ネイトの苦悩とその結果

 アンブロジアが去った部屋には、重い空気だけが残されていた。ミルは目をうるうるさせてやがるし、ジークも非難するかのように睨んでる。

 俺はヨーキ=ナハルの予言に触れないようにすることだけを考えていた。


「しょうがねぇだろ。引き受けたら、相手は誰になるのか分かったもんじゃない」

「でもぉ……」「そうは言ってもよぉ……」

「『でも』はねぇって言ったろ。どうしても仕事を受けたいんなら、俺抜きでやれ」

 

 ミルとジークはがっくりと肩を落として、床に目を落とした。

 見ているだけで、こっちの気分も落ち込みそうだ。


「で、ミル? 俺は事務所に戻って休業の準備をする。お前はどうするんだ? ジークと一緒に、奴の葬儀を引き受けるのか?」


 俺自身がヨーキ=ナハルの影を気にしているだけに、少しキツい物言いになっていたかもしれない。それでも二人が引き受けたいというのなら仕方ない。二人には悪いが、それぞれで頑張ってくれと言うしかない。

 決断が早かったのはミルの方だった。じっと見てきたかと思うと、すぐに視線を自分の手の平に落として、首を小さく縦に振る。

 ついさっきまで世界の終わりみたいな顔をしていたくせに、悲壮感は消えている。


「ボクとジークさんだけじゃ、無理ッス。だから、だから……」

 

 すぐに決壊しそうではあったが。

 今にも泣きそうなミルを見かねたか、ジークが慰めるように言った。


「ミルちゃん……」


 しかし、ジークの言葉はそれ以上は続かなかった。


「ネイトよぉ、どうにかならねぇのかよ」


 ただのバカは、ときたまこうして神官ヅラをする。こっちまでめげそうだ。

 二人をとりあえず納得させたいが、死なせてやるのは無理だ。つまり取れる方法はほとんど無い。ついでに、俺だってアンブロジアの動向はは気になっている。

 それなら、できることは一つしかない。


「……じゃあよ、ジーク。お前がアンブロジアを尾行つけて、見張ってくれよ」

「はぁ!?」「ほぇ!?」

「揃って間抜けな声を出すんじゃねぇよ。ただの折衷案だよ。お前らはやっこさんが気になって仕方ない。俺は奴の葬儀は受けたくない。なら、見張るしかねぇ」


 ぱぁっと明るい顔に戻るミルとは対照的に、ジークは絶望の井戸を覗きはじめた。


「なんで、俺? 監視とかって、盗賊ギルドのお前の方が――」

「バカだろ、お前。俺は断ったんだ。近づいたら変だろうが。しかも、俺が行ったら仕事を請けたと思われかねねぇ。お前なら元々ユーツ=ナハルの神官だったわけだし、昨日だってアンブロジアを泊めたんだから、自然だろうよ」


 リスクを背負い込みたいなら、好きにすればいい。ジークも元を正せば不良神官なのだ。ただしくユーツの信徒でありたいと考えたのなら、自分の手を汚すのが筋ってもんだ。

 しかしジークは、肩を落として、床を見つめた。


「でもよぉ……」

「つべこべ言うな。別になにしろって言ってるわけじゃねぇだろ? 追っかけて、見張るだけ。それだけだ。今は違っても、元は同じ教団なんだろ。草って意味じゃ、まぁ及第点ってところだろ」


 ミルがぱっと向きを変え、ジークの両肩をガッチリつかんで揺さぶった。


「ジークさん! お願いしたッスよぉ!」

「ミルちゃん……もしかしてさっきの、演技?」

「?」


 首を傾げるミル。多分、演技じゃねぇ。自覚がないだけだ。

 俺は呆れているはずだ。だが、なぜだか、ほっとしている自分がいる。

 腹立ちまぎれに、埃だらけの床を蹴りつけた。


「ほら、そしたら後はジークに任せて、俺らは事務所に戻るぞ」

「りょーかいッスよぉ!」


 ミルはいつものように敬礼した。距離さえなければ、輝きを取り戻したデコをペチっただろう。

 俺はミルを連れて事務所に戻ることにした。

 空を見上げると、うざったいくらいにの青空が、どこまでも広がっている。そこにらほら白い鳥が飛び込んでくる。

 引き続く悪寒に身震いすると、ミルが背中を押してきた。


「早く事務所に戻って、お仕事再開ッスよぉ」

「事務所はしばらく閉めるって言ったろ。のんびり行けばいいんだよ」

「だめッスよぉ。きっと待ってるお客さんが一杯いるッス!」


 どうせ死ぬほどでもない連中だし、断るだけだというのに。

 そんなことを考えながら事務所前まで押されると、意外なことに、客の列は無くなっていた。代わりに、パンの欠片があるでもないのに、大柄なカラスが群れをなし、俺たちを見据えて待っていた。


 鳴き声もあげず、手も触れそうな距離だというのに、逃げもしない。ただじっとこちらを見続けている。ヨーキ信仰をもつ俺でも気分が悪くなるような光景に、思わず足が止まった。

 しかし、残念ながらミルはまったく動じていない。ズリズリと押し進められる。

 

「ミル、まて。まて。カラスだ、ヨーキ様が怒ってるかもしれない」

「ふぇ?」


 押すのを止めたミルは、てってこ前へと歩き出た。かと思うと、そのまま無警戒にカラスの群れに近づいていく。

 カラスたちは目の前に人がいるのに飛びたつ気配すらない。ヤバい感じだ。

 ミルが拳を握り、両肘を腰に当てるように構えて、静かに呼気を発した。


「ふぉぉぉ……」

「おい、何する気――」

「リ――ヤァッ!!」


 一瞬、ミルの躰が浮かんだような気配があった。実際はやや腰を下げただけ。

 次の瞬間、ミルの周りの空気が歪む。同時に足元の石畳が震動した。

 突如に揺さぶられた石畳は不規則かつ猛烈な地鳴を立てて、カラスの群れは飛び去った。そして民家の窓が開いて、ババアやジジイの怒声が飛んだ。

 ミルは握り拳を静かに開き、少しずつ落とした腰を引き上げていく。


「ふぃぃぃ……センパイ! これでおっけーッスよぉ!」

「……おう。あんがとな」

「センパイ、鳥さん苦手ッスかぁ?」


 振り返ったミルのデコには、きらきらと汗の玉が光り、頼もしくも思える。ただ気持ち表情が硬いようだし、息も荒れている気がする。もしかしたら、額の汗は実は冷や汗なのかもしれない。

 俺は小さな頼もしい後輩に感謝し、事務所の扉を開けて、中へ入るよう促した。


「んじゃ、さっさと入って、仕事のお勉強だ」

「りょーかいッス!」


 たとえ怯えていたとしても、ミルが気遣ってくれたのだ。それを暴く意味はない。

 事務所の扉に臨時休業の札を掛け、残っている事務仕事を手伝わせる。

 とはいえ、ミルは読み書きすら苦手である。手伝わせて仕事を教えるつもりだったのに、結局ただの勉強と大差なくなり、気づけば夜になっていた。


 そうなってしまえば、いつもと同じだ。

 ミルの腹は空腹を訴え、俺はため息をつきつつ仕事の手を止め、メシを作ってやる羽目になる。そして夕食を終えたミルは、それが当然とばかりに欠伸をしだす。

 つまり、もう仕事はしませんってことだ。


「おやすみなさい、っすぅぅぅ……」

 

 妙に間延びしたミルの声に応えて、部屋まで押しやる。

 俺も諦めて寝床に入ってみる。

 寝つけやしねぇ。

 昼間のことが無ければ、枕を高くして寝れたろう。しかし、いまは眠くならない。何度も何度も寝がえりを打ち、アンブロジアの見た目以上に弱弱しい背を思い出す。

 

 それだけじゃない。

 仕事をすることで忘れようと努めていた、事務所前に群れていたカラスの眼もだ。あれは、ただの偶然とは思えない。ヨーキ=ナハルの監視の目なのは間違いない。

 寝付けるわけがない。ただ悶々とし、唸りながら目を瞑り続けるだけ……。


 

 声が聞こえた。


『…………………!』


 夢か、あるいはすでに起きていて、本当に声を聞いているのか。分からない。


『……て………い!』


 声だとは分かる。声色はヨーキ様に良く似ており、やや幼い声色だ。

 躰に力をいれていっても、うごかん。つまり俺はねむってて、これはゆめだ。


『起きてください!』

「……うるせー。よーやく寝れたんだー……ほっとけー……」


 ゆめということなら、ヨーキさまらしき声でも、どーでもいい。つまりことばを選ぶひつよーも……。


『さっさと起きなさい! ヨーキの下僕!!!」

「うぉあ!!」「うぉぉっ!?」


 頭の中だか耳元だか分からないところで聞こえた、巨大な音の塊。俺は驚き目を開けた。こちらを覗きこむのは黒覆面。さっき聞こえた、俺以外の悲鳴の主だ。

 目覚めと同時かそれより早く、俺の右手は男の顎を目がけて、振り抜かれていた。


「誰だテメェ!」

「グバッ!」


 短い悲鳴は男の声だ。手には金属の触感と、強烈な痛みがあった。どうやら覆面の下にはフェイスガードを付けてるらしい。目を滑らせて、得物えものを探す。

 男の右手は、闇に隠れる黒刃のナイフを持っている。

 迷う時間も無ければ、右手の痛みにかまう暇もありはしない。


 俺は男の右手を掴んで押し上げながら、その肘の内側を叩いて曲げた。

 男の握る黒刃のナイフが、男自身の右胸に突き刺さる。

 ナイフの柄を押し込む俺の手首を、男は掴んだ。しかし、捻じり裂くように刃を回すと力も抜けた。

 鈍い音をたてて膝をついた男は、ゆっくりと、仰向けに倒れていった。

 ベッドを飛び降り、男の胸からナイフを引き抜く。扉の向こうに声かけ確認。


「ミル! 大丈夫か!?」

「――ちょいやー! ッスぅ!」


 寝室のドア――ではなく、すぐ横の壁を、黒服の男の躰がぶち抜いた。

 壁に開いた大穴から続いてミルが飛び込んでくる。空中で腰を捻り、着地と同時に迎撃態勢をとる。

 そのちょっと間抜けな気迫によって、子供らしい青い寝巻がはためいていた。

 ミルは胴体と顔の向きが一致しなくなった男を一瞥、深く静かに息を吐く。


「ふぃぃぃぃ……」


 一拍の間を取ったミルが、慌てているかのように叫んだ。


「センパイ! 大丈夫ッスかぁ!?」

「おう。お前がぶちぬいた部屋の壁以外は大丈夫だ。お前は?」

「お部屋がぐちゃぐちゃッスよぉ!」


 見ればミルの手は深紅に染まっている。部屋でも凄惨な戦闘があったらしい。


「とりあえず服、着替えろ。戦闘準備だ」 

「ふぇ? 戦闘って……」

「多分、アンブロジア絡みか、さもなきゃヨーキ様だ」

「でもボク、ヨーキ様の――」

「とにかく準備! そしたら説明してやる」

「むぅ……りょーかいッス!」


 ミルは不満げな表情を見せつつも、すぐに切り替え敬礼で返してくれた。

 俺は敬礼のせいで顔に散った血を拭いつつ、男から奪ったナイフに目を向けた。

 片刃のナイフは、赤錆と光の反射を防ぐため、黒錆と蝋がつけられている。そこらの賊が用意する刃物ではない。つまり、こいつらは専門業者アサシンだ。


 蘇生魔法がある現代、ちょっと殺した程度じゃ時間稼ぎにもならないはずだ。となれば目的は誘拐か、あるいは俺とミルの蘇生封印、のち殺害か。

 俺は死体の覆面と鋼のフェイスガードを引きはがした。

 隠されていたのは知った顔ではないし、街中で見た記憶もない。持ち物を漁ってみるものの、当然のように出自が分かる物は持っていない。


 このご時世に、個人相手の誘拐・殺人なんぞ、専門業者を雇ってまでするバカな奴は誰か。そんな無駄金を使うのは王都絡みか、あるいはツテのある金持ちだけだ。

 昨日ミランダに手紙を送るように頼んだばかり。ここまで早く王都は対応できないだろう。となれば、こんな蛮行を実行し、かつ意味があるのは、一人しか思いつかない。


 アンブロジア。


 黒服の死体は捨て置いて、急ぎ服を着替える。いつもの喪服ではなく盗賊ギルド時代に使っていた、黒色の蝋を染み込ませた革鎧だ。破ったシーツを奪ったナイフに巻きつけて、後ろ腰の鞘との間に挟み込む。

 壁の穴から飛び出して、格闘の跡が残るせまい居間から叫んだ。


「ミル! 出れるか!?」

「いけるッスよぉ!」


 バゴンと開いた外れかけの扉から、ミルが飛び出してきた。きっちり喪服を着て。

 デコをペチるどころか叩いてやりたいが、そんな暇もありはしない。


「いますぐ墓地まで行くぞ! アンブロジアめ、死ぬ気だ!」

「りょーかいッス!」


 いつもの敬礼を見ると同時に、階下の事務所へ駆け下りた。

 鍵をこじ開けた跡の残る扉を蹴り開け、外へと飛びだす。

 事務所の前にはカラスの群れ。俺を見つめるカラスどもは、飛び出してきたミルの姿を見た途端に飛び去った。

 ミルに目を見て頷き、最後の意志確認をとる。彼女は強く、頷き返した。

 俺とミルは、墓地に向かって駆け出した。


 ジークのバカ野郎め、しくじったか、さもなきゃ裏切りやがったな。

 墓地に向かって駆けながら、俺の躰は、怒りの炎で燃えていた。

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