハルに似た姿をしている。トーガでごまかされた平たい胸と、肉付き以外は。
ユーツ様か?
――って、今はそんな場合じゃない。アンブロジア!
慌ててアンブロジアに目をやると、その人は呆然と立ち尽くしていた。どうやらユーツ=ナハルの顕現を目にして、思考が止まっていたようだ。無理もない。
墓地はヨーキ=ナハルノの縄張りのはず。
顕現したユーツ=ナハルの言葉は、ふっくらとした唇を開いた。
「ユーツナハルの名によって命じます! 滅びし者に新たな生を!」
なにやら不安を掻き立てるような命令のあと、一拍の間をおき、大地のそこかしこから光の柱が突きだし天上に向かって伸びていく。
抉れた大地が作った崖の上から、ぐちゃり、と吐き気を催す音がした。虚ろな瞳の朽ちた英雄たちが、俺たちを見下ろしていた。
地面を割り開き這いずり出てくる死者もいる。そいつらは、俺の二十年ばかしの人生で見た中で、最も血色のいい
「ユーツ様! いくらなんでもこれは、死者の冒涜で――」
「うるさい役立たず! ヨーキ姉ぇの犬は黙ってて! 彼は絶対、死なせない!」
女神の言葉とは思えないヒステリックな叫びだ。ヨーキ姉ぇって。
地鳴。大地が揺れる。
アンブロジアの背後にわずかに残っていた石床に、黒い点が現れた。
点はみるみる広がり、影となる。心臓を握りつぶそうかというあの声がした。
「バカユーツ! 生命を玩具にするなって言ってんでしょーが!!」
影からぬるりと現れたのは、セーラーとやらを身に纏うヨーキ=ナハルだ。
なんと恐ろしい光景だろうか。神が
ヨーキ=ナハルは右手をこちらにかざして、声を張り上げた。
「そっちがその気なら、アタシだってよーしゃしないかんね! ヨーキナハルの名において! 死せる英雄の魂よ、ここに集え!」
その気抜けしそうな子供を窘めるような文言に従い、影の門が現れ、開く。
死者の門を潜り抜けてくるのは、影のみとなった英雄たちだ。もちろん完全武装である。……なんか見知った雰囲気の奴が、ちらほら見える。
思考が止まりかけてる俺とアンブロジアを無視して、姉妹は互いを指さした。
「ヨーキ姉ぇのバカ! アンブロジアを返せ!」
「人間相手に本気になってんじゃないっての! バカユーツ!!」
やたらと活き活きした生ける屍と、その肉体の元の持ち主の影たちが、冒涜的ともいえる鬨の声をあげて駆けだした。
ああ……むかし教会に忍び込んだとき、こんなん見たわ。あれは惨たらしい絵だった。ぶった切り、血しぶきをあげ、噛みつき、殴る。死んでも死なず、屠られ殺す。
暴力的な、あまりに暴力的な光景だ。
「いい加減この男は諦めなさいユーツ! なんでアタシの言う事聞かないわけ!?」
「ヨーキ姉ぇには関係ないでしょ!? 私が誰を好きになったっていいじゃない!」
「よかないっての! アタシが周りに言われんだって!」
「周り周りって! そんなの私に関係ないじゃない!」
それに反する、下らない、あまりに下らない姉妹喧嘩の声。
「ああもう! ネイト! アンタもアタシを裏切るなんて――」
「ほら! ヨーキ姉ぇだって、人間のことを好きになってるじゃない!」
「はぁ!? 違うっての! ネイトはたまたま一番よくできた――」
「アンブロジアが一番ですぅ! ナニ!? 人に色々言っといて自分は……」
延々と続く痴話喧嘩を見て、アンブロジアは狼狽するだけ。使えねぇ――
ふざけんな。どいつもこいつも、頭にくる。
俺はこういう命の軽さが嫌になって、葬儀ギルドに入ったんだ。それがどうだ。クソ下らない痴話喧嘩だぞ。そんな下らない事で、なんで俺が、こんな目に合わなきゃならねぇ。
死にたくなるほど頭にくる!
頭の中で、切れちゃいけない何かが、ぶつりと切れた。
俺は全身全霊を込め、全ての怒りと疲れとバカバカしさを、口から吐いた。
「うるっせぇぇぇぇ!!!」
吐き出した感情は、貸し与えられた光と慣れ親しんだ闇を纏い、風を起こした。
「いい加減にしろよ! このバカ神共!!」
口から漏れでてしまった俺の怒りは、もう止まりはしない。止める気もない。
「なんなんだよ、これは! 人の命をなんだと思ってんだよ、お前らバカ姉妹は!」
手を振り、辺りを示す。
「見ろよこのバカげた光景を! この人たちはな、お前らの玩具じゃねぇんだよ! 一生懸命に生きて、生き抜いて、そうして死んだ人達なんだよ! 今すぐやめろ! 失礼だろうが!!」
ヨーキ=ナハルが、口を開いた。
「よ、よく言ったわ! それでこそアタシの信徒――」
「お前がいうなヒモ女神!」
「ヒモ女神!? アンタ――」
「うるせぇよ! だったら信徒にばっかりやらせてねぇで、てめぇでやれ!」
「それは……その……」
口をつぐんだヨーキ=ナハルに対し、ユーツ=ナハルが口を開いた。
「ヨーキ姉ぇってば、自分の信徒に言われて――」
「てめぇもだよ色ボケ女神!」
「色ボケ!?」
「色ボケだよバカが! あの哀れな姿を見てやれよ!」
俺はアンブロジアを指さした。
せっかくのチャンスに、バカは口を結んだ。どこまで無能だ。もう関係ねぇ。
「ユーツ=ナハル! お前が妙な力を与えたせいで、あんな哀れな姿だ! あれが人の姿かよ! 分かってやれよ! 惚れてるんだろ!?」
ユーツ=ナハルも口ごもる。
ここまで叫び続けて、息が切れてきている。しかし、ここまで言っちまった以上は、全部言わなきゃ気が済まない。
「なんで死のうとしたのか分かるか? 終わりが見えないことが、耐えられないんだよ。終わらねぇ世界は、終わらねぇ悪夢なんだよ……」
息切れた。……さすがに言いすぎたか? ヤバいか?
アンブロジアに加勢を求めようかと目を向ける。奴はすぐにそっぽを向いた。ふざけんな、全ての元凶さまがよ!
こうなっちまったら、ヤケクソだ。頭の中を読まれない内に、言いくるめてやる。
まずはヨーキ=ナハルだ。
「ヨーキ=ナハル。この茶番はなんだよ。アンタが妹と直接話せば済む話だったんじゃないのか? なんで俺らを巻き込んだんだよ。弱い人間をよ!」
「それは――」
「なんで死ぬ奴がしょぼくなったか分かってんのか? 蘇生魔法のせいで、みんな死を怖がらねぇからだ。要はな、アンタが妹を止めなかったからなんだよ!」
ヨーキナハルに反論の隙を与えてはいけない。やられる。
俺はさらに不満をぶつけることにした。
「大体あの葬儀のときの叫び声はなんだよ。知ってる限りでグレイブだけだぞ、アレがなかったの。せめてちゃんと生きて、ちゃんと死んだ奴ぐらいは、静かに送らせてくれよ! トップのあんたが営業努力をしないで、誰がするってんだよ!」
伏し目がちになったヨーキ=ナハルは、首を縦に振っていた。
勢いが死なない内に、俺はユーツ=ナハルに人差し指をつきつけた。
「お前のせいで世界はめちゃくちゃ、惚れた男はグチャグチャだ!」
「でもアンブロジアは――」
「でももクソもねぇ。惚れた男が死にたくなったんだぞ!? お前のせいで奴は悩んで、信心よりも自分を優先しちまったんだ! 少しは自覚しろよ!!」
息が切れて限界が近い。しかし、もうひと踏ん張り。
「ヨーキ=ナハル。こっちこい!」
「え!?」
「早く来いよ! ちんたらすんな!」
手招きして、ユーツ=ナハルの前に絶たせる。
俺はヨーキの手を取り、ユーツに言った。
「ほら! お前も手を出せよユーツ=ナハル」
「え!?」
「早くしろっつーの!」
もはや自分でも何をやっているのか分からない。しかし、これで終わると信じるしかない。
差し出されたユーツ=ナハルの白い手を、ヨーキ=ナハルの褐色の手と結ばせる。
「ほら、簡単じゃねぇか。ついでにお互い、謝れよ」
「はぁ!? 謝れってアンタ」「なんで私が!」
同時の抗議は完全無視だ。頭の中を読まれたら、一瞬で全てが御破算になる。
「お互いに謝る所があるだろっつってんの!!」
二人で目を合わせ、逸らし、俯き……じれったいな!
「モタモタしてんじゃねぇよ! 姉妹だろ!?」
「分かってるわよ!」
怒鳴り返してきたヨーキ=ナハルだったが、すぐにユーツと視線を合わせた。
「……ゴメン。姉ちゃんが悪かった。ちゃんと言うべきだったよね」
「え!? あの……えっと……私も、ごめんね? ヨーキ姉ぇ」
……危なかった。
ヨーキ=ナハルに怒鳴り返されたとき、チビるかと思った。目がヤバかった。まだ膝が笑ってる。死の女神に怒鳴られるとか、死ぬほど……いや、死ぬよりも、怖ぇ。
「あ、あの……僕は結局……」
忘れていた。アンブロジア。この期に及んで文句も言わない、お人よし。
ここからの交渉、これが本題だ。
アンブロジアを手で制し、俺が交渉すると、示してみせる。
「それじゃあ、お二人とも。仲直りしたところで、提案があるんですが」
「……アンタにも迷惑かけたわね。やっぱ傍系の信徒にしておくのは、惜しいわ」
「もったいない御言葉です。が、今は蘇生魔法とアンブロジアさんについてですよ」
びくり、とユーツ=ナハルの肩が震えた。伏し目がちにこちらを見ている。
俺は仕事のなかで培ってきた
「まず、アンブロジアさんの不死の力を取り去りましょう。彼が死を望むことになった直接の原因ですから」
当の本人に言葉を投げる。
「いいですね?」
「え、えぇ……もちろん」
頷いたアンブロジアは、胸に手をあて、息を整えていた。
次はヨーキ=ナハルの説得だ。
「ヨーキ様。とりあえずしばらくの間、彼の死を待ちましょう。どの道、あなたがたからすれば人の一生なんぞ、一瞬と変わらないでしょう?」
「……そう軽いもんでもないんだけど……まぁいいわ。なんか、ヤル気なくなった」
「ありがとうございます」
俺はヨーキ=ナハルに一礼して、今度はユーツ=ナハルと視線を交わした。
「死は、人にとって必要なものです。死があるから生は輝き、生があるから死は意味をもつはずだ。だから、蘇生などという大層な力は、そう簡単に使えるものじゃいけない。もっと人を選んで与えなければ」
葬儀の度に聞いていた、ジークの言葉を真似ていく。つまりハッタリだ。
だが、効果はあったらしい。
俯いたユーツ=ナハルは、上目づかいでこちらを見た。
「では蘇生の力も奪えと?」
「いきなり失くしてしまえば、世界はまた暗黒時代に逆戻りです。そこでアンブロジアだ。彼をユーツ=ナハル教団の長として新たにすえて、そのお眼鏡に適う者のみに力を分け与えるのです」
アンブロジアの眉が寄った。やばい。
気取られる前に押し切るしかねぇ。
「あなたが、いきなりこんな大それたことに出たから、この騒動になった。全てがあなたの責任とは言いませんが、一端はある。ならせめてもの贖罪として、少しずつ世界を変えていきましょう。なにより、俺はあなたの悩みの種を解決したはずです」
アンブロジアは真意を見抜くつもりか、睨むように目を細めた。しかしそう簡単には気づかれないはず。この手の技術は、盗賊ギルドの本懐だ。
しぶしぶ頷くアンブロジアを見た瞬間、俺は両手を大袈裟に広げてみせた。考える時間を与えちゃダメだ。
「さぁ! あとはここを片付けるだけですね!」
自信満々を装い、引き攣る口角を隠して笑ってみせた。
が。
神の姉妹もアンブロジアも、なにやら不審の色が乗った目を向けてきている。これはちょっと……まずいか?
なんとか押せていたのに、ここまでなのか――
「ネイトさん! お家、私のお家がぁ……」
ミランダの声がした。腰でも抜けたのか彼女は四つん這いで寄ってきていた。
混乱しているのか、ぐるぐる回る涙目が、ヨーキ=ナハルの方に流れた。
「あ、あなた……は?」
時が止まった。
これは、チャンスだ。
素早くヨーキ=ナハルを手で指し示して言った。
「あー、ヨーキ=ナハル様です」
「は!?」
俺はヨーキ=ナハルに視線を送った。
「え!? あ、えっと――愛しき我が子よ! 我こそは、死の女神にして汝の――」
「ヨーキ姉ぇ、ナニ? それ」
「ちが、これは……!」
ここだ。
ユーツ=ナハルを手で指し示す。
「こちらは、ユーツ=ナハル様です」
「ユーツ=ナハル!? わた、私は……! ああっ……」
ミランダは、どさり、とその場に倒れた。どうやら気を失ってくれたらしい。
「センパァァァイ! だいじょーぶッスかぁぁぁ!?」
神のつくりたもうた崖の上から、愛すべきおバカの声がした。そのお間抜けヴォイスに、場の空気が一気に弛緩していく。
最高のタイミングで来てくれたおバカさんめ。奢りの菓子パンを追加してやろう。
俺は両手を打って、視線を集めた。
「さぁ、後片付け、はじめましょうか?」
「………ハイ」
女神の姉妹とアンブロジアが、勢いに流され、みんな揃って頷いた。
そして俺は、深く、深く息を吐きだした。
天を仰ぐと陽はすでに昇りきり、青空と陽気は疲れを灌ぐ。
……あたりに漂う墓地のかび臭さが、仕事をしろと言ってやがった。
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